元魔王は愛が分からない・元勇者の事情2

文字数 4,869文字




 鶏小屋を作るのは想像以上に骨が折れた。
 作り方を本で学んだとはいえ、実際に木材を手にしてみると勝手が違うのは仕方ないだろう。本番はサラギの手を借りるが、一度試作をしておきたかったのでサラギが起きてくる前にと木を切ったまでは良かった。ただどうしても本職のワグや器用なサラギのように綺麗な木材にできない。
 のこぎりの使い方がおかしいのかな、ともう一度木を切ろうとしたところでサラギが起きてきた。

「何の騒ぎだ」
「おはようございます。いや、ちょっと工作を」
「鶏小屋なら俺が作る。貴様は工程を説明しろ」
「試作なんですよ」
「そんなもの必要ないだろう。それを貸せ」

 のこぎりを奪い取られてキースは肩をすくめた。きっとまた「使えん」と言われるのだ。けれど、サラギは何も言わず、キースが切り出した木材を集めてから、キースの指示を待っているようだった。

 ――貴方も変わりましたねえ。

 以前のような高圧的な態度が少し減り、キースを見る目に柔らかさが加わった気がする。

 ――私の目が曇っているのかもしれないけれど。

 それにしても驚いたのは、サラギが「愛を教えろ」などと言ってきたことだった。
 マリーに何か言われたらしいが、それにしてもだ。元魔王が愛を知りたいとでもいうのか。マリーが子供向けの絵本をサラギに渡していたのはおかしかった。そんなもので魔族に愛など通じるはずもない。
「おい、キース」

 不機嫌を含んだ声で呼ばれ、我に返る。

 ――そうだ、今は小屋を作らないと。

 買ってきた本で大まかな作り方は分かった。図解がついていたので、それを見せながらサラギに説明したが、途中からサラギは本を読むことに集中してしまって、作業どころではなくなった。
 この知識欲は凄いと思う。魔界にいてさえ、人間界のことを調べたと言うのだから、その執着たるや、だ。それと同じような執着で、サラギはキースを欲しがる。それが心地よかった。
 だから、サラギは愛など知らなくていいのだ。

 ――マリーには悪いけれど。

 マリーにはもう見捨てられたと思っていた。けれど、監視という名目で見守ってくれていることを知って、愛しさに涙が出そうになった。申し訳なさとありがたさが押し寄せてきて、今すぐにでも会いに行きたい気持ちにさせるけれど、そんなことはできないことも分かっている。
 マリーがキースに会おうとしないということは、そういうことなのだ。
 でも、それで十分だった。

「キース、作るぞ」

 本を読み終えたのか、サラギが迷いなく木材を手にしはじめる。

「私、必要です?」

 こうも早くサラギが本を読めるとは思わなかった。これなら最初からサラギに読んで貰った方がよかったな、と苦い思いだ。

「図解を見ただけだ。細かいところは分からん」

 まず基礎となる土台部分を組み上げ、それから外枠を組み上げる。骨だけの箱がみるみる出来上がり、思わず手を叩いた。

「おお、凄い」
「周りに金網を貼るのだろう。金網どこだ」
「ああ、持ってきます」

 この間買い物に行ったとき、一緒に買っておいてよかったと思いつつ洞窟から金網を取って戻ると、小屋はまた姿を変えている。
 ただの枠組みだけだった箱の中に板が貼られ、図解にあった通り、二階部分も付けられている。どうやらそこは卵を産む場所らしい。

「凄いですね、本当貴方って、立派な大工になれますよ」
「大工なら家が造れる。家はアレじゃなければ無理だろう」

 アレ、とサラギが言うのはワグのことだ。時々、思い出したようにサラギはワグのことを話す。本人は邪魔だっただの殺しそこなっただのと言うが、本当は気にいっていたのだろう。

