第1話:エイプリル娼婦館にて。

文字数 5,327文字

 エイプリル娼婦館。
 アンヌヴンの街の東南地区にある、この街で一番の高級娼婦館としてその名は帝都アルヴィオンにまで及んでいた。
 経営者はエイプリル・メロウズという、妖艶な美しさをはなつハーフエルフ。
 透き通る様な白い肌に、煌びやかで身体の線が露わとなるドレスを身に纏い、この街の男たちが死ぬまでに一度は抱いてみたいと思う、まさに高嶺の花。
 と、その美しいハーフエルフの目の前に、燃える様な赤髪の粗野な男が相対して座っていた。
 そこはエイプリル娼婦館の、鮮やかな赤い絨毯の敷かれた大広間の一角。普段なら客が一晩の相手を待つ机だった。

 赤髪――ヴィルフリート・エーベルヴァインは不敵な笑みを浮かべていた。
 不細工では無いが、この癖の強い笑みのお陰で彼は上流階級の人々からは常に嫌われる傾向にあった。
 このエイプリル・メロウズも御多分に漏れず。
 彼女が旧知の者と込み入った話をするなら、本来は応接間へと案内するのだが、赤髪相手にはそれは無用ということなのだろう。
「――で、だ。要するにな、簡単に言うとだな、金を融資してくれって事だ。バルバトスをもう一度立て直す金が欲しい。金貨一万枚……いや五千でいいから。な?いいだろ?頼むよ、エイプリル。こんな事頼めるのお前しかいねえんだわ」
 凡そ、金を無心する態度では無いが、一応軽く頭は下げているため彼なりの誠意は見せているつもりなのだろう。
 それを見て、エイプリルは短く溜息をひとつ零した。
 緩く結われた金色の髪を胸元に垂らしていて、それを指先で弄るのが彼女の癖だった。
 そして、彼女の周りには常に二人のホビットがいた。
 双子のルリアとリルロ。
 仲の良い姉妹で普段は踊ったり歌をうたい遊んでいるが、エイプリルの警護担当でもあり、襲撃されたり不穏な行動を見せた者は躊躇無く殺してしまう。エイプリルの制止が無ければ見境なく手を出してしまうため、周囲からは恐れられていた。

 エイプリルはもう一度溜息を零してから、漸く口を開いた。
「ヴィル?あのね?まぁ知らない仲でも無いし、融資してあげたいのは山々だけれど、いくら私でも五千とか一万もの金貨を簡単に動かせる筈が無いでしょう?そもそも、貴方のバルバトスの筆頭出資者は酔いどれ小路連合のアンガス・シーモアなのよ?彼が幾ら出資してるか分からないけど、一万どころか五千も出資してしまったら、私がバルバトスの筆頭出資者になってしまう可能性があるじゃない。そしたら、エイプリル商会と酔いどれ小路連合の関係がギクシャクしてしまうでしょう?だって誰がどう見たって、金にモノを言わせた買収でしか無いもの。酔いどれ小路連合の後ろにはハイアット商会がいるんだからさ、幾ら私でもあそこは敵に回せないわよ。って言うか一体どうしたのよ?この前会った時は、そろそろ冒険者引退するって言ってたくせに……」彼女はそう艶のある声で言った。
 ちなみに、アンガス・シーモアはイライザの義父でローラの祖父にあたり、酔いどれ小路連合の会長を務めている。

「いや、だからそれが問題なんだわ。実際、オレはマジで冒険者引退するつもりだった。バルバトスも壊滅した様なモンだからな。この歳から再出発ってのも中々出来るもんじゃねえ。で、アンガスの親父にはよ、もう言っちまったんだわ、バルバトス解散して、冒険者引退するって、三日前に、な」
「あらそうなの?うん、じゃぁ、それでいいじゃない。冒険者から足を洗って、アンガス・シーモアの後を継いで酔いどれ小路連合の会長になっちゃえば?そしたらさ、私と手を組んで色々と商売しましょうよ?」
「いやいや、だからな、おれだってそれくらいの目論見は持ってたんだぜ?アンガスの親父からもよ、後を継いでくれって直々に言われてっから。そしたらオレだってその気になんじゃんか?」
「でしょう?だったら、そうしましょうよ!そして、ゆくゆくはエイプリル商会と酔いどれ小路連合を統合して……」
 エイプリルの小鼻がぷくりと膨らむ。
 冒険者だった頃は、フレイザーと同格と呼び声高い魔導師だったが、今となっては金の亡者と囁かれる程の商売人でしか無かった。

