第17話 マリア14

文字数 3,650文字

 家に戻ると、トモエのとなりの家の河北さんが来ていて、お母さんと話し込んでいた。2人はカラオケ教室でいっしょで、付き合いがあった。
「ユウキくんの部屋に女性用の下着や服があったそうよ」と、ヒソヒソと河北さんがお母さんに言うのを聞きながら階段を上がると、ミチルが顔をのぞかせていた。
「ユウキはね、女になりたかったんだよ」と、ぽつりとつぶやいた。
「どういうこと?」
「私、ユウキが好きだった。コクったら、彼に別に好きな人がいるって言われて。それがシンヤだった」
驚いた。小島ユウキの、また違う顔を見せられ困惑した。

「それで?」
「それでって、それだけ。彼がそれをシンヤに言ったかどうかはわかんないけど」
「警察に言ったの?」
「なんで警察に言うワケ?これ以上、なにを世間に晒すっていうんだよ。あんなに言われるんだよ」
ミチルは不機嫌な顔で階下に目をやった。

 部屋にあった絵を思い出す。年齢からいくと大人びて感じた絵。彼はクリムトの絵のような女、彼女そのものになりたかったんだ。
「黒い鞄、見たことはない?友だちがユウキとシンヤに取られたって言ってる」
「ないよ」と、ミチルは部屋に入ろうとした。

「じゃ、苔は?」
ミチルは驚いたように振り向いた。
「知ってるんだ」
驚いたのは私の方だ。キャロリーンはとうとう、目に見える形になったのだ。
「なんで、お姉ちゃんが知ってるの?」
「小さな瓶に入ってた?」
ミチルはうなずいた。
「最初はちょっとだった」

 ミチルが見たのは、ユウキとシンヤといっしょにカラオケボックスで、いつものようにオンラインゲーム攻略について語っていたときだった。シンヤが瓶を見せた。
「小さな緑のものが水の中にあった」
「それで?」
「おもしろ半分にふたを開けたら、それはどんどん膨らんでいって…」
小さな瓶いっぱいの緑になると、それは溢れ滴り落ちて、さらにどんどん広がっていき、ある一地点に集まり始め、盛り上がっていった。あっという間だったという。

「私とシンヤはその部屋を飛び出たけど、ユウキは…」
 ユウキはそれに魅入っていた。ミチルがユウキを呼ぶが、ユウキが「マリア」と呼ぶのが聞こえ、未来風の鎧をまとい剣を持った髪の長い女性の後ろ姿が見えた。

「あれはマリアだった」
「幻覚よ。あの苔は強烈な幻覚性があるんだって」
ミチルは首を振った。
「次の日、ユウキが殺されたのを知って恐かった。ユウキはマリアに殺されたんだよ」
「まさか」
唖然とした。
「マリアなら簡単だよ。最強だから」
ネット上の架空のものに殺されるなんて、そんな話、信じられるわけがない。


 葬祭会館でのお葬式には、住宅地の近所の人たちや、学校の先生や生徒たちが大勢いた。黒い服だらけの中、祭壇の花はとても色鮮やかに見えた。真ん中には小島ユウキの幸せそうな表情の写真があった。写真が明るいほど、事件の暗さがひきたってしまう。クラスの友だちたちだろうか、すすり泣く声がした。

 誰かが私の横に座った。
「泥がついた靴。白いパジャマのボタンを止めながら階段を下りてくる少年…」
私が横を見ると、痩せた見知らぬ女が座っていた。20代だろうか。化粧気はなく、肌がかさかさしている。なおも女は、前を向いたまま、なにかにとり憑かれたようにブツブツつぶやく。
「居間をさがす。トイレをさがす。いない。居間のカーテンが揺れた。窓が開いている。庭にたくさんの人。真ん中に鎧をつけた女がいる。少年、近づいて行く」

 私は声もなく、ただ唖然として女の言うことを聞いていた。
「獣の顔。鎧の女が“地下組織のアジトがばれそうなの。私たちも危ない”と言う」
マリアだと思った。
「包丁を出す。“行っちゃダメ”と腹を刺す。入っていく包丁。“私、自分の声だけ聞いてたのに”」
聞いたことがある言葉だった。女の見ている先には遺族席があった。トモエも座っている。
「“もう無理なんだ、助けられない。でもいいつけたりしないからね”。包丁を身体から抜き取る。となりの2階から見ている女がいる…」

 女は自分の両目を押さえた。
「まさか…」
「確かな自分を見出せないものは、悪に導かれる」目を押さえたまま女が言った。
「サードアイ」
「もう耐えられない。ここにいるみんなのこれまでのことが一斉に、私の頭にやって来る」
女はそう言うと、よろよろと立ち上がった。
「待って!」

