第2話 METAL MICKY

文字数 2,362文字

 世の中には金より大事なものがあるなんて、真顔で言うやつがいる。そういうのを聞くと、彼はバカかと鼻で笑ってしまう。見た目の矯正だって金さえ払えばできる。より金を出せば高度な治療を受けられて、助かる命もある。
 人の心も金で動く。彼の知っているやつも、週刊誌に事件を起こした同級生の写真を売った。大人の社会でも大勢いる。高い服を着込んでスマートにすかしながら、金を騙し取る詐欺師の政治家や公費流用のたかりや恐喝まがいのネクタイ族のやつらは、単純にカッとなって殴ったとか、万引きしたとか、強盗したとかいうやつらよりも、もっとたちが悪い。きれいごといっても、世の中は金でまわっているのだ。金さえあれば、それで手に入れられるものばかりだと思っていた。
 彼の両親も給料の使い込みだの、パチンコですっただの、家のローンが払えないだの、結局は金のことばかりでいがみあっている。

 進んで行く方向の階段を、上がってくる足音がする。
「やば」
「こっち」
逆の方へと少年がキリュウを誘い、走り出した。
 少年は金で計れない価値、その言葉にわくわくした。そんなものがあるのなら、ぜひ見てみたいと思った。

 端まで来ると階段があり、さらに上へと向かう。
「ちくしょう、ここも開いてない」
キリュウは順に並んだ部屋のドアノブをがたがた揺らし、いらついた声をあげた。

「来て、開いてる部屋があるよ」
少年は先に走った。が、そのとき、先の端の階段を男が駆け上がってきた。男は鋲のついた黒い革のジャケットに身を包み、首輪、ブレス、腰のチェーンと、まさしくどれもメタリックな装いだ。少年らを見つけるや、目をらんらんさせて吠えた。こちらに向って一気に走り出す。
少年は足がもつれそうになった。

「どこだ?走れ!」
キリュウがすぐ背後で叫んだ。少年も必死で走り、向ってくるメタルミッキーにあとわずかで接触寸前に、目的の部屋のドアを開け、キリュウとともに走り込む。一気にドアを閉め、鍵をかけたのと、だんと激しくドアにぶつかる音が同時だった。
「うわっ」
なおも音は続く。

「やばいよ。おれたち殺されるぞ!」
鍵をかけているのだが、少年は必死でドアを押さえる。キリュウはというと、ゆっくり部屋を見回していた。
 その部屋はがらんとしているが、ぼろぼろのマットレスと毛布、開いた空の缶やぐしゃぐしゃに脱いだままの服、煙草の吸い殻、紙コップ、半分ほどお茶の残ったペットボトル、菓子袋、いろいろなものが床に散らばり、窓は割れてダンボールが置いてある。横の壁には絵や文字、いろんな落書きがされていた。

「どうすんだ、あいつに殺されるぞ」少年は震える声で言った。「落ち着いてる場合じゃないだろ」
 あわてて少年はダンボールを払い除け、窓の外をうかがう。何か逃げる手立てはないかと考えていた。必死で身体を伸ばせば、ひとつ下の階の窓が見えた。ガラスがある。よく映画とかで、ロープで反動をつけてガラス窓をやぶって飛び込んだりする場面があるが、実際はやれるわけないなと思う。窓が無理なら、ドアを開け、一気にやつを振り切って逃げるしかない。しかし、やつはメタルミッキーだ。金属の凶器を手にした相手がいると思うだけで、恐怖が先にたつ。

「この部屋だったのか」
「え?」
 少年が振り向くと、キリュウがゆっくりドアから離れた。鍵を閉めたはずのドアがゆるゆると開いていく向こうに、やつが、メタルミッキーが立っている。それはまるでスローモーションのように見えた。少年は声も出なかった。ドアが開ききり、男が動き出す瞬間、チェーンが音をたてた。

少年の意識は逃げろと命じるが、身体が反応するまでに時差があった。その分、ちぐはぐに身体が動き、後ろへ下がろうとして腰から引け、バランスを崩す。風がひゅうっと通り抜けるのを感じた。上体が後ろへと倒れていき、ガラスがない窓枠を押さえようとして掴みそこねた。何もない空間に背中がさらに後ろへと浮き上がっていくのと、腕を掴まれるのがほとんど同時だった。

 腕を掴んだのはメタルミッキーだった。絶体絶命だ。このままこの男が手を放し、ほんの少し押しさえすれば、少年は窓枠の外へ落ちて行くだろう。
「どこにある?」と、メタルミッキーが口を開いた。少年をにらむような目つきでじっと見ている。
「どこにもないぜ」と、声がした。
男が少年の腕をつかんだまま振り向く。キリュウが毛布を拾い上げ、隅に放り投げている。落ち着いた様子で何かを探している。

「ね、どこにあんの?」
 キリュウが少年を見た。
「ほら、黒い鞄。きみが取ったやつ」
少年は頭が真っ白になった。
「あれがないと、マジ困るんだよなあ。盗んだものはちゃんと返さなきゃダメだよ。まったく、ちょっと目を離した隙にあれを置き引きされるとは、マジやばい」

 キリュウが煙草をくわえ、顔を近づける。
「どこに隠した?」
メタルミッキーも聞く。少年は思いきり首を横に振った。
「隠してない?」
少年は思いきり首を縦に振った。
「じゃ、どこ?」
「売ったんだ!売った!金目のもんなんて入ってなかっただろ!だから適当に、中にはすごいいいものが入ってる、すごい効き目があるやつも入ってるかもしれないとかなんとか言って」
キリュウとメタルミッキーは顔を見合わせた。
「確かに効き目はあるだろうなあ」キリュウは箱から煙草をまた一本取り出した。「吸う?」と少年に差し出しながら、言葉を続ける。「誰に売った?」
少年は首を横に振った。

「誰に?」
「知らない、知らないんだ。通りがかったマヌケに売りつけたんだ。すっかり信じてたよ!あれが、あんなもんがそんなに大切なもんか?なにも入ってなかったろ?おれは金が欲しかっただけなんだ。ほら、親から小遣いなんかもらってないし、生活のためにさ」
少年は笑おうとしたが、顔が歪んだだけだった
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