第2話:いにしえの大召喚師の名。

文字数 5,236文字

 アンヌヴンの街から森の村タルムまで徒歩だと大人の足で丸一日かかる。
 旅人や行商人は夜明けと共に出発して、夕暮れまでには到着出来る様に行程を考えるのだ。
 馬車で行くと概ねその半分程度の時間という事になる。
 今回辺境伯側の組んだ行程は、太陽が昇り出す頃にアンヌヴンを出発して、陽が傾き出す頃にタルムに到着する、というものだった。
 タルムでの宿と晩餐の手配までしてある為、ドールズ大森林での冒険は翌日から……でいいだろうと、行程案を出した辺境伯軍の参謀副官はそう考えていた。

「――全く、馬鹿らしい!それでなくとも日数が無いと言うのに、何故タルムで一泊せねばならんのだ!?」
 馬車の中で神槍の怒号が響き渡った。
 フレイザーから今回の冒険の予定を今更ながらに聞かされていたのだ。
 いや、実際、彼女は前日の辺境伯軍の参謀副官との打ち合わせで、同じ内容の会話をしていた筈なのだが、全く聞いて無かったと言う事になる。
 美しいエルフの魔導師は、深い溜息を吐いた。
「カレン?昨日参謀副官と打ち合わせたじゃないか。辺境伯様には、大森林の最奥まで赴き幻獣狩りをすると報告はするが、実際はタルムを拠点に活動する、と。エルフの村まで行くと入村の儀式で半日は取られるから、今回の様な短期の冒険では経由しない方が良いと言う事もちゃんと説明した筈だぞ?大体、そもそもはお前が受けてきた依頼なのだから、契約や行程の内容はもっとお前が率先してやるべきだろう?相変わらず、面倒臭い事ばかり私に押し付けて……もういい大人なのだから、嫌な事から目を背け耳を塞ぐ癖を直したらどうなんだい?」
 神槍にしてみたら、耳にタコが出来るくらい幾度となく繰り返されて来たフレイザーの叱責と説教。
 これこそが武力だけなら最強と謳われる所以のひとつなのだ。
 協調性が無く団体行動が出来ない、興味の無い人物の話は一切聞く耳を持たない、面倒な事は全部フレイザーに押し付ける……と、完全にダメ人間なのだが、その見た目の良さと圧倒的な武力と誰にでも高圧的な態度を取る傍若無人ぶりから、街人や若い冒険者からは人気があった。

「はぁ、相変わらず小五月蠅いエルフだね。そもそも、私をこう言う風に育てたのはアンタだろう?まだ子供だった私に全部面倒を見てあげると、下心丸出しで近づいて来たじゃあ無いか。嫌いな人の話は聞かなくていいと教えたのもアンタだし、団体行動が出来なくても強くなれば一人でも問題無いと教えたのもアンタだからね?」と神槍。口元に意地の悪い笑みを浮かべている。
「い、いや、だから、それは、月の女神ミネルカースの生まれ変わりの如き可愛さを誇っていた少女の頃の話だ。あの頃のお前は確かに、この世の者とは思えぬ程光り輝く存在であったから!しかし、最早時は流れてしまったのだ。私は、大人になってしまったお前の面倒をみるとは一言も言って無いからな!」
 一方フレイザーは明らかに狼狽気味。レオンの手前なんとか体裁を保とうとはしてる様だが……。

「ああ、もう、鬱陶しい!齢二百五十を超すエルフの大魔導師が少女少女と気色の悪い事を言うな!大体、お前が人間の街に住み着いたのも冒険が楽しいからでは無くて、少女に対する性癖からなのだろう?確かに、その浄化ローブや浄化石を研究し飛躍的に効果を上げたのは素晴らしい事だとは思うが、それが全て、お前の性癖に繋がってるかと思うと、反吐が出るよ……レオン?こう言う大人になるなよ?残念ながらこの街の冒険者どもは大抵頭がイカレてるから、色々と壁にぶつかると思うけれど、お前は真っ当な道を歩きな……」
「だまらっしゃい!まるでお前が真っ当な人間であるかの様な言い草は止めろ!それに、お前の様な戦闘馬鹿には人間の少女の美しさと儚さと尊さは理解出来んよ!」
「はぁ?お前自身が蝶よ花よと育てた、美しい少女の成れの果てである私に、どの口が言うのか、全く」
 今にもお互い殴り合いそうな雰囲気だが、二人のこの手の不毛な会話は、殆ど似た同じ様な内容で年中繰り広げられる。
 酒房ルロイだったり、フレイザーの店だったり、ばったり出会った街角だったり、今日の様な馬車の中だったりと場所は様々だが。