「網を貼るぞ」
「ああ、はい」

 渡された金網をサラギは器用に小屋の壁として貼っていく。釘使いも慣れたものだ。

「凄いですねえ」
「貴様は使えん」
「あ、やっぱり言われた」

 確かにこの件ではまるで役にたっていないので、仕方ないかと苦笑するキースに、サラギは小さく呟いた。

「貴様は使えんままでいい。俺がすればいいだけだ」

 それは結構な殺し文句ですよ、と言ってやりたい。キースはそっと胸元を抑える。こんなことが嬉しいなんて、自分はどれだけサラギに甘いのだろうと思う。けれど、仕方がない。世界は「惚れた方が負け」と相場が決まっている。そしてそれは幸福なことでもあるのだ。
 だからサラギは愛など知らなくてもいい。
 サラギが愛を知ったら、キースはそれが欲しくなる。求めて得られなかったら、と思うとぞっとする。サラギはこのままでいい、変わらなくていい、それがキースの望みだった。

「小屋は今日できるぞ。鶏を買ってこい」

 サラギは少し楽しそうだった。それほど鶏が欲しいのかと呆れながらも、随分可愛いなあと思う。

「貴方、生き物飼ったことあります?」
「魔物なら使役していた」
「そういうのじゃなくて。えーと、愛玩用の」
「あると思うか?」
「ですよねえ。鶏買ったら、貴方も世話するんですよ、できます?」

 言いながら、これではまるで子供に諭しているようだと、キースは吹き出した。




 鶏を買ってきた日のサラギは随分と可愛らしかった。
 市場から戻ったキースに駆け寄り、手にしていた竹網の籠を頼んでもいないのに受け取ってくれる。中を覗き込んで

「茶色?」

 ポツリと呟いたのを聞いたときには吹き出してしまった。これでは本当にまるで子供だ。

「白と茶を一羽ずつ買いました。というか、市場に鶏はいなくて、商人の知り合いが飼っていた子を譲って貰ったんです」

 両方とも雌だから子は産めないが、卵は産むので問題はないだろういうことだった。雄がいればよく鳴くので朝を知らせる鐘の代わりになっていいだろうと思ったが、雌だけではあまり鳴かないらしいのは、少し残念だ。

 ――まあ、卵が採れればそれで十分ですしね。

 竹籠を覗きこんでいるサラギを横目で見て、こみ上げてくる笑いをこらえながらキースは竹籠を取り上げる。

「おい」
「貴方の作った小屋に入れてあげましょうね。はい、優しく扱わないと死んでしまうので気を付けて」

 竹籠から取りだした茶色の鶏をサラギに差し出すと、その足元が一歩、あとずさった。

「え、貴方、鶏怖いんです?」
「違うわ! 俺の手で触れれば壊れるのではないのか?」
「ああ、だから優しく抱くんです。こうやって胸元に寄せて足元をしっかり支えてあげて。ほら、可愛いですねえ、撫でられるのが好きな子もいるらしいですよ」

 茶色の鶏はキースの腕の中で静かにおとなしくしている。まだ村で暮らしていた頃、隣の家で鶏を飼っていた。時々遊んでいたことを思い出して、キースはそっと唇を噛む。
 あの生活を壊したのは、目の前の男なのだ。

 ――本当、私って罪深い。

 過去を思い出す度、キースは己の罪深さを認識せねばならない。罰としてそれを背負うのは当然だと思っているが、この想いを抱く度にサラギが眉を顰めることが辛かった。
 元魔王のくせに、サラギは最近キースの感情を読んでいる。心が落ちると、いつも声をかけてくるのはその為だろう。サラギなりにキースを何とかしてやろうと思っているのだと分かったときには感動すら覚えたが、気を遣わせているかと思うと罪悪感にかられるのだ。
 裏切ったものと選んだもの、そのどちらにも罪悪感を抱くなど情けない。そう思うのに、時折襲ってくるこの感情の波を未だキースは上手く乗り越えられないでいる。

