元魔王は愛が分からない・彫り物

文字数 5,713文字


 久方ぶりに満ち足りた気分で目覚めたサラギは腕の中が空なことに気付いて、少しばかり落胆した。ようやくキースを抱いたのに、また逃げられた気がして起き上がる。
 キースは何もなかったような顔で食事をしていた。お互い好きなように過ごすという暗黙の了解は以前からずっと変わらない。
 サラギに気付いたキースが静かに微笑んだ。

「おはようございます」

 まるで見慣れたキースだ。

 ――昨日はあれほど乱れたのに。

 その淫らさの欠片も見せず、キースはいつものキースだった。一瞬、あれは夢だったのではと思わせるあたり、キースは本当に忌々しいと眉を顰める。

「雨、ようやくやみましたね」

 キースの言葉につられて外を見ると、昨日の雨が嘘のように世界は光で溢れていた。今日も雨ならば洞窟から出ないキースをまた抱けるのに、と思いつつ、サラギはキースの腕を掴む。

「――何です?」

 昨日までの発情がおさまっているのか、キースはサラギの手を振り払わなかった。

「今日も抱くぞ」
「はあ? 嫌ですよ」
「何故だ!」
「体がもたないです。それに、色に狂った男って、みっともないですねえ」
「き、貴様に言われたくはないわ!」

 欲望で目を濡らしてしがみついて高らかに鳴いたのは誰だというのか。憤慨するサラギに、キースは澄ました顔で続けた。

「盛りのついた動物みたいですよ、貴方」

 これほどの屈辱があるものだろうか。怒りに震えながらキースの腕を握り締めると、痛みを堪えてかキースの眉間に皺が寄る。殺意を抱いた目で睨まれる目を睨み返し、その首を掴む。

「調子に乗るなよ、キース」
「貴方こそ」

 本気を出せばこの首などへし折ってやれるというのに、キースは微塵も恐れない。その姿を気にいっているのだから、サラギもこれ以上はどうすることもできなかった。舌を打ちながらキースから手を離すと、それを待ってたように眼前に刃を突きつけられた。
 いつのまに剣を抜いたのか。その素早さには魔力を持っていたときすら追いつけなかった。キースの早さを久しぶりに見て、何故か満たされる。

 ――これが、キースだ。

 だからこそ欲しいと思ったのだった。

「そう易々と好きにできると思われるのも、シャクなんですよね」

 キースはこうでなければ、組み伏せる楽しみがない。

「易々と俺に注がれて悦んだだろうが」
「――もう次はないです」
「なに!?

 それは駄目だ。あれほどの快楽と満足を二度と得られないなど、惜しすぎる。本気なのかとキースをまじまじ見つめると、険しい顔が不意に柔らかく崩れた。面白そうに笑いながら、キースが剣を引く。

「本当、貴方って面白い。そんなに私が欲しいんですか」
「そうだと言っただろう」
「……あんまり躊躇なく言われると、戸惑うんですけど」
「何故だ」

 キースは答えない。やはり人間は面倒で理解できないと、つくづく思う。

「それより、昨日の話ですけど」

 不意にキースの口調が変わった。この話はおしまいにするつもりらしい。そういうことも分かるようになってきたので、今はおとなしくキースの話を聞いておくことにする。

「なんのことだ」
「鶏のことです」
「ああ、家畜か」
「山鶏を捕まえればいいと思うんですけど、やっぱり鶏小屋がいると思うんですよね」

 サラギとて流石に家畜を飼育した経験はない。人間界の城にいたとき、兵糧の確認で飼育小屋を見にいったことがあるが、その記憶だけではどうにもなりそうもなかった。

 ――待て、山鶏だと?

 この島にもいる野生の鶏である山鶏は、飼育されている鶏と違って卵が小さく肉も固い。サラギはこの島で卵を欲するときは渡り鳥の卵を取っていた。それ程に、山鶏の卵は味気なくはっきりいえば不味い。

「キース、鶏は買え」
「えー、いやー。それはちょっと」
「何故だ。市場に売っていないのか?」
「貴方こそ、山鶏じゃ嫌なんです?」
「あれは駄目だ。卵が不味い」
「また贅沢言う」

 なんと言われてもそれは譲れない。これでも他のことは随分譲っているのだ。弟子がいなくなったから、寝床小屋を作ることができなくなったが、本当はこの洞窟暮らしを早くやめたい。それをキースが贅沢だと言うので耐えてやっているというのに。

「とにかく、鶏は買え。金がいるなら魚を取ってやる。木彫りの兎は高く売れたんだろう? 彫ってやってもいい」
「……貴方がそこまで言うなんて、よほど山鶏が嫌なんですね」
「鶏を知っているくせに山鶏で良いなどという馬鹿は貴様くらいだ」

