第7話 流木

文字数 4,819文字

 私の家は市のはずれの住宅地にある。横を数台の車が通り過ぎて行った。夕方のこの時刻は、家に帰る人たちでにぎやかになる。犬の散歩やジョギングの人も通り過ぎる。そのとき、前から男の人が歩いて来た。
 ナオくんだった。小学生の頃はナオくんによくついていって、いっしょに遊んでもらった。でも年が上の男の子と遊ぶことに恥ずかしさを感じ始め、だんだん興味をもつことが、男の子とは違っていったから、いつのころからか遠ざかっていた。

「このあいだレンタルに行ってたでしょ」
「ううん。最近は行ってないよ」
 はっとした。そうだ、日がリピートされているとしたら、レンタル店で見かけたのは、これよりあとのことだった。でもそれもきっと思い過ごしだよね。

「勉強が忙しくてヒマがないんだ」
 最近は会うこともあまりなかったけど、やさしくてまじめだったナオくんは、相変わらずやさしげになつかしい笑顔をしていた。

 小学生の頃、ナオくんの家へ遊びに行ったとき、彼のお父さんが分厚い参考書を何冊かナオくんに渡した。それをお父さんは毎週、範囲を決めて彼にテストをし、採点していた。お父さんは有名私立高校の先生だったそうだけど、家でも先生をやっていた。彼は母親がいれてくれたココアを飲みながら、一生懸命覚えた。

小学生だった私は、彼の両親が立派だと思った。だって私の親たちは自分たちのことにしか関心がない。勉強しろって言うけど、それはいつものただの口癖で、テストの点や通知表の結果しか気にしなかった。私が学校でのことを話しても、家族はみんなテレビに見入って、ついでのように別の話をしてた。お母さんは近所の人や親戚のことをとりとめなく話し、お父さんは仕事のことで頭がいっぱい。妹はもくもくとご飯を食べながら、ゲームの攻略について考える。うちの家族は面倒な話は嫌で、どうでもいい話しかしない。

 だから、ナオくんは両親にとても意識されている、とてもかまわれてると思って、そのときは嫉妬のような何ともいえない気分だった。今の私ならそんな親はうっとうしいけど、それでもそんなことを覚えているのは、ナオくんの家族の密度の濃さが、異質な衝撃だったからだと思う。

「どうかした?」
 ナオくんは昔から、敏感で繊細な神経をもってた。ふざけて私をいじめたりしてたときでも、私が不機嫌になる前に必ず喜ぶようにしてくれた。だからナオくんには、ちっとも嫌なところを感じたことはなかった。かけているメガネをとると、やさしげな目がよく見えた。ちっとも変わってない。でもあの頃の私は、ナオくんの繊細さがぜんぜんわからなかった。

「予言されたんだ。友だちが死ぬかもしれない…なんて、嘘よね」
「そうだよ。そんなこと知らなければよかったのに。せめて見ないふりしておけば」
彼は静かにそう言った。

 明かりのついてない隣りの守木さんの家を、横目で見ながら家に帰った。
「ただいま」
玄関で靴を脱ぎながら、台所で両親が、隣りの家の奥さんがいなくなったと話しているのを聞いた。同じだった。でももう私は驚いていなかった。

これからお父さんはお風呂場へ行って、栓がしっかりされてなかったために、お湯がたまっていない状態を見て驚くだろう。2階へ行くと、妹のミチルがパソコンのキーを叩いている。
「ミチル。予言が当たったよ」
妹はぼんやりした顔で振り向いた。

 やっぱり何かが狂ってる。本当に繰り返している。明日、私はレンタル店の男に会い、そのあと3日後にアイラが死ぬ。そして本当にあの予言どおりに、私も死ぬのだろうか。でも、私がこれから前と違う行動をすれば、少し先の未来には台風はくるだろうけど、私たちの未来はきっと違ってくるはず。

 『僕はきみのものだよ』と、あの見知らぬ男の人が言う夢の光景を思い出した。彼は混乱してしまった私の世界に、違和感なくやって来た。もはや家族も友だちも世界のすべてが、私の時間のずれに気付かず、ざわめきのように遠くに行ってしまったなかで、彼は奇妙に近付いて来た。夢に現れたのは、何か絶対関係があるはずだと思った。

