第1話:様々な思惑。

文字数 5,310文字

 二日目、ミネルカースの日。
 少年レオンは、寝惚けて時折甘噛みをして来る全裸のホビットと一晩ベッドを共にし、全く眠る事が出来なかった。
 窓から見える空は、薄っすらと白くなり秋虫の鳴き声が小鳥たちの囀りへと変わり始める頃。
 外から、ばしゃりばしゃりと行水の音が聞こえてきた。
 レオンは絡みついてくるキッカから逃れる様に、ベッドから降りた。
 そろりそろりと忍足で部屋から出て、階下へと向かう。そして、行水の音のする裏庭へと歩いて行った。

 そこには、上半身裸の神槍の姿があった。彼女は井戸水を汲み上げては幾度も頭から水を浴びていた。
「――ん?ああ、なんだレオンか。おはよう、昨夜は眠れたか?」
 神槍は直ぐに少年の存在に気が付き、そう声を掛けていた。
 彼女は別段驚きもしないし、乳房を隠す素振りさえ見せなかった。
「あ、いや、実は、昨晩も、余り眠れませんでした……」と、レオンは神槍の身体を見詰めつつ、そう言った。
 叔母であるカレンの身体は、女性とは思えぬ程筋肉が発達しており、そして多くの傷跡があったのだ。
 少年はそれを美しいと感じ、格好が良いとも思っていた。
 女性らしい膨らみは勿論あるのだが、性的な目で見る事は出来ず、まるで戦女神の彫刻像かの様に少年の瞳には映っていた。

「あの、カレンさんは、今まで、何処にいたんですか?」と、レオン。
「ああ、ついさっきまで、オーク狩りをしてたよ。一晩で二百は狩れたかな?冒険者ギルドか、この村の行政に申請したらそれなりの恩賞は貰えるだろうけどね、今回は単なる苛々の発散でしか無いからさ……」
 そう言うと、行水を終えたカレンは手拭いで身体を拭き始めた。
 昇り出した朝日に照らされ、神槍の身体は美しく輝きを放つ。
「一晩で、オーク二百体も狩ったんですか?すごい……」
「アンタだって、それくらい直ぐに出来る様になるよ。まぁ、兄の血を強く引いてそうだから、性格的には無駄な殺生は好まないだろうけどね。さて、ちょっと腹が減ったな。冒険前に腹ごしらえでもしようか?」
「あ、はい!でも、こんな朝早くから営業してるお店があるんですかね?」
「あるよ。この村は草笛街道の交通の要衝だから。旅人向けの屋台なんかが、村の入り口に幾つか並んでいる」

 神槍は身体を粗方拭き上げると、鎧下を着てミスリルプレートを身に纏い、ヴァジュランダを右手で掴んだ。
 そして、そのまま颯爽と歩き出す。レオンはその後を小走りで追い掛けた。
「それで、今日の予定は?昨晩、打ち合わせしただろう?」神槍の声は凛々しく響く。
「はい、今日はタルム村から北側を探索して夕暮れ前には村に戻り、明日は村から西側を探索してまた夕暮れ前には村に戻って来る……と言ってました。まずはカルロとジゼルの実力を計りつつ、夜間の幻獣狩りは四日目以降になるだろうって」
 レオンは昨晩の打ち合わせの結果を、記憶を辿りつつ伝えた。 
 カルロの召喚師としての知識は既に高水準にあり、ジゼルはゴエティアと呼ばれる召喚術の天才なのだが、二人とも冒険者としては余りにも素人過ぎるのだ。
 その為、フレイザーは幻獣探索の行程をかなり緩く設定し直していた。
 当初フレイザーはこの話を受けた時、辺境伯が神槍に依頼してくるくらいなのだから大森林の最奥で強力な幻獣と契約を結ぶ事が最優先だと思い込んでいたのだが、どうやらそれは思い違いだったと、既に確信的に察していたわけだ。

「はあ?なんだいそのぬるい行程は?そんなんじゃ、碌な幻獣狩れないけど。あの一緒に来てた辺境伯軍のお目付け役もそれで良いって言ってたのかい?」
「そうですね。バーナードさんはむしろそう言う行程の方がありがたいと言ってましたよ?それより、カレンさん?」
「んんー?どうした?」
「その、女の子の召喚師がいるんですけど、ジゼルっていう子で。その子が、ゴエティアらしいんです」
 レオンがそう言うと、カレンはぴたりと足を止めた。
「ゴエティアだって?それは凄いね。十年に一人出るか出ないかって逸材だよ。で、そのゴエティアがどうしたんだい?」そう尋ねつつも、彼女は再び歩き出した。
「いや、実は、その子が、ぼくの事もゴエティアだと思うって言うんです」
 そして、レオンの言葉を聞き、また足をぴたりと止める。
「おいおい、それは本当なのかい?で、フレイザーは何て言ってた?」
「あの、それで、カルロとジゼルとは相性の悪い幻獣を捕まえたら、その時はぼくが幻獣契約をしてみる……みたいな話になってました」
「ふうん、そうかい、なるほど。よし、分かった。じゃぁレオン?あのね、私、今、凄くいい事を思いついたよ」
 神槍は機嫌良さげにそう笑みを浮かべると、歩き出す。少年は彼女の後を小走りで追い掛けた。

