第2話:その名はドン・ウィスラー

文字数 5,846文字

 赤髪のヴィルがローゼマリーを伴って酒房ルロイを訪れたのは、陽が落ちる直前だった。
 ハーフエルフの【魅了】を解きがてら、コーリング大通りをふらふらと寄り道しながらやって来たのだ。
 冒険絡みの会話には食いつきが良いと察した赤髪は、その二十年にも及ぶ冒険者としての経験と知識を惜しむ事無く提供してローゼマリーとの心の距離を幾らか縮めることに成功していた。
 この男は、こう言った手管には些か長けており、ローゼマリーは賢い女性だが、ラートの森とその集落で育ったため少し世間知らずな面があったのだ。
 彼女の知識欲とうぶさの狭間を、赤髪は巧みに擽りじわりじわりと心の距離を近づける。

「――お、なんだ、アンリエッタもいるじゃねえか。たいして客も入ってねえのに、手伝いに駆り出されてんのか?」
 赤髪は店に入り、開口一番そう言い放った。
 そして大股でカウンターへと歩みより、レオンの頭をガシガシと撫でて少年の左側へと腰掛けた。
「あ!ヴィルー!いらっしゃぁい!あのね、今日は手伝いに来たわけじゃないんだよー。レオンくんとね、お話してるの。さっきまでローラちゃんもいたけど、イライザの手伝いしに行っちゃったんだよねえ。で、その子はドコの子なのー?ドワーフちゃんかなぁ?でも、ちょっとちっこいよねー?」
 アンリエッタはそう言って、ローゼマリーに微笑みかけていた。
「ああ、コイツはローゼマリーってんだ。ドワーフじゃ無くてノームとの間に生れてっからドヴェルグってやつだな。アンリエッタも覚えてんだろう?昔ベリアルのころにいたヴォルフって厳ついドワーフ。アイツの娘なんだわ。おい、そんなとこで突っ立ってねえで、こっち来て座れよ。アンリエッタ?おれとローゼマリーのエール入れてくれ」
 そう言われ、ローゼマリーは赤髪の隣りに腰掛け、アンリエッタは二人のエールを注ぎに行った。

「ああ、ついでに紹介しとくわ。この銀髪のガキはレオンってんだ。こいつもバルバトスに加入する事になってるから、仲良くしてやってくれよ」
「ちょっと?こいつもって、私まだバルバトスに入るとは言って無いから。って、それより、この子、レオンっていうの?キミ、男の子だったんだ?」
 ローゼマリーは驚きの声を上げていた。自分も子供のころは髪を短くしていたため、そういう女の子だろうと思っていたのだ。
 レオンはもこのやり取りには慣れてしまっていて、特に態度を改めることなく「はい、男ですよ。けど、よく間違われますね」と答えた。
「あ、ごめんなさい、失礼なこと言ってしまって。よろしくね、レオンくん。私、ローゼマリーって言います。凄く綺麗な髪だね。まるで白銀の獅子みたい。子供の頃に会った事があるらしいけど、記憶には無いんだよねえ。でも、多分キミみたいな髪をしてたんだろうね」

 アンリエッタがエールを運んできた。
 彼女は、ローゼマリーに興味がある様で、じいっと見詰め微笑みかけていた。
「まぁ、お前の言ってる事は強ち間違っては無いぜ?だって、レオンは、その白銀の獅子の息子だからな。正直、生まれ変わりと言っていいくらい、白銀に似てっから。アンリエッタもそう思うだろう?お前、白銀の事大好きだったもんなぁ。よし、まぁ、取り敢えず乾杯といこうぜ!」と、赤髪は勢いに任せて声を高らかに上げたが、誰も彼の後には続かなかった。
 杯を重ねる事も無く、アンリエッタは「ねえねえ、ローゼちゃん?今何歳なの?好きな食べ物は?好きな男の子いるー?」とローゼマリーに怒涛の勢いで質問を繰り出していた。
 美しいハーフエルフの勢いにドヴェルグの娘は完全に飲み込まれている。
 赤髪はその様子を疎ましく見ていたが、夜はこれからだから焦る必要は無いかとレオンへと視線を向けた。