「彼女は自分でバランスを崩して落ちた。あなたがつき落としたわけじゃない」

振り返ると苦しそうな顔でそう言った。追いかけようとした私の足は、驚きのあまり止まった。

「最後のお見送りをお願いします」という声がした。一斉に人が集まっていく。私は一度振り向くと、サードアイを探したが、もうその姿はどこにもなかった。
 ユウキの棺の後を、写真を持った父親を先頭に家族が行く。トモエもうつむいたまま歩く。が、その顔は無表情だった。

 いまだユウキを殺した犯人も、暮田伸哉の行方もわかっていない。

 早朝だったせいか、彼を刺した犯人や、不審な人物を見かけたという情報はまるでなかった。しかしほどなく、ニュースに流れる彼の名字は伏せられた。そして姉のトモエが、警察でずっと事情を聞かれていた。

 トモエはその朝、家の外で誰かが言い争う声を聞いたような気がしたと言ったらしいが、その言い争いを聞いたものは誰もいなかった。となりの河北さんの寝室が小島家の庭のすぐ側だが、奥さんはその頃、トイレにたって目がさめてたが聞いてないと証言した。さらに現場の状況では、争ったあともなかったのだ。

 ニュースでユウキの名字が伏せられ、家族の名前も伏せられ、姉が事情を聞かれているということが出ると、おそらく住宅地の誰もが家庭で夕食のとき、あるいはテレビを見ながら、警察の人間のように、事件の推理を始めただろう。いや、住宅地だけでない。街中に様々な噂が飛び交っていた。

「どうしてかしらね」
「とてもやさしいコだったのに」
「すっごいこわい」
「仲良さそうでしたよ」
「何か家庭に問題あったんでしょ」
「すごく勉強がよくできて」
「まあ、お気の毒に。でも親が気付かなかったのかしら?」
「ほら最近のコってこう、だらしない格好してるでしょ?お姉さんはそんなことなくて、いつもきっちりしててねえ…」
「やばい、キレちゃ」
「でも、こわいわね。うちにも同じ年の子供がいるから心配で」
「親が悪いんだよ」
「うちの親がさ、あんたは大丈夫?ってマジ聞くんだよ」
「あ、知ってる。**高校でしょ。学校映ってんじゃバレバレ」

 小島ユウキはただの『ユウキ』になり、姉のトモエはただの『姉』になった。そして、ユウキの事件は解決に向う。姉のトモエがユウキを刺したことを自供したからだ。

 トモエはずっと弟ばかり可愛がられているみたいで、自分は愛されてないと思っていた。自分はいつも無理して明るくふるまってたのに、弟はなんの条件もなしにみんなから好かれたことが憎かったといった。

 果たして本当なんだろうか。トモエは弟を守ろうとしていたように見えた。私は『サードアイ』に、トモエが弟を殺した理由がわかるかと問いかけた。


 『サードアイ』から、最後の返信があった。

  『殺した理由はわからない。
  わかるのは見たままの外側だけ。
  内側は見えない。
何も、見ることはできない』



「お姉ちゃん、見て」
 ミチルがドアを開けて、私を呼んだ。部屋のパソコンは、ゲームの世界とつながっていた。

「これ、マリア14よ」

ミチルが画面を指した。鋼鉄の鎧を身にまとった長い髪の女が、敵を倒して突き進んでいく。
「そんなはずないじゃない」
キャラクターはいくつか決まっている。同じキャラクターを使っている別の誰かだろう。
「もうすぐ、中央コントロールタワーに侵入するよ」

 女戦士は銃、ナイフ、手榴弾、様々なアイテムを器用に駆使して、突き進む。その先には巨大なタワーがそびえ立っていた。最後に女戦士は、その閉ざされた頑丈な入り口に手をかざす。
「何やってるの?」
「とっておきのアイテム。あれじゃなきゃ、あの扉は破れない」
金属の扉に、小さな金属がぐるぐる回転しながら入っていく。すると、その隙間から光が漏れ始め、やがてドアがへし折れるように割れて崩れ、まぶしい光が彼女を包んだ。

「成功だね。これで生命転換装置を手に入れられる」
「生命のリセット、ね」
「あの苔が…」ミチルが画面を見たまま言った。「幻覚を見せるっていうんなら、ユウキがネットの中に生きているのを見せてほしかったな」
「ユウキくんが成功して“神の視点”を手に入れたら、この世界の中でどうしたかったのかな」
「ただ、時々、みんなと話がしたいって言ってた」
ユウキの求めたものは神じゃない、ただの会話だった。

 女戦士はこちらを振り返る。少し笑ったように見えた。きっとあれはマリアだ。この世界のマリア14は最強で死にはしないんだ。

やがて彼女は光の中にゆっくりと入って行った。

     
  マリア14 おわり

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