魔王でなく勇者でなく

文字数 3,050文字

 魔法使いが悠々と立っていた。その後ろでワグが足を引きずりながら寄ってくるのが見えた。

「マリーを、呼んだのですか」

 キースの問いに答えたのは、マリーだった。

「そうだ。お前らと何かあったら魔法鳩を飛ばすように預けていたんだ。来てみたら預けた弟子は首を折られかけているし、お前は魔王と心中しかけているし、一体どうなっているんだ!」
「ワグは、大丈夫なんですか?」
「万能薬を渡した。深い治療は戻ってからやる。それより、あれだ」

 マリーが大げさに腕を振って魔王を指さす。

「少し見ない間に、どんどん魔法力が高まっているじゃないか! どうなっている!」
「だから、私が殺します」
「さっきのは殺すとは言わん。心中というんだ」

 それでいい。どうせこんな罪悪感を抱えたままで生きてはいけない。キースはマリーの前に出ると、もう一度魔王を睨む。

「マリー、ここは私に任せてください」

 同じ炎を呼ぶことは容易い。魔王とて、さっきはそれを受け入れていた。しかし、マリーはそれを許さなかった。

「ふざけるな。心中などさせるものか。あれは私が殺す」

 マリーの手に火柱が立つ。キースが呼びだした火山の炎よりも強大なそれは一秒とたたず魔王を焼くだろう。けれどそれは嫌だった。どうしても自分の手で討ちたい、キースにあるのはそれだけだった。

「マリー、私に任せて」
「駄目だ!」 

 マリーの火柱が燃え上がる。それまで黙っていた魔王が不意に口を開く。

「俺もキサマの炎に焼かれてやる気はない」
「……キースの炎なら焼かれてもいいと?」
「少なくとも、キサマよりはましだ」

 マリーが苛立たしげに首をふり、キースは息を飲んだ。さっき、確かに魔王はキースの炎を受ける覚悟をしていたように見えたのは、間違いではなかったのだと。

 何故。

 その問いはマリーから発せられる。

「私の炎の方が焼き加減がいいぞ? 何故キースにこだわる?」

 魔王の視線がキースを捕らえ、微かな笑みを浮かべた。

「キースは俺を満たす。そんなものは他にいない」

 今度はマリーが息を飲み、キースは目を見開いた。


 そんなことは初めて聞いた。
 まるで、自分と同じだと思う。キースの全力を受け止めるのは魔王しかいなかった。魔王はキースが自分を満たすのだと言う。
 もう、それだけでいいと思った。

「なんてこった」

 マリーが舌を打ち、同時に手の中で燃え上がる炎の柱を魔王に投げつける。

「お前は早々に殺すべきだった!」

 魔王はそれを飛び避けたが、かすめただけで全身を焼きつくす炎から逃れるには遅すぎる。
 呪文を唱えたのは無意識だった。
 足が地を蹴ったのも無意識だった。

 気付けば魔王の前に出て、炎を受け止めていた。呼びだした氷の呪文で炎を受け止めるが、地上最高の魔法使いから発せられた炎がやすやすと消せるはずもない。

「キース!」

 背中で魔王の声がする。
 何か言いたかったが、声を出す余裕もない。
 何をしてるのだと叫ぶマリーの声が遠い。
 本当に自分は何をしているのだろう。

 ――覚悟したはずだったんですけどね。

 魔王を殺して自分も死ぬ。それ以外に道はないのに。それでも心の奥底で、キースは魔王との生を求めてしまったのだ。

「この、馬鹿が!」

 罵る声は誰のものだろうか。後ろから聞こえた気もするし、前から聞こえた気もする。意識が薄れる。氷の呪文が押されている。

「キース! 俺は貴様にこんな風に救われるつもりはない」

 魔王の叫びと共に、肩に手が添えられそこが熱くなる。魔法力の流れなのだと知った時には遠のきかけていた意識が少し戻ってきた。
 炎に押されるキースの体を支えながら魔王がその魔法力をキースに流し込んでいるのだと思った。そんなことをいつから出来るようになったのだろう。

「まったく、私は、貴方のことをまるで、知らない」
「俺を殺すのだろう? こんな所で死ぬつもりか」

 炎の向こう側、マリーの悲鳴にも似た怒号が聞こえる。

「もう知らん! 魔王もろとも、ここで果ててしまえ!」

 母代わりだと言ってくれた師匠にこんなことを言わせてしまった。マリーがどんな気持ちでそう言ったのかを思うと申し訳なさと情けなさでいっぱいになるが、もう引き返せない。この炎はマリーでなければ消せない。

「キース、氷の呪文を教えろ」
「精霊との契約が無ければ、無理ですよ」
「構わん」

 どうせ死ぬのなら、魔王の好きにさせるかとキースは呪文を唱える。魔王がそれを復唱し、その手に冷気がこもる。魔法など、使えるはずがない魔王の手にだ。

「何故!」
「アレに契約を教わった」

 魔王がアレと呼ぶのは、ワグだ。いつの間にと思ったが、今はそれを考える暇すらない。魔王の呼びだした冷気はわずかだったが、その冷たさがキースに微かな欲を思い出させた。

 ――もう少し、時間が欲しい。

 魔王と過ごす、なんでもない無人島の時間が、もう少し。

「全力をください」
「なんとかしろよ」

 魔王はキースの肩から手を放し、目の前の炎を支えた。咆哮が響く。キースは全身の魔法力で氷を呼ぶ。魔王の手が焼けるのが見える。キースの体も、ちりちりと煙をあげている。

 ――まだ、死にたくない!

 無尽蔵にかき集められるだけの魔法力をかき集め、キースは氷の呪文を唱えた。

 辺りの木々が凍っていく。

 目の前の炎が断末魔のような音をたてて、散り消えた。

 起ち上る蒸気の向こうに、マリーの苦い顔が見えた。それを確認すると同じに、魔王が地面に倒れ伏した。体が焼けていないことを確認して、キースもその上に倒れ込む。

 火は消えた。魔王がまだ死んでいないことをもう一度確認して、キースはそっと微笑む。 
 じゃり、と凍った土を踏みしめる音に顔をあげると、マリーが悲しげにキースを見下ろしていた。

「す、みません」

 喉も焼けたのか、声を出すのもようようだった。
 マリーはそっと手を伸ばしかけ、思い詰めたようにその腕を引く。

「回復は、しない」

 そっと頷くキースにマリーは問いかける。

「本気なのか」

 どうかしている、などとは山ほど悔いてきたことだ。

 ――今更だ。私は、もう少し、魔王といたい。

 それだけなのだと、マリーに伝わればいいと思う。
 マリーは顔もあげない魔王に向け、吐き捨てるように言う。

「魔法力なぞ使いやがって。それはもう魔族ですらない。何が魔王だ、お前はただの異形の魔法使いだ、二度と魔王などと語るな」

 ドレスをひるがえして、マリーは去っていく。

「魔王としての誇りすら無くしてこのまま朽ちるがいい。キース、お前も二度と勇者などと語るな」

 その言葉の意味を噛みしめ、大きな背中に、キースはできるかぎり深く頭を下げた。
 もう勇者と魔王ではないのだと、マリーはそう言ってくれたのだ。
 何か言いたいのに、何も言えず、顔をあげると、ワグと目が合う。

 ――この子には、酷なことをしたな。

 どう償っても許されはしないだろう。感情をうつさないワグの目が悲しい。

「ワグ、帰るぞ」

 マリーに呼ばれてワグはよろよろとその後ろについて歩き、一瞬だけキースを振り返った。その手から、何かが落ちるのを見ながら、キースはそっと目を閉じた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み