「――ヴィル?あの、朝、別れた後に、ぼく、神槍と会いましたよ?」
 少年はそう言って水を一口飲んだ。
 ローゼマリーは「神槍」に反応しちらちらとレオンの事を見ていたが、アンリエッタの興味心からは逃れる事が出来ないでいた。
「ああ、やっぱり居やがったっか。殺気がびんびんだったからな。行かなくて正解だった。で、どーだった?神槍叔母さんと会うの初めてだったんだろう?」
 赤髪はそう言って、エールをがぶがぶと飲む。直ぐにコップが空になってしまいそうだが、そうなる前にアンリエッタがエールを注いでいた。
「なんだか、よく分からないけど、凄い人だと思いました。綺麗で凛としてて。銀髪で白い鎧を身に纏っていて、手には見ていると吸い込まれてしまいそうな漆黒の槍があって。兎に角、格好の良い人だと思いました」
「その漆黒の槍はなヴァジュランダってんだ。所有者に殺気が向けられるとバチバチと放電しやがる。で、その上刺されたら落雷直撃と同等の衝撃を喰らうからな、攻撃を躱せなければ絶命は免れねえワケだ。そんな馬鹿みてえな極悪な槍をよ、あの神槍が持ってるとかマジでありえねえから。ヴァジュランダを所有する前から、ヤツはそもそも一撃必殺で名を馳せてたんだからよ。流石のオレも、最早手出しできる相手じゃねえって事だな」
 手出しどころか、命を狙われて逃げ回るしか無いという現状なのだが、流石にこの場でそれを言える男では無かった。

「そんなに凄い槍だったんですね。で、あの、ヴィル?」
「あん?どーした?」
「いや、実は、フレイザーさんに冒険に誘われてます。ドールズ大森林に、辺境伯軍の幻獣召喚師を帯同して行くみたいで。ぼくは戦闘要員じゃ無くて荷物持ちらしいですけど」
 レオンは包み隠さず、フレイザーとのやり取りを詳らかに伝えようと考えていた。
 冒険者になりたいと、イライザへ告げたのが後手に回ってしまった事を反省していたから尚更という思いもあるが、元来この少年は嘘や隠し事の出来る人物では無いのだ。
「ほーう。ドールズ大森林か。辺境伯軍のやつらと?いきなりそんなトコに連れ回すって事は、フレイザーのヤロウも本気でレオンの事育てようと考えてるらしいな。オレも久しく冒険に出て無いから、着いてくかなぁ。ドールズ大森林とか、あんまり行った事無いしよ」
「いや、でも、あの、神槍も一緒なんですよ。一緒というか、神槍からフレイザーさんに依頼があってドールズ大森林へと行くことになったらしくて」
 もうなんとなく赤髪と神槍の関係性に気が付いていただけに、少年は少し気まずそうにそう言った。

「はぁ?オマエそれマジか?いきなり神槍と一緒の冒険なんてポーター役だったとしてもかなりキツイぜ?流石に、それにレオンを連れてくとは思いも付かなかったわ。じゃぁ、残念だが、オレは同行出来ねえな。いつから行くんだ?」
「えーっと、確か、月が明けてから十日間だったと思います。ドールズ大森林の最奥まで行くって言ってました。エルフの村を拠点にするとか、なんとか……」
 少年の言葉に、赤髪は思わず口にあったエールを吹き出してしまった。
 それからゲホゲホと咳き込み、手元にあった台拭きで口許を荒々しく拭っていた。
「おいおいおい、エルフの村を拠点にしてドールズ大森林の最奥で幻獣狩りとかよ、そんなもん上位のユニオンでも手こずる様な案件だぜ?しかもたった十日とかよ、絶対にあり得ねえ。せめて二十日、いやひと月は欲しいとこだな。まぁでも、辺境伯んトコからの依頼だから褒賞が美味いんだろうな。クソ、だったら尚更オレも行きてえんだけど……ああ、でも神槍がいるからムリなんだよなぁ」

