第23話

文字数 2,746文字

23
 その日、初めてのブルペンへ行くと、ずらりと並んだプロの投手たちがミットに突き刺さるような、すさまじい球を投げていた。
 高校生とは段違いの大男が、腕を振ると「ブン!」と音を立て、ボールは「ゴー!」とうなりを上げ、そして鼓膜が破れそうなミットの音。
(ああ、僕は絶対に無理!)
 予定どおり、僕は豪快に叩きのめされた。だけど僕は意外に冷静で、そしてさばさばとしていた。
 そもそもスピードが違いすぎるし、何と言うか、飛んでいるボールのエネルギーが違いすぎるんだ。
 自分の球とくらべると、余りの違いにあきれ果て、そして僕は思った。
 あんな球を投げるためには、僕なら必死こいて百年はかかるだろう。だから僕は、ここでは開き直って、「遅い球」で生きていく以外に方法は…
 とりあえずそれが答えかな。だって他に答えがない。
 あまりの実力差に、かえって清々しい気分だったんだ。
 だけどそれはいい!

 僕が衝撃を受けたのは、実はそのことだけじゃなかった。
 その日、とある先輩の投手が喘いでいたんだ。
 といっても、きつそうにふうふう言いながら投げていたわけじゃない。
 それはもう、でたらめな「ノーコン」だったんだ。
 彼は2年前、ドラフト上位入団の投手。
 ところがそのときは、投げると豪快にすっぽ抜け、そうかと思えば引っかけて左バッターボックスのはるか手前でバウンドしたり。
 見ているとフォームもぎこちない。何だか僕は、あの初めての甲子園での、高校の先輩たちの投球を思い出した。
 そうだ。あれとそっくりだ。体も腕も、がちんがちん。
 それで受けていたブルペン捕手の人が、肩をゆさゆさしてみせたり、柔らかく腕を振ってみせたり、とにかくいろんな仕草で、何とか彼をリラックスさせようとしてはいたけれど、全く効果はなかった。
 やがてその先輩の投手は、「すみません。やっぱり今日はダメですわ」と、とても悔しそうに言って、それからピッチングをやめてしまった。

 それでマウンドが空き、僕はトンボで丁寧にそのマウンドをならし、僕の狭めのステップ位置付近をスパイクでしっかりと踏み固め、それからマウンドより2メートルくらい前から、投球するときよりもさらに狭いステップ幅で、つまり立ち投げを20球くらいやるつもりだった。
 実は僕は、内野手みたいなスナップスローが出来ない。置きに行くように軽く投げることが出来ないんだ。きちんと腕を振らないと、ボールはどこへいくか分からないから。
 そしてきちんと腕を振るためには、事前にある程度肩を慣らしておく必要があるので、ブルペンに入る前にもう一度、肩のストレッチをしたり、腕をぐるぐる回したりしておいた。
 そしてその近めの距離から、初めて相手をするブルペン捕手の人に「よろしくお願いします!」と、元気に言ってから、キャッチボールを始めようとしたのだけど、そのとき僕に、ある嫌なイメージがわいてしまったんだ。
 もちろんそれは、あの、初めての甲子園でのこと。よりによってその直前に、先輩の投手が暴投ばかりしていたから、その記憶がよみがえってしまったんだ。しかもご丁寧なことに、テニスコートでめちゃくちゃに投げていた頃の自分の姿をも、同時に思い出してしまった。
 そしてこのブルペンで投げるのも初めてだったし、捕ってくれるのも初めての人だし、だから僕に変な投げ方、つまりあのテニスコートで投げていた頃のような、めちゃくちゃな投げ方がフラッシュバックするのではないかと思い、とても不安になり、何にしてもそれだけは避けたかったんだ。
 それでとりあえず僕は、おまじないのように、「暴投しなきゃ」って思うことにした。ドラフト指名のあいさつに来たスカウトの人が言っていたような、あの、「イップスの上の逆イップス」を起こすために…

 それで僕は「暴投しなきゃ」って思いながら、立ち投げの第一球、わざと思い切り豪快に腕を振り、暴投してみた。
 するとブルペン捕手の人は飛び上がって何とかミットの網で捕球し、「おいおいお前もかよ」と言ったので、僕は「すみません」と、素直に謝ってから、また「暴投しなきゃ」って何度も自分に言い聞かせながら、立ち投げで投げた球は10球ほど暴れまくった。
 だけど「暴投しなきゃ」と思えば思うほど、思惑通りというか、不思議とボールは徐々に落ち着いてきて、最後の5球くらいはきちんと投げられたので、それからマウンドまで下がり、そして高校の先輩のキャッチャーのことを思い出しながら、自分を高校時代と全く同じ気持ちにリセットし、それからずっとやっていたように、ゆったりとしたフォームから、上半身を「水」にして、いつもどおりに投げ込んだ。
 そしてその間、暴投を繰り返していた先輩の投手は、食い入るように僕の投球を見つめていた。自分は暴投しまくって、そして僕も最初は暴投しまくって、だけど僕の投球はだんだんと安定していって…
 投げるのをやめたその先輩の投手は、最初はさっさとブルペンを出ようとしていた。
 こんな場所からは、一刻も早く逃げ出したい気分だっただろう。
 だけど僕の一球目の「暴投」を見て、彼は足を止め、そして僕を見つめたんだ。
 実は僕は、ある意味そのことを狙ってわざと暴投した、という部分もあった。暴投を繰り返すその先輩の投手に、新人の僕だからおこがましい話だけど、とにかく何かを伝えたかったんだ。
 つまり、「暴投しなきゃ」って思えば、案外暴投しないよって。
 それが彼に以心伝心できたか、僕には分からないけれど… 

 その日、僕は延々と、もうブルペン捕手の人に「いい加減にせえ」と言われるまで、200球ほど、しっかりと投げ込んだ。
 セットポジションからゆっくりと左足を上げ、安定し、それから左足を事務的に踏み出し、しかるべき位置に接地してからさっと腰をひねり、「水」の上半身が勝手に動き、勝手に腕が…
 このいつもどおりの一連の動作を確認するために、僕は納得するまで球数を投げ込んだ。僕はゆったりとしたフォームで楽に投げる省エネ投法。だからこんな球数を投げても全然平気だ。
 それでその日、(ここでは開き直って、「遅い球」で生きていく以外に方法は…)そう開き直った僕は、さばさばとした清々しい気分で、飄々と、周囲の剛球を投げ続ける化け物たちに何はばかることなく、場違いな程の「遅い球」を、恥ずかしげもなく淡々と投げ続けることが出来た。

 その日の夕方、ホテルの食堂で夕食を食べていると、突然、ブルペンで暴投を繰り返していた、あの先輩の投手が、僕のテーブルの前にお盆ごとカタンと食事を置き、にこりとしてから「ここ、座っていい?」と訊くので、僕が「いいですよ♪」と言うと、彼は椅子に座り、そしてこんな話を始めたんだ。
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