「キース、鶏を寄こせ」
「あ、はい。大丈夫です?」
「俺にできないことがあると思うか?」

 思いますよ、と言うのはやめておこう。静かにしている鶏をそっとサラギに差し出し、サラギが両手で鶏を受け取った。途端に鶏が暴れ出す。

「何故だ!」

 サラギの手を蹴った鶏はばたばたと羽をばたつかせ、器用に着地して小さく一声鳴いた。怪我はないらしく安堵しながらもキースは笑いがこらえられなくなる。

「貴方、何でもできるのに鶏は抱けないんですね」
「黙れ。もう一羽いるだろう。寄こせ」

 キースの手から竹網を奪い取ったサラギは残っていた白い鶏を取り出すと、力ずくで胸元に抱いた。驚きすぎて動けないのか、鶏は固まっている。それを見ると、もうキースの笑いは止まらなくなる。

「どうだ、これくらい容易いわ」
「そ、そうですね、貴方、凄いから」 

 元魔王が鶏を抱いている。それはさも得意そうに。どうしてこんなに愛らしいのかと思う。鶏を抱く姿は驚くほど似合わないのに、いつまでも見ていたい気分になって、キースは思わずサラギの頬に口付けた。

「キース?」
「そろそろ下ろしてあげてくださいね。そっと下ろすんですよ?」
「……面倒だ。投げればいいだろう?」
「駄目です。静かに地面に下ろしてください」

 渋々といった風にサラギが鶏を地面に下ろすと、鶏は先に下ろされていた茶色の鶏に並んで小さく鳴いた。こつこつと土を叩いて枯れ残っている草を啄んでいる姿は愛らしい。
 サラギはどう感じているのかと横目で見てみると、真顔で鶏を見下ろしていた。その顔に浮かんでいるのは好奇心だろうか。

「これはいつ卵を産む?」
「さあ、それは分かりませんけど。大事にしていたら毎日一つは産むみたいですよ?」
「餌は」
「草でいいみたいですけど、昼間は放し飼いでどうでしょうね、夜は小屋に入れて他の獣達から守った方がいいとは思いますけど」

 この島の肉食獣はあまりこの洞窟に近寄らないが、鶏という良い獲物があれば別だろう。

「貴様、結界は張れないのか?」
「私の結界は魔物を避けるものなので、動物には効かないんです」
「存外、貴様は使えん」
「悪かったですね」

 いつものやりとりのあと、サラギが小さく笑う。穏やかな笑みを見てキースも微笑みながら胸にしみる静かな感慨を大事に抱いた。それと同時に不安になる。

 ――私はこんな幸福を抱いていいのか?

 矛盾だらけだと思う。サラギと生きていきたいと確かに思ったのに、そのことに罪悪感を抱いている。幸せを感じると怖くなる。ただサラギを愛した、そのことがキースをいつまでも苛むけれど、同時に他では得られない充足をくれる。愛とはこうも苦しいものなのだろうか。幸福の恩恵だけを感じたいのにそうできないのは何故なのか。

 ――本当、サラギのいうように私は面倒だな。

「キース、鶏は逃げないのか?」
「え? ああ、しばらく見張ってくださいね」

 サラギの声で思考から連れ戻され、また感情が顔に出ていたのかと自嘲すると、サラギは小さく息をついた。

「貴様の考えはまるで分からんな」
「――すみません、私もそう思います」
「俺は貴様が手に入ればそれでいい」

 キースもそう思いたい。今は目の前の男と過ごす時間だけを大事に大事にしていたい。キースはサラギより確実に早く死ぬ。そのわずかな時間をサラギと過ごすと決めたというのに、この体たらくだ。

「私も貴方くらい強くなりたいですよ」

 サラギは何も言わずキースの肩を抱き寄せた。しばらくそのままで二人して鶏を見つめていると、鶏が乾いた土を体に浴び始める。

「キース、あれは何だ!」
「ああ、砂浴びですよ。あれで体に着いた寄生虫を払っているんです」
「賢いな」

 褒めた。元魔王が鶏を褒めた。キースのことは使えないと罵るサラギがだ。多分、サラギは鶏を大分、気にいっている。それが面白くて、吹き出しながらキースはそっと口を開いた。

「貴方、今日から鶏係りですよ?」
「何だそれは」
「世話をよろしくお願いします、ってことです」
「何故俺が!」

 憤るサラギは、けれどきっとよく面倒を見るんだろうなあと思うキースだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み