 何故、キースはこんなにも山鶏にこだわるのだろうと疑問だ。以前、食器を買わせたときには金がかかると文句を言われたから、今回はサラギ自ら金を稼げるように売る物を用意してやろうとまで言ったのにだ。

 ――金の問題ではないということか。

 だとしたら、考えられるのは一つ、サラギ一人をこの島に置いて市場へ出かけるという行為そのものだろう。少しの魔法が使えるようになったことを警戒されていることも知っている。魔法力を使いこなせるようになるにはまだ時間が必要だが、体の中に魔法力を取り込むやり方が最近なんとなく分かるようになっている。
 それにキースは気付いているのだろう。

「俺を一人にすると、何をするか分からんからか?」
「はい? あー……そう、そうですね、それもありますけど」

 キースは手にしていた木の実の殻を机に置くと、そっと首を傾げ独り言のように呟いた。

「私は、人と関わっていいのだろうか」

 人と関わる、それは人間として当然の行為だろうに。サラギにはキースの言っていることがよく分からなかった。こんな無人島にひっこんだのは、人との距離をおきたかったからだろうということは分かっている。それでも必要とあれば買い物くらいはしていたのだ。
それを今更――。

 ――ああ、俺を選んだからか。

 人間を苛んだ元魔王を欲し、こうして側にいる。それは魔法使いに言わせても「人間への裏切り」だ。キースが背負い時折押しつぶされそうになっている大きな荷物。サラギにはその重さは分からないし理解しようとも思わない。そんなことよりも選んだ今が満たされればそれでいいし、それが選ぶということだ。

 ――だが、キースはそうもいくまい、か。

 ほとほと人間とは猥雑で面倒だ。

「キース。貴様は人間と関わりたくないのか」
「そうではなく、関わるべきではないと」
「誰がそれを決める」
「……それは、私の、勇者としての」
「またそれか。いつまで勇者面をしているつもりだ。魔法使いにも断罪されただろう。貴様はただのキースだろうが」
「それでも」

 柔らかい笑みを乗せるキースの顔が暗く曇る。こうさせているは自分なのだと思い知らされているようで、サラギはこの顔を嫌だと思った。
「まあいい、貴様が行かないなら俺が行く。移動魔法を教えろ」
「そんなこと、もっとできない!」
「だったら貴様が買ってこい。鶏小屋の造り方も調べてくればいい。貴様は建築には向かんだろうから、俺が作る。やり方だけ教えろ」

 サラギはそれだけ言い残すと、立ち上がって魚籠を取った。とりあえず金が必要なことだけは確実だ。

「どこへ?」
「魚を取ってきてやる」
「――まだ、市場に行くとは言っていませんが」
「いや、貴様は行く。俺が鶏を欲しいと言ったからだ。貴様は勇者の矜持とやらよりも、俺を選んだ。その判断は変わることがないだろうからな」

 そうでなければ、あのキースがサラギに抱かれるなどいう行為を許すはずがない。そうでなければ、今頃サラギは死んでいる。

「キース、貴様はいつ俺を殺してもいい」
「……こんな追い詰め方は卑怯ですよ」
「知らん。そんな俺を貴様は選んだのだろう」

 キースとの会話は終わりだとばかりに洞窟を出ると、駆けてきたキースがサラギの肩を掴んだ。一瞬、背中から斬られるのではないかと思う程の殺気を感じて身を固くしたサラギは、そっと息を飲む。

「何だ」

 振り返らずに口にすると、キースが小さな声で呟いた。

「魚より、木彫りの方が高く売れるんです」


 これからしばらくは、木彫りに追われそうだった。


 机には山になった兔の木彫り。キースは黙々とそれを作り続けているが、サラギはそろそろ飽きてきた。

「まだ足りんのか?」
「鶏の相場が分からないんです。あと他に小屋の造り方に関する本でも買おうかと」
「そんな書があるのか」
「多分。そういえば、貴方、人間の文字読めます?」
「少しならば」

 人間の文字は魔族の文字と少し違う。人間の文字の方が煩雑で細かい。一度法則が分かれば易しいのだが、それまでは随分と解読に骨を折った。それでも人間界に来てみれば、大陸ごとに少しずつ文字の種類も違うと知り、呆れたものだった。

