第21話 ブラインド
文字数 2,012文字
今年最高の気温を記録した、日差しのまぶしい午後だった。看護婦たちや両親、彼らはつとめて明るく事件を思い出させないようにふるまい、レイジに笑顔で声をかける。父親も無理して笑顔をつくり、母親はそんな父をうかがうように気にしながら微笑んだ。
レイジは日差しの中で、手をかざした。
* *
行方を探してやってきたマシタとヒジリに発見され、レイジがようやく解放されたのは8月20日のことだった。横田先生は逮捕された。
それからのマスコミ報道で、学校や親たち、その地域の人々の間で大騒ぎになった。学校は記者会見を行い、校長は汗をふきながら「当教師の日頃の様子はいつも真面目で、そんなことをしようとは、まったく考えられませんでした」と言い、同僚の教師は「生徒に人気のあるやさしい先生で、そんなことをするとは思いもしませんでした」と言った。そして校長、教頭、担任一同が「誠に申し訳ございませんでした」と頭を下げ、一斉にシャッター音がし、フラッシュが光った。
横田先生は警察での取り調べで、全面的に罪を認めたが、関係者や生徒の親たちのつきつけられたマイクへの言葉は、横田先生や学校への怒りに満ちた厳しいものだった。
病室のベッドの脇にはたくさんの花や果物、ケーキなどが置かれている。レイジはベッドでじっと天井を見ていた。
「友だちがたくさん来てくれたわね」と、母の雅実が果物を冷蔵庫に入れている。
「ばかやろう!おまえが幼稚な下心でのこのこでかけるのがいけないんだ!世間さまに迷惑をかけて」
父親が拳を握りしめて、怒鳴り散らした。
「お父さん」
母が遠慮がちに止めた。マシタが顔をのぞかせたからだ。
両親が出て行った後、マシタはベッドの脇に果物を置いた。
「友だちのヒジリさんの知り合いです」
ヒジリはレイジの見舞いにくるのをためらった。親しい友だちだけに、気まずい思いが先にたったからだ。
「大変なめにあったね。良かったよ、ヒジリさんに言われてあのマンションたずねて」
マシタは控えめな声で言った。レイジは相変わらずじっと天井を見たままだ。首の首輪の後やあちこちにまかれた包帯が痛々しかった。
「早く良くなって…」
「なんで警察に言ったんだ?」
突然レイジが、マシタの言葉を遮って、そう言った。
「なんで言ったんだ」
「おれたちは、そうしてたんだ」
レイジは最初は恐ろしかった。しかし奇妙なことに、痛みのなかに快楽があり、奴隷のように彼女にすべてを支配されることに慣れていった。
ブラインドをおろした薄暗い部屋で、明るい子供の声や、にぎやかに行き交う車の音が聞こえたり、ときにはしんとしたりしながらも、彼には夜なのか昼なのかわからない毎日だった。彼女と2人きりの世界。体液にまみれた彼らの世界があるだけだった。
これほど確かなものがあるだろうかと、ぼんやりする頭を床につけて思った。懸命に互いにすがりつき、誰にもわかり得ない本来の自分をさらけ出していっているようだった。家族も友だちも自分の日常がどんどん遠のき、どうでもいい気分になった。こうして苦痛に耐え、快楽にあえぎ、床に横たわっていると、それまでの自分が偽物の、借り物の生活を送っていたような気にすらなった。
横田先生が志望大学をたずねたとき、彼女は自分がなんとなく目標もやりたいこともないまま、レールに乗っかった感じだと言った。それはレイジも同じだった。目標ややりたいことはとりたててない、というか、考えたりしなかった。学校に行っていれば、とりあえず進級していく。そうしていくことがただ漠然と、自分が『進んでいってる』と思えていた。だが、実のところ、ただただ毎日を過ぎやろうとすることに、考えようとしないことに、ひどく怠慢で堕落した自分を感じていた。
彼らは沈黙し、沈黙の中で語り合い、溺れていった。家族からも、友だちからも、まわりの人たち誰からも遠ざかり、彼らは遠い星の彼方に去って行った。
* *
そしてレイジは退院した。今年最高の気温を記録した、日差しのまぶしい午後だった。見送ってくれる看護婦たち、迎えてくれる家族。彼らはつとめて明るく事件を思い出させないようにふるまい、レイジに笑顔で声をかける。父親も無理して笑顔をつくり、母親はそんな父をうかがうように気にしながら微笑んだ。
レイジは手を目の前にかざした。夏の日差しがまぶしかったからじゃない。夏休み前のアイラの死、サヨコの件、そしてトモエの事件、すべてはレイジには起きうるという予感があった。おかしくなってしまったと思われるから口にしなかった理由、それは今もここにある。
