勇者を辞める方法

文字数 4,325文字

 かつて。平和な地上世界に突如として現れた魔王は、世界を魔物で荒らし、人間の従属を強いた。圧倒的な魔力に人間は抵抗を試みるも歯がたたず、ひたすらに無力を嘆いた。世界大王会議において、魔王に明け渡すと決定づけられた「アカシア大陸」に拠を構え、魔王は楽しむようにじわじわと地上を支配していった。

 キースはアカシア大陸西の果ての村で生まれ育った。両親は元王付きの騎士と魔法使いで、魔王に屈する王に苦言を呈することから、危険人物としてアカシア大陸に流されてきた流浪の民だったらしい。その村はそんな者達だらけだったので、幼少の頃からキースは周りに鍛えられて育った。多少、他の子たちよりも身体能力に優れ魔法力に優れていたが、そんなものだと思っていた。

 もしかしたら周りと違うかもしれないと思い始めたのは十歳を過ぎた頃で、剣に秀で体術に秀でながらも、魔法力が安定していて魔法も使えるという事実に気付いたことだった。通常、体術に秀でたものは何故なのか魔法力の流れを上手く操ることができず、魔法が苦手、もしくはまったく魔法が使えないというのが常だった。

 けれど、キースは難なくどちらもこなすことができた。その頃には周りの雰囲気を察することもできたので、そのことは父親にしか明かさず、キースの魔法は父との秘密の訓練によってのみ磨かれた。一度、自分はおかしいのではないかと父に相談したことがあるが、父はそんなことはない、むしろ選ばれたただ一人の存在だと息をまくので、キースも気を良くしながら、体術と剣術、それから魔法の訓練に励んだ。

 魔王の力により枯れた地での生活は決して豊かではなかったが、それでも家族や村人と暮らした日々はきっと豊かだったのだろうと今なら思える。

 そんな日々もキースが十五の時に終わりを告げる。今までこの村のことを、道端の石ころのように気に求めていなかっただろう魔王が、突如として村に現れ村を滅ぼしたのだ。逃げおおせた者もいくらかいたが、ほとんどの村人はそこで力尽き、キースの両親もまた、倒れた。父親は命がけでキースを逃がした。

『お前なら、魔王を倒せるやも知れぬ』

 古い知り合いだという魔法使いの名を告げられ、そこを訪ねろというのが父の遺言だった。

その時に、キースは初めて魔王をしっかりと見た。

 銀の長髪に薄青い肌、髪の間から覗く耳の先はとがっていて、見るからに異形の者そのものだ。けれど、とキースは息を飲んだ。この世界を食らい尽くすほどの化け物のはずなのに、背の高さも村一番の大男より少し高いくらいで、体にいたっては細い。肌の色さえ青でなければ、遠目には人間と変わらないのではないかとさえ思えた。

 けれど、その身をまとう魔力は強大で、それに触れれば気が狂うのではないかと震えた。顔の造形が見たことがない程に美しかったことがそのおそろしさを増大させた。



 ――まあ、そんなこんなで魔王と戦う訳ですけど。

 無人島の洞窟の入り口に腰掛け夕日を眺めながら、キースはふと苦笑する。

  ――過去を振り返るとか、死ぬ前みたいだ。

 二十七歳のみそらで、もちろん、まだそのつもりはない。
 ここへ来る前に、同居を拒否してくれやがった大魔法使いの言葉が何度も頭を巡る。

『ひとと離れて暮らすなど、お前にできるはずがなかろう。なぜなら』

 炎を孕んだような激しい目に責められているようで、顔を背けたキースに彼女は警告のように呟いたのだ。

『お前はひとを愛しているからな』



◇ 
 
 雑に刈った草の上で目を覚ます。洞窟の奥までは朝日が差し込んで来ないが、何度も繰り返しているうちに体が朝の時間を覚えたかのように目が覚めるようになった。

 キースが無人島に来てから一カ月もたっただろうか。伸びた前髪が目にかかり邪魔なのでナイフで適当に切った。仲間に見られれば「また適当に切って!」と怒られるだろうが、今は自由だ。髭を伸ばそうかと思ったが、生来の童顔にはおそろしく似合わないという自覚はある。誰も見ていないとはいえ、なんとなくためらわれて毎日剃ってしまうのは己の弱さだろうか。

 多くの時間を過ごすことになる洞窟は過ごしやすいように地面をならし、切り倒した木で簡単な床や壁を作り、少し部屋っぽさを出したりと毎日忙しい。体力には自信があるが、これといった期限もない作業はのんびりと進められるので、なかなか進まないものだ。

「まあ、それも楽しいですしね」

 おそろしく独り言が増えたのは仕方あるまい。独り言ですら、身にしみついた丁寧語が出るのが滑稽だが癖なのでこれも仕方がない。 
今の所、寂しいなどとは思わないが、もう一人でも人手があれば色々はかどるのになあ、とは思う。その度に、鞄に仕舞い込んだ書物を出しそうになっては手を止めた。
 城で厳重に保管する、とされたその書を持ちだしたのは、責任を取る為だ。

「あのまま死ぬ訳にもいかなかったですし」
 魔王を倒したあと、キースと仲間達は大陸の王城に招かれることになった。王はいたくキースを気にいっていたのか「娘の婿になれ」と、つまりは将来の王位を約束までした。権力には興味もなく、それは丁重に断らせて貰ったが、世界の復興へと指揮をとる王の元で、しばらくは力を貸すこととなった。

