勇者の限界

文字数 1,850文字



 絶対におかしい。

 起き抜けのベッドに横になりながらキースは壁を見つめている。魔王に背を向けているけれど、見つめられている視線を感じて息が詰まった。

 魔王が、おかしい。

 看病してくれたことだって随分の驚愕なのだが、それよりもやたらと触れてくることの方が問題だ。ただ触れるだけでなく、すぐに口付けをされるから困る。

 魔法力を吸われているのだと思ったのだが、その割には口でない場所にも触れられるので、訳が分からなくなった。魔法力が吸われている感覚がないのもキースを困惑させた。
 今までは気付かなかったとはいえ、魔法力が吸われているのだと気付いてからはその流れに乱れがないのか、それくらいは探っている。魔王に口付けられる時は一番気を張っているのだが、吸われている感覚がない。

 ――本当に私が正気だったら、だけど。

 おかしいのはキースの方も同じだった。

 魔王に触れられると、驚く程に欲が煽られたからだ。口付けを拒むことができないのも、首を吸われて抗えないのも、自分では抑えきれない程に欲に支配されているからだった。

 あの美しい青い肌を組み敷いて抱き潰してしまいたくなる程の邪悪な欲にかられてたまらない。それを妄想してしまう己の弱さと向き合うことは、左腕の痛みなどよりよっぽど辛かった。

 ――魔王は何を考えているのだろう。

 魔法力を吸い取っていないならば、口づける必要などないのだ。それとも魔族にとっては何か他の意味でもあるのだろうか。

 悶々と考え事をしていたせいだろうか。魔王が側に来ていると気付くのに遅れた。
 あ、と思った時には草のベッドに肩を押し付けられ覆いかぶされている。

「魔王」

 諌める口調で呼んでみたが、何の抑止にもならないようだった。

「やめろ」
「貴様のせいだろう」
「私が何をしたと」
「知らん」

 理不尽ではないかと思った時には、また口付けをされている。魔王の唇は固く冷たい。それに触れられると条件反射のように勝手に唇が開いてしまう。すぐに舌をとらえられて、身体中が粟立つ。ぞくぞくと背中から欲が這いあがってくる。止められず、声がこぼれた。

「ん、んっ」

 そうすると強く舌を吸われ、くらくらと眩暈がした。

 魔王はキースが何かをしたと責めるが、同じことを言い返したい。魔王の唾液には媚薬が入っているのではないかと思う。そうでなければ、こうまで欲情するはずがない。舌が解放されたことが物足りなくて、自ら魔王の舌を吸うなどということを、己がするはずがないのだ。

「っ、キース」

 獣のように唸った魔王に喉をあまがみされて、背中から跳ねた。

「ぁっ」
「そうやって、貴様が煽るのだろうがっ」

 魔王が苦しげに眉を顰め、キースを呼ぶ掠れた声に、身体が熱くなった。

 ――私はどうかしている。

 もう、認めるしかない。どうかしている、どうかしているのだ。魔王に欲情している。銀の髪を引いて怯んだ魔王の顎に噛みつくと、たまらなくて震えた。

「キースっ」

 この声が、人間の名を呼ぶのは自分だけだということを不意に思い出す。何故今思い出すのかと思ったが、その優越感は情欲と混ざり合ってキースを高めた。もっと名を呼ばれたくて、初めて自ら魔王の唇を塞いだ。

 冷たい感触なのに、どうしてこうも甘いのか。
 絡めた舌が冷たいのに、熱く感じてしまうのは何故なのか。

 ――どうかしている、どうかしている。

 自分から仕掛けたのに首を振って魔王から逃れ、のしかかってくる魔王を蹴り飛ばそうとしたが、魔王がそれを許さない。

「貴様っ――……もう、抱き殺してやろうか」

 物騒なことを言う魔王に、キースはもう限界だと思った。渾身の力で魔王を蹴り飛ばすと、そのまま洞窟の外まで駆ける。

「どうかしている」

 口にすることで少し冷静になれた。


 ――さっき、私は、望まなかったか。
 魔王が言った言葉通りのことを、即ち――。

 もう限界だと思った。このままでは危険すぎる。魔王は消さねばならない。今のキースでは力不足だろうが相打ちで構わない。たとえ死んだとしてもこのまま「堕ちる」よりは随分ましだ。

 
 そこまで考えた瞬間だった。
 強大な魔法力の存在を感じて、キースは後ろを振り返る。
 懐かしく、畏ろしく、美しい。 
 師匠であり仲間であり、友人でもある魔法使いが、憮然としたままでキースを見つめていた。
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