第33話

文字数 2,500文字

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 その夜、ピッチングフォームが迷子になり、コントロールを乱していたあの先輩の投手が、久しぶりに一軍の試合に先発した。数日前のブルペンではすごい快速球を投げていたし、きっといい結果が出るだろうと、僕はとても期待しながら、寮の自分の部屋で固唾を飲んで、みかん箱の上のテレビで観戦した。
 実はその日、一軍は思い切りローテーションの谷間だったらしく、二軍のピッチングコーチのご推薦で、一軍のコーチも「お試しに」と、彼を先発させたみたいだった。
 そして試合は一回の表。だけど最初から先輩の様子が思い切りおかしかった。何だかばりばり不安そうな顔をしていたんだ。やっぱりこのドーム球場に何かのトラウマがあったのかな?
 先輩は期待に反し、全くコントロールが付かず、12球連続ボールで、あっという間にノーアウト満塁となってしまったんだ。
 みかん箱の上のテレビには、顔面蒼白の先輩の顔が映っていた。それは僕らの初めての甲子園での、僕らのエースと全く同じ表情だった。そしてそれは同時に、始めてプロのブルペンで、僕があの先輩を見たときと全く同じ症状だった。抜けたり引っかかったりクソボールばっか…
 きっとノーコンが再発したのだろうなと、僕は思った。一軍のマウンドという特殊な場所が、先輩にいやなイメージをもたせているのかな? コントロール良く投げなきゃ一軍では通用しないっていう、前にいたピッチングコーチの言葉でも思い出したのかな?
 僕はとても心配だった。
 それから一軍のキャッチャーが先輩の元へ歩み寄り、いろいろ話しかけたり、肩をゆさゆさして見せたり、柔らかく腕を振る動作をして見せたりしていた。そして先輩は顔面蒼白のまま、何度もうなずいた。
 うなずいてはいたけれど、先輩にはキャッチャーの言葉も、リラックスさせようとするその動作も、全く頭に入っていないような感じだった。
 すごく嫌な感じ。
 僕は悪い予感ばかりしていた。 
 そしてキャッチャーがホームへ戻り、それは次の打者への一球目だった。
 案の定、思い切りすっぽ抜けた。そしてボールは直接バックネットへ。
 もちろん三塁ランナーはホームを目指した。

 だけどボールはネットの下の硬い部分へ当たり、結構な勢いで跳ね返ってきた。
 そして跳ね返ったボールは、ころころといいあんばいに、絶妙にキャッチャーのところへと戻ってきて、キャッチャーはそれを拾い、振り向きざま素早くランナーにタッチした。
 アウト!
 何だか僕が初めての甲子園で取った、最初のアウトをリプレーするような、それはもうデジャブのような光景だった。
 そしてもちろん僕はあの先輩に、僕の甲子園での、そのときの様子をあらいざらい話していたし、先輩自身もその試合の様子をテレビで観ていたらしいし、つまり僕の甲子園での初球が、バックネットに当たって跳ね返り、偶然アウトが取れたんだということも、ばっちり知っていたから、だから彼の目の前で起こったその出来事で、僕が語った甲子園でのシーンを、彼に思い出さないわけがない。
 それからテレビでは、一軍のキャッチャーが笑いながら指を一本立ててワンアウトとアピールし、そして先輩に歩み寄り、尻をぽんぽんと叩き、それから肩をゆさゆさと揺らし、腕を柔らかく振って見せ、リラックスリラックスとアピールしている様子が映っていた。
 そして画面では、吹っ切れたような、そしていつもどおりの先輩の笑顔が見えた。
 先輩は僕が話していた「暴投しなきゃ!」も思い出してくれたんじゃ?
 それを見て僕はとても安心した。
 (暴投しなきゃって思ったら、案外暴投しませんよ♪)
 だけど念のため僕は、先輩にこうテレパシーを送った。
 それで試合はワンアウト2、3塁となったのだけど、それから先輩は、それまでとはうって変わって、あのときブルペンで見せてくれた、鋭い突き刺さるような球をびゅんびゅん投げ始めたんだ。上半身はカンペキに水になっていたし。だからコントロールは結構アバウトだったけどね。つまり適度に荒れる剛速球投手爆誕!
 そして僕は手に汗を握り、「そうだそうだ。その球だ!」とか言いながら、みかんをほうばりながら、必死で先輩を応援した。
 その試合、先輩は6回を投げ、誰かさんみたいに結構フォアボールも出したけれど、十分に「試合を作る」ことができた。負け投手にはなったけどね。

 野球中継を見終わって少しして、またDVDで研究でもしようかなとか思っていたら、突然寮の僕の部屋に誰かがやって来た。
 それでドアを開けたら、何と、あのベテラン三塁手の人だった。それで、何を言いに来たのかなと思ったら、ドアのところでこんな話になった。(かなりお酒も入っていたみたい)
「今夜はあいつ、途中から突然ええ球放りよったな。甲子園のお前を思い出したわ」
「そうですね! え? で、僕の甲子園のこと、知ってたんですか?」
「知っとるわい! あたりまえやろ! 地元や! それはいい! で! いいか! 俺が言いたいちゅうのんは、お前のようなピッチャーは、俺たちにとっちゃ一番厄介ちゅうこっちゃ。遅い球放りよる思て油断したらぴゅっと来るわ、手元でえらい伸びよるわ。せやけどな。一番厄介なんは、お前のコントロールがごっつ悪いちゅうこっちゃ。あんな仰山逆球放られたら、俺らヤマの張りようがあらへん! しかも俺が教えたように、テイクバックで腕隠しよったから、ますます打ちにくうなりよったやんか。ほんまよかったやんか! せやからまぁ、コントロールはそない気にせえへんと、太っ腹でど~~んと放ればいいんやないか? まあ俺やったら、お前とはあんまり対戦しとないな。せやからあんまり心配せんと、自分に自信をもって、今度の試合はお前らしく、普通にど~~んと放れや!」
「は…、はい!」
「ほたらがんばりや!」
「がんばります!」
 それからその人は「研究の邪魔したな」とか言ってから他の部屋へと向かい、若手を数人捕まえて、飲みに連れ出したようだった。

 僕のこれまでの人生で、この時ほど勇気付けられたことは、他に一度もない。
 そしていよいよ僕の二軍の試合の日がやって来た。
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