第27話 矯正

文字数 3,571文字

「レイジ、どうしちゃったの…」
「この近くに林はある?森でも山でもなく、林。こう、ちょっと木がある感じの」
「まさか、レイジの言ったこと真に受けてるの?獣の顔って…」ヒジリはまさかという顔をした。「マシタも見たの?」
「ずいぶん前のことだ」

 彼はどんどん坂道を下りていく。
「キャロリーンを知ってるの?」
「僕には、わかるはずだ」
やはり彼には、出会ってからずっと隠してる何かがあると思った。『彼には気をつけて』といった、ケイという女の人の言葉が思い出される。
「ケイっていう人、知ってる?」思わず口にした。

 マシタはとても驚いたように私を見ると、ぎゅっと手をつかんだ。
「あの女がきみに何か言ったのか?」
「放して」
「何を言われたんだ?」
「あの人もキャロリーンを探してるんだよ!」
「それは知ってる!」
「痛い!放して!」彼の手をはらいのけた。「教えてよ…。本当のこと」

「いいか、やつらはキャロリーンを軍事用に研究していたんだ。僕の父も加担していた。キャロリーンの性質を人間に移植しようとして」
「じゃあキャロリーンて人間…」
「違う。完成されなかった。失敗だったんだ。僕はすべてを葬り去ったはずだった。だが、なにものかが、ルーペに残されていた唯一の苔の菌を持ち去った。それでこの街で起こっている様々な事件を知った。7月頃から多発しているから、時期的に一致するんだ。発見して、処分しないと大変なことになる」

 あなたがそれを狙ってるんじゃないの?と思わず聞きそうになった。でも聞くのが怖かった。この街へ来る前に、彼はいったい何をしてきたんだろう。もしかして父親も殺したんだろうか。
「いいかい。きみはもうここに来ちゃいけない」
「隅田先生があやしいの?」
「ユウキの残した話といい、ユウキがキャロリーンと同化しそうになっていたんじゃないかと思う。あの金曜日は、学校が半日で終っていたんだ。カラオケクラブに行った確率が高い。それに…隅田というやつの感じには何かこう…覚えがあるんだ」
「どういうこと?」
「これまでに見た、キャロリーンの洗礼を受けた者たちと同じ感じがね」
「ギニアピッグっていう…」
「それとは違う邪悪さだ。キャロリーンに魅せられて、とり憑かれ、復活に全身全霊を傾ける。キャロリーンじゃなく人間が問題なんだ。我々が抱くフラストレーション、怒り、憎しみ、悲しみそういったネガティブなものにとりつく。ヒジリ、気をつけるんだ。もう僕もきみには連絡しない」
「え」
「やつらがきみに声をかけた以上、僕と会うと危険だ」

「嫌。そんなの」とっさに言葉が勝手に出た。
「じゃあ私はどうなるの?たったひとりで、自分が死ぬ夢が正夢になるのを待つの?」
 彼は私の両肩を抱くようにして、真正面から私を見た。
「そんなことにはならない。させないよ」
 私は涙が溢れてきた。彼のまるで愛の告白のような言葉に?生死を共にする戦友のような境遇に?それとも、これからやってくるものへの恐ろしさになんだろうか?

 高台の端まで来ると、別の町が見渡せる。さらに遠くには市内中心部が見える。すぐ近くは、住宅地が広がるが、その間にはまだ田んぼが広々とある。
「あれは?」と、マシタが指した。田んぼの中ほどにぽつんとトタンのけっこう大きめの建物があり、そのまわりには木が囲うようにある。
「林…」

 そこは私が小学生の頃からずっとあった。入り口にたどりつくには、あぜ道のようなところを通るしかなく、小型の車がやっと通れるぐらいの幅しかなかった。時々人も見かけたし、夜には明りがついてることもあった。当時、小学生の間では、あそこには異常者たちが共同で生活しているとか、犯罪者たちがいるとか、すごい噂があったものだが、話のネタにする以上の関心は誰も持たなかった。

 その場所へ初めて向かう。マシタはついて来るなと言ったが、私もいっしょだ。濃い灰色のトタンの箱のような建物と、うっそうと茂る木々が、なにやら無気味だ。黒く盛り上がった土から変な臭いがした。

「ここは肥料を作る場所みたい」以前、学校の授業で習ったことを思い出した。「たしかモミガラとかぬかとか使って発酵させると、堆肥ができるって」
だが、最近手を入れた様子はない。そのまま放置してあるといっていい。マシタは建物の中を、入り口の隙間からのぞく。錠はなく、そのままひっかけて、トタンの戸をとめてある。

