第2話:契約の条件。

文字数 5,294文字

 森に入り暫くして、レオンとジゼルは辺りをきょろきょろと見回し、人の気配の無い事を確認していた。 
 レオンの「なぜ、幻獣召喚出来る事を隠したいの?」という問いに対しジゼルは「バレたら、人殺しか、無駄に生き物を殺すだけの仕事を、与えられてしまうから」と答えていた。
 ジゼルの声は普段よりも張り詰めた緊張感が漂っていた。
 少年は、もしかしたら彼女はそう言う仕事をさせられていた時期があるのかも知れない、と思いはしたがそれを口から出す事は無かった。

「――フェンリル、出て来て、力を貸して」
 森の中の少し開けたところに入ると、ジゼルは右手を前に出してそう言葉を発していた。
 すると、彼女の右手の中に黒と紫色が織り交ざった魔力球が現れ「ヴヴヴヴ」と耳障りな音を発していた。
 そして次の瞬間、黒紫の魔力球は大きく膨れ上がり、巨大な獣の姿へと変容する。
 闇の狼フェンリルだ。
 通常の狼を比べたら、五倍強の大きさがあった。魔力球と同じ黒と紫色の織り交ざった毛並みは息を飲む程美しい。
 しかし、その鋭い眼光と鉄をも貫く凶悪な牙を見てしまうと、普通の人間であれば身が竦んで動けなくなってしまうだろう。
 ジゼルはフェンリルの胴体に触れ、レオンの様子を伺っていた。

「す、すごいね。これが幻獣……。闇の狼フェンリル」
 レオンは、息を飲みつつもフェンリルへと近づき、間近でその毛並みを観察する様に見ていた。
「久しぶりに外に出してあげれた。アンヌヴンに来てからは初めて」
「それは仕方の無い事だ。我の身体は、街中や屋内で出すには巨大すぎる故」
 フェンリルは下腹に響き渡る低い声で語っていた。
「え?今の声って、フェンリルの?喋れるんだ?」
「これでも我は人間の時間で数千年以上は生きておるからな。人の言葉を学ぶ時間は幾らでもあった」
「これは……声、ですか?」
「お主やジゼルが発している声とは違う。魔力疎通という。直接頭の中に語り掛けておるのだ。詳しい事はあのエルフの魔導師に聞くが良い。さて、では、二人とも我の背中に乗るがよい。森の奥まで一気に駆け抜けてやろう……」
 そう言うとフェンリルはまるで飼い馴らされた犬の様に地面へと伏せてみせた。
 ジゼルは黒紫の毛を握り締め、巨大な狼の背中へと攀じ登る。
 レオンは彼女の後に続き、狼の背に乗り上がった。

「フェンリルが走ると、凄く速いから、ちゃんと毛を掴んでおかないと、駄目」
「お主たちが落ちないよう、ゆっくりと走る。銀髪の少年よ、ジゼルが転がり落ちないように、しっかりと抱き締めておけ」
 伏せていたフェンリルがそろりと立ち上がった。
 レオンはジゼルの真後ろに位置しており、狼に言われたまま彼女の事を抱き締める。
「あの、レオンって、男の子、だよね?」
 ジゼルは、首を横へ向けそう言った。
「うん、まぁ、一応。女の子に間違われることはよくあるけどね」
「私、男の子に引っ付かれるの、あまり好きじゃ無いけど、レオンに引っ付かれても、嫌じゃないみたい。女の子みたい、だからかな?」
「うーん、それは、ぼくに尋ねられても、ちょっと分からないけど……女の子みたいだから嫌じゃないっていうのは、男の子のぼくとしては、少し複雑な気分だよ」
 そんな会話の最中、フェンリルは身体を揺すり、森の中を進みだした。
 はじめの二、三歩はそろりと、それ以後は一歩ごとに速度が上がってゆく。
 巨大な狼はゆっくりと走ると言っていたが、十歩を越えた辺りから風圧で呼吸するのが困難になる程の速度へと達していた。
 そして、二十も数えぬ間に速度は落ち、ゆっくりと散歩してるくらいにまでなり、目の前に開けた土地が見えると、ぴたりと足を止めた。

