第3話:イリス川の渡し船の上で。

文字数 5,784文字

 ラート集落から、アンヌヴンの街へと戻るにはイリス川を越え貧民街を通り北門へと向かわなくてはならない。
 家を売り払った金を受け取ったローゼマリーは、赤髪のヴィルに声を掛ける事無く、速足で進んで行く。
 赤髪は「けっ、可愛げのねえ女だ」と地面にツバを吐いて、彼女の後に着いて行った。
「なあ?おい、あのさ、お前の母ちゃんって、たしかノームだったよなぁ?って事は、お前はドヴェルグってことか」
 そう言いつつ、赤髪は大股で歩き、ローゼマリーの左手側へと並んで歩き出した。
「そうね、自分自身が種族的にどう分類されてるかなんてあまり興味無かったけれど、冒険者ギルドで登録する時に、結構特殊な存在なんだって、知ったわ。今日だって、私が種族的にはドヴェルグだから、登録の手続きを直ぐに済ませてくれたんだと思うし。今って、誰でも彼でも簡単に冒険者にはなれないのでしょう?」
 ローゼマリーは歩く速度を落とす事無く、そう言った。
 季節柄軽装だが、腰には革製のベルトが捲いてあり、そこに刃の厚いナイフがぶら下げられている。
 対してヴィルはさらに軽装で、武器の類は一切所持して無い。
 冒険者であれば、普通は何かしら獲物を持ち歩くものだが、彼は所謂、普通の冒険者とは生き方が違うのだ。
「ああ、いや、単なる冒険者になら誰だってなれるぜ?けど、まぁこの街で言う冒険者ってのは、冒険者ギルドに登録してるってのが必須条件ってことになるだろうな。登録する時に色々教わったろ?」
「うん、まぁ。取り敢えず、アンヌヴンの塔に入るのに、この街のギルドが発行してる冒険者登録証がいるんでしょう?あと、登録しないとユニオンに加入出来ない。登録をしただけでも税金が安くなるけど、ユニオンに加入すれば更に安くなるとか。そう言う話は沢山された。それと、私はドヴェルグだから、上位のユニオンを色々紹介するとも言われた」

 二人は、イリス川の畔にある渡し船の小屋を目指していた。
 ラート集落からはそう遠い距離では無い。ローゼマリーは態度こそ硬いが、会話を拒む様子では無かった。
「商人ギルドを通して、モノの売り買いをした時だけ税金が、一般的な冒険者は三割程度安くなるだけだぜ?商人ギルドに加盟してる商店での売り買いなら二割免除だったっけな?まぁ、上位のユニオンや冒険者になると、一度の売り買いで金貨千枚とか余裕で動くから、二割三割でも結構デカイんだけどよ、ぺえぺえの冒険者にはあんまり旨味はねえだろうな。けど、まぁ、登録しねえと塔に入れねえっつーんだからよ、この街で冒険者として生きたいなら、兎に角冒険者ギルドで冒険者登録をするしか他ねえってことだ」
 赤髪はガラの悪い話し方だが、嫌な声では無いな、とローゼマリーは思っていた。
「という事は、商人ギルドに加盟して無い商店でモノを買うと加盟店より高くなるし、売る時は加盟店より安く買い取られると言うこと?」
 彼女からの問い掛けを受け、赤髪はぺろりと上唇を舐めた。漸く撒き餌に食いつきやがったか、と彼からすれば釣りをしてる様な気分なのだろう。

「――まぁ普通はそう言う事になるわな。税金ってのは金が動いた時に発生するからよ。金を受け取った側が収入の一割を税金として納めるわけだ。金貨百枚受け取ったらその内の十枚は納めなきゃならねえ。例えばアンヌヴンの塔でお宝稼いで売るとすんだろ?そしたらよ商人ギルドはそのお宝を金貨千枚で買い取ると言ってきたとする。そしたらその内金貨七十枚は税金として納めなきゃなんねえ。てことは、そん時の儲けは金貨九百三十枚になるわな?それを商人ギルドに加盟してない商店に売ったら、同じ金貨千枚でも税金が金貨百枚掛かっちまうから、儲けは金貨九百枚になっちまう。だから、普通、冒険者はこの街で商いをする時は商人ギルドを使うわけだ。しかも、その上商人ギルドで商いをしたら税金の処理まで全部面倒をみてくれるんだわ。買い取り所が塔の近くにあるし、冒険者にしてみれば、もうそれ以外に選択肢はねえだろうって、なるんだが……ああ、丁度船が来たな」
 赤髪からそう言われて、ローゼマリーはふと我に返った。
 いつの間にかイリス川の畔まで歩いて来てしまっていたのだ。
 それ程までに、この赤髪は饒舌に冒険者と税金の関係性を語っていた。ただの色狂いの馬鹿だと査定していただけに、意外としか言いようが無かった。
 そして、この赤髪は彼女の分の船代もさらりと支払ってしまう。たった銀貨一枚だったが。