 瞬間、嫌な臭いが鼻をついた。本当に、本当に強烈な嗅いだことのない臭いだ。マシタはハンカチを取り出すと、鼻と口に当てた。止めてあった戸を開ける。臭いが流れて来た。吐き気がこみ上げる。私も手で顔を押さえた。

- 獲物を捕って、巣に大事そうに埋めてた -

 マシタがそろりと入って行く。その後を私も行った。その中も土が盛り上がっていたが、まだ黒くはなく、それほど前じゃない頃にここに積み上げたものだった。そして高温発酵するための蒸気が見えた。水分調整に生ゴミを使うと、いい堆肥をつくることができると習ったことを思い出す。

どんどん近づいて行く。何かが土から突き出ている。木の枝がささっているのかと思ったが、よく見るとそれは、白い骨にぼろぼろのぞうきんをかけたように肉が腐りきった人の腕だった。それがわかった瞬間、吐いた。

 その発見された死体は暮田伸哉だった。腐敗が激しく、死因ははっきりしないが、おそらくカッターナイフで頸動脈を切られたものによるとされた。首のあたりにカッターの折れた刃が残っていたからだ。
そしてその刃の折れたカッターナイフは、小島ユウキの部屋の引き出しから発見された。

 トモエが証言したのだ。彼女はずっと沈黙していたが、暮田伸哉の死体が発見されたことを知り、すべてを語った。弟がその日、夜に戻ってきたとき、上半身裸だった。靴は土で汚れていた。
 不審に思って部屋をのぞくと、ユウキは泣きながら血がべっとりついたシャツをビニールに入れていた。そしてカッターナイフの血もきれいに拭き取ると、今度は自分の身体をカッターで傷つけていたのを見た。ユウキはトモエに見られたことを知ると、自分はもう自分じゃない、どうか殺してくれと懇願し、トモエもそうすることでしか、もう弟をコワイものから助けられないと思い、刺したと言う。


「ユウキはきっと、シンヤにコクったんだよ」
ミチルが部屋のドアの隙間からそう言った。
「でも拒まれた。もっとひどいこと言われたのかもしれない」
「それぐらいで殺したの?仲間だったのに」
「憎めたらいいけど、それでもどうしようもなく好きだったんだよ。ユウキはマリアになりたかった。シンヤもマリアだったら愛してたかもしれない。それは、お姉ちゃんみたいに“それぐらい”なんて、片付けられないことだったんだよ」

 階段を上がってくる音がした。ミチルは急いでドアを閉める。
「ミチル、ご飯よ」
お母さんが夕食をのせたお盆を、ミチルの部屋の前に置きながら私を見た。そして、「ヒジリ、あなたもご飯よ。下りてらっしゃい」と、微笑んだ。

 今日もお母さんはカラオケ教室へ行った。毎日通うお母さん、今はそれが何か不吉な感じだった。私はこっそりカラオケクラブの様子をうかがったけど、ただカラオケで歌の練習をしているよくある光景だった。1時間ほどで教室が終り、ぞろぞろと人が出て来た。思ったより大勢の人が集まっていた。私の家の向かいの米沢さんとか、あちこちにこの住宅地の見覚えのある顔がある。その中にお母さんと河北さんもいた。

「おや、こんばんは」と、いきなりあの隅田というカラオケ教室の先生に声をかけられた。
「今度はまた何?まるでこっそりのぞき見してるみたいじゃない」
隅田はにっこり微笑んだ。
「あ、いえ…」
「よかったら、あなたも教室に参加しませんか?楽しいですよ」と、彼は店の中へどうぞというしぐさをした。マシタは何もキャロリーンらしきものがないことを確かめたと言ったけど、私は自分の目で確かめたかったから、案内につられるように店内に入った。

「どうぞ」
 カラオケ教室の部屋は、あまり広くはなかった。ソファーが並び、椅子もいくつかある。マイクスタンドのあるステージには、まだミラーボールが回っている。
「彼は何してる人?」と、隅田が唐突に聞いた。
「マシタのこと?どうして?」
「警察でもないのに、いろいろかぎまわってるから」
「それだけじゃないんでしょう?」
「どういうことかなあ?」隅田はにっこりする。

「ユウキくんは死ぬ前の日に、ミチルと暮田伸哉といっしょにここに来たはず。そのときにキャロリーンがマリアの形になって現れたのを、ミチルが見てる」
「あなた、大丈夫?」隅田は大笑いした。「だったらもう一度、ミチルに確かめてごらんなさい」
なんだか胸騒ぎがした。
「あなた、誰か好きな人はいる?」
突然のことにどきりとした。


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