「――ふむ、この辺りで良かろう」
 そう言うと、フェンリルはその場に伏せた。
「そこの開けた所に、レオンの事を好きになってくれる子がいるの?レオン?もう降りるから、放して?」
 レオンはその言葉に、はっとなり彼女を解放した。
 少年は彼女に触れていたいとか、フレイザー染みた邪念は欠片も無く、ただただ呆けてしまっていたのだ。森の中を行くフェンリルの足の速さに。
「好きになってくれるかは分からぬが、銀髪の少年と相性の良さそうなのは、いるだろう。だが、この場は余りにも、光のエーテルに満ち溢れている。我は一旦、ジゼルの中へと戻らせてもらう。村へ戻る時に、再び声を掛けるが良い……」
 二人を背中から下ろすと、フェンリルは黒紫の魔力球へと戻り、ジゼルの手の平に吸い込まれ消えてしまった。
「確かに、陽の光が射しこんでいて、エーテルがキラキラとしてる」
 既にスキル【精霊眼】を体得してしまっているレオンの目には、その開けた場所が、他の土地より明らかに異質だと、目で見て感じ取っていたのだ。
「レオンは、エーテルが見えるの?」
「あ、うん。神槍に【夜眼】教えて貰ってる時にね、偶然出来る様になっちゃったんだよね」
「え、すごい。私、今それ塔内調査隊の人から習ってる最中。中々出来る様にならないから、長期間の訓練が必要だって、言われてるけど」
「ジゼルもすぐに出来る様になると思うけどなぁ。教えてあげたいけど、ぼくは本当に偶然体得したから、教え方が分からないよ。で、これからどうすればいいの?」

 二人の目の前には、開けた土地があり、そこには小さな泉が湧いていた。
 周囲は密林で、その場所だけが注がれる陽光により、光のエーテルが満ち溢れている環境だった。
「うん、あの泉の辺りで、ぶらぶらしてればいいと思う。私は、闇属性が強いから、一緒にには行かない方がいい。レオン、一人の方がいい、かな」
「ぼく、ひとり?大丈夫かな?」
 少年は、手に握っている木剣を見詰めて、心配そうにいう。
「大丈夫だと思う。レオンは光属性が凄く強いから、敵と認識されないと思うし。危なそうだったら、幻獣召喚して助け出すから」
 その言葉で自信に満ち溢れた訳でも、安堵を得た訳でも無かったが、ここまで連れて来て貰った以上、不安はあっても行くしかないのだろうと、少年は彼なりに腹を括る事にした。

 樹々生い茂る中から、開けた土地へと足を踏み入れる。
 半径三十歩程の広さ。中央には子供でも飛び越えれる大きさの泉が湧いていた。
 レオンは、その泉の近くで足を止め、空へと顔を上げた。
 高い樹々に周囲を囲まれているが、この場所だけがぽっかりと空いていて、陽光が射しこんでいる。
 ちょうど太陽が真上にある時間帯だった。
 少年は今一度、周囲を見渡す。
 はじめ、光のエーテルはふわふわと漂っていただけだったが、少年の侵入を切っ掛けに、緩やかに流れだしそして泉の上空へと集まっていた。
 既に、光属性の低級幻獣であるスプライトは発生しており、そこかしこで眩い火花を発生させている。
 泉の上空に浮かんでいる光のエーテルの集合体は、強烈な光を放っていた。
 レオンは、まるで小さな太陽だ、と思い片目を閉じつつもそれから目を離す事が出来なかった。
 そして、その光の魔力球はひと際強烈な光を放ち、弾け飛んだ。
 余りの眩しさに、少年は目を閉じてしまい、それから暫くして恐る恐ると目を開く。
 
 少年の眼前には、妖麗たる美しさを放つ白馬の姿があった。
 フェンリル程巨大では無いし、荒々しい印象も全く受けないが、その存在感は黒紫の狼に負けず劣らず。
 そして、少年の目を惹くのがその額より生えた一本の螺旋状の角。
 容姿からして、幼少期に母から読んで貰った本に描かれていたユニコーンにそっくりだ、と少年は思っていた。
「――まさしく、我はユニコーン。人の子よ、ここはお主が土足で踏み躙って良い土地では無い。森と大地の幻獣王から我が与えられし神聖な土地故。用が無ければ、早々に立ち去るがよい」
 ユニコーンはそう思念で伝えると、鼻を鳴らした。
 怒っている訳ではなさそうだが、快く思われて無いのは確かだろう、と少年は感じていた。
 ちらりと、横目で樹々の間から様子を伺ってくれているジゼルを確認する。
 一刻も早くこの場から逃げ去りたいという思いはあったが、折角の機会を見す見す失うのは勿体ないとも思っていた。

