お風呂に入りたい

文字数 3,995文字

 島を襲った嵐はその五日後にようやくおさまった。

 あまりにすることがなかったので、キースのウサギは随分数ができた。時折、気まぐれのように魔王も共にウサギを彫っては、その度に妙な空気になるのが何度か続いた。なんとなくこれはいけないと思い始めていたので、晴れたことを一番喜んでいるのはキースだっただろう。

「ああ、晴れってすばらしい!」

 洞窟を出て大きく伸びをすると心も体も洗われたようにすっきりとする。

「皿を買いに行くのか」

 洞窟を出てきた魔王がキースの腕を掴みながら、どこか機嫌良くそう言った。そんなに皿が欲しいのか、と思ったが今はそれを笑い飛ばす余裕がない。
 最近。魔王はやけにキースの腕を掴んでくる。嵐の日、キースの指を噛み切ろうとしてから毎日だ。何かを企んでいるのだろうとは思うが、それが何なのか分からない以上は警戒し続ける他ない。魔王の手を振り払って、睨みつけると、魔王は鼻を鳴らしてから、手を伸ばしてきた。

「出かけるのだろう。結晶をよこせ」
「まだ行きません」

 魔王を今の状況におとしめているのは、キースの魔法力のせいだ。それに縛られているという事実を認識せざるを得ない結晶の存在を、魔王は嫌がっていたはずだ。こうも真っ直ぐに欲しがるなど、やはりどこかおかしい。

 ――私の不在時、何かしているのか?

 それを見ることはできないが、警戒は怠らぬ方がいいだろうと改めて思う。本当ならしばらく目を離したくはないが、今日はどうしても市場にいきたかった。

「皿は今度ですよ」
「他に何がいる?」
「服です」
「またそれか」

 魔王は途端に興味をなくしたように、海の方へと姿を消した。魚でも捕るのかと、今は放っておく。とにかく今は服を買いにいきたかった。



 ウサギの置物は服を買う程度の値段で売れた。とりあえず丈夫そうなものと、魔王の背丈でも着られそうなものをいくつか買うと、キースは早々に市場をあとにする。
 何度か通っているうちに、商人の顔見知りも増えて声を掛け合う相手も増えた。

「今日は魚ないのかい?」
「海が荒れているので無理でした。また来ます」
「待ってるよ、あんたの持ってくるのは珍しいからよく売れる」
「またぜひお願いしますね」

 深く関わるのは避けたかったが、まだ魔王の食器がそろっていないので、この市場には世話になるだろう。話のしやすい相手を作っておくにこしたことはない。顔を隠していても警戒されないのもありがたい。

 挨拶を済ませて島へ戻ると、魔王は洞窟の前で剣を振るっている所だった。

「どうしたんです、急に」
「体がなまる。おい、相手をしろ」

 剣を突き付けられて、キースも咄嗟に剣を抜いた。こんな風に剣先を合わせるのはいつ以来だろうか。
 剣先から目をそらさずに、じりと距離をはかる。
 魔王からは殺気を感じた。本気だ。

 魔王の腕は長く、捌く剣はしなやかで剣筋を読みにくい。命を賭してこの異形の前で剣を振るう時、キースは常に全身に気を配らなくてはならなかった。それは魔力を無くした今の魔王であっても、変わらない。

 風を切る音よりも早く、魔王の剣が振り下ろされ、キースは地を蹴って距離を詰めた。懐に入らなければ、キースの剣は届かない。素早さでたちまわらなければ、魔王には敵わないのだ。振り下ろした反動を利用し魔王の剣が横に空を薙ぐ。それをかわしたキースは下から突き上げた剣先を魔王の顎に突き付けた。

「どこまで、やります?」

 このまま突き上げれば、美しい顔を青の血で染めることは容易い。魔王はにやりと口の端で笑うと懐に飛び込んでいるキースの腹を蹴りあげた。力では敵わず、畑の隅まで蹴り飛ばされ、着地と同時に態勢を整えると魔王は顎を拭っている所だった。

「こんなものか」

 一人こぼした魔王はもう興味を失ったのか、剣をしまう。

「終わりですか」
「もっとやりたいか?」

 体を動かすのも悪くない。魔王の言うように、なまっているのも確かだ。少し物足りないとは思ったが、魔王がやる気をなくしているのでキースも剣を引いた。それにしても急になんの真似だと思う。

「それで、皿は買ったのか」
「服を買うって言ったでしょう。貴方、それ洗いますからね」

 嵐に濡れては自然乾燥を繰り返した魔王の服は随分くたびれている。我慢ならないのはキースの方だ。

「それと。提案があります」
「何だ」

 嵐の最中からずっと考えていたこと。

「お風呂に入りたいです」

「風呂か。まあ、悪くない」

 嬉しい誤算、魔王が食いついてきた。身なりは気にしないが、風呂は好きらしい。身を清めるのは、山上の川で行ってきたが、そろそろ温かい湯につかりたい。島を探索してみたが温泉はみつけていないので、最早作るしかないのだが、魔王が乗り気であればありがたい。

