第1話:少年の告白。

文字数 5,258文字

 酔いどれ小路、酒房ルロイ。
 先代の酔いどれ小路連合会長から現任のアンガス・シーモアが譲り受けた店。
 契約や決め事がある訳では無いが、この店の経営者が酔いどれ小路連合を統率するという暗黙の了解があった。
 その酒房ルロイの女将がイライザ・シーモア。彼女はアンガスの息子ルロイの妻だった。
 ルロイとイライザは共に白銀の獅子ブレイズや神槍カレンが創設したベリアルに参加して主力を張る程の冒険者としてこの街でも名を馳せていた。
 しかし、十三年前にベリアルはアンヌヴンの塔の上層で、脅威的な魔物と遭遇し全滅の危機に瀕してしまった。
 その危機を白銀の獅子は命を賭して仲間を守り、ルロイはそんな白銀を何とか助け出そうとして命を費やしてしまう。
 イライザはその当時既にローラを産み冒険者を引退していた。
 彼女の姉で白銀の妻であったアンナはレオンを身籠っていたため、その時の冒険には参加して無かった。
 そして何故か白銀の獅子の最期に、妹である神槍カレンの姿も無かったというのが、今なお巷に広がる噂。
 要するに、その当時のベリアルは間違い無くアンヌヴンで最強のユニオンだったが、その時のベリアルは全盛期では無かったのだ。
「白銀の獅子とルロイが絶命したその場に、神槍と鬼女と毒使いがいたら、その驚異的な魔物を討ち果たせていたのではないか?」……と、噂好きな者たちが好き勝手な風聞を流す。
 それを当事者たちの前で語る愚か者は流石に皆無だが、心無い噂に少なからず傷心してしまう者はいるのだ。
 イライザ然り、アンナ然り、カレン然り……。

「――あの、イライザさん?ごめんなさい。ぼく、ヴィルと勝手に、バルバトスに入るって約束してしまいました」
 少年レオンは、酒房ルロイのカウンターに腰掛けてそう言った。開口一番、何よりも先に告げなければと言った感じで。
 彼の視線の先には、その昔、毒使いと恐れられたイライザ・シーモアが悠然と煙管を吹かしている。
 ローラは店の買い出しに出ていた。
 姉とフレイザーがイライザを説得してくれると言っていたが、少年的には自分のことだから自分で何とかしないといけないと思っていたのだ。
「あら、なんだいレオン、アンタ、冒険者になりたいんだ?」
 イライザは、ふうっと煙を吹き出してから、そう言った。
 彼女は、レオンの事を見ると白銀とルロイを思い出し、きりきりと胸が痛む思いをしていた。
「あの……はい、冒険者になりたい、です」少年は、少し戸惑いつつもそう答えた。
「そう、そっか、まぁ、じゃぁ、アンタの好きにしていいよ……。いや、あのね?」彼女はそう言って、一旦間を設けた。煙管を咥え、何度か煙を吸っては吐く。
 レオンはイライザの言葉をじっと待っていた。

「――あのね?基本的にあたしは、ローラが冒険者になることは、今のところ反対してる。だから、それと同じくらいレオンが冒険者になるのも反対したい。アンタの事なんてどうでもいいとか、そう言う風には考えてないから。けど、そう言う強い衝動って言うか、想いは止められないんだよね。大体、そもそもあたしと姉さんだってさ、両親の反対を押し切って家出同然でこの街に来て冒険者になったんだもん。そんなあたしが、レオンやローラが冒険者になる事を止める何て、ちゃんちゃらおかしい話だと思うし……」話途中で、一体自分は何を偉そうに語っているのだろう?と、彼女は目を閉じ乱れ壊れてしまいそうな心を抑え込む。
 そして、ここで話は切れないと思いなおし、目を見開いて言葉を続けた。
「……実際、死んだり手足を失う様な大怪我さえしなければかなり稼げる仕事だしね。若い頃に冒険に出てしっかりと蓄えて、自分の店を持ったりユニオンを創設したりして成功してるやつもいるくらいだから。でも、冒険者の五割は死ぬんだよ。生き残った残りも何処かしら怪我を負うか心の病を有する者ばかりさ。五体満足で幸せなで穏やかな生活を送れるヤツなんて、ほんの一握りしかいない……ってだからさ、こう言う風に滾々と道理を説いたところで、レオンやローラの事は止められないって分かってるんだよ。分かってるだけに歯痒いの。そして、辛い……わねぇ」
 そう言うと、イライザは酒を手に取り飲み始めてしまった。ぐいぐいと普段よりも荒々しい飲み方だった。