「――いやあ、でもな、昨日、来ちまったんだよ」
 ヴィルはそう言って、不敵な笑みを浮かべたまま溜息を吐いた。
「は?来たって、何が?」
「そりゃぁ、あれだ、白銀の……息子だよ。ブレイズとアンナの息子がよ、アンヌヴンに来ちまったんだわ」
 赤髪の言葉を聞き、エイプリルは目を見開いて固まってしまった。
 彼女の異変を感じてホビットの姉妹が遊びを止め、目を見開きヴィルに対して強烈な殺気を放った。
 それを、エイプリルは手をひらひらと振り制止する。
「やめて、ルリア、リルロ?私は丈夫だから、遊んでなさい」
 ホビットの姉妹は、その言葉を聞くと、すうっと殺気を消し去り、何事も無かった様にきゃっきゃと笑い声をあげ追いかけごっこを始めた。
「ははは、相変わらずおっかねえホビットだな。コイツら相手したら流石に丸腰じゃあ、今は勝てる気がしねえわ」
「あの、ヴィル?」
「あん?」
「ブレイズの息子って、今、十三歳かな?」
「ああ、まぁ、それくらいだろうな」
「あの人に似てるの?」
「似てる。似てるって言うか、白銀そのモノだわ。当然まだ顔立ちは幼いけどな。ぶっちゃけ、オレはよ、アイツを街中で初めて見た時、泣きそうになったもんよ。バルバトスを全滅しかかった時からずっと、オレなんであの時、死ななかったんだろう?って思ってたけどよ、レオンを見た時に……ああ、ブレイズの息子レオンって言うんだけど、アイツ見た時に、オレ多分、コイツと出逢う為に生かされたんだなぁって、マジで思ったもんよ。神とか運命とか信じて無かったけど、今は、そう言うのってもしかしたら存在すんのかもしんねえなぁって、少しは思っちまうわ」
 そう言って、ヴィルは右の手の平を見詰めていた。
 レオンに握り締められた箇所がまだじんじんと熱を帯びているのだ。
「よ、要するに、ブレイズの子供を冒険者に育てる為に、貴方は冒険者を続けるし、その子を育てる為に私に融資しろってことね?」
「まぁそう言う事だ。まぁ、お前も、レオンを見たら、酔いどれ小路連合とかハイアット商会がどうのこうのって言ってらんなくなるぜ?」
 白銀の獅子ブレイズの名を聞いてから、エイプリルの様子は明らかにおかしい。
 戸惑っている様な、気が動転してしまっている様な表情を見せていた。

「ね、ねえ、アンナは?彼女も一緒にこの街へ?」
「ああ、どうやらアンナは流行り病にやられて死んじまったらしい。それでよ、レオンはイライザを頼って山の上のドーン村から下りて来たみたいだ」
「え、うそ、アンナ死んじゃったの?そっか、まだ四十くらいじゃ無かったかしら?そう、それで、一人で、この街に……その、レオンくんは、お父さんに憧れて冒険者になりたいって?」
「まぁ、興味はあるんじゃねえかな?ブレイズと同じで女みてえな顔してっけど、根性はありそうだし、なんか、魂に火が点いた時の顔が白銀と同じだったからよ」
「で、でもさ?別に冒険者じゃ無くて、他の道へと導いてあげるのもいいと思うんだけど。ほら、この街にはさ、帝国の地方行政区もあるから、取り敢えずは帝都の学校で勉強して、それからこの街に戻って来て官吏とかギルドの勤め人とか、そう言う、人として真っ当な仕事に。そう言うお金だったら、惜しみなく払ってあげるから……」

 実際、彼女はこの街の何人も孤児に様々な教育を施し、辺境伯軍や地方行政区の勤め人にまで育てあげてきたのだ。
 数ある事業の中で一番利益を上げているのが娼婦館なだけに、色々と良くない噂の立つ事もある人物だが、その美貌と人徳から彼女を慕う人は多い。
「そうか、まぁ、確かにそう言う人生をレオン自身が望むならそれも悪くは無いんだろうな。よし、じゃぁ、こうしよう。お前さ、今晩ルロイに顔出せ。そこでレオンと会って話してみろ」
 ヴィルはボサボサの赤髪をを掻きつつそう言った。
 態度は横柄だが、融資を願いに来ている立場は弁えているのか、無理やりエイプリルから金を引き出してやろうとは考えては無い様だ。
 「そ、それは……まぁ、会って話してみたいけど、ルロイは最近顔出して無いからなぁ。何だかイライザには顔合わせ辛いかも。それに、今でもベリアルの人たちが良く来るんでしょう?」
「ああ、そりゃな。毎夜毎晩、誰かしら来てベリアルん時の冒険譚を朝まで語っていきやがるよ」
「私はさぁ、嫌なんだよ。そうやって昔の顔馴染みと会って話してブレイズの事を思い出してしまう事がさ。……あははは、まったく情けないだろう?もうじき百歳になろうかってハーフエルフが、十三年も前に死んだ人間の男の残影にさ、未だに心乱されてしまう、とか情けないったらありゃしないよ……」