彼にもう一度会わなければ。アイラを救わなければ。そして私自身を救わなければという思いで、父親のお風呂のお湯がたまっていないという声を聞く前に、家を走り出ていた。

 あの人が泊まるといっていたホテルの入口は、人待ち客で溢れていた。繁華街に近く、飲みにくりだすのにここで待ち合わせする人が多い。だけど、ロビーに一歩入ると、空気は落ち着きを取り戻す。ここで途方に暮れた。だってあの男の人の名前も何も知らない。とりあえずロビーの椅子に座ると、人がじろじろ見て行く。制服姿の女子高生が一人で座っているのは、この時間帯にこの場所ではめずらしいことだろう。

「なにやってるの?」と、酒臭い男が声をかけてきた。顔がにやついている。夜は暗闇をもたらすけれど、もしかしたらある特別な場所を、明るく照らし出すためなのかもしれないとふと思う。

 そのとき、自動ドアが開く音がした。外のざわめきが劇的効果で舞い込んだ。あの男の人だった。彼と私は目が合いながら互いに近付いた。声をかけてきた男は、きまり悪そうな笑顔をつくって背中を見せた。

「やあ」
 彼はまるで私が来るのを知ってたかのように微笑んだ。彼はマシタという名前で、仕事でこの街に来たという。私はとにかく一人だけの混乱から逃れたくて、これまでの事情を話した。見ず知らずのこの男の人が、私のとうていばかげてるとしか思えないような話を聞いてくれるのは不思議だったけど、彼が私の話に興味をもったのは確かだった。

「とにかくその店員に会ってみよう」と、彼は手をあげてタクシーを止めた。
「どうして私の話が信じられるの?自分でも信じられないのに」
 タクシーの後部座席で揺れるたびに、マシタの背広の腕に肩が触れた。
「きみは嘘をつくのかい?」
「でも私のことぜんぜん知らない」
「ぜんぜん知らない僕に会いに来た」
「それは…」
「とても興味がある話だ。ただ、僕がきみの夢に出てきたというのは驚くけれど」
「どうして…」
「僕もきみと同じように知りたいね」

カーラジオはこの街で起きた殺人事件について報じている。このあいだの、今は使われていないビルでナイフでめった刺しにされ、放り投げられて落ちて死んだ少年の事件だ。ここ最近なんだか事件が多い。

「最近、本当に多いねえ。以前なら考えられないような事件ばかりですよ。ほんと、怖い時代ですよねえ」などと、運転手はぼやき続けた。

「時代じゃない。この街でここ最近、事件が多発しているのは、単なる偶然じゃないのさ」
マシタが車を下りて歩き出したときにつぶやいた。
「どういうこと?」
「まだ確かじゃない」
「あなたの仕事とも何か関係があるの?」
マシタはまっすぐ先を見つめてどんどん歩いて行く。不安がよぎった。

 レンタル店のカウンターに、その店員はいなかった。店内を捜す。と、奥のコーナーにユニフォームの2人がいる。
「これはジャンルが違うって言ったじゃない、店長」
『予言者』は棚からをDVDを抜き取り、店長と呼んだ男に手渡していた。店長は近付く私たちに気付き、「いらっしゃいませ」と笑顔をつくった。予言者の店員の方は、こちらを見向きもしない。
「頼むよ。私はこれを置いてくるから」と、店長はその店員に遠慮がちにそう言うと、そそくさと消えた。

「きみにはなにが見える?」
 マシタがいきなり店員に声をかけた。店員は棚の整理をしていた手を止めると、ゆっくりと振り向いた。明らかに私たちに興味を持ったようだ。
「どんな幻覚が?」と、言葉を続ける。この男が私の話を信じたが、それは少し違う意味だったことを知った。
「幻覚…」
「それはいつからだ?」

 店員は苦笑した。突然、客相手ということを忘れ、本来の素の姿に戻ったようだった。
「力だよ。幻覚なんてもんじゃない。見たろ?あの店長、前はああじゃなかったぜ。ほとんどが学生バイトだから、こきつかいやがって」