「最初はよかったんですけどね」

 キースと仲間達は各地で民に慕われ、浴びる程の感謝ともてなしを受けた。魔王を倒すまで、とても平穏とはいえない道だったが、溢れる笑顔を見ればこれまでの全ての苦しみが報われる気分だった。

 けれど。
 人というのは時に脆い。

 キース達の人気を歓迎しないものが、城内部に現れ少しずつ事態は変わっていく。仲間達とは散り散りに離れた場所へと向かうように指示が下り、城からも遠く離れた場所で仕事を終えて戻ると、休む間もなく辺境へまわされる。それはさして苦痛ではなかったが、あからさまにキース達を拒むものがぽつりぽつりと出始めた。
『過ぎたる力を、人は歓迎しない』
 そう言い残して最初から城に来なかった魔法使いの言葉を思い出した頃には、仲間達が一人、また一人と城から離れていった。

 魔法使いの言い分は、キースにもよく分かった。
 魔王という強大な「人の敵」を前にした時、人の中で秀でた力を持つキース達は「勇者」であったが、敵がいなくなってしまえば、ただの「強大な力を持つもの」である。次は彼らが「敵」になるのではないかと恐怖する脆さ、それが人の持つ性質でもあるのだ。

 城を離れて、力を振るうこともなく平穏に暮らす、そうすることが最良に思えた。

 けれど、キースにはそうできない理由があった。

 
 城の最深部にはキースが魔王を封じた封印の書が隠されてあった。

 キースが魔王を倒せず封じたというのは、世界大王会議に出席できる各国の王だけが知る秘密となった。封印が破られることは万に一つもないとキースは言いきれるのだが、それでも自分の目に届かぬ場所で保管されるのは耐えがたかった。

 この国は魔王による被害が比較的少なかったので、王は自国の武力に誇りを持っていた。その誇りを傷つける訳にもいかず、城の最深部で見張りをつけて保管するという王の申し出を断れなかったのは、今考えても若気の至りとしかいいようがない。
「っていっても、あれから一年しかたってないんですけど」

 居心地の悪くなった城で、けれどキースはなんとか一年を過ごした。ついに城を離れる決心をしたのは、出された茶に毒を盛られたと気付いた時だった。
 生半可な毒などではキースを殺すことはできない。治療魔法も使えるからだ。けれど、もう限界だと思った。

 ――このままここにいることで、皆の心がすさんでいく。

 キースがいなければ、誰だか分からぬその人が毒を盛るようなことをせずに済んだだろう。それが酷く痛く、苦しかった。最初に迎えてくれた笑顔が嘘ではないと分かっているから尚更に。
 キースは封印の書を偽物とすり替え手にしたあと、城から抜け出したのだった。






 ぼんやりと海を見下ろしながら、その青を思う。

「あれの肌に似ている、かな?」

 銀の長い髪に映える、薄い青。切り裂いたその下には、濃紺の血が流れていた。異形の者。人の敵。
 キースの全力を、いつでも受け止め続けた者。
 手加減などせずに剣を振るい、魔法力が枯れるまで呪文を唱えた相手など、他にいない。どうしても倒したかった。人を苦しめるなど許せない、それだけが理由ではなくなったのは、いつからだっただろうか。

 こんな所まで持ってきた鞄に手をかけ、知らず封印の書を取り出していた。
 厚い革でできた表紙の、ともすれば学問書のようなそれには、キースが命を削って注いだ魔法力で編まれた呪文が刻まれている。魔王をつなぎとめる楔そのものだ。

 城から持ち出したのは、倒しきれず封印という面倒な手を使ったことの責任を取る為だ。封印が解かれることはないだろうとはいえ、何かあってしまった時に魔王と対峙できるのは自分しかいない。それは傲慢ではなく事実だ。

 ――だから、持ち出した。

 自分で管理した方がいいから、だ。

「貴方はここにいるんですね」

 革の表紙を撫でると僅かに心がほころんだ。

 ――あの青が見……た……。

「いや、何を考えているんだ私は」

 この手にあるのは罪そのものだ。人の敵を倒さず封印してとどめたという、大罪なのだ。これ以上罪を重ねることなどできるものか。けれど。

 ――どうせ魔力など尽きている……。
 魔王の司る強大な魔力は、魔界から供給されていたらしく、魔界と人間界をつなぐ道が途絶えてしまったからには、尽きた魔王の魔力を補充できるものがない。人間界の魔法は、自然に存在する精霊から魔法力を借り受けるもので、魔力とは違う。
 魔力のない魔王など、ただの異形にすぎない。
 現に、キースが魔王を封じたのはお互いの体力も魔力を付きはて、体術のみで雌雄を決するという泥仕合の果ての結末だったのだ。

 ――完全に封印を解かない方法もある……。
 ――少し姿を見るだけ……。

 あの青が見たい。
 封印の書を片手に持ったまま、土の上に解除用魔法陣を描いたのは、半ば無意識だった。
 海面に跳ね返る太陽の光のごとき銀色を見たい。

 ――ああ、魔王よ。
 ――貴方だけが私の全てを受け止めてくれた。

 書が、解かれる。

 キースはそっと解除の呪文を唱えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み