「情けねえ……とは言えねえな。そう言う想いを持ってるのはお前だけじゃねえと思うぜ?あの時あの場にいたベリアルの面々は皆少なからず、胸にしこりを持って生きてる筈だ。レオンをな、白銀の生まれ変わりみたいに扱かっちゃぁ悪いとは思うが、何て言うか、オレは、レオンと会って、もう一度力強く足を踏み出す切っ掛けになったんだわ。目が覚めたと言うか、死んでいた心が蘇えったって言うかな。まだ何もしてねえけど、何かしなくちゃなんねえって気持ちが張り裂けそうなんだよ。まぁ、取り敢えず、今日じゃ無くてもいいから、一度ルロイに顔出せよ。イライザにはそれとなく言っておくから」
 赤髪はそう言うと、席を立った。
 レオンと同じ歳の頃から冒険者として生きてきた男の身体は、屈強で強靭だが至る所に傷跡があった。
 エイプリルは座ったまま赤髪の事を見上げて「もう帰るの?折角来たんだから、ウチの子たちと遊んでいけばいいのに」という。
「あん?馬鹿か?オレは金払って女を抱く趣味はねえんだよ。もう帰るぜ。お前以外にも色々と声掛けなきゃなんねえ奴らがいるからよ」
 ヴィルは悪態をつき、玄関へと歩いて行った。
 エイプリルは、その後を追う様に立ち上がり、赤髪を見送る。遊んでいたホビットの姉妹もエイプリルへと駆け寄り、そのすらりと長い脚にしがみついて赤髪の事を見ていた。

「今晩は予定があるから無理だけど、明日か明後日には、顔出すって、イライザに伝えておいて」
「ああ、分かったぜ」
「あとさ、話がどう転んでも、やっぱり私がバルバトスに融資するのは難しいと思う。私は、イシュタルの筆頭出資者だからね」
 エイプリルは心苦しそうな表情を浮かべていた。
「イシュタルか……。あんま絡んだ事ねえけど、評判は悪くねえな。ユニオンの序列もかなり高位だろう?まぁそんなトコの筆頭出資者やってたんじゃ、バルバトスの面倒はみれねえわな」
「でしょう?私くらいの資産を有してしまうとね、地方行政区にしっかりと金の流れを掴まれてるから、下手な事は出来ないのよ。スペンサー・ハイアットとかに頼めば裏で上手くやってくれるかもしれないけど、五割程度は持ってかれちゃうと思うし。まぁ商売相手として武器とか冒険用の道具を格安で売ってあげる事くらいならどうにでもできるけど。って言うか、そんな面倒臭い事止めてさ、もうバルバトス解散しちゃって、アンタがレオンくん連れてイシュタルに参加すればいいじゃない。そしたら、私が提供してる金も武器も道具も使い放題なんだし」
「あ?なんでオレがイシュタルに入んなきゃなんねぇんだよ?そんなもん、酔いどれ小路連合の次期会長の座を蹴ってお前の子分になるとか、あり得ねえだろうが!」
「だからこそいいんじゃない。私の子分が酔いどれ小路連合の会長になれば、我がエイプリル商会は益々と繁栄する訳だし、アンタが加入したらイシュタルは少し下品になってしまうけど、確実に戦力が上がるワケだしね」
「ちっ。白銀の話してる時はしおらしくしてたくせに、金とか権力とかの話になるとコレだ。冒険者だった頃はもう少しマシな性格だったと思ったけどな!」
 赤髪は呆れ顔で娼婦館から去って行った。
 それを見送り、少しからかい過ぎたかしら?とエイプリルは苦笑いを浮かべていた。

 そして「変わらないと、生きるのが苦しかったから、全く違う人生を歩んでるんじゃない……」と誰に言うでも無く、ぽつりぽつりと呟いていた。
 それから、暫くの間、白銀の息子の事を考えつつその場で時を過ごす。
 出来る事なら今すぐにでも会いに行きたい気分なのだが、様々な商売に手を出している彼女に自由な時間は余りないのだ。
 しかも月末で午後からは地方行政区やら商人ギルドなどに回らなくてはならない。
「さあて、ルリア?リルロ?午後からお出掛けするから、今の内に湯あみをしておきましょう。今日は夜まで忙しいから、少しお昼寝しててもいいからね?」
 エイプリルは我が子の如く可愛がっているホビット姉妹の手を引き、浴場へと向かった。

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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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