 神槍カレンは気に食わない人物に対しては相手が王侯貴族であろうが有名無名関係無く噛み付くのが基本。しかし、ここまで強烈に噛む相手はフレイザーと赤髪くらいか。
 普段は温厚なフレイザーが喧嘩腰になる相手は彼の性的な嗜好を知る大人の女性……要するに神槍やイライザのこと。
 口論が始まると、周りにいる者たちは大抵巻き込まれない様に散ってゆくのだが、今日の様に他に逃げ場が無い時は、狸寝入りを決め込むしかない。
 キッカは二人との付き合いが長いため、目深にローブを被り素知らぬ顔をしていた。
 少年レオンは、二人が何について言い合いをしてるのか、よく分からなかったが、止める事も狸寝入りする事も出来ずに様子を見守るしか無かった。
 しかし、犬猿の仲のカレンとフレイザーもいざ戦闘となると、言葉を交わす事無く見事な連携で敵対者を駆逐してしまうのだ。
 そこに潤滑油的な役割を果たすキッカが参戦すると更に駆逐効率が向上する。
 時折、三人の戦いぶりを観て、ユニオンを組めば……と提案を受ける事もあり、過去には辺境伯や豪商で知られるイーニアス・キングストンからも資本提供をすると申し出があった程だが、三人が三人とも「御免被る」と即答したという話は、アンヌヴンの冒険者の間では笑い話のひとつとしてあげられる程有名だった。

 そして、いがみ合いが冷めぬままに馬車は森の村タルムへと到着した。
 馬車が停まるなり、神槍はヴァジュランダ片手に無言で外へと飛び出して行った。
 それに対してフレイザーは「出発は明日の朝だからな!それまでには戻って来いよ!」と彼にしては大声を張り上げていた。勿論、神槍からの返答は無い。
「――ふうう、さて、すまんな、レオン。私とカレンはいつもこうなのだ。冒険に出てしまうと苛々を敵に向けて放出する事が出来るのだが、馬車で移動となるとそうもいかんからな。しかし、これで分かった事がひとつある。カレンとの馬車旅はアンヌヴンからタルムが限界という事だ。これ以上長く過ごしていると、お互い殺気を帯びてしまうからな……」
 フレイザーはそう言うと、浄化石を懐へと仕舞い込み濃紫のローブを目深に被った。
 狸寝入りをしていたキッカは、ぐぐっと身体を伸ばしわざとらしい欠伸を零していた。
「んでー、今日これからの予定わぁ?」
 キッカはそう言うと、ぴょんと立ち上がった。
 橙色の髪は目に鮮やかで印象的だ。
「これから辺境伯側と懇談し明日からの予定を詰めよう。その後に食事を取るか。キッカは懇談に参加してくれれば、あとは好きにしてくれていい。レオンは折角だから、食後に少し魔法の勉強をしようか」
 そう言うとフレイザーもゆるりと立ち上がったので、レオンも同じく席を立つ。
 三人はキッカから順に馬車から降りた。

 その時丁度、少し遅れていた辺境伯側の馬車もタルムへと到着した。
 停車すると直ぐにバーナードが降りて来て、その後に続き少年と少女が降りてきた。
 少年の方は利発で、身形が良く見るからにこちらが辺境伯の血縁者なのだろうという立ち振る舞い。
 一方、少女の方は黒無地のローブを纏っており、馬車から地面に足を付けた際に躓き転がりそうになっていた。
 表情は乏しく、無反応だが、辺りをきょろきょろと見渡していた。
 地味な服装だが、黒く長い髪と黒無地のローブとその白い肌の対比が見る者を惹き付ける。
 バーナードが二人を引き連れてフレイザーたちへと歩み寄ってきた。
「あのフレイザー殿、神槍殿はどちらに?」バーナードは爽やかな笑みを浮かべつつ言った。
「ああ、偉大なる神槍殿は恐らく明日の朝まで戻りませんよ」
 フレイザーはそう返答したが、視線の先は明らかに黒髪の少女へと向けられていた。
 ローブを目深に被っているため、その好色の目は晒されては無いが。

