第43話

文字数 1,417文字

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 僕が一人前のプロの投手になって、それから夢のような時が、あっという間に過ぎていった。
 コントロールを乱していたあの先輩の投手は、その後精密なコントロールを身につけてエース格になった。
 で、僕は中堅どころかな。
 そして僕は、あの甲子園準優勝投手とのリベンジもはたせたし、あの右の強打者とはずっと良いライバルになった。永遠のライバルかな。でも途中でメジャーへ行っちゃったけど。
 そしてあの秘密兵器の移動式ネットはそれからもずっと愛用し、コントロールは年々少しずつ良くはなったけれど、残念ながら「精密機械」というレベルには、最後まで到達出来なかった。
 だけどチェンジアップとフォークは数年後には一応実用化し、困ったときに目先を変えるために、時々投げてはいた。
 それにしてもスピードといいコントロールといい、神様から授かったものって、限界があるんだなと思った。でも与えられたもので何とかやりくりしろって、神様が言ってくれているんだろうなって、僕はいつも思っていた。
 それは日々の努力と、投球術とかでね。
 それでも数年後には優勝も経験出来たし、あの監督の胴上げも実現できた。
 目を細めながら宙を舞うあの人の姿は一生忘れられないな。
 だから僕の野球人生、言うことなし!


 考えてみると僕は、球速にあまりこだわらず、130キロ前後という神様から与えられた球速で生きていこうとした。
 それゆえに体に負担が少なく、しかも上半身を水にして作った楽なフォームだからさらに負担が少なく、だから練習でも莫大な球数を投げることが出来た。
 そしてたくさん練習できたから上手になれたともいえる。
 初めてプロのキャンプですさまじい球を投げる投手たちを見て、僕は遅い球で生きていこうと誓った。上半身を鍛えて、上半身の力で速い球を投げるという道を選ばなかった。
 だからこそ僕は長い年月、ほぼ故障知らずで投げることができた。そしてそこそこ失点しても、試合を壊すことはあまりなかった。バックもよく守ってくれたし、だからたいていの試合は3失点か、せいぜい4失点くらいで完投できていたんだ。だから勝ったり負けたりしながらも、少しずつ勝ち星を重ねた。


 僕は先輩捕手と十代バッテリーで一軍デビューし、すぐに二十代になりやがて三十代になり、その間、数えきれないほどの試合でバッテリーを組み、たくさんの思い出ができ、だけどそれから15年後、とうとうどうしようもなく球が遅くなった僕は、通算100勝99敗で引退した。
 先輩も「キャノンが劣化したから」とか言って僕と同時に引退し、鬼瓦さんみたいなブルペン捕手になった。そして先輩は、僕みたいな投手を育てるんだって張り切っていた。
 考えてみると、僕は鬼瓦さんにもずいぶん育ててもらったし。
 そして僕らは完全燃焼できたから、全く悔いはなかった!

 引退後、僕は医療系の大学へ行き、理学療法士とスポーツトレーナーの資格を取り、あの病院で主に故障したスポーツ選手のために働きながら、軟式野球部では115キロのまっすぐと70キロのカーブを駆使し、主に敗戦処理を担当している。

 背番号の99は僕が99回負けてもプロで使ってもらえた感謝の気持ち。
 それから僕は200勝出来なかったので、その代りに100勝の記念のボールを先輩の家に一カ月安置し、テレビ代は半分支払うということで無事、話が付いた。
 その年代物のテレビは、僕の家でいまだにまともに映っている。
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