第41話

文字数 3,064文字

41
 各コーナーに正確に投げ分ける!
 先輩の有り難いお言葉に速攻で立ち直った僕は、この神業のような目標を達成すべく、早速行動を開始した。
 僕が参考にしたのは高校の頃、放牧されていたときにプロ野球のキャンプで見た、とある投手の練習法。
 それでよく話す球団の用具係の人との共同作業で、とある秘密兵器を開発したんだ。

 それは2メートル四方くらいの移動出来るネットにある細工をするんだ。どういう細工かというと、もちろんネットに四角いストライクゾーンを示す白いテープを貼り、両サイドにちょうどボールが通り抜けるくらいのスリット状の穴をあける。
 そしてその穴の向こう側には袋状のネットを付けておく。そうするとそのスリットを通り抜けたボールは袋状のネットの中にたまっていく。
 その特製のネットは、バッティング投手が使う移動式のかごと一緒に、室内練習場の片隅に置いておき、僕は時間を見付けては、そして一か所でもブルペンが空いていたら、マウンドにかごいっぱいのボールを用意し、ホームベースのところにはその特製のネットを置き、かごの中のボールが全て内外角のスリットを通り抜け、ネットの袋に収まるまで、僕は何かに取りつかれたように、そして一軍初登板の悔しい気持ちをぶつけるように、延々と投げ続けたんだ。
 つまりスリットの中に入らなければ、ボールはネットに当たって跳ね返って来るから、最初のうちは、ボールひとカゴを全てスリット内に収めるには相当の球数(200球くらい?)を投げる必要があった。
 それで、向かって右側のスリット、つまり右打者のインコースにはシュートで、左側、つまりアウトコースはスライダーで狙うことにしていた。それもなるべく低い位置に。とにかく両サイド低めは、ピッチングの基本中の基本だし。しかもストライクゾーンから外れていく球がいい。
 そして左右のスリットの高い部分を、ストレートで狙った。ストレートは伸びるので、ボールは自然と高くなるということもあるし。
 左右各打者のインハイは、打者をのけ反らせる目的もある。しかもデッドボールにしてはいけない。そして胸元をえぐるこの球は、後で投げる外角へ逃げる球のための布石になる、とても大切な球。
 ところでボールの高低は、踏み出した足の膝の曲がり具合でも、微妙に調整が出来る。これはずっと前に言っていた「ピッチングフォームという名の映写機」の上下を調節するというイメージ。
 だからボールの高低の調整は、球種と左ひざの曲げ具合を併用する感じになる。
 とにかくそういうわけで、右打者で言うなら、内角高めのストレート、外角低めのスライダー、そして内角膝元のシュートが基本になる。それにスローカーブとおばけを織り交ぜるのを、当面の僕の投球スタイルにしようと思ったわけ。
 つまり基本的にはストライクゾーンから逃げていく球。これはいろんな投手が言っているけれど、ピッチングの基本なんだ。
 というのは「入って来る球は打たれる」というセオリーがあるし。シュート回転したボールが外角から真ん中に入るとか、肩口からのカーブとかがその典型。
 ともかくそれで、二軍に落とされて以来、僕は時間を見付けてはせっせせっせと、この特製のネットを相手に、夜間でも、はたまたベッドの中で発作的に思い立てば真夜中でも、ボールを投げたんだ。
 夜中に家で休んでいるブルペン捕手の人を、電話で叩き起こして呼ぶ訳にもいかないからね。だからこのネットは必需品だった。例え夜中の3時だって、ネットは「眠い」とか文句を言わないし。
 だけど考えてみると、僕は子供のころはあのテニスコートで、そしてこのときは室内練習場で、一人で似たようなことをやっているんだなと思い、何だかそれがとても不思議でもありおかしくもあった。
 それからずっと以前より、僕は「正しい位置にステップする」ように心がけていた。だけどブルペン捕手の鬼瓦さんの勧めで、インコース、アウトコースを狙い始めてからは、その「正しい位置」が内外角で微妙に異なっていた。
 それは2、3センチほど。だけどすごく勘のいいバッターだと、投げる瞬間に踏み出した足の位置を見られてしまい、そうすると僕がインコース、アウトコースのどちらを狙っているかを見破られてしまうみたいだった。
 本当にプロ野球の世界って、生き馬の目を抜くみたいな、足の引っ張り合いみたいな、あきれるほどすさまじい世界なんだ。
 だから僕は踏み出す左足に位置を「ど真ん中」に統一することにした。だけどそうすると、いくつかの上半身の「水」を用意しなければいけないことになる。つまり、インコース用の水とか、アウトコース用の水とか、スローカーブ用の水とか、おばけ用の水とか。
 たくさん水があるな。頭の中水浸し! 困ったな…
 でもそう思っていろいろ考え、いろんな情報を集め、そしてある日僕は、「右の大腿骨頭で狙う」という考えにたどりついたんだ。
 ステップして、左足が接地して、腰が回転して…
 でも考えてみると、そのとき「腰をどのくらい回転させるか」という自由度があるじゃないか!
 つまりほんのわずかの差だけど、腰の回転角を変えるんだ。それは何と言うか、右の大腿骨頭を目標に向かって「押しつける」みたいな感じ。だから結果として、右打者の内角ならやや少なめ。外角ならやや多めに腰が回転する。
 しかもそれは上半身が水になるまさに直前のことだから、ぎりぎりで僕がどうこう出来ることなんだ。
 シンプルに一言で言うと、要するに右の大腿骨頭で「狙う」ってこと。
 とにかくこうやって僕は、右打者の場合で言えば内角高めのまっすぐ、外角低めのスライダー、内角低めのシュートの練習を、暇を見つけては特製のネットで徹底的にやり、いつしか用具係の人が用意してくれたネットはぼろぼろになり、作り直し、またぼろぼろになり、そしてすでに5代目になったころから、結構アバウトながら4つのコーナーに、少しずつではあるけれど、ともかく投げられ始めたんだ。
 この間、僕はいったい何球投げたのやら、全く想像もつかない。
 コントロールには無責任に…
 僕はそういうポリシーでずっとやってきたけれど、とにかく一軍で生きていくための新しいステップとして、さらに高い技術を目指したというわけ。だってそうしないと、絶対にやっていけないもん!

 そしてさらに欲を出して、高めにシュート、スライダーを投げる練習もした。もちろんストライクからボールになるように、だからボールはスリットの外側へ行く。しかも打者にぶつけないぎりぎりのところへ。
 ところで、例えば右バッターに、こんな高めのストライクからボールになるシュートをどう使うかというと、それははっきり言って「威嚇」のためなんだ。
 これはいわゆる「ひげそりシュート」とも呼ばれ、最初の方で一球でも投げておけば、その後の外角勝負が楽になる。つまり外角にヤマを張られ、踏み込ませないため。
 僕の球は遅いとはいえ、硬球だから当たれば十分に痛いし、怪我をするかもしれない。だけど遅いから逃げる時間は十分にある。僕が150キロとか投げるんだったら遠慮したいところだけど、僕のシュートって120キロそこそこだから…まあ許して♬
 それから、二軍の試合でこれを投げても、たいていはよけてもらえたし。
 ともかく僕は生まれてこのかた、「球が遅い」ということがこんなに有り難いと思ったことは、他に一度もない。
(神様、僕に遅い球をお与え賜わったことを、心より感謝いたします)えへへ。
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