「もしかして、明日からの道程の偵察にでも行かれたのでしょうか?」
「いやいや、そんな気の利いた事はしませんよ、アレは。恐らく、オークの生息域に赴き無駄に虐殺でも愉しんでいるのでしょう。さて、では我々の自己紹介を致します」
 フレイザーはそう言うと、右手をキッカへと差し向けた。
「この橙毛のホビットはキッカ・カフィと申します。冒険者の間では双刀の閃光と呼ばれており、その戦闘能力は神槍が一目を置く存在です。現在はユニオンに所属しておりませんので、私の仕事の補佐をしております。そして、こちらの少年は……」
 そのまま言葉を切る事無く、今度は左手をレオンへと差し向ける。
「――レオン・トワイニングと申します。彼の白銀の獅子ブレイズ・トワイニングと鬼女と謳われたアンナの息子。そして、神槍の甥っ子に当たります。まだ十三歳で冒険者登録も済ませておりませんが、私が見る限り、白銀の獅子と神槍をも上回る才能を有しておりますので、今回は経験を積ませる為にポーターとして冒険へと参加させることにしました」
 そう紹介され、皆の視線は銀髪の少年へと向けられる。
「そして、私はフレイザー・イシャーウッド。エルフの魔導師です。冒険者となりアンヌヴンに住み始めてから丁度百年くらいになりますので、何か分からぬ事があれば何でもお尋ねください。では、バーナード殿?そちらのお二人の紹介を……」と白々しく口にしてはいるが、エルフの魔導師の興味の先は一人しかないだろう。

「――はい、では、こちらのカルロ・アシュフォード様から。カルロ様は辺境伯様の従弟に当たりますロベルト・アシュフォード様のご子息になられます。アンヌヴンの士官学校で勉学に励まれておられましたが、幼少期より幻獣召喚に興味をお持ちになり、独学で召喚法を学ばれて……」
「あ、バーナード殿、詳細は折を見て本人から伺います故、今は手短にお願いできますか?」
 気持ち良く何処か自慢げにカルロの紹介をしていたバーナードを、フレイザーは一蹴してしまった。
「ああ、こほんっ、それもそうですね。では、こちらの黒ローブの少女ですが、名をジゼル・アルクインと申します。出自は……少々訳が御座いまして伏せますが、幻獣召喚に関してはかなりの才能を有している様でして」
 バーナードはジゼルに関しても色々と紹介用の文言を用意していたのだが、先ほどフレイザーから手短にと指摘されてしまったので、余り多くは語らない方が良いかと思い、語りを止めた。
 しかし、黒いローブの少女に対して、明らかに興味津々なエルフの魔導師は彼女の情報に関しては開示を求めていた。

「ほほう、ジゼル・アルクインとは、それはまたご立派なお名前ですね?」
「あ、はい、彼女の名も姓も、その才能を見込まれた辺境伯様がお付けになりました。古の大召喚師の名だと聞いております」
「ええ、そうです。人間でありながら幻獣王とまで召喚契約を結び、一度に何百もの幻獣を召喚したと、私が読んだ書物には記されてました。で、歳は……?」
「カルロ様のでしょうか?」
「ああ、ええ、はい、では、折角なので、お二人とも……」
「カルロ様は今年で十七歳となられました。ジゼルの方は……実は、彼女、幼少期の記憶が有りませんので、大体、十三、四歳だろうということです」
「なるほど、記憶が無いのですか。で、話は戻りますが、彼女に幻獣召喚の才能があると言う根拠は?」
 フレイザーはジゼルの潜在魔力を観察しつつそう言った。
「はい、それに関しましては、私も又聞きでしかないのですが、どうやらジゼルはゴエティアと呼ばれる存在の様です」
「おお、ゴエティア!?なんと、それは素晴らしい。辺境伯様が古の大召喚師の名を授けるのも頷けます。かの者もたしかゴエティアだったと記されてましたからね。なるほど、なるほど、これで漸く今回神槍に護衛を依頼した理由が分かった様な気がします。それ程までに、大切な人材……という事なのですね。さて、では立ち話も何ですので、何処かに腰を落ち着けてから、明日以降の計画を話しましょうか。この先に、私の知り合いの茶屋があるのです。美味しいハーブ茶を出してくれますので……」
 そう言うと、一人だけ辺境伯の思惑を飲み込んだフレイザーは皆を引き連れて村の中へと入って行った。


 一方その頃。
 神槍カレン・トワイニングは、フレイザーの憶測通り、苛々を鎮めるべく単身オークの生息域を目指していた。
 気が確かな者なら決して一人では入り込むどころか近づきもしない様な所に。
 殺気を感じると微弱な放電を発する漆黒の槍ヴァジュランダに導かれるがまま……。

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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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