「それで、温泉はどこだ」
「いえ、作るんです」
「温泉をか」
「貴方、大きめの箱を作ってくれませんか? 浴槽です」
「この俺が」
「工作得意じゃないですか」
「工作……」

 水なら準備できる。魔王の作った浴槽に水を入れ、火を呼ぶ魔法で沸かせば風呂になるだろう。

「貴様、いつか必ず引き裂いてやる」

 物騒な文句を言いながらも、魔王は近くの木を切り倒しみるみる丸太の浴槽を組み上げていく。さっきまでキースを殺そうと剣を振っていた姿とはまるで別物だ。どちらも、魔王。

 ――私は、どうしたいのだろう。

 本気でこんな生活を続けていくつもりなのか。この「魔王」と。何故、他の人間ではいけなかったのか。封印を解いてまで見たかった青は、本当はこれではないのに、何故

 ――私は時折、満ち足りてしまう。

 そんな自分に戸惑ってしまうのだ。

「キース、湯を張れ」

 いつの間に浴槽を作り終えたのか、魔王がキースを睨んだ。寝返りだって打てそうな大きな浴槽は、魔王の好みだろうか。
 我に返って、魔法で水を呼ぶ。こんなことに精霊の力を借りて申し訳ないとは思ったが、今回だけは許して貰おう。

「これを火で沸かすつもりか」
「いけませんか」
「魔力の無駄遣いだ」
「魔法ですけど」
「黙れ」

 魔王は近くにあった両手で抱えられる程の岩をキースに投げる。

「これを火で炙れ」
「なるほど、これを水に入れるんですか」
「黙ってやれ」

 肩を竦めながらキースはしばらく魔王の投げてくる岩を魔法火で炙り続けた。

「ところでこれ、どうやって入れるんです?」
「馬鹿か」 
 
 魔王は躊躇なく熱で真っ赤に染まった岩を掴むと浴槽に投げ入れる。

「熱くないんですか」
「熱い」

 魔王でも熱いのか、と吹き出したキースを一瞥して、魔王は服も脱がずおもむろに浴槽に飛び込んだ。

「湯加減どうです?」
「悪くない」
「それは良かった」

 魔王が風呂に入っているうちに洗濯を済ませてしまおうと、キースは服を脱ぎ捨てて樽に投げ込んだ。できれば魔王の服も洗いたい。

「貴方、服脱いで貰えます?」
「面倒だ」
「いいから脱いで」

 浴槽の魔王に手を伸ばすと、その腕を掴まれ、そのまま引き込まれる。まさかの行動に、気を抜いていたキースはそのまま浴槽へと落ちてしまった。

「貴方ねえ! 何するんですか」

 こんな悪戯じみたこと、子供くらいしかしやしない。魔王は顔色一つ変えずにキースの腕を掴んで引き寄せた。狭い浴槽ではそのまま魔王の胸に転がり込むことを意味する。

「な、に」
「脱ぐのは面倒だ」

 ――ああ、服、脱がせろって?
 それにしてもこんなやり方――。

「もしかして貴方、城で女性をこんな風に扱っていたんですか」

 魔王の性事情は知らないが、ここまで人間臭いと、そう変わりはないのかもしれないと思ったからだ。言われた通りに服を脱がすが、その下に見える体の作りも肌の色を除けば人間と変わりなく思える。

「人間の女はすぐ壊れる」
「っ、乱暴にしたんでしょう!?
「まあ人間そのものがすぐ壊れるからな。壊れないのは貴様くらいだ」

 不意に顎を掴んで顔を引き寄せてくる魔王の手を振り払って、お返しとばかりに魔王の首を掴んだ。

「私は女性ではない」

 睨みつけてやったが、魔王は喉の奥で笑うと、キースの首を掴んでくる。肌に食い込む爪の痛みに目を細めるキースに、魔王はまた喉の奥で笑う。

「試してみるか」
「断る」

 キースも魔王の首から手を放し、剥ぎ取った服を手に浴槽を出た。体は温まったが、風呂に入って得られるはずの充足感はない。苛立ちながら洗濯を始めるキースに魔王の揶揄するような声が飛ぶ。

「貴様が女を知らないとはな」

 そんなことはない。女性と関係を持ったことはあるし、愛おしく愛らしいと感じた女性は過去にいた。けれど、キースにとっての人生は魔王を倒すことだけが唯一だった。女性と何一つ、約束できる未来などなく、ようやく魔王を倒して訪れたのが、今だ。女性の柔らかさは、もう遠い過去の遠い国のことのようで、欲する気持ちは消えた。

 ――それに私は。

 洗濯の手を止めて、じっと手を見る。
 人間にしては過ぎたる力、それをキースは持っている。魔王の言葉ではないが、壊しそうになった過去を思い、そっと目を伏せる。欲にかられた未熟な頃のことだ。それ以来、女性に触れることは避けてきた。

「魔王、私の思い一つでお前は全てを失う。そのことを、忘れるな」

 キースが魔王を睨みつけると、魔王はさも楽しそうに声をあげて笑った。

「貴様のその目は悪くない。人間は貴様のその目を恐れるのだ」

 魔王の言葉に耳を塞いで、キースは黙ったまま唇を噛んだ。
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