店員は無意識になんとなくDVDを揃えていた。彼は喋る相手が私たちでなくても、誰でもよかったみたいだった。
「おれはもう無視される側でいるのは嫌なんだ。で、おれの力を見せたとたんに怖がっちゃってさ、文句や命令をしなくなった」と、まくしたてるように話した。
「予言者になりすまして『お告げ』をすることが、客寄せになると考えて、きみのご機嫌をとってるんだろ」
彼の率直なものの言い方にひやひやした。
「疑ってるのか?」と、店員はあからさまにむっとした。
「じゃあ占ってみろ」

 マシタは私を店員に押し付けるように押し出した。顔がこわばるのが自分でもわかる。そしてアイラが落ちていく光景が蘇る。

「 “明日”、あなたに予言されたの」
そう言うと、店員は一瞬目を大きくしたが、こらえきれないように笑いだした。
「そうか、うまくいったんだ。たまにうまくいく。波長かなにかあるのかもしれないな。いいか、おれの力は予言だけじゃない。時間を超えられるんだ」
「私は未来を見たと…?」
自分の声が震えているのがわかった。マシタは明らかにうんざりしていた。
「見せられると思い込んでいるんだ」

そう言う彼を店員は敵意のこもった目で見ると、私の手を掴んだ。そして大きく深呼吸すると、じっと意識を集中させようとしている。それはまるで、テレビでよく見る超能力者と言われる人たちのようで、ひどく滑稽に見えた。

「もういい。知りたいのは、いつからおかしなものが見え始めたかだ」
マシタは店員の手を振り払った。
「信じないのか?」
「いつからだ」
「覚えてないね」
「1週間ほど前からじゃないのか?」
私には何のことかわからなかった。
「子供の頃だったかもなあ」
店員は嫌味に答えた。

「わかったよ」
 マシタは店員から自分の欲しい情報を得ることをすっかりあきらめた様子で、もちろん彼が予言者だなんて思ってないから、さっさと行こうとした。
「待てよ」
店員は彼の腕をとっさに掴んだ。そして、一瞬動きを止めた。マシタが振り向くと同時にその手を放した。あわてて引っ込めたという方が、その場の雰囲気には合っていたかもしれない。

「自分自身の未来も見てみるんだな」
彼はそう言うと、もはや振り返りもせず出て行く。私もあわてて後を追いながら、店員をちらりと見ると、彼はぼんやりとしたような顔をしていた。もし、彼が本当に未来を見通せる能力を持っているんなら、彼はこの男の未来を見たのかもしれない。

 マシタはもう次の予定を考えているようだった。
「いったいどういうこと?」
「僕の思い違いだったようだ」
「教えてよ」
彼の前に立った。
「悪かったね、つきあわせて。とにかくきみはもう忘れた方がいい」

「1週間前に何かあったんだ」
「やつはいかれてるんだ」
「なんか隠してる」
「思い違いだったみたいだ」
「私は全部話したのに。教えてよ!私に起きたことも関係あるんじゃないの?」
彼は大きくため息をついた。少しいらついているようだった。

「あいつのたんなるでたらめっていうわけ?じゃあなぜ私はあんな夢見たの?すごくリアルだった。アイラもあなたも…それに」
 声がつまった。思い出すあの白い廊下の建物、そして扉の隙間から見えた、恐怖におののく私。あれは私が殺されるところだったんではないだろうか。

「知らなければいいこともある。忘れるんだ、いいね」
  マシタは私の肩を軽く押さえると、タクシーを探して顔を上げた。でも、私は彼がタクシーを止めるのを見なかった。

 背後で彼が何か言う声がしたが、どんどん歩いて行った。怒りが足をつき動かした。私は彼の嘘に怒っているのか、それとも私を信じないことにか。店員の言ったことを恐れる自分に、家族や友だちが圏外にいることに、コーセイが転校して行ったことに、マシタに頼ろうとしたことにか。そう、すべてだ。すべてに私は怒っていた。

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