 イリス川は穏やかな流れだった。
 毎年、夏前の雨季になると氾濫して暴れ川と称される時もあるが、今の時期は小さな白波すら殆どない。
「――で?」ローゼマリーは頬に風を感じつつ、吐息混じりにそう言った
「あん?お、イリス鱒が泳いでんなぁ。この時期は脂が乗って超絶美味ぇんだよ。けどよ、イライザが魚嫌いだからルロイじゃ出してくんねぇんだよなぁ」
「いや、そう言うのじゃ無くて、私が聞きたいのは……ってまぁいいか。船の上でお金の話したら儲けが波に流されちゃうって、聞いた事あるし」
「ああ、そう言うことだ。冒険者ってえのは、そう言う迷信じみたゲン担ぎが大好きだからよ。他にも靴は左足から履くとか、冒険に出る前は好きなものを食わないとか、銅貨は持たないとか、ツレが死んだら髪を切って燃やすとか、まぁ星の数ほどあると言っていいくらいだ」
 小さな船だった。客は大人が五人も乗れば一杯になってしまうだろう。
 老いた船頭が櫓を巧みに操りイリス川に船を走らせる。
 二人とも腰を下ろしてはいるが、ローゼマリーは川上を赤髪は川下の方をそれぞれに眺めていた。

「そう言うゲン担ぎも全部覚えて実践した方がいいのかしら?暗黙の了解とか決まり事とか、冒険者として生きて行くなら、やるべきなんだろうって思うけど……」
 ローゼマリーは川面に指先を着けていた。
「まぁ、そうだな、最低限の決まり事くらいは守るべきだが、ゲン担ぎなんてのは、自分がやりたくねえのはやる必要ねえと思うぜ?言っただろ?星の数ほどあるって。十三の頃から冒険者やってるオレでも知らない事は幾らでもあるんだからよ」
「え、十三歳のころから冒険者してるの?って、今いくつなんだっけ?」
「あん?今は、三十三か三十四じゃねえかな?ああ、そう考えると、オレはもう二十年も冒険者稼業なのか。やっぱ潮時って判断は間違ってねえって事だ。二十年やってこの程度だからよ。あと十年ダラダラとやるくらいなら、ぱっとひと花咲かせた方が……」
 それはこの男にしては小さな声だった。晩夏の穏やかな風に消されてしまう程の。
 当然、ローゼマリーの耳には微かにしか届いて無い。
「なにごにょごにょ言ってるのよ?」
「ああ、いやいや、こっちの話だ。ってゆーかよ、お前、まだユニオン決めてねえなら、オレんとこに入らねえか?」
「私が、アンタのユニオンに……?」
 彼女はあからさまに表情を歪めていた。どこか棘のある声だ。

「まぁ、そんな嫌な顔すんなって。いや、実は、な、ちょっと前によ、アンヌヴンの塔で強敵と出くわしてな、ウチのユニオン……バルバトスって言うんだけど、全滅しかかったんだわ。三十人いた仲間も半数近くが死んで、死ななかったヤツらも冒険者を引退しなきゃなんねえくらいの傷を負ったりしてな。今んところオレを含めて五名しか在籍してない弱小ユニオンになっちまった。一時期はユニオン序列でかなり上位にいたんだけどよ、バルバトス創設時から一緒に戦ってきたヤツらが死んだり抜けたりしたから、今じゃ序列の下から数えた方が早いだろうな。最近はまともに活動してねえから、当然なんだけどよ」
 いつの間にやら二人は顔を見合わせて会話していたが、赤髪はまた川下の方へと顔を向けてしまった。
「それで、私を、その壊滅状態にあるユニオンに入れたいわけ?冒険者ギルドから、序列上位のユニオンを紹介すると言われてる、私に?」
「ああ、そう言う事になるな。まぁ、実際の話、もう一度上位まで駆け上がってやろうと思って、まずは昔のツレに金借りに行ったけど断られ、期待してた戦力は死んじまってるとか、前途多難過ぎて笑えねえ船出なんだけどよ。泣き言は言ってらんねえから、やるしかねえ。取り敢えず、返事は今じゃ無くていい。後で、お前には逢わせたいヤツがいる。それからでいいから、検討してくんねえかな、頼むわ。その代わり、オレに教えれる事は全部教えてやるし、腐っても元ベリアルだからよ、オレの周りのヤツらと絡んどけば神槍と会える機会も増えるはずだからな」
 それは、赤髪のヴィルとしては精一杯の誠意を込めた勧誘だった。
 彼にしてみればここまで丁寧に言葉を重ねての誘いは人生初めてと言ってもいいぐらいだったのだ。
 ローゼマリーはそれを知る由も無いが、この男の不器用な勧誘を受け、悪い気分では無かったのか、怪訝な表情が少し和らいでいた。
 それからまた二人は別々の方向を眺めつつ、船上の時を静かに過ごした。

