第32話 不眠

文字数 2,730文字

 佑司はさっそくシュウの通う中学校へ行った。

彼はここしばらく登校していなかった。嫌な感じがした。まさかもう事件に巻き込まれているのではないかとさえ思う。

 担任は「太陽の会」を訪ねたが追い返されて、学校へ来させてないのではと虐待を疑っていて、今日、相談所へ通報したという。

また、同じクラスにはシュウと特別親しい友だちもいなくて、彼に関する情報はなかった。

ただ、ひとりの男子生徒が、あるネットカフェでよく彼がいるのを見かけたと教えてくれた。

 シュウが学校でほとんど薄い存在であることに、彼はショックを受けた。

誰とも親しく付き合っていないのだ。

彼について尋ねると、生徒たちはどこかよそよそしい笑顔で首をかしげるだけだった。

どうしてこうなったのか佑司にはわからないが、「太陽の会」の存在が、周りの社会では奇異に見られていることだけはわかった。

シュウが非行に走ったのもあそこにいるせいに違いないと思った。

 そして彼は男子生徒がシュウをよく見かけたと教えてくれたネットカフェへ行った。

数人の親しそうな友だちがいっしょにいたというが、多分違う学校とかだろうと言っていた。

 店に入るとけっこうな人がいる。

そこでシュウくらいの年と思える子どもたちに声をかけた。

たいていは首をかしげるだけだったが、あるひとりが、シュウの名前を知っていた。

そしてシュウの仲間のひとりのことも知っていると話したが、どこに住んでいるのかは知らなかった。

「あ、でもアネキがあそこのマンションに住んでるとかって言ってたな」
指差した先には大きめの白いマンションがあった。

「なんて名前?」
「さあ。名字はクドウだけど」

 強い雨が降り出していた。佑司は急いで教えてもらったマンションに駆け込むと、その名字を探したが見つけられなかった。

帰ろうとしたそのとき、音楽が聞こえているのに気付いた。

それは彼がどこかで聞いたことがある曲だった。

あたりを見回した。音楽は通りの向こうから聞こえていた。カラフルな遊具が見え、幼稚園か保育園のようだった。

聞き覚えがある音楽に鼓動が高まる。

彼は急いで再びマンションへ行き、エレベーター横の階段を駆け上がった。

数回上がり、外が見える突き当たりまで走る。と、辺りを見渡した。

あった。

右の方を身体を伸ばして覘き見ると、テレビ局の鉄塔が街のビルの間に見えた。

 血の気が引いていくのを感じる。

ここは確かにあの夢で見たのと同じ場所だった。

顔のかたちがくっきり表れるほど、顔にビニールをぴったり密着された女性。

途切れ途切れの、ひいひいと細く高い音が漏れる開いた口元に、ビニールが引っ込んだり、わずかに出たりしていたあの恐ろしい夢。

だが、鉄塔の見え方はこれとは違っていた。

もっと高い場所から見えていた角度だった。

この廊下を戻れば、階段をさらに上がっていける。

もうひとりの自分は行くなと命じるが、夢のことを知りたい気持ちが勝ち、再び階段を上がる。

先ほど見えた鉄塔の位置を考えて7階にまで上がった。通路の右側の部屋だろう。

そして鉄塔の位置からすると突き当たり近くの部屋に違いないと思った。

どんどん歩き、突き当たりのふたつ手前まで来たとき、足が止まった。

そのドアの横の名前は『久遠あや』とあった。

クドウという名前を当たり前のように『工藤』だと思っていたが、探しているクドウとはこの名前かもしれない。そしてもしかしたら、あの夢の女性はこの『久遠あや』なのかもしれない。

こんなところであの忘れられない夢の光景に出会うとは思いもしなかった。

彼は足が震えていた。

 一瞬ためらうが、チャイムを押した。反応はない。何度か押すが、やはり反応はなかった。ドアノブに手をかけると、ドアは鍵がかかっていなかった。

「クドウさん」と、ドアを少し開けて声をかけるが何の反応もなかった。

「クドウさん?」ドアをもう少し開けた。

 寝不足のせいか、夢のことを思い出すのと、現実の見えてるものがいっしょになってぐらぐらする気分だった。

まっすぐ正面に見えるサッシが開けられたベランダに、女性がもたれるように座っていた。

いや、座っているのではなく、あの夢のとおりに顔にビニールをはりつけて死んでいることは、彼にはもうわかっていた。

 もちろん第一発見者の佑司は、警察でもいろいろ聞かれた。

「あの久遠あやさんのマンションには、中年ふうの男が出入りしていたみたいだということはわかってるんです」と、まるで犯人のように疑われた。

だが、彼がネットカフェでクドウという名前を教えてもらって、あのマンションに行ったことがわかり、そして久遠あやとの接点が何もあるわけもなく、ようやく解放された。

彼は夢のことは一切話さなかった。

 会社ではその事件と佑司の関係の噂でもちきりだった。

まるで犯人扱いだ。佑司は気にしない素振りをしていたが、営業先まわりには行かなくていいと言われた。

今はおそらくリストラ候補リストのいちばん上には自分の名前があるだろうと覚悟している。

「おまえもいろいろ大変なのに、とんでもない事件に巻き込まれたな」

 公園で、吉沢が煙草を吸いながら言った。

今日も昼飯は蕎麦だった。佑司は缶コーヒーを両手で握りしめている。

「で、シュウくんは見つかったのか?」

 佑司は首を横に振った。相変わらず、彼の行方はしれなかった。警察にも捜索願いを出していた。

吉沢は時計を見て立ち上がると、「まったく、肝心の息子が見つからず、何だって濡れたビニールで窒息させられた女を見つけるんだよ」と、ぶつぶつ言いながら、煙草を落とし、靴ですり消した。

 佑司はあの夢を思い出す。ビニールの上に跳ねる雨のしずく。

つたっては流れ落ちる。痙攣する後ろに縛られた両手の指。子供向けの無邪気な音楽。

顔のかたちがくっきり表れるほど、ビニールがぴったり密着している彼女の顔。確かにそうだった。

が、何か違和感があった。

「おい、時枝。そろそろ行こう」と、吉沢が振り向いた。

 そのとき、佑司ははっきりとその違和感が何であるかがわかった。

ビニールの表に落ちる雨のしずくじゃない、裏が意図的に濡らされていたから、女性の顔の形がはっきりわかるほどに、あれほどぴっちりと張り付いていたのだ。

 警察発表やニュース、新聞記事でも、ビニールを顔に押し当てられて窒息したということだけだった。

そして佑司も人が殺される夢を見たとは言ったが、中身は誰にも話していない。

なのに、「濡れたビニールで窒息させられた」と、吉沢がどうしてわかるのだろうか。

警察関係者以外は、夢で事件を見てしまった佑司と、犯人以外は決して知り得ないことだった。

「おい、昼休み終わっちまうぞ」
吉沢は笑って先に歩き出したが、佑司は呆然と立ち尽くしていた。
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