「あ、あの、いい事って……?」
「ふふふふ、いい事はいい事だよ。今言ったら、フレイザーにバレてしまうかも知れないから、教えてあげないけど、凄くいい事」
「今は、教えてくれないんですか?」
「うん、教えない。お前は、フレイザーには嘘つけないだろう?だから教えないよ。ふふふふ、まぁ、そんな困った顔するなって。悪いようにはしないし、責任は全部私が取るから、さ。よーし、じゃぁ、取り敢えず、腹ごしらえをしよう。確か、鹿肉の入ったグリュエルが美味かった筈。好きなだけ食っていいからね」
 カレンの言ういい事はフレイザーにしてみれば多分悪い事なのだろうとレオンは思いつつも、叔母の嬉しそうな顔を見て「これはもうなるようにしかならないよね」と小さく呟いた。
 そうして二人は、朝の早い商人や旅人たちに混じって鹿肉のグリュエルを、腹一杯になるまで食べた。


 森の村タルムの中央には広場があり、そこには樹齢五百年程の樫の巨木があった。
 タルムを拠点として冒険をする時は、この樫の巨木が集合場所になる。
 エルフの魔導師フレイザー・イシャーウッドは濃紫のローブを目深に被りつつも、その苛つきを隠すことが出来なかった。
 朝目覚めると、レオンの姿が無く神槍カレンも未だ姿を現さないのだ。
 紐付けの能力で大体の位置は掴んでいるとはいえ、現状を彼は歯痒く感じていた。
 フレイザーは樫の隆起した根に腰掛け、心を平静にしようと何度も深呼吸を繰り返す。
 十日間の冒険の最中、二日目の朝から苛つきで心を乱していたら身が持たないと、己に強く言い聞かせつつ。
 ホビットの戦士キッカは、身体と頭を目覚めさせる為に双刀を抜き振るっていた。
 くるくると身体を回転させ、上下左右様々な角度から斬撃を繰り出し身を翻して、仮想の敵から距離を取り、また攻め込むという動作を繰り返し行っている。
 目にも止まらぬ速さだった。周りにはいつの間にか見物客の輪が出来ており、キッカの動きに見惚れ歓声を上げたり口笛を吹き鳴らす者まで現れる。
 生来お調子者が多いホビットの中で、キッカはその最上位と言って過言では無い人物なので、見物客が集まれば集まる程、彼女の動きはより速く、より派手になってゆくのだ。
 見物客の歓声もより高まってゆく。

 しかし。
「キッカ?いい加減にしときなさい。朝っぱらからそんなに激しく動いたら、夜まで持たないだろう?お前は……」とフレイザーから注意を受け、ぴたりと動きを止め逆らう事無く双刀を鞘に納めた。
 集まってくれた見物客には愛想を振りまき解散してもらい、近くにあった巨木のコブにちょこんと腰掛ける。
 ホビットは瞬発力こそ他の種族を圧倒しているが、持久力が乏しい。キッカ程の冒険者でも、全力で戦闘出来るのは百数えるまで程度だった。
「ねえねえ、ってゆーか、レオンと神槍来ないし、バーナードたちも辺境伯軍の倉庫に行ったまま戻って来ないじゃんか?」
 キッカはぐぐっと伸びをしつつそう言った。
「カレンとレオンはもうすぐ来る。バーナード殿たちも、今漸く、倉庫から離れた。倉庫から装備品を持ち出すのに色々と手続きが必要だと言っていたから……」
 フレイザーは紐付けの能力で、皆の位置は概ね把握はしているのだ。

