魔王とウサギ

文字数 2,870文字


 島には雨が降り続いている。

 風が吹き荒れ、洞窟内にも吹きこんでくるのには辟易したが、何よりキースを悩ませるのは洞窟の岩壁を伝って流れ落ちてくる雨水だった。食堂の地面は水浸しで落ち着かない。そしてキースのベッドはほぼ地べたの高さなので干し草も濡れてしまって使えなくなった。

 ここに来て初めての嵐だった。

 気候のいい国だったので、すっかり油断していた。
 洞窟から出られないので、閉じこもって嵐が過ぎるのを待つしかないが、キースの気分は鬱々としている。
 魔王はといえば濡れることにも頓着せず、どこかへいってしまった。

「変なとこ細かい癖に、こんな所は無頓着なんですから」

 濡れたベッドに横になる気にもならず、キースは食堂の椅子で濡れるのを避けながら時間潰しに木彫りをしている。
 魔王のグラスを買った時市場で確認してみたら、需要がありそうだったからだ。女性の装飾品と子供向けの玩具ならなんとか作れるかもしれないと小刀でちまちま削っているが、こればかりを三日もやっていると疲れてくる。

「これが売れたら、今度こそ服を買おう」

 洗ったものが乾かないので、余計にその望みが深くなった。

 ――それなのに魔王はずぶ濡れで帰ってくるし。

 洞窟の入り口を塞ぐ簡易扉を開けて戻ってきた魔王は銀の髪から水滴を垂らして、それはそれで美しいのだが、ずぶ濡れだ。それでもみすぼらしく見えないのは何故だろう。ぼんやりと魔王を見つめていると、魔王は黙ったままキースの向かいの椅子に座った。

 ――珍しい。

 一応、食卓に椅子は二つ用意しているが、向かい合って仲良く食事をすることはめったにない。お互い好きな時に好きなように食事をするし、魔王はいつも地べたに座るからだ。そうでなくても、魔王はキースを避けるようにこういう時は寝床にいってしまうことが常なのだが。
 何を考えているのだろうと思いつつも、何でもない顔で話しかけてみる。

「体拭いたらどうです?」
「放っておけば乾く」

 その理屈は分かるけれど、とキースは苦笑する。そんなびしょ濡れを気にしないくせに、魔王は調理台の隅に置いてあるグラスを持ってそこに木の実の絞り汁を入れているからだ。

「こだわる所、変ですよね」

 思わず口に出た。魔王はそんなキースに向かって鼻で笑っただけで応えると、満足そうにグラスを口につけている。この雨の中、どこにいってたのかと思えばこの木の実を取りにいっていたらしい。なんでもこの木の実は絞った方が美味いらしい。そのままかじっても同じなのではと思うのは、もう黙っている。

 魔王はしばらく黙ってキースを見つめていたが、そのうち木彫りに手を伸ばした。

「これは何だ」
「ウサギですよ。こういう置物にすると子供が喜ぶので、売れるかなと」
「人間は小さいものが好きだからな」

 そうとも一概に言えないと思うが、魔王から見ればそうなのだろう。

「貴方も意外に小さいのが好きなんじゃないです? そのグラスも小さいのに悪くないんでしょう?」

 キースが買ってきた手の平大で切り込み模様のある安いグラスを、魔王は意外にも気にいったようだったからだ。装飾が無くてもいいのかと問うてみれば、そんなものは必要ないらしい。

「これは貴様にしてはましな選択だったな」
「本当は私が欲しかったんですけどね、それ」
「貴様は木の実の殻でいいのだろうが」
「貴方は濡れた服でも平気ですしね」

 軽口を叩きながら不思議な気分になった。こんな風に過ごしていると、魔王が友人のような気持ちになるからだ。目の前で不思議そうにウサギの木彫りを弄っている異形は魔王を模した偽物、そのことすら時折忘れそうになる。

「これは高く売れるのか」
「え、ウサギです? まあまあですかね」

 魔王はキースが机に積んでいた木材を手にすると、爪先でその表面を削る。魔王の右手の爪は小刀のように鋭い。みるみる木材はウサギへと形を変えていき、キースは思わず感嘆した。

「貴方、こんなこともできるんですね」
「こんなことをしたのは初めてに決まっているだろう。何の役にもたたん」
「今はとっても役にたちますよ、売れますから」
「その金で皿を買え」

 また食器か。今まではなるだけ耐えていたのだが、もう無理だ。キースは盛大に吹き出し、声をあげて笑う。

「本当、貴方って変です」
「人間のくせに、貴様がおかしいんだ!」

 怒鳴りながら、魔王はキースの腕を掴みあげる。魔王に触れられたら一瞬たりと気を抜けない。笑顔を殺して魔王を睨みつけると、その手は離れていく。それが常なのだが、今回はなかなか魔王の手が離れない。

「何です?」
「――柔な腕だな。へし折ってやろうか」
「やってみたらどうです」

 二の腕を掴んでいた魔王の手が、そろりと肘へ、手首へと降りるが、そこにキースの腕を折るような力はこもっていない。むしろ撫でているような感触に、キースは目を細めた。

 ――何をしている?

 魔王の指はキースの手の甲を這って指に絡んだ。

「な、にしてるんですか」
「へし折れと、貴様が言っただろう」

 指を折るつもりなのかと、ぎくりとしながら指先にまで気をはるが、魔王の指はキースの指先を遊ぶように撫でただけで離れやしない。一体何を企んでいるのかと警戒するキースを見つめながら、魔王はキースの指を持ち上げ、不意に口を開いた。

 ――食われる!

 咄嗟に危険を感じて、キースは力づくで手を振り払うと反対の手で持ったままの小刀を魔王の手に投げたが、それは難なく叩き落された。

「――何のつもりですか」
「へし折れと貴様が言った」
「噛み切れとは言ってません」
「そのうち、全身をばらばらにしてやろう」

 喉の奥で噛みころしたような、邪悪な笑い声をあげながら魔王は不意に立ち上がり、寝床へとひきこもってしまった。

「これは貰う」

 何故か、キースの彫ったウサギを一つと共に。
 魔王が寝床へと消えてから、キースは深く息をついた。

「何だったんだ」

 魔王はあんなことを言ったが、殺気はなかった。純粋な腕力では元々の素材が違うから敵わないかもしれないが、魔力のない魔王などキースの前では敵ではないのだ。それを、あんな――。
 爪で軽く掻かれた手首の裏がうずく。ひやりとした肌の感触はまるで質の良い布のようだった。思い出すだけで背中が粟立つ。

 殴りつけたこともあれば切りつけたこともある薄青の美しい肌の感触を知ってしまい、キースはそっと頭を抱える。人と違う、熱を帯びない肌はやはり美しく――。

「何、考えてる、私は」

 危険な方向に走りそうな思考を、頭を振って追い出すとまた木彫りに没頭する。そういえば魔王はこのウサギを一つ持っていったが。

「あのウサギどうするつもりなんですかね」

 魔王の思考など、分かるはずがない。


 嵐は未だ、おさまりそうになかった。
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