 ――なんと効率の悪い。

 数だけが増え続けている人間の、縄張りを守る為の知恵だか知らないが全く理解に苦しむ。

「さすが。貴方、本まで読めるんですね。暇なら私の本でも貸しましょうか」
「いらん」

 以前、勝手にキースの本を見てみたことがあるが、まったく分からない文字だったので断念したのだ。

「ああ、これは北の果てで手に入れた魔法に関する本なので、文字が暗号になっているんですよね。マリーの所にはもっと難解なものもありますよ」

 魔法使いの名を口にするときのキースは暗い目をする。殺されかけたことを思い出してでもいるのだろう。
 暗い目をすぐにひっこめて、キースは兎を作る手を止めた。

「いつまでも兎だけというのも退屈ですね。蝶でも作りましょうか」
「蝶? そんなものが売れるのか?」
「蝶は装飾品の王道でしょう」

 蝶。サラギは眉を顰めた。人間は変わっていると思うが、その趣味も変わっている。蝶などを装飾品とするなど、趣味が悪すぎる。サラギはあまり装飾品に興味はないが、それでも蝶を選ぼうなどとは思わない。眉を顰めるサラギに構わず、キースは蝶を彫り始めた。

「置物にするのか?」
「紐付けて飾りにするのがいいかもしれませんね。鞄に付けたり剣の鞘に付けたりするんです」
「蝶を。悪趣味だな」
「さっきから、貴方、蝶嫌いなんです?」
「好むやつがいるのか?」

 あんな醜悪で凶悪な存在を。魔族すら恐れている存在を、あろうことか体に付けて喜ぶなど、どうしてもサラギには理解できなかった。


「とにかく。人間界では売れるんですよ、貴方の方が早いんですから彫ってください」

 そう言いながらキースは彫り上げた蝶らしきものをサラギに渡してくる。受け取ってまじまじと見つめながら、サラギは首を傾げた。

「これが蝶か?」
「蝶でしょう? 模様のある羽が二枚と小さな体に長い触角。モチーフなのですから、この程度でいいですよ」
「こんなものが蝶であるか」
「は」

 ――。
 ……。

 しばらく顔を見合わせて黙り込んだが、そのうちキースがそっと口を開く。

「貴方の言う蝶って、どんなのです?」
「羽はこんなに大きくない。背中に飾り程度だ。あと、手足がもっと大きいだろう、そもそもこの洞窟にも入りきらない大きさだというのに、そんなものをよく装飾にしようなどと思うな。だいたい、毒液を吐きだす口はどうした? 触れるだけで体を溶かす毒の……」

 そこまで語ったところで、キースに口を塞がれた。

「ああすみませんでした、はい、よく分かりました、貴方、人間界の蝶を見たことがないんですね。まさか魔界ではそんな恐ろしいものだったなんて」
「人間界のは違うようだな」
「美しいですよ。羽の模様や色が様々で、飛ぶ姿も優雅です。この島にもいそうなものですけどね。寒い場所には居つかないらしいので、今はいないかな」
「羽に模様、か」
「種類によっては硝子のような風合いですから、貴方は好きなんじゃないですかね」

 そこまでキースが言うからには見てみたくなる。羽の模様について細かく聞いていたら、キースは疲れたように息をついた。

「今度、図鑑買いますね」

 だから、とキースは木の端切れを山ほど、サラギに渡してきた。

「図鑑高いので、頑張って彫ってくださいね」

 図鑑は悪くない。人間界の城にいたとき、書物を随分と読んだつもりだったが、まだまだ知らないことが沢山あるのだろう。人間界は本当に面白い。魔界にいた頃に得た情報など、一瞬で色あせた過去を思い出して、サラギはふと魔界を思い出した。

 人間界に興味を持ったのは、前魔王が人間界に興味を持っていたからだった。前魔王の側近であったサラギは、前魔王が人間界の様子を伺える何らかの方法を得ていることを知っていた。前魔王の口から語られる人間界の様子は興味深く、サラギを楽しませ、早く魔王になって人間界を見てみたいと思わせるには十分だった。
 前魔王を倒し魔王になった日、真っ先にサラギが行ったのは人間界の様子を伺うことだったのだから我ながら執着したものだと呆れたくもなる。人間界の様子を伺う方法は何のことはない、狂者と呼ばれた学者の持っていた鏡で覗くという方法だったが、それを手に入れたときの充足は、なかなかのものだった。

 けれど、そんなものよりも満たされるものを、サラギは知ってしまった。

 ――この俺が。人間などを。

 見つめた先、視線が絡んだキースが柔らかく笑う。この顔を見ていると妙に落ち着かない気分になるのはどうにかならないかと思う。

「早く作ってくださいね、それからやっぱり魚も捕ってきて欲しいんですけど」
「いらんと言っただろうが」
「お金、たくさん必要になりましたから」

 にっこりと笑うキースの目は笑っていなくて、否と言わせぬ迫力を持っているところは気にいらんと思うのに、言い返せぬのは何故なのだと溜息を吐くサラギだった。
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