サラギ
文字数 1,599文字
寒さで目を覚ます。地面に伏せたままで気を失っていたのだと思い出してふと隣を見ると、魔王も伏したままだった。まだ意識がないのだろう。その手に触れて、これが灰でないことを確かめると、涙がこぼれそうになる。
何をやっているのだろうと思う。でも、そんなことはもう何度も自問してきた。
キースは選んだのだ。他の全てを捨てて、この男といることを。
「馬鹿、ですね」
体中が痛む。マリーの炎に焼かれた肌が熱い。もっと焼け爛れているかと思ったが、存外見た目は綺麗だった。魔王がそれにこだわったことを思い出して、安堵する。
痛む体に叱咤して身を起こすと、辺りはまだ凍ったままだった。よくも凍死しなかったなと思ったが、焼けた体の熱のせいかもしれないと思い当たると、その巡りあわせがおかしかった。
魔王は未だ、動かない。
回復の呪文を、と思ったが、全力で氷の呪文を使ったせいか、魔法力は空だった。困ったことになったと思いながら、薬草でもないかと痛む体を引きずって辺りを確認するが、そもそも草も凍っている。
と、視線の端に布袋を見つけた。そこまで這って、その中身が薬草だと知る。そして気付いた。
これは去り際にワグが落としたものだ。
故意だったのかは、分からない。けれど、最後に見たワグの目を思い出して、キースは声を上げて泣いた。
これが正しい訳がない。
それでも選んでしまった。引き返すことはできない。
ワグの落としてくれた布袋を拾い上げ、這いずって魔王の元に帰ると、伏せていた体がごろりと仰向けに転がる。
「起きましたか」
絞りだした声は、やっぱり枯れていた。魔王はキースの喉を撫で、自嘲のように口元をゆがませる。
「聞いたか。俺はもう、魔王でなく、魔族ですらないらしい」
魔王の声も枯れていた。
「屈辱にまみれるならば、死を選びますか?」
そうだと答えれば、とどめを刺してやる力くらいはあるかもしれない。キースはまっすぐに魔王を見つめる。そのまま、しばらく見つめ合ってどれくらいの時間が過ぎたかは分からない。
魔王が不意に、口を開いた。
「貴様は死ぬのか」
「……いえ、もう少し、時間が欲しい、ですね」
「では、俺も同じだ」
魔王ではなく、魔族ですらないと罵られたというのに、それでもキースと生きてくれるのか。キースは魔王の腕を掴む。何故、愛してしまったのかなど、もう考えるのはやめようと思う。今、ここに、こうしていられればそれ以外に大切なことなどあるものだろうか。
魔王の手が、キースの腕を掴む。
「水が欲しい」
慌てて水を呼びだす呪文をとなえようとして、止められる。
「硝子でなければ、飲まん」
「また、そんなことを」
「アレがいなくなったから、まだ洞窟暮らしを耐えねばならんのか」
「貴方は贅沢なんです」
軽口を叩く力も尽きて、魔王の隣に転がり、空を見上げる。いつの間にか、夜明けが近づいている。
「キース」
魔王がそっとキースの頬に触れた。
寝転がったままで視線を合わすと、銀の目は何か言いたげに瞬いた。
「何です?」
魔王がそっと、口を開く。
「俺は最早、魔王ではないのだろう」
「マリーが言っただけですよ」
「だが、正しい。もう、俺を魔王と呼ぶな」
ではどうすればいいのかと困惑するキースに、魔王は声を顰めたままで、囁いた。
「サラギ」
「え?」
「俺の名だ、そう呼べ」
魔族にとって名を教えるのは、何だったか。
――同等と認めたかあるいは従属。
「あ、の」
「貴様しか知らん名だ」
フンと鼻を鳴らした魔王――サラギが、微笑みながら目を閉じる。
その美しさに見惚れながら、キースは何度も何度も、その名を呼び続けた。
終
何をやっているのだろうと思う。でも、そんなことはもう何度も自問してきた。
キースは選んだのだ。他の全てを捨てて、この男といることを。
「馬鹿、ですね」
体中が痛む。マリーの炎に焼かれた肌が熱い。もっと焼け爛れているかと思ったが、存外見た目は綺麗だった。魔王がそれにこだわったことを思い出して、安堵する。
痛む体に叱咤して身を起こすと、辺りはまだ凍ったままだった。よくも凍死しなかったなと思ったが、焼けた体の熱のせいかもしれないと思い当たると、その巡りあわせがおかしかった。
魔王は未だ、動かない。
回復の呪文を、と思ったが、全力で氷の呪文を使ったせいか、魔法力は空だった。困ったことになったと思いながら、薬草でもないかと痛む体を引きずって辺りを確認するが、そもそも草も凍っている。
と、視線の端に布袋を見つけた。そこまで這って、その中身が薬草だと知る。そして気付いた。
これは去り際にワグが落としたものだ。
故意だったのかは、分からない。けれど、最後に見たワグの目を思い出して、キースは声を上げて泣いた。
これが正しい訳がない。
それでも選んでしまった。引き返すことはできない。
ワグの落としてくれた布袋を拾い上げ、這いずって魔王の元に帰ると、伏せていた体がごろりと仰向けに転がる。
「起きましたか」
絞りだした声は、やっぱり枯れていた。魔王はキースの喉を撫で、自嘲のように口元をゆがませる。
「聞いたか。俺はもう、魔王でなく、魔族ですらないらしい」
魔王の声も枯れていた。
「屈辱にまみれるならば、死を選びますか?」
そうだと答えれば、とどめを刺してやる力くらいはあるかもしれない。キースはまっすぐに魔王を見つめる。そのまま、しばらく見つめ合ってどれくらいの時間が過ぎたかは分からない。
魔王が不意に、口を開いた。
「貴様は死ぬのか」
「……いえ、もう少し、時間が欲しい、ですね」
「では、俺も同じだ」
魔王ではなく、魔族ですらないと罵られたというのに、それでもキースと生きてくれるのか。キースは魔王の腕を掴む。何故、愛してしまったのかなど、もう考えるのはやめようと思う。今、ここに、こうしていられればそれ以外に大切なことなどあるものだろうか。
魔王の手が、キースの腕を掴む。
「水が欲しい」
慌てて水を呼びだす呪文をとなえようとして、止められる。
「硝子でなければ、飲まん」
「また、そんなことを」
「アレがいなくなったから、まだ洞窟暮らしを耐えねばならんのか」
「貴方は贅沢なんです」
軽口を叩く力も尽きて、魔王の隣に転がり、空を見上げる。いつの間にか、夜明けが近づいている。
「キース」
魔王がそっとキースの頬に触れた。
寝転がったままで視線を合わすと、銀の目は何か言いたげに瞬いた。
「何です?」
魔王がそっと、口を開く。
「俺は最早、魔王ではないのだろう」
「マリーが言っただけですよ」
「だが、正しい。もう、俺を魔王と呼ぶな」
ではどうすればいいのかと困惑するキースに、魔王は声を顰めたままで、囁いた。
「サラギ」
「え?」
「俺の名だ、そう呼べ」
魔族にとって名を教えるのは、何だったか。
――同等と認めたかあるいは従属。
「あ、の」
「貴様しか知らん名だ」
フンと鼻を鳴らした魔王――サラギが、微笑みながら目を閉じる。
その美しさに見惚れながら、キースは何度も何度も、その名を呼び続けた。
終