第1話

文字数 2,272文字


 それは僕が高校一年の夏。僕らが本当に奇跡的に出場できた甲子園だった。野球って本当に奇跡とか番狂わせってあるからね。だけどせっかくそうやって僕らが出場でき、そしてその最初の試合なのに、そこで信じられないような大事件が起こったんだ。
 いつもだったらとてもコントロールの良い僕らのエースや、先輩や同級生の投手たちが、どういうわけか、全くストライクが入らなくなっていたんだ。彼らの様子はいつもとは全然違っていて、もう力んで力んで、抜けた球や引っ掛かったクソボールばかり。
 僕にはとても信じられなかった。学校のブルペンとか、県内の学校との試合なんかでは、すごく速い球をとてもコントロール良く投げていた彼らなのに。
 やっぱり甲子園には何やらとても恐ろしい「魔物」のようなものが住んでいて、それが彼らに容赦なく襲いかかっているのだろうか…
 僕にはそうとしか思えなかった。
 僕らのチームは抽選で一回戦は不戦勝になり、二回戦からの出場だった。だけどよりによってその二回戦の対戦相手は、優勝候補の筆頭とも言われるほどの強豪校だった。そしてその強豪校の一回戦の様子を、僕らはスタンドで観戦した。
 それはそれはとてつもない破壊力の打線だった。だけどその対戦相手のエースだって、僕らが投球練習を見る限りでは、「凄い!」というレベルの投手だった。だけどいざ試合が始まると、そのエースは容赦なく「ぼこぼこ」に打たれてしまったんだ。
「もしかして俺、あんなものすごい打線と対戦しなきゃいけないのか?」
 スタンドで観戦しながら、僕らのエースは青ざめ、そしてがたがたと震え始めていた。あんなの見なきゃよかったなって、みんなも言っていたし。

 そしていよいよ僕らの試合の日がやってきた。
 試合が始まり、それからその強豪校の一番打者が、のそりと打席に立った。だけどそのとき、僕らのエースは、僕がベンチから見ても分かるくらい、顔が真っ青だった。そして、まるで初戦の様子をスタンドから見ていたときのように、がたがたと震え始めていたんだ。
 それにキャッチャーから受け取ったボールをマウンドにぽとりと落としてみたり、とにかくもう、全然普通じゃなかった。
 晴れの甲子園のマウンド。しかも初出場だと、こんなにもプレッシャーがかかるのかなって、僕は思った。そして僕は、エースのことがとても心配になった。
 そして案の定、いつもあんなに上手に投げていた僕らのエースなのに、いざ投球を始めると、なぜか全くストライクが入らなかった。バックネットへ直接当ててみたり、そうかと思えばホームベースはるか手前に、叩きつけるようなワンバウンドを投げてみたり。
 それに何だか、ピッチングフォームもロボットみたいでめちゃくちゃぎこちない。
 そうかと思えば、奇跡的に結構まともに投げた球だって、審判に厳しく「ボール」とか言われたり。審判の印象も最悪だったんだろうね。
 とにかくそういう具合で「ボール」「ボール」の連続で、連続フォアボールの押し出し押し出し…
 そうすると相手チームの打者たちも、全く打つ気がなくなったみたいで、バッターボックスの一番後ろで、にやにやしながら突っ立っていた。だけど、それでも全くストライクが入なかった。
 それから味方の野手たちがマウンドへ集まって、肩をゆさゆさしてみせたり、背中やお尻をぽんぽん叩いてあげたりして、いろいろ言葉をかけたりして、何とかエースをリラックスさせようとした。
 だけど、それでも全く効果はなくて、相変わらずがたがたと震え続け、そして再び投げ始めれば暴投の連続で、だからやはり押し出し押し出し。
 そして4点目を取られたところで、つまり28球連続して「ボール」を投げたところで、とうとう監督はエースを交代させた。彼はベンチに戻るとグラブを叩きつけて悔しがり、頭からタオルを被り、そして肩を震わせながら、誰はばかることなく泣いた。
 だけどそのあと先輩や同級生の、控えの投手が次々に投げたけれど、どういう訳か出る投手出る投手、みんなストライクが入らなかった。
 エースの様子が伝染したみたいに、みんながたがたと震え始め、すっぽ抜けたり叩きつけたり。彼らもクソボール連発。
 やっぱり甲子園の「魔物」のせい? 
 そしてとうとう7点目。
 いよいよ投げる投手がいなくなり、それで監督はショートに投げさせた。だけどやっぱり、全くストライクが入らなかった。他の野手もそう。ある野手はストライク欲しさに「ふわり」と投げてみたけれど、かえって暴投になるだけだった。
 一体全体、どうしたっていうんだ?

 ところで、このチームで僕は一応「投手」だった。っていうか、少なくとも自分は「投手」だと、勝手に思っていた。ずっとそう信じていた。
 見事なほどのノーコンだったけれど…
 だから監督はその試合でも、いつまでたっても、ノーコンの僕には投げさせようとはしなかった。僕以外の選手を次々とマウンドへと送ったんだ。よりによって、野手まで…
 そしてまた押し出し。とうとう10点目。
 そしてそのとき、初めて監督が僕のところへ来た。
 監督は顔面蒼白だった。
 初めての甲子園。
 地元の期待を一身に背負い、僕らはここまでやって来た。
 スタンドにはバスを連ね、夜を徹してここまで走って来た在校生、卒業生、そして地元の人たち。
 そして彼らは、それでも精一杯、僕らに声援を送ってくれていた。
 だけどその声援が僕らを、そして監督を押しつぶそうとしていた。
 だから監督は顔面蒼白だったんだ。
 そして監督は言った。
「おまえ…、投げろ!」
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