第35話

文字数 1,485文字

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 どう考えても僕は遅い球で生きていくしかない。だからフォームを工夫し、「打ちにくい球」を投げる。綿密な調査をして相手の弱点を突く。だってまともに行っても打たれるから。そして何より結果を恐れることなく、とにかく淡々と投げる。
 僕はどんなピンチになっても、たいていは落ち着いて投げる自信がある。(変な強打者から変なテレパシーが来ない限り…)だって僕には失うものが何もないから。
 僕はたくさんの回を投げる自信もある。少々防御率が悪くても、疲れないフォームだから。
 だからきっとこんな僕にだって、プロ野球での「居場所」はあるのかもしれない。それがひとまずの僕の結論。
 結局その一年目のシーズン、それから僕は二軍で先発ローテーションを守り、3勝2敗の結果を残した。防御率も3点台だった。そして来年こそは!

 シーズン終了後の納会で、一軍監督がビールとダイエットコークを持って、律儀に選手一人ひとりの元を回っていた。そして僕の所へ来て、僕のコップにダイエットコークをついでくれてから、「お疲れさん」って言ってくれたんだ。
 普段テレビでしか見ないような超有名人だし。それに僕はまだ一軍出場無しの、つまりチームでは末席のまた末席の選手。だから、それから何を言われるのか、僕がとても緊張していた。そしたら、監督は僕にこんな話をしてくれた。
「おいお前! 今年の春のキャンプでは影武者のようにこそこそと、毎日俺の後ろを走っていたな。知ってたぞ! それから、二軍で順調に育っているみたいだし、関脇に教えてもらった四股もちゃんと踏んでるみたいだし、先輩といろいろ研究もやっているようだし、ノーコンのあいつにはいい知恵を授けてくれたみたいだしな。だけどそんなことより、お前自身! 来年からはぼちぼち一軍の戦力になってもらわんと困るぞ。それと…、そうだ! 115キロくらいのドスンと落ちる系の球、開発しとけ」
 一軍監督は細い眼をさらに細くしながら、にこやかにこう話してくれたんだ。
 ええと、僕は監督に見付からないように、忍者のようにこそこそ走っていたつもりなのに、監督って後ろにも目があるんだろうか?
 それとあの関脇と監督が仲がいいって知らなかった。四股のことは関脇から飲み屋で聞いたらしいし。監督には何でもばれちゃうんだな。あの人、スパイの才能でもあるのかな?
 だけどこんな僕のことを、つまり僕の二軍での悪戦苦闘を、一軍の監督もしっかり見ていてくれたんだと思うと、僕は本当に嬉しかった。うるうるしそうだった。そしてこの監督の下で心底頑張ろうという気になった。
 それと僕、いつあの先輩の投手に知恵を授けたっけ? いっしょにご飯食べただけだよね。
 それと115キロくらいの落ちる球かぁ。
 早速開発するぞ!

 それからあの先輩の投手はしっかりと復活し、ローテーションの3番目くらいになり、その年5勝を挙げた。やや荒れ気味の剛速球と鋭いフォークが持ち味。
 あの人に精密なコントロールなんて、しばらくは必要ないと思うけど。
 そんな先輩はいつも「君のおかげだ」と感謝してくれていたけれど、僕はいつも「先輩のオリジナルの姿に戻っただけですよ♪」って返していた。
 こうして僕は、一年先輩の相棒のキャッチャーや、ブルペン捕手の鬼瓦さんや、ベテラン三塁手の人や、復活した先輩の投手や、あの関脇や、それから監督やコーチや、ほかにもいろんな人たちにめちゃくちゃ支えられ、仲の良い仲間もそれから何人も出来て、だから僕はその年、とても楽しく過ごせたし、成長することもできた。素晴らしい一年だったと思う。
 そしてシーズンオフへ…
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