覚悟と実行

文字数 2,483文字




 キースは全くワグの気配に気付かなかった己を恥じる。完全に魔王に溺れて、警戒を怠った。
 絶対に見られてはならない相手だったというのに。

 乱れた着衣を整えて剣を握り締め、様子をうかがうと、魔王は何事もなかったような顔でワグを見ていた。

「何か用か」
「っ! あんた、キース様に、何、してたんだよ!」

 いけないと思った時にはもう遅い。キースが飛び出すより早く、魔王が口を開く。

「抱いていた」

 ワグの顔色が変わる。蒼白、という言葉はこの為にあるのではないかと思うほどに青ざめ、二人の前に飛び出たキースへと視線を向けてくる。

 暗い瞳だった。
 いつも明るく優しいワグのこんな顔を見たかった訳ではない。

 キースは痛む胸を押さえて、ワグを見つめ返した。何を言えばよいのか分からない。どうすればここをおさめることができるのか、分からない。
 ワグは暗い瞳のままで、キースに問う。

「キース様、この魔族のことを、魔王って、呼んでいませんでしたか」

 すぐに否定すればよいものを、キースは思わず息を飲んでしまった。いつから見られていたのか、とそればかりが頭を舞い、締め付ける。

「何の、ことです」
「嘘ですよね、こいつが魔王で、それなのに、キース様に……あんなことを」

 ワグにとって魔王は全てを奪った憎い敵だ。姿を見たことがなくても、ワグは魔王を憎んでいたし、それを知っていたから、魔王のことを偽名で呼んできた。

「嘘って、言ってくださいよ! なんでこんなことするんだよ! あんた勇者だろ!」

 ワグの叫びがキースの胸を引き裂く。ワグは真っ当だった。おかしいのは自分だ、その自覚はある。だからこそ、覚悟を決めたのだ。

「――許さねえ、オレはあんたを殺す!」

 ワグが魔王に向けて冷気を放つ。さっきよりも強大なそれに巻き込まれれば、凍死するだろう。魔王はひらりとそれを避け、ワグに向かって笑った。

「俺を殺せるつもりか」
「殺す!」

 ワグはすかさず次の冷気を呼びだして、魔王に向けた。マリーの所で修行しているだけあって、その強さは本物だ。けれど、放たれた冷気を魔王はまた避けるとワグに駆け寄り首を掴む。苦しげに唸ったワグが腰の剣を取ろうともがいたが、魔王はその剣を取り上げ、逆にワグに突き付けた。

「俺に剣を向けるなら、死ぬ覚悟でくるんだな」
「く、そっ」
「お前は邪魔だった、もう死ね」

 魔王は剣を振りかざし、キースはその下に駆け込むとそれを受け止める。

「邪魔をするな、キース」
「するに決まっているでしょう。貴方こそ剣を引いたらどうです? 私に殺される前に」

 魔王が苛立たしげに、掴んでいたワグを地面に投げつけた。

「ワグ!」 

 乱暴に叩きつけられたワグは頭を押さえて呻き、キースはその頭を抱えて薬草を飲ませる。即効性はないが、地面に打ち付けられた痛みを和らげることくらいはできるはずだ。
 ワグは苦しげに首を押さえて、キースを見上げる。魔王に握られた拍子で、首に損傷があるかもしれない。ぞっとしながらキースは優しくワグの手を握った。

「キース、さま」

 切れ切れの声に、罪悪感で死にそうになった。

「すまない」

 ワグを抱え上げ、森の隅に寝かせると、そっと頭を撫でてやる。

「けじめはつけます。彼を、殺してくるので、少し待っていて下さい」

 何か言いかけたワグの口を手で覆って黙らせ、キースは再び魔王の前に駆けた。魔王は不機嫌そうに眉を顰めて腕を組んでいる。

「俺を殺す、と聞こえたが」
「そうですよ。言ったでしょう。私は覚悟を決めたんです」

 魔王を愛している。だから、この手で葬らなければならない。いつの間にか、魔法を使えるようになるなど、魔王は危険すぎる。マリーの言ったことは正しかったのだ。責任は取ると約束した。
 キースが覚悟したのは、魔王を失うということだった。

 剣を構えると、魔王が無表情のままで剣を構える。

「――どうやら聞き違いだったか」
「何のことです」

 魔王は何も言わない。キースは片手に炎を呼びだし、それを魔王にかざした。

「いつかの炎です。が今度は私の腕を焼くことはない。貴方の身を滅ぼすので」

 魔王に剣を投げつけ、空いた手にも炎を呼ぶ。両手でなければ制御できない火山の炎だ。これに包まれたなら、魔王は灰に戻るだろう。
 魔王がキースの投げた剣を叩き落すのを見ながらキースは炎を呼んだまま駆ける。魔王が小さく呟くのが見える。

「俺を愛していると言ったろうに」


 ――だから、じゃないですか!


 勇者のくせに、魔王を愛した。それでおめおめと生きていていいはずがない。どれだけ考えても、キースにはそんなことができそうになかった。
 愛していることもなかったことにはできない。
 せめて元勇者の責任として、この魔王を殺しておかねばならないのだ。キースは炎を抱えたままで魔王に駆ける。

「貴様、死ぬ気か」

 魔王が構えていた剣を下ろして、微笑む。

「まあ、それも悪くない」

 その声に、キースの足が止まった。意思は進めと命じるのに、まるでどこか知らない所から自分を操作されているように、体が動きを忘れた。両手の上で爆ぜるのを待っている炎が強くなる。このままでは焼かれる。

 ――でも、何故、貴方はそんなことを、言うのか。

「キース様!」

 遠くでワグの声が聞こえ、我に返った。
成すべきことを、成さねばならぬ。それは覚悟として心に刻んだではないか。

「魔王、私と、死になさい!」

 キースは炎をかざし、魔王は目を閉じた。


 時、だった。

「死ぬ気とは、阿呆すぎる」

 ここにいないはずの声が響き、同時にキースの両手を氷の粒がまとっていく。それだけでみるみると炎は弱まり、やがて消えた。呪文は完璧だった。キースの炎を消すことができるのは、この世にただ一人だ。

 キースは振り返らずに、その名を呼んだ。

「マリー」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み