 そんな叔母を見ていて、レオンは改めて、母と目許がそっくりだと思っていた。こうして相対して話していると、時折母と会話してるかの様な錯覚になるのだ。
 それだけに冒険者になる許可は得たものの、手を叩いて喜ぶ様な気持ちにはならなかった。
「イライザさん、ごめんなさい。ぼく、この街に来るまでは、そこまで冒険者に想い入れは無かったと思うんですけど、色々な人たちの話を聞いている内に、何だか、心に火が点いてしまったみたいで……」
「あははは、そうかい、そうかい。いや、まぁこればかりはね、仕方の無いことだと思う。周りにいる奴らの話だけじゃ無くてね、皆、この街の雰囲気に飲まれちまうんだよ。アンヌヴンに住んでる奴らは老いも若きも冒険に狂っちまってるんだからさ。多分、姉さんもそれを承知でアンタをあたしのところへと寄越したんだと思うし」
「それで、あの、急な話なんですけど、月が替わってから直ぐにフレイザーさんたちとドールズ大森林に行くことになってしまって」
 少年は自身がまだよく飲み込めて無い話をぽつりぽつりと呟きだす。
 それを聞いたイライザは眉間に皺を寄せ見るからに不機嫌な顔つきとなってしまった。
「はあ?それは、全然話が見えないねえ。なんでフレイザーがレオンをドールズ大森林なんかに連れてくのさ?」
 彼女の鋭い切り返しを受けて、少年は少し早まってしまったかもしれないと思いつつ、事の次第を説明する事にした。
 神槍の事、辺境伯の事、幻獣召喚師の事、そして自分は荷物持ちで戦闘要員では無い事等々兎に角今認識してる事を全部詰め込んで。

「――ふうん、なるほどね。そう言う事か。まぁカレン姐が一緒ってんなら、止める事は出来ないね。あの神槍と冒険出来る機会なんてそうそうあるもんじゃ無いから。でも、かなりキツイと思うよ?正直、周りと足並み揃えれる人じゃ無いからね。ポーターとして参加するにしても、相当エグイ旅になるのは確実だと思う」
「ぼく、山歩きは自信ありますけど、大森林を探索するのは初めてなので、着いて行けるか心配ですけど、頑張ります」
「でも、なんかムカつくからフレイザーが来たらちょっとシメるか。アイツの酒に、死なない程度の毒を盛ってやる。いや、いっそ殺してやるかな?そしたらレオンやローラを冒険に連れ出すヤツが一人減るワケだし……うふふふ」と、少年の叔母は妖艶な笑みを零した。
 毒使いと称されていた人物が言うだけに、単なる冗談には聞こえない。

 と、ここで一人の来店があった。
 それは、フレイザーの娘アンリエッタだった。彼女はハーブの仕分けを終え、酒房ルロイへと卸しに来たのだ。
「イライザ、ハーブ持って来たから、炊事場に置いておくねぇ」
 美しいハーフエルフは甘たるい声でそう言うと、勝手知ったるなんとやらで店の奥へと入ってゆき、すぐに戻って来てレオンの右隣へと腰掛けた。
「アンリエッタ、いつもありがとうね。あたし、これから仕込みがあるからレオンの相手してあげてくれるかい?好きなの飲んでいいし、後でゴハンも作ってあげるから」
 そう言うとイライザは、炊事場の方へ行ってしまった。
 アンリエッタは、栗色の髪を指先で耳に掛けてレオンへと微笑む。
「うふふ、レオンくんは何飲むのー?」
「あ、えーっと、ぼくは水でいいですよ。お酒とか飲め無いので。って、アンリエッタさんは、浄化石とか無くても平気なんですか?ローブも纏って無かったみたいですけど?」
 レオンはアンリエッタの様子を伺いつつそう言った。
 エルフは人の世の穢れを身に浴びると闇堕ちしてしまうと、フレイザーから教えてもらったところだったので心配になったのだ。

