第5悔 風前のエリク

文字数 2,429文字


 遂にその日がやって来た。

 地球暦1121年5月18日――


 エンリケ後悔皇子の『大後悔宣言』後、初めての“後悔”が行われる記念すべきこの日、リゴッド皇国の皇都ルームは朝からまるで“後悔の神”のご加護でもあったかのような雲ひとつ無い晴天に恵まれた。

 そして、『初後悔』の場所となるルーム神殿は朝早くから大勢の人で賑わいを見せていた。
 “後悔の神”では無いが、太古からリゴッドの守り神として太陽神が(まつ)られているこの神殿は総ヒノキ造り。
 皇都ルームから西におよそ一〇〇キロメートルのところにある霊峰(れいほう)トゥシェ、通称『蒼海山(そうかいざん)』の(ふもと)から切り出されるヒノキの中でも、特に樹齢(じゅれい)五百年を越える神木だけが神殿の天井を支える四方、八本の支柱となることを許されていた。

 もはや古すぎて一体どのような理由で行われているのか知るものはいないが、神殿は八十八年毎に全て建て直され、その度にリゴッド皇国の本島中を移動する。

 識者によると少なくとも千年は続いているだろう歴史だと言うのだ。

 現在ルーム神殿は、二十年前の遷殿(せんでん)により首都ルームの西の外れ、標高一〇〇〇メートルほどのマウント・ノギの中腹(ちゅうふく)にあり、“救国の英雄”エリクソン・シンバルディの『初後悔』の場所としては、まさにこれ以上無い舞台となっていた。

 麓からなだらかな山道を上って行くと石段が突然現れ、それはいにしえからの約束事どおり四百九十五段を重ね神殿へと届く。

 「冗談じゃないぜ……何が楽しくてこんな場所で……」

 息を切らしながら愚痴(ぐち)をこぼすフェルディナンドは、登山の途中で折った木の枝を振り回しつつ、それでも歩みは止める事無くルーム神殿の正面入り口を目指し石段を登り始めた。

 その様子を見て、親友のクリストフも微笑みながら言う。
 「とかなんとか言いながら、今朝はやけに早起きだったじゃないかフェルディナンド! 迎えに行ったら既に朝食まで食べ終わっていたものな! “後悔”とはどんなものか気になって仕方なかったのだろう!?」

 「フン! 馬鹿言うなよ。今日はたまたま……アレだ! 昨日の昼に寝過ぎたんだよ」 
 鼻で笑っただけのつもりだったがフェルディナンドは満面の笑みを顔に(たた)えている事に気付き自嘲(じちょう)した。

 フェルディナンドだけではない。リゴッド中の市民がこの調子だった。

 『大後悔宣言』の観衆五万人を越える勢いの民衆が山の中腹、標高五五〇メートル地点のルーム神殿前に集まろうとしていた。

 当然、神殿前のちょっとした広場に収まりきれる人数ではなく、後悔予定時刻の正午を迎える頃には、マウント・ノギの麓まで黒山の人だかりとなっていた。

 「な!? だから早起きして正解だったろ!?」
 特等席とも呼べる神殿正面の位置を確保したフェルディナンドの得意そうな顔が、クリストフの心を躍らせた。

 何かが起こる! 今日から新しい何かが始まるのだ!

 誰もがその期待を胸に、今となっては元老院の一員となってしまい華やかな表舞台から遠のいた英雄エリクソンの勇姿を、再び見る事が出来ると信じていた。

 ただひとり、エリクソン・シンバルディその人を除いて……。

 ルーム神殿の天井を支える柱の土台に腰掛けたエリクソンは、手を開き、あるいは握りしめても手が小刻みに震えている事が確認出来てしまう己自身を嘲笑(あざわら)った。

 「フ……救国の英雄だと騒がれちゃいるが、このザマか……」

 これから自分の身に起きようとしている惨事を察知し、体が勝手に反応していたのかも知れない。
 無理もない。生きるか死ぬかの『大後悔』が待っているのだ。

 エリクソンがこの国で初めてとなる(おおやけ)の“後悔”を買って出たのには多少なりとも理由があった。
 彼は焦っていた。

 かつての大戦時の上官であり親友でもあったジョアン・パルスティンは、現在のリゴッド皇国の主、ジョアン・リゴッド大皇(たいこう)その人である。
 その大皇と皇太子マルコが長期の海外視察に出かけてもうすぐ一年。

 その間に、第二皇子のエンリケとその家庭教師トスカネリは恐るべき勢いで議会の言論を統制、統合しリゴッドは急激に平和主義国家へと移行しようとしていた。

 もともと極端な平和主義者であるエンリケは、父皇と兄皇不在の間にトスカネリと「全人類に等しく利益となる全く新しい革命」の準備を始めた。

 すると元老院の中でも、空気を読み絶対的な権力者にへつらう事だけが生き甲斐の貴族たちがエンリケに追従し、大皇と皇太子の長期海外視察の目的がいまいち不明瞭な事も手伝って、議会の風向きが変わり始めたのだ。

 この新たな革命の息吹を息苦しく思ったのは、対ウィンド戦時からの軍閥(ぐんばつ)や大皇ジョアン本人と親交ある者やあるいは重用(ちょうよう)されて来た者たちだ。

 その筆頭とも言えるエリクソンは、元老院での発言権も徐々に失い、この春を迎えようと言う頃には存在自体が空気と化そうとしていた。

 その惨めなエリクソンに助け舟を出したのは他ならぬトスカネリだった。
 全盲の彼は、ある雨の晩に一人でルームシティ郊外のエリクソン邸を訪れ、玄関先でこう告げた。

 「救国の英雄が、人類革新の旗手ともなる……全く悪い話でも矛盾する話でもないと思うのだが?」

 風前(ふうぜん)灯火(ともしび)のエリクソンはこの話に飛びつかざるを得なかった。
 自己顕示欲も権力欲も特に旺盛(おうせい)と言う訳ではない彼だったが、一度、英雄に祀り上げられてしまうと訳は違う。
 そこから落とされるのは、公衆の面前で辱めを受けるのに等しく、常人にはとても絶えられるものではなかった。

 「……で、俺は何をすれば良いんだ?」

 エリクソンは玄関先でお互い雨に濡れながら厳しい表情を崩さずにトスカネリに尋ねると、“盲目の賢人”は簡潔に答えた。

 「後悔をするのだ」

 ――後悔?

 エリクソンの頭の中に疑問符が浮かんだが、同時に自分の中の冷静な部分が(つぶや)いていた。

 エンリケに取り入ってしまった事で後悔ならもうしている、と。



 第5悔 『風前のエリク』 おわり。:*+゜゜+*:.。.*:+☆

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登場人物紹介

フェルディナンド・ボボン


この物語の主人公。

これといった定職には就いていないが、近所では昔から情熱的な男として知られている。

その実体は……。


ノニー・ボニー


皇立ルーム図書館で働く司書で、フェルディナンドの幼なじみ。 

他薦により『ミス・七つの海を知る女』コンテストに出場し優勝。
見聞を広めるための海外留学の旅に出る。

その実体は……。


クリストフ・コンバス

フェルディナンドの竹馬の友。
皇国を代表するファッション・リーダーとして活躍中。

その実体は……。


24歳、185cm。 

エンリケ後悔皇子


リゴッド皇国の第二皇子。

人類の行く末を案じて、後悔することを奨励する。

16歳。13センチ。

トスカネリ・ドゥカートゥス


エンリケの家庭教師であり、「盲目の賢人」、「後悔卿」の異名を持つ後悔研究所所長。

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