 船が対岸へと着き二人は老朽化著しい桟橋へと足を下ろす。
 すぐ目の前には貧民街が広がり、その奥には容易には越える事の出来ない街壁があった。
「当分、ラートの森に行くことは無いと思うけど、毎回この貧民街を通らなければならないと思うと、少し気が引けるわね」
 ローゼマリーは辺りを見回しそう言った。
 不揃いの木や石で無理やり建てられた小屋が乱立している。
 腐臭も酷く、羽虫が群れをなして飛んでおり、彼女は不快感を露わにしていた。
「まぁ、そう言ってやんなよ。オレも冒険者になりたての頃は貧民街いた事があってな。もう二十年近く前だから、今の半分くらいの規模しか無かった頃だけど、住めば都ってやつで、三日も夜を越せば、些細な事には気にならなくなるから。いや、でも、今からまたここで住むのはちいとキツイかな?それでもまた、三日も夜を越せば都となるのか……くくく、案外それも悪か無いかもな……」
 そう言うと、赤髪は大股で歩き出し貧民街へと入って行った。
 ローゼマリーはその後を小走りで追い掛ける。
「ちょ、ちょっと?貧民街の中を通って行くの?」
「あん?当たり前だろう?それが一番近道じゃねえか」
「いや、それはそうだけど。危険だからど真ん中は通らずに、貧民街の端の方を歩けって、色んな人に忠告されてたから……」

 人の行き来すら困難な狭い通り。
 乱立した小屋の中からは不快な視線を差し向けられ、道を往く者たちからは明らかに威嚇を受ける。
 もう既に危険な地域な事は間違いない。
 犯罪行為、禁止薬物の裏取引や人身売買まで横行している、紛れも無くアンヌヴンの街の暗部なのだ。
「まぁ確かに、女ひとりで歩ける場所では無いわな」
 余りにも細く複雑な路地に、ローゼマリーは方向感覚を失いつつあったが、赤髪はまるで我が家の如くすいすいと歩いていく。
 彼女は、こんなところで迷子になったら堪らないと、懸命に赤髪に張り付くように歩いていた。
「男だとしても、こんなところを歩くのは正気の沙汰では無いわよ。一斉に襲い掛かられたらどうするつもりなの?アンタ、武器ひとつ携行して無いし、魔法が使える様にも見えないし」
「はぁ?そんなもん、襲われたら、全部殴り殺すだけだろう?」
「全部、殴り、殺すとか、そんなこと……」
 赤髪は立ち止まって半身振り返り、ローゼマリーの事を見ていた。
 自信満々といった表情だ。
 彼女は「そんなこと出来る筈がない」と言おうとしていたが、それを言わせない圧力が目の前の男にはあった。

「くくく、まぁ、そんなにビビんなって。確かに、睨み付けてきたり、威嚇してくる輩はいても実際襲い掛かって来るヤツなんて一人もいねえだろ?今、ここが丁度、貧民街の中心くらいだぜ?ここを我が物顔で歩かれて、正直、住人にしてみりゃ縄張りを土足で踏み躙られる様な気分だろうけどよ、コイツらは手を出したらヤバイ奴かそうじゃ無いかくらいは、本能的に分かってんだよ」
「要するに、アンタは手を出したらヤバイ奴ってこと?武器も持たずにぶらぶら歩いてるだけなのに?」
「んーーー、まぁ、いい機会だから、教えておいてやるけど、一応ぶらぶら歩いてるだけ、じゃ無ねえんだわ。貧民街に入った時から【戦慄】ってスキル使ってるからな。オレ一人だったらそんなスキルを発動させる必要もねえんだけど、誰かと一緒にいる時は、特に、女を連れて歩く時は襲われて怪我でもされちゃ面倒臭えから、使う事にしてんだ。ところで、お前よ?闘い方は親父から手解き受けてんのか?」
 彼女はそれなりに訓練を積んでいるだろう、と察しつつも赤髪はそう尋ねた。
 ユニオンのマスターを長くしていると、自然と人を見る目が養われる。
「子供の頃にアンタに蹴っ飛ばされて以来、父に頼んで武器の扱い方は習ったわ。でも、父は冒険者にはならないで欲しいと常々言ってた。私も、習い始めた頃は冒険者になる気なんて更々無かったんだけど、訓練してる内に、自分の力を試したくなってきてしまったの……」
「へへへ、蹴っ飛ばしたことマジで根に持ってんだな。てゆーか、なんだ、じゃぁ、親父の許しは得てねえのか?」
 赤髪はそう言うと前を向き再び歩き出した。しかし、先ほどまでよりも、少し速度を落としていた。

「許しは得てるわよ。父が亡くなる一日前だけど、冒険者になりたいって告げたらね、ワシの血が流れているのだからそうだと思ってた、って。あとはオマエの生きたい様に生きろって」
「ったく、ヴォルフもアンナも自分のガキを冒険者にならせたく無いから引退して街から離れたくせによ。笑えねえけど、笑えるよな。まぁでも、お前やレオンみたいに、冒険者になる為に生れて来たみたいな馬鹿げた才能は……親として選んだ覚悟や決意を揺るがしてしまうのかもしれねえな。アイツらも元を正せばただの冒険バカなワケだし……よ」
 二人は難なく、貧民街を抜けて街壁沿いを歩き北門へと向かう。
 もう夕暮れ前になっていた。
 コーリング大通りは、いつも通りのお祭り騒ぎだった。


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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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