 その時、酒房ルロイの扉が勢い良く開いた。
 どんっと大きな音が鳴り響いたので、店にいた者は一様に出入り口へと目を向ける。
 そこには、ドワーフと見紛うかの様な体躯の人間がいた。
 筋骨隆々の上半身は薄手のベストを一枚羽織っているだけだった。
 髪は随分と禿げあがってしまっているので、若くは無いのだろうが、その面構えは如何にも凶悪そうな雰囲気を醸し出している。
 その男は、店内を見回し開口一番「おう!俺様は帝都から来た、ドン・ウィスラーってもんだ。この店が腕っぷしの強えヤツが集まる酒場だと聞いてやって来た!」と大声を張り上げる。
 右腰には大きな剣をぶら下げていた。そして、大柄な男の後ろには仲間と思しき男たちが数名いる。

 酒房ルロイには、カウンターにレオンと赤髪、アンリエッタとローゼマリーがいて、炊事場にイライザとローラ。
 そして奥のテーブル席には地方行政区の役人らしき人物たちが陣取っていた。が、しかし、誰一人としてドン・ウィスラーの啖呵に応える者は無かった。
 まだ店に慣れて無いローゼマリーとレオンは何事なのだろう?と状況把握に務めようとしたが、ドヴェルグの娘はアンリエッタが恋愛話へと引き込み直し、銀髪の少年は赤髪のヴィルと半ば無理矢理に冒険の話へと回帰していた。
 イライザとローラに関してはカウンターまで出て来る事も無かったし、奥の席の者たちも我関せずと言った状況だった。

 その様子を見て、ドン・ウィスラーは甚く憤慨する。
 大きな拳を作り、木製の扉を思い切り殴りつけた。再び、店内には大きな鈍い音が響き渡る。
「おい、お前らシカトしてんじゃねえ!こっちは帝都から遥々やって来たんだ。店のヤツかそれなりの人物が席に案内して当然だろうが?それとも、こんな辺境の小汚い店じゃ、俺様の様な人物の扱い方が分からねえのか?ったく、これだから田舎モンわ!」
 ドンは、悪態を付きつつもカウンターへと歩みより、ローゼマリーの左側へと腰掛けた。
 その後ろには彼の取り巻きの内二人がお供していた。どちらも、ドンと比べたら悲しくなるくらい細身で平凡な顔立ちだった。
「なんだぁ?店員はエルフ?そんで客はドワーフの女?一体どうなってんだよ、この店は?普通の人間はいねえのか?エルフの作った酒なんて飲む気しねえし、ドワーフ女の隣りで飲む酒なんて不味くてしかたねえだろうけど、取り敢えずエールくれよ?こんな店でもエールくらいはあるんだろう?」
 そう言うとドンは、カウンターをばんばんと叩き大きな笑い声をあげた。
 お供の二人もそれに合わせる様に、貧相な笑い声をあげる。

「――おい、オッサン?さっきから無駄にうるせぇな。酒飲みてえなら、奥の席で大人しくやってろ」
 赤髪の声は、不快な笑い声を鋭く切り裂さいた。
「お、なんだよ、漸く噛み付いて来やがったか、田舎もんには都会の言葉が通じねえのかと思ったぜ。で、このエルフとドワーフはお前の女か?へへへ、この街には人間の女がいねえのかよ?」
 この辺境の街には様々な人種が住んでおり、街の外には未だオークやゴブリン等亜人と呼ばれるものたちも多く生息しているので、露骨に人種差別を口にする者など殆どいないのだが、ドンの様に帝都の様な人間が作り上げた都市から訪れた者は、人間至上主義者が多い。
 そして、この酒房ルロイには年に二度三度こう言った輩が訪れるのだ。
 その為、イライザもローラもその他の客も、その手の輩は相手にしない事にしているのだが、赤髪のヴィルだけは別だった。

