第23話 三面記事

文字数 2,833文字

「ただ、シェルターって映画を思い出したんだ」
 おれはベッドに座った。
「高校生の男女が、火災報知器の音を核弾頭が飛んできたと思って、地下の展示用核シェルターに入ってしまうんだ。昔のアメリカとソ連が危険なときだから、世界が滅びると思うし、扉はロックされ、2人は絶望的な気分。けど、生き残ったのは2人だけと思うと、2人は劇的に恋人同士になるんだ。けど、やがて扉が壊されて開くと、元の世界だ」

「ふうん、で、それから2人は?」と、サヨコも隣に座った。
「それぞれ、家族といっしょに帰る」
「また会う約束はしなかったの?」
「さあね。そこまでは」
「きっとしたよ」
「かもしれない」

 突然、けらけらとサヨコが笑い出した。
「なーんだ。さっき笑ったとき、私のことかと思ってた。きっと私のこと、なにか悪く思ってるって」
彼女の笑顔につられるようにおれが笑うと、彼女がおれの頬に手をあてた。思わず少しひいた。
「ふうん、野本くんて笑うとき片頬を歪ませるんだ。なんか、どきっとする」
「え」
「友だちで野本くんのこと、ずっと好きなコがいたんだ。どうして好きだったのか、分かる気がする」

 突然のことにとまどった。おれのどこが分かるっていうんだろう。なあ、親友のおまえよりおれのこと分かってくれるかな?
「野本くんみたいな男の子なら、私を傷つけたりしない。土足でずかずか踏み入ってきたりしない。やさしいから」
サヨコの唇がやわらかく、おれの口に押しつけられた。夢中で彼女を抱き締める。甘くいい匂いがした。

 そのとき突然、彼女の手がおれを押し退けた。意外な反応にぼんやりしてると、「ねえ、いっしょに逃げてくれない?」と言った。
「もう傷つきたくない。表面は何も言わなくて、にこにこあいさつしても、みんな私をああいうことしたコとして見てる。親はもう疑うばかりで、ぎゅっと縛り付けておこうとばかりしてるし。私の居場所なんかどこにもない。だからその映画みたいに、誰も知らないところへ行ってみたいなって」

「うん」
 思わず返事した。それもいいじゃないか。おれは一瞬のうちに具体的に考えた。以前アルバイトしたことがある山荘へ行って、そこでしばらく働いて金をつくり、それから東京にでも行けば、とりあえず仕事は見つかるだろうとか。
「明日の朝、江の口川の橋で夜明けに待ち合わせない?ドラマみたいでしょ?」
サヨコはそう言うと、にこっと笑った。

 おい親友、妬くなよ。きのう会ったばかりだぜとか言うなよ。彼女と2人で暮らす、それを思うとどきどきした。彼女とならうまくいきそうだ。ミカとは違う。彼女はきっとおれのこと分かってくれる。だから親友、おれの幸せを祈ってくれよ。


 朝、おれが橋にバイクを止めたときは、あたりの形が見えかけてきたところだった。いつもなら車や人の通りが絶えないこの橋も、今はおれしかいなくてすごく静かだ。まだ薄暗い中、まっすぐの道の向こうの方に、信号機が点滅している黄色い色がすごくきれいに見える。反対側も向いてみるが、やはり動くものがない。その止まってしまったような光景に、あのサヨコに語った映画を思い出す。もしこの光景が、人類が絶滅してしまった世界を見せているのだとしたらどうだろうとか変な想像してしまうが、ますます心がはずんでくる。

 腕時計の時間を確かめる。いつもならサイテーな夜明けが、今日は早くくればいいと思った。彼女へのプレゼントの、原爆の雲の白黒写真をながめる。どこがブリオッシュのパンなんだろうと、少しおかしかった。

 気がつくと、サヨコが川を眺めながら、こっちにやって来るところだった。鞄をひとつ持って、どこかにショッピングにでも行くような軽快な格好だ。
 写真を渡すと、「ふうん、世界の終りね」と言った。太陽が昇ってくる。黒い川面がきらきらと輝き、あたりに色がついてきた。
「カラー写真にすればよかったな」
おれはそう言いながらバイクにまたがり、エンジンをかけようとしたが、うまくかからなかった。

「あ、魚がいた」とサヨコが言った。「ねえ、来て来て!」
しかたないから欄干ヘいって下をのぞいたが、ただの汚い川でしかない。
「いないよ」
すぐバイクに戻ろうとするが、彼女はおれのシャツを引っ張った。
「いたって!ねえ、もっとちゃんと見て!」
「こんなとこに、魚なんかいないって」
バイクに戻り、再びエンジンをかけると、今度はうまくいった。行こうと言おうとして彼女を振り返ると、サヨコは川じゃなく違う方向を向いていた。その方向を見ると、あの本屋で彼女を追って来た男が、橋のたもとで肩で息をしながら立っていた。

「ねえ、行こうよ」
 おれはアクセルをふかした。しかしサヨコは突っ立ったままだ。なにしてるんだろう。
「はやく乗って」
「ごめん」
「え?」
「やっぱり行けない」

 男がゆっくりこちらに歩いてくる。おれはマヌケにも、今になってその男が彼女の別れたというカレシだと気付いた。
「あいつがきみにひどいことさせて、きみを傷つけたんじゃないか。きみがお金と嗅ぐやつが欲しかったわけじゃないだろ?」
「欲しくなかった」
「だったら」
「彼が来たらバイバイって、言ってやるつもりだったのに」

「言えば?」
おれの中でこみあげてくるものがあった。
「言ってやれよ、おまえなんか嫌いだって。おれと行くって。行くんだろ?」
昔と同じ感情だ。彼女の腕をぐっと引っ張った。

「おれを選べよ!」

 サヨコは一瞬、おれを見つめた。けどその後、おれの手を振り切って、男の方へ走って行った。足下には原爆写真が落ちていた。

 嘘だったのかよ。「どうしてなんでもそうやって理由がいるの?」と笑った彼女。彼女にも理由が、それも明快な理由があったじゃないか。なぜだという疑問には、必ず答えはつきものなんだ。おふくろが弟を選んだのは、おれより亘の方を愛してたからだというふうにね。

 ぜんぶ、嘘だったのかよ。でもおれも嘘をついた。シェルターに閉じ込められたのは、たったひとりだったんだ。助けが来るのを待ちながら、せめて女の子と2人だったらよかったのにと考える、つまんない話さ。

 おれはアクセルをふかせた。バイクの音が静かな街に響けば響くほど、ひとりきりの気分になる。
「いいじゃないか、親友。おれがいるさ」
やつがそう言った。おふくろが弟を連れて出て行ったその日から、いつもおれの側にいてくれた親友。
「そうだな」
バイクのスピードをあげる。一直線の道路だ。先にカーブがあった。
「あんな女のことなんかすぐ忘れるさ。ほら、あのカーブを曲がったら…」

 後ろからにゅっと、親友の両手がおれの身体にしがみついた。バイクが揺らぐ。カーブに入る直前、バックミラーに後ろに乗るあいつが見えた気がした。ミラーの中で、もうひとりのおれは、高笑いをしていた。大きく、引き裂かれたように開いた口で…。


  三面記事  おわり

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