「あのさぁ?アタイと神槍とフレイザーがいるんだから、あの人たちは別に装備品なんていらないんじゃないのー?」
「それはそうだが、今回はカルロとジゼルの教育も兼ねているのだろうから。召喚術だけでなく、冒険の基礎的なことまで。それに、彼らは冒険者では無く軍人だからね。軍の倉庫での手続きの仕方とか、恐らくそこで借りた物の整備の仕方とか、決められた手順があってそれをしっかりと覚えて実行しなければならないんだよ。私たち冒険者は必要な事を必要なだけやればいいけれど、彼らはそうでは無い、という事だね」
 少し落ち着きを取り戻したのか、フレイザーの口調は穏やかになっていた。
「うーん、だからこそ、今回の幻獣狩りの護衛はさぁ、辺境伯軍でやればいいじゃんって、アタイは思っちゃうんだけど。まぁ、今更言ってもどーにもなんないけどさぁ」
「ふむ、それは確かにキッカの言う通り。まぁ、大体ね、今回の様に道理に合わなかったり、無駄だと思われる事の裏には、何者かの思惑みたいなものがあるのだと思う」
「思惑、あるよねー絶対。ってゆーかさ?思惑が蠢いてんのに、神槍が辺境伯側の話をちゃんと聞いて無いから、益々訳分かんない事になっちゃってるよね?」
「それもキッカの言う通り。あの馬鹿槍が参謀官の話をしっかりと聞いていれば、少しは思惑の霧も晴れていた筈だから」
「あの、バーナードって若い兄ちゃんはどんな感じなの?」
「ああ、あれは何か企んだり裏のある人間では無いだろう。恐らく、何かしら思惑があったとしても、全く関与してないし、何も知らされてない、と思う。混沌の魔女……ベアトリス・カンデイユから強力な精神支配を受けていたら、また別の話だがな」

 それを聞きキッカは目を見開き、その場でぴょんと飛び跳ねた。それは如何にもホビットらしい反応だった。
「うわぁ、混沌の魔女かぁ!って、その名前言って平気なのー?迂闊に口にしちゃダメっていつも言ってるじゃんか?」
「ああ、問題無いよ。この村は、かの魔女の影響下に無いから。さてと、そろそろ、皆集まるかな。昨晩も言ったけれど、今日と明日は様子見だからね。キッカは余り飛ばさない様に、旅の終わりまで体力は温存しておいておくれ。あのカレンが最後まで大人しく我々に付き合ってくれるか、分からないから……」
「ああ、うん、分かってるよん。ってゆーか、それ、いつも通りだし、ね」
 キッカはそう言って、短く息を吐いた。フレイザーは、置かれた現状に対して、太く長い溜息を吐く。
 それから暫くして、樫の巨木の下に全員が集まった。

 バーナードは辺境伯軍の冒険用装具を上から下まで正式に装着し、カルロとジゼルは魔導師用の杖とローブを身に着けていた。
 三人とも、サイズ感が微妙に合ってない所が初々しく可愛らしい。
「では、全員揃いましたので、出発しましょうか?先頭はカレンその後にバーナード殿とカルロ殿とジゼル。その後に私とレオン。で最後尾はキッカ、でいいですよね、カレン?」
 この中で自分の指示に反論するのは神槍だけだろうと、フレイザーはそう思い尋ねていたのだが、当の神槍は思いの外上機嫌で「ああ、それで構わないよ。今日は森の北側を適当に回ればいいんだろう?」と色よい返事をしてくれた。
「ああ、そうだね。昼頃まで行ける所まで行って、休憩を取ってから夕暮れ前までには戻って来たい、と思っているから」
 少し意外だと思いつつもフレイザーは、計画通りのぬるい行程案を投げかけていた。
「了解したよ。で、幻獣が現れた時はどうする?私が単独で生け捕っていいのか?」
「それは、カレンの判断に任せるよ。地域的に強力な幻獣は現れないだろうから、この子たちに幻獣の生態を見て学ばせるのも良いと思うし……」
 フレイザーがそう言うと、神槍は笑みを零した。
「おや、何かおかしなことを言ってしまったかな?」
 やはり、今日は様子がおかしいと思いつつ、フレイザーはそう言った。

「――いやいや、兄とお前に初めて冒険へと連れていって貰った時の事を思い出してね。確か、レオンと同じ歳の頃だったと思う。まぁ、あの頃はまだ冒険者登録とか面倒な決まり事が無かったから、いきなりアンヌヴンの塔に放り込まれたんだけど……」と神槍は笑みを浮かべる。
「ふふふ、懐かしいな。でも、放り込まれたと言うのは少し事実と反する。私と白銀は止めたのに、カレンが自らの足でアンヌヴンの塔へと入ってしまったんだよ。それを私と白銀で、慌てて追いかけた……というのが真実」
「ああ、そうだったかな?さてと、では、出発するよ?って、さぁ?まさか、この私が、こんな冒険の素人共率いて先頭に立つ日が来るなんてね。笑え無いけど、笑えるわ……ははは」
 そう笑い声をあげ、神槍カレンはドールズ大森林へと踏み込んで行った。
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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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