第12話

文字数 2,876文字

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 ところで、僕が投げたボールが勝手にスライドしたりシュートしたり落ちたりするのはどうしてだろう? これはボールが化けて、結果として打たれにくいというメリットと同時に、ボールがばらついて、コントロールを悪くする原因とも言える。
 それで僕はいろいろ考えたけれど、やはりボールをリリースする瞬間に指、というか、手のひらがまっすぐにキャッチャーの方を向いていないからではないかと考えた。
 だけど「水」の上半身だと、残念ながらリリースの瞬間の手のひらの向きまでは、なかなか操れない。というか、僕にはそこまで「介入」できないんだ。だって「水」だから。
 困ったもんだ。
 困ったもんだなと思っていたら、本当にさらに困ったことになってしまったんだ。

 それは二年生になったばかりの、あるうららかな春のこと。
 コントロールと持久力のために、河川敷の堤防の道をせっせと走っていたときだ。(優雅に景色を楽しみながら)
 その日はうららかによく晴れていて、気持ち良くて、それで少し足を延ばして走っているうちに夕方近くになり、そして西の空には、きれいな夕焼け雲が出ていた。
(お!きれいな夕焼け雲♪)なんて、そのとき僕が優雅に見とれていたら、変なでこぼこに足を取られ、思い切りつんのめり、そして僕は豪快にこけてしまったんだ。
 実はその夕焼け雲に気付く直前、僕が前から考えていた(やはりボールをリリースする瞬間に指、というか、手のひらがまっすぐにキャッチャーの方を向いていないからではないか…)なんてごちゃごちゃ考えながら、いらんこと手を前に差し出して、ひらひらさせながら走っていたのがいけなかった。
 何と、こけたときに思わず右手のひらを思い切り地面に突いてしまったんだ。
 そのときは右手首を捻挫したかなくらいに、軽く考えていた。でも投げた時の痛みがなかなか引かず、数日後病院へ行き、レントゲンとかMRIとかの検査を受けたら、何と手首の骨に小さな亀裂が入っていることが判明したのだ!
 それで1カ月間ギプス固定。その間は投球禁止。ギプス固定中も手首が硬くならないようにと、病院の理学療法士の人にいろいろと指導を受け、指を握るとか開くとか、とにかくいろんな柔軟運動を習い、自宅でも出来たので毎日せっせとやった。
 1カ月後無事ギプスが取れてからも、定期的に病院に通いながら、今度は手首を曲げたり伸ばしたりとか、手首の周囲の筋肉の強化とか、とにかくいろいろ指導を受けながら、そんなのを自宅でも毎日続けた。
 ちなみにその理学療法士の人は社会人で野球をやっていて、引退後理学療法士の資格を取り、その病院で働いているらしかった。だから野球のことにすごく詳しくて、それから、
「うちの病院には軟式野球部があってね。知る人ぞ知る名門チームなんだぞ。全国大会で何度も優勝したこともあるんだ。だから君も卒業したら理学療法士にでもなって、うちで投げたらいい」なんて、お誘いを受けた。
 すごく嬉しかった。そしてそんな道もあるんだなと思った。

 それから少しして、ギプスも取れたし、それで少しずつ近距離からキャッチボールを始めたけれど、やっぱりボールをリリースするときに手首にピリッとくる。
 それでまた病院でMRIとかで調べてもらったけれど、骨はきれいに治っているそうで、地道にリハビリを続ければよかろうということになった。
 それと、痛みが出るような動作はしてはだめだとも言われた。逆に言うと、骨は治っているのだから、痛みが出ない動作ならやってもいいとも。
 それで、定期的に病院に通いながらリハビリも続け、少しずつ短い距離からのキャッチボールを始めたけれど、ボールをリリースするときに、手首にピリッとくるのは相変わらずだった。
 ところがある日、不思議なことに気づいた。
 手を洗っていたとき、そのときは手首にいろんな方向から力が加わるのだけど、手のひらを押さえるようにするとピリッっとくるのに、小指側から押すと何ともない。
 なんというか、空手で瓦を割るような感じで、洗面台の淵を軽くぽんぽんと叩いてみても、少しも痛くないんだ。だけど手のひらから叩くと、投げるときと同じようにぴりっとくる。
 それでその日、僕にある素晴らしい考えが浮かんだ。
 コップを持つような持ち方でボールを持ってみた。だけどボールは丸いので、自然と中指と親指でボールのやや下側を包むような握りになり、人差し指は軽く添えるような感じになった。


 そしてその持ち方がとてもしっくりしていい感じで、ボールも安定したので、ともかくそんなふうにボールを握り、試しに投げてみることにしたんだ。
 その投げるイメージは、紙飛行機を飛ばすみたいな、あるいは空手チョップみたいな感じかな。空手チョップで洗面台をぽんぽんしたら痛くなかったのだから、こうやって投げたら痛くないかも知れない。
 そう思い、ともかくそうやってグラウンドでボールをネットに投げてみたら、本当にピリッとこなかったんだ。
 やった!
 とりあえず僕は思う存分に投げられるようになった!
 骨は治っているのだから、痛みが出ない動作ならやってもいいとも言われたし♪
 ともかくどんなかたちであれ投げられさえすれば、さび付きそうになっていた肩にも、少しずつ油が回っていくような感じがして、実際に肩は少しずつ柔らかくなり、キャッチボールの距離も日を追うごとに長くなっていった。
 ところで前にも言ったように、僕の上半身は「水」だから、勝手に、受動的に動いている。だけど紙飛行機みたいに投げるということは、多少は上半身、とりわけ手首を操らなければいけない。だからこの投げ方は、「水」である上半身にも、ある程度「覚えて」もらわないといけない。
 それを覚えさせるために、またイメージを作るために、僕は新聞のチラシでいろんな紙飛行機を作り、せっせとそれを投げてみた。結構面白かったし。
 とにかくこういう投げ方は、手首の向きが通常のストレートとは90度違っている。ストレートは手のひらをまっすぐキャッチャーの方へ向けるけれど、紙飛行機投げは小指側が先になって進む。
 それで、キャッチボールをやるときは、正しく小指側から手を進めないとピリッとくる。なんというか、これは僕にとって「投げ方間違ってるよ!」というアラームみたいなものだった。
 それで、そのアラームが鳴らないように気を付けながら、僕はせっせと投げ続けたんだ。そしてついに僕の「水」の上半身も、そのアラームの鳴らない投げ方を覚えてくれたみたいだった。
 そしてある日。キャッチボールでアラームが鳴らないように投げていると、相手をしてくれていた先輩のキャッチャーが突然、こう言った。
「おまえ、いいカーブ投げとるな!」
 そうだったのだ!
 手首を骨折して痛くないように、つまり紙飛行機のようにボールを投げ続けて、そうして僕はその副産物として、カーブの投げ方を手に入れたんだ!
 河川敷の堤防の道でこけたおかげだ。
 僕はあの道のでこぼこと、そしてきれいな夕焼け雲に感謝しなければいけない。
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