第4話 流木

文字数 2,711文字

流 木

 ラジオはさっきから台風情報を流している。現在920ヘクトパスカルと今年最大で、明日の夕方の、今ぐらいの時間に上陸するらしかった。風はけっこう強いけど、でもまだ湿り気はない。ちぎれちぎれに飛んでいく雲の間で、夕焼けは下から上にぱあっと赤い絵の具をまいたようにきれいだ。連なってのろのろ動く車や早足で歩く人たち、屋上から見える街並全部が、太陽の最後の輝きの色に染まっている。

 私は太陽がだんだん沈み、暗闇に変化していく様子を眺めるのがとても好きだ。日の出が人生の始まりとしたら、日の入りはその終りって感じかな。でも、たいていの人は忙しすぎて、そんなことを思ってるような暇はないみたいだ。人も車も忙しそうに行き交っている。

まるでちっぽけな蟻の群れのよう。人間が蟻を気にしないように、宇宙もまた、このちっぽけな私たちなんて気にしてないだろう。神様なんていない。神様に作られたわけがない。人間は、地球の生き物たちは、ただ偶然生まれたにすぎないんだ。ただ、見守られてる存在がないなんて想像しただけで寂しすぎるから、存在するって思いたいだけなんだ。
私は今日は特別感傷的になってるから、そんなことをふと考える。


 そのときだ。

「いいか、ヒジリ」と、背後からコージの声がした。
 私はしばらくそのままでいた。けど、「おい」と再びコージの声が聞こえ、ようやくゆっくりと振り向いた。コージを真ん中に、ロク、サヨコ、トモエ、アイラがいる。いや、ひとりいない。
「レイジは?」
私は何だか奇妙な気分のまま、みんなを見回しながら言った。
「体育の横田といっしょなんでしょ」
トモエがそういうと、コージがまずいよって顔をし、アイラがプッと笑った。
「トモエ、ミカがとなりのクラスの野本くんとつきあってるって知ってる?」
「えっ?うそっ」サヨコの言葉に、トモエがのけぞって驚いた。

私はぼんやりしたままだ。きっとコージがこう言うだろう。『開けるぞ』。

「開けるぞ」と、コージが身構えた。きっと黒い鞄がみんなの輪の中にあるだろう。
そこには黒い鞄があった。鞄の中をのぞきこむ。そこにはごちゃごちゃと衣類など、何か旅行用のもの一式が入っていた。

次の言葉を予想して待つ。
「なにこれ」トモエは明らかに落胆した。

なんでかな。振り向くと、なぜかみんながいて、このあいだと同じ会話をしてるんだ。

「ねえ、明日の今頃、すごい台風が来るって」
 私はみんなの背中に声をかけた。
「台風?なに言ってるの」
サヨコがぶっきらぼうに言った。そしてみんなも反応がない。
ぼんやりと空を見上げると、雲はゆっくり動き、風もなく、台風の前兆らしきものはどこにもなかった。いったいなにが起きたんだろう。

「あ、ねえねえ、きのうのあのドラマ見た?」
トモエが誰ともなく聞く。コージはふてくされている。
「あー見のがした。塾から帰って、すぐお風呂入ったし」と、サヨコが言うと、アイラがプッと笑った。
私の目は友だちの一人から離れなかった。

なぜ?どうしてここにいるの?

アイラ、あなたは昨日、ここから落ちて死んだんじゃなかった?

「まあ、ネットでだいたい話の内容わかるし」
 ロクが私の頭越しに缶を放り投げた。私は飛んで行く缶を目で追った。少しの間があって、缶が転がる音をたてた。この下には駐車場がある。

 前にこれと同じ光景を見たとかこういう会話をしたとか、そう感じることってけっこう誰でもあるけど、これは違う。この情景は、確かに黒い鞄を見た7月5日そのものの、まるでDVDの巻き戻し再生みたいな繰り返しだった。

 まさかあれが夢だなんてあり得ない。アイラはレンタル店の男に「予言」されてから3日目、昨日の7月10日に死んだんだ、ここで。

 予言されたあの7月7日、サヨコは彼氏と、ロクはバンドの練習、コージやトモエも何か用があると、ビルの屋上には来なかった。いたのはアイラだけだった。

「つまんないな」
 私はやっぱり街を眺めていた。いつもの日常だ。学校からまっすぐ家に帰ることなんかできない。こうやって、ただとりとめもなく、どうでもいい感じで街にいる。変わらない、ありきたりのいつもの毎日だった。

「ヒジリ、塾は?」アイラが時計を見た。
「今日ない」
「レイジくん、本当に横田先生が好きなのかな」ふと、アイラが言った。

 アイラは私に、時々レイジのことをしゃべる。レイジが中学のとき、私のこと好きだったらしいって言ったこともある。喜ぶとでも思って言ってくれたのかもしれないけど、喜べなかった。だったらなんで私じゃなく、アイラが知ってるのかと思った。ひょっとしてアイラはレイジのこと好きで、体育の横田のおばさんとの噂にショックなのかもしれない。

「そんな噂、本気で信じてんの?」
「ヒジリが気にしてないかと思って」
「なんでよ」
それはアイラの方じゃないのと、言いそうになった。私が気にしてる人は別にいる。

 中学のとき、レイジといつもいっしょだったコーセイだ。レイジはきれいな顔でいまでこそ女の子にもてるけど、コーセイは雰囲気イケメン、その頃から大人っぽくて、男女問わずみんなに人気があった。いつもそつなく何でもやってしまうし、それでいてみんなを笑わせるとこがすごくかっこよかった。

同じ高校になったけど、コーセイはずっとクラブとかやって別のクラスだし、別の世界へ行ってしまった感じだった。レイジとコーセイは幼馴染みで、やっぱり付き合いがあったから、私はレイジと話しながらコーセイのことを思った。でもコーセイは親の転勤で引っ越して行く。いまになって私は、ずっとコーセイのことがいちばん好きだったんだと思う。

「つまんないな」
ついまた、つぶやいた。そうして、私とアイラはレンタル店に向かった。

 夕方の店内は、けっこう客がいた。
「あれ、ナオくん?」
行き交う人の間に、ちらっとナオくんを見かけたような気がした。

 ナオくんは近所に住んでいて、引っ越して来た小学4年のときからの知り合いだ。そのとき彼は中学生だったから、いまは20才くらいだ。浪人中だけど塾へ行ってる感じじゃなく、家にいるようだ。

私はテストが近いと夜中起きてて、たまにカーテンの間から真っ暗な外をのぞく。晴れてると夜でも明るい。目が慣れるといろんなものの形がちゃんと見える。でも、曇ってると本当に真っ暗だ。そんなとき、ナオくんの部屋だけついてる明りは、世の中でそこだけが照らされてるみたいに見えた。

「こちらでどうぞ」
 店員がにこやかに自動支払の機械を示した。自動でDVDでもコミックでも借りれるが、どうしてもある店員と話したくてカウンター前に並んだ。私たちこの際、手にしているコミックは二の次だ。

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