彼のまわりの人たちは、みんな大きく裂けた口をした獣に見えた。彼はその姿を見るまいと固く目を閉じた。
ブラインド おわり
レイジは日差しの中で、手をかざした。
* *
行方を探してやってきたマシタとヒジリに発見され、レイジがようやく解放されたのは8月20日のことだった。横田先生は逮捕された。
それからのマスコミ報道で、学校や親たち、その地域の人々の間で大騒ぎになった。学校は記者会見を行い、校長は汗をふきながら「当教師の日頃の様子はいつも真面目で、そんなことをしようとは、まったく考えられませんでした」と言い、同僚の教師は「生徒に人気のあるやさしい先生で、そんなことをするとは思いもしませんでした」と言った。そして校長、教頭、担任一同が「誠に申し訳ございませんでした」と頭を下げ、一斉にシャッター音がし、フラッシュが光った。
横田先生は警察での取り調べで、全面的に罪を認めたが、関係者や生徒の親たちのつきつけられたマイクへの言葉は、横田先生や学校への怒りに満ちた厳しいものだった。
病室のベッドの脇にはたくさんの花や果物、ケーキなどが置かれている。レイジはベッドでじっと天井を見ていた。
「友だちがたくさん来てくれたわね」と、母の雅実が果物を冷蔵庫に入れている。
「ばかやろう!おまえが幼稚な下心でのこのこでかけるのがいけないんだ!世間さまに迷惑をかけて」
父親が拳を握りしめて、怒鳴り散らした。
「お父さん」
母が遠慮がちに止めた。マシタが顔をのぞかせたからだ。
両親が出て行った後、マシタはベッドの脇に果物を置いた。
「友だちのヒジリさんの知り合いです」
ヒジリはレイジの見舞いにくるのをためらった。親しい友だちだけに、気まずい思いが先にたったからだ。
「大変なめにあったね。良かったよ、ヒジリさんに言われてあのマンションたずねて」
マシタは控えめな声で言った。レイジは相変わらずじっと天井を見たままだ。首の首輪の後やあちこちにまかれた包帯が痛々しかった。
「早く良くなって…」
「なんで警察に言ったんだ?」
突然レイジが、マシタの言葉を遮って、そう言った。
「なんで言ったんだ」
「おれたちは、そうしてたんだ」
レイジは最初は恐ろしかった。しかし奇妙なことに、痛みのなかに快楽があり、奴隷のように彼女にすべてを支配されることに慣れていった。
ブラインドをおろした薄暗い部屋で、明るい子供の声や、にぎやかに行き交う車の音が聞こえたり、ときにはしんとしたりしながらも、彼には夜なのか昼なのかわからない毎日だった。彼女と2人きりの世界。体液にまみれた彼らの世界があるだけだった。
これほど確かなものがあるだろうかと、ぼんやりする頭を床につけて思った。懸命に互いにすがりつき、誰にもわかり得ない本来の自分をさらけ出していっているようだった。家族も友だちも自分の日常がどんどん遠のき、どうでもいい気分になった。こうして苦痛に耐え、快楽にあえぎ、床に横たわっていると、それまでの自分が偽物の、借り物の生活を送っていたような気にすらなった。
横田先生が志望大学をたずねたとき、彼女は自分がなんとなく目標もやりたいこともないまま、レールに乗っかった感じだと言った。それはレイジも同じだった。目標ややりたいことはとりたててない、というか、考えたりしなかった。学校に行っていれば、とりあえず進級していく。そうしていくことがただ漠然と、自分が『進んでいってる』と思えていた。だが、実のところ、ただただ毎日を過ぎやろうとすることに、考えようとしないことに、ひどく怠慢で堕落した自分を感じていた。
彼らは沈黙し、沈黙の中で語り合い、溺れていった。家族からも、友だちからも、まわりの人たち誰からも遠ざかり、彼らは遠い星の彼方に去って行った。
* *
そしてレイジは退院した。今年最高の気温を記録した、日差しのまぶしい午後だった。見送ってくれる看護婦たち、迎えてくれる家族。彼らはつとめて明るく事件を思い出させないようにふるまい、レイジに笑顔で声をかける。父親も無理して笑顔をつくり、母親はそんな父をうかがうように気にしながら微笑んだ。
レイジは手を目の前にかざした。夏の日差しがまぶしかったからじゃない。夏休み前のアイラの死、サヨコの件、そしてトモエの事件、すべてはレイジには起きうるという予感があった。おかしくなってしまったと思われるから口にしなかった理由、それは今もここにある。
彼のまわりの人たちは、みんな大きく裂けた口をした獣に見えた。彼はその姿を見るまいと固く目を閉じた。
ブラインド おわり
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