「オッサン?殺す前に教えておいてやるけど、カウンターの中にいるのはハーフエルフで、隣りに座ってるのはドワーフとノームの合いの子でドヴェルグって種族だ。ついでに言っとくと、二人とも余裕でオッサンより強ぇからな?」
 赤髪はそう言いつつ、ゆらりと席を立った。
 その挑発的な言葉を受けて、ドンも立ち上がり、指の骨をバキボキと鳴らした。
 二人とも背丈は同程度だが、身体の大きさはドンの方が二回り程大きく見える。
「ねえねえ、ヴィル?私が魔法でエイっやっつけてもいいけどー?」
 緊迫しかかっていた空気に、アンリエッタの甘い声がとろりと響いた。
「ああ、いやいや、お前の精神系の魔法じゃこのオッサンが痛い目みれねえから、ここはオレがヤルわ」
「くくく、おいおい、お前ら好き勝手言ってくれるじゃねえか?それだけ大口叩くんだからよ?俺様がこの喧嘩に勝ったら、お前ら全員俺様の……ぐふうっ!?」

 電光石火――。
 ドンの言葉を最後まで聞く事も無く、赤髪の右拳が大男の鳩尾に突き刺さっていた。
 少年レオンもローゼマリーもその様子を、間近で見ていたのだが、赤髪の動きを目で追えなかったのだ。
 それで二人とも、その瞬間に、はっと息を飲み「すごい……」と声をもらしていた。
 ドンと赤髪の勝負は既に決していたのだが、前のめりになった大男の顔にヴィルは左拳を叩きつける。
 そのまま床に這いつくばり、呻き声を上げるドンの顔面に対して赤髪は、爪先蹴りを何度も繰り返していた。
 ドンが顔面を腕で覆い隠すと、今度は腹を蹴り、指や手を踵で踏み躙り、下腹部まで蹴りつける。

 全く容赦の欠片も無い男だ。
 言葉通り本当に殺してしまうのではないだろうか?とレオンとローゼマリーは固唾を飲んで観ていた。
 赤髪がいつもの調子でちゃらけて面白半分にやっていれば、止めに入る事も出来たかもしれないが、今はそう言う雰囲気では無かったのだ。
 残忍すぎるというか、狂気染みているというか。
 ぐちゃりぐちゃりと、鈍い音が響く。
 ドンも既に呻き声を上げる事も出来なくなっていた。
 それでも尚、赤髪は淡々と単調にドンの身体を蹴り続ける。
 貧相なお供たちは赤髪の行為に恐れをなし、彼を止めるどころか腰を抜かして泣き震えてしまっている始末。

 ――と、ここで漸く炊事場からイライザが出て来る。
 そして、目覚めの一発と言わんばかりに、赤髪の頬へと強烈な張り手を一発喰らわせた。
「この馬鹿!店ん中でヤルなっていつも言ってんだろう?今から客が一杯来るってのに、こんなに床血だらけにしてどうすんだい?ほら、レオンもドヴェルグの嬢ちゃんもぼーっとしてないで、ヴィルと一緒にこのデカイ男外に運び出しておくれ。お供の奴らもビビって無いで、運ぶの手伝いな!アンリエッタとローラは床掃除お願い。ああ、ったく、だからこんな都会かぶれの馬鹿は相手にすんなって言ってんのにねえ……」
 イライザの指示を受けて、皆が一斉に動き出す。
 泣き震えていたお供たちも意識を失ったドンを運んでいたが、赤髪のヴィルは我関せずといった感じで、元居た席に座りエールを飲んでいた。
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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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