「あ、あの、実は、ぼく、契約してくれる幻獣を探してます。森の中を彷徨い、この場に辿り着きました」
 ここで闇の眷属たるフェンリルの名を出すと話がややこしくなるかも知れないと思い、少年は咄嗟に事実を捻じ曲げる事にした。
 気にする必要も無い程度の嘘だが。
「幻獣と契約、か。確かに、お主にはその器がある様に思える」
「あの!貴方とぼくが契約を交わす事は、可能ですか?」
「我とお主がか?それは、叶わぬ」
「叶わぬ?えーっと、それは、なぜ?」
「理由は、みっつ。ひとつは、我の属性が光と水故。お主の属性は光だが火属性もかなり強い。そして、水属性は余りにも弱い。それ故、お主と契約する事は出来ぬのだ。ふたつは、我は暫くこの場から離れる事が出来ぬ。森と大地の幻獣王からこの場を守護せよと命ぜられておるのだ。故に万が一お主と契約出来たとしても、お主がこの場から離れた時に契約を解消することとなる。みっつは、これが一番重要なのだが、我は清廉たる美しき少女の胎内しか好まぬ。お主は見てくれこそ少女の様だが、本質は飢えた野獣の如き猛々しい男の子。それ故に契約は交わせぬ」
 何だか三つ目の理由は、何処かのエルフの魔導師みたいの言うことみたいだ、と思いつつ、少年は、契約出来ない理由を飲み込むしか無かった。

「そうですか、残念です。では、いつまでもいては邪魔だと思うので、早々に立ち去ります」
 ユニコーンの機嫌を損ねる前に……と思い、少年は踵を返してその場から立ち去ろうとした。
「いや、少しまて」白き幻獣の思念が頭の中に響く。
「我との契約は叶わぬが、ここにおるスプライトは連れて行っても良い。お主程の光の素養があれば、同化も容易かろう」
 ユニコーンがそう言うと、辺りに漂っていた拳大程のスプライトがレオンの目の前に集まり、ひとつの大きな個体へと合体する。
 レオンの眼前をふわふわと漂っていた。大人の頭部ほどの大きさは有にあった。
「この、スプライトを、ぼくが契約していいんですか?」
「うむ、連れてゆけるのなら、連れてゆけ」
 目も鼻も口も無く、光り輝く球体でしか無いが、時折レオンへと子猫の様に懐いてくる。
 しかし、どうやらフェンリルやユニコーンの様に思念で語り合う事は出来ない様だ。

「生れて間もない幻獣と語らうには、お主の能力を向上させねば無理だろうな。が、様々な幻獣と契約を交わしてゆく内に、次第と成長はしてゆくであろう。お主にはその才能がある様に感じる」
 レオンはその言葉を受け、懐いてくるスプライトを手の平に乗せた。
 言葉は交わせないが、この光球が自分と仲良くなりたいと言う意思は伝わって来る。
 その気持ちを、レオンは心から受け入れた。その刹那、スプライトは眩く光り輝きレオンの手の平へと吸い込まれる様に消えてしまった。
「契約完了の様だな。では、立ち去るが良い。そして、次に訪れる時は、そこの闇の眷属の力を借りる事無く自力で、な」
 そう、少し厳しい口調で告げると、ユニコーンの姿はきらきらと輝きつつ霧散してしまった。
 少年は、呆ける間もなく光のエーテルが溢れる土地から足早に出る事にした。
 僅かでもついてしまった嘘を恥ずかしいと思いつつ。



「――最後、少し怒られてたね」
 レオンが戻って来ると、ジゼルは開口一番そう言った。
 恐らく、ユニコーンはジゼルにも思念を送っていたのだろう。
「うん、そうだね。次は自力で来いって」
「でも、まさかユニコーンがいるとは思わなかった。高位の幻獣程、契約するのに色々条件があるみたいだけど、ユニコーンのはかなり特殊だと思う。レオンじゃ絶対に無理な内容だったし」
 二人は、取り敢えず開けた土地から離れつつ会話を続けた。
「うん、そうだね。ユニコーンと契約出来たら凄い!って思ったけど、ぼくじゃ無理だよ。でも、スプライトとは契約出来た。何だかまだ実感無いけど」
「レオンは初めてだから、同化に少し時間が掛かるかも。でも、一晩寝れば大丈夫だよ。カルロみたいな事にはならないから。私たちみたいなゴエティアは、美味しいお菓子をぺろりと食べちゃうみたいにすれば、すぐに契約も同化も出来ちゃうから」
 そう言い終えると、ジゼルはフェンリルを召喚した。
 黒紫の狼はいう。「ふむ。強力な波動は感じていたが、まさか我と同等の力を持つ者が現れるとはな。契約出来なかったのは残念だが、収穫はあったな。ここまで連れて来た甲斐があると言うものだ。では、帰るとするか」と。
 そして、またそろりと伏せてくれていた。
 二人を乗せたフェンリルは、再び一陣の風となり、大森林を駆け抜けた。


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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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