「あ、えーっとね、私のお母さん人間だからね、私、ハーフエルフでしょう?だからね、そんなに用心しなくても大丈夫だって、お父さんが言ってたよ。ハーフエルフでもエルフの血が強いとね、エルフと同じくらいの浄化が必要みたいなんだけどね、私は、人間の血が強いみたいだから。っと、喉乾いたから取り敢えずエール貰おうっと」
 そう言うとアンリエッタはカウンターの中へと入り、自分のエールとレオンの水を用意した。
 そして、そのまま席には戻らずに会話を始める。
「んふふふふー、お父さん、今日凄くゴキゲンだったなぁ。多分、レオンくんと一緒に冒険に行けるからだと思うんだよねぇ」
「そうなんですか?あ、お水、ありがとうございます」
「うんうん、凄くゴキゲン。カレンちゃんとか凄い人と冒険に出る時は、いつもゴキゲンなんだけど、今日のゴキゲンはレオンくんのお陰のゴキゲンだと思うなぁ」
 外見は美しい女性なのだが、その喋り方や仕草は幼い子供の様であった。
 少年の目の前で、アンリエッタはごくごくと喉を鳴らしてエールを飲んでいる、がその微笑みは純真な子供の様に無垢なのだ。

「でも、今回の冒険だって神槍と一緒だから、それでゴキゲンなだけかもしれないですよ?」
 レオンは、アンリエッタの醸し出す不思議な雰囲気に浸っていた。
 子供だけれど何処か大人びているローラとは対照的な人だと思いつつ。
「うーん、それもあると思うけど―、ちょっと違うゴキゲンなんだよねぇ。あのね、多分、白銀の獅子と一緒に冒険してた時と同じゴキゲン具合なの。お父さん、白銀の獅子の事すごく大好きだったからね。レオンくんの事も大好きなんだと思うなぁ」
「だとしたら、ぼくも嬉しいです。フレイザーさんは魔法も教えてくれると言ってましたし、冒険の事とかも色々教えてくれそうだから」
「ねえねえ、レオンくん?」
「はい?」
「レオンくんは、好きな女の子とかいるのかなぁ?」
 アンリエッタは、レオンの目をじいっと見詰めつつそう問い掛けていた。
「す、好きな、女の子、ですか?」
「うんうん、そうそう。今まで住んでた村とかにいなかったのー?」
「えーっと、ぼく、長馴染みはドワーフばかりで。ドワーフの女の子いましたけど、力比べばかりしてたから、あんまり女の子として意識して無かったと言うか……」
「そっかぁ、まぁ、ドワーフと人間だと、恋愛の相性は良くないもんねぇ。じゃぁさ、ローラちゃんみたいな女の子は?好き?ローラちゃん可愛いじゃない?ちょーーっと性格キツイけど、結構同年代の男の子からも人気あるんだよー?」
 この手の会話は生れて始めての経験だった。レオンはアンリエッタにぐいぐいと追い込まれてゆく。

「あ、あの、それは、まぁ、ローラのことは……好きですよ。優しいし、可愛らしいし。でも、昨日から、ぼくのお姉ちゃんになっちゃいましたから、女の子として好きかって言われると、よく分からないです」
「ふうん、じゃぁ、私のことはぁー?好きー?」
「え、そんなこと、急に言われても……今日、さっき会ったばかりなのに、好きかどうかなんて……。でも、すごく綺麗だと思います」
「んふふふー、ありがとー!私はレオンくんのこと好きだよー?一目見た時から、わぁ!可愛い!凄く好き!って思ったもん。お父さんもレオンくんのこと大好きだから、私、レオンくんのお嫁さんになりたいなぁって……えへへへ」
 と、そこへ買い出しを終えたローラが帰って来た。
 レオンとアンリエッタの姿を見てカウンターへと腰掛ける。
 その姿を見て、レオンはほっと一息ついていた。
「お、お姉ちゃんお帰りなさい。買い出しなのに、手ぶらなんだね?」
 レオンは不慣れな会話から脱却するべく、前のめりになって姉に声を掛けていた。
「ん?ああ、今日はさ、ちょっと量が多いいから店の人に運んで貰う事にしたんだぁ。ってゆーか、レオンも連れて行けば良かったよね。アンリエッタ?喉乾いたからウチにもエール頂戴?」
 ローラからそう言われアンリエッタは「はぁい」と声を上げてエールを注ぎ始める。

「え?お姉ちゃん、エール飲めるの?」
「はあ?そんなの当ったり前じゃない!酔いどれ小路で働いててエール飲め無いとか有り得ないからね。って言っても母ちゃんから許しが出たのは去年くらいからだけど。それまでは隠れてこっそり飲んで、顔真っ赤になってバレて滅茶苦茶怒られてた。今でも飲み過ぎたらキレられっからさぁ自由に好きなだけ飲めるってワケじゃ無いんだけどねぇ」
 ローラはアンリエッタから木製のコップを受け取ると、ごくごくと喉を鳴らして飲みだす。
 レオンは、自分と歳の変わらない少女のその姿を見て、なんだか妙にカッコいいと思っていた。

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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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