第1話:夜明け前に、酒房ルロイで。

文字数 5,855文字

 ドールズ大森林を深夜に神槍とレオンが探索していた同日、エイプリル・メロウズは夜明け前の広場大通りを西に向けて歩いていた。
 彼女の護衛役であるホビットの双子の少女ルリアとリルロは眠そうな目を擦りながら、すぐ後ろに着いて歩いている。
 エイプリルは大通りのど真ん中を悠然と進んで行く。
 まだ商人たちが動き出す前で、酔っ払いか街を巡回している兵士の姿しか無いが、その殆どが美しく妖艶なハーフエルフに目と心を奪われてしまっていた。
 アンヌヴンの男なら誰でも一度は抱いてみたいと思う女……とその名を馳せているだけの事はある。
 しかし、誰一人として、声を掛けて来る者は疎か近づく者すらいなかった。
 エイプリルが従えているホビットたちは武器を所持してる様には見えず一見無害だが、主人に害を為そうとする者が現れると即座に命を奪う、と噂が広まっているのだ。
 そしてエイプリル自身も、現在では冒険者から引退してしまっているが、高位の魔導師なので、屈強な辺境伯軍の兵士であれ己を見失っている酔っ払いであれ迂闊に近寄る事は出来ない。

 一行はバザール広場へと入り、コーリング大通りを北上していた。
 目指す先は酔いどれ小路の酒房ルロイ。
 エイプリルはベリアルに所属していたので、一時期は彼女も酒房ルロイの常連客の一人だった。
 しかし、商売が軌道に乗り出した五年程前からはめっきり顔を出さなくなってしまっていた。
 誰かと仲が悪くなったとか、居心地が悪くなったとかそう言う理由では無いが、過去常連だった店に久しぶりに顔を出すのは、人間でもハーフエルフでも関係なく気恥ずかしい想いが胸に募ってしまう。
 そもそも、エイプリルという女は、冒険者時代からその手の感情を露わにする事を苦手にしていた。
 今やアンヌヴンの街を代表する商人の一人に数えられる様な存在となった現在でも、不得手は不得手のままだった。

 酒房ルロイの扉の前で、一息つく。
 今晩は既に随分と酒を飲んでいるのだが、歩いている内に夜風に吹かれて殆ど醒めてしまっていた。
「ルリア?リルロ?このお店の中の人たちは、私のお友達だから、絶対に、手出ししてはダメだからね?」
 エイプリルは、ホビットの双子の頭を撫でつつそう言った。
「じゃぁ、リルロと遊んでていーい?」
「じゃぁ、ルリアと遊んでていーい?」
 双子たちは口々に言う。いつも一緒にいて、口を開く時は大体同じ内容の事をほぼ同時に言葉を発する。
「うん、二人で遊んでていいよ。眠かったら寝てていいし、ローラって女の子がいると思うから、その子とお友達になって遊んでてもいいよ」
 妖艶なハーフエルフは慈しみの目を双子たちへと向けていた。
「うん、分かったー、リルロとローラと遊ぶー」
「うん、分かったー、ルリアとローラと遊ぶ―」
 このホビットの双子は、エイプリルが拾った時には既に暗殺者として育てられていた。
 その為、今回の様に歯止めを掛けて置かなければ、主人であるエイプリルに不穏な行動を示した瞬間に問答無用で相手の命を絶ってしまう。
 強ち、街の噂も嘘では無いと言う訳だ。
 姉のルリアは直接攻撃を、妹のリルロは暗器による間接攻撃を得意としているが、この双子の恐ろしい所は、彼女たちが使用する武器をエイプリル以外は見た者はいない。

 店に入ると、カウンター席には赤髪の姿があった。
 奥のテーブルは、夜明け前にも拘わらず全席埋まっている。
 商談やら密談を交わしている様だが、いずれもこの街ではそれなりに名の知れている者たちばかりで、エイプリルの来店には皆すぐに気が付いていた。
 店内は俄かにざわつくが、ルリアとリルロの存在があるため、気安く声を掛ける事は出来ない。
 中には密談しているところ見られたく無かったのか、静かに席を立ち裏口から逃げ出す輩も何名かいた。
「――あらあら、珍しいのが来たねえ。エイプリル・メロウズ。どうしたんだい?今晩、股を開く相手でも探しに来たのかしら?」
 イライザは、開口一番そう告げて煙管を咥えた。
「お久しぶりね、イライザ。相変わらず無駄に色気振りまいて……いや、元気そうで何よりだわ。残念ながら、私は仕事柄、男には不自由して無いから。久しぶりに、フレイザーのリキュールが飲みたくなって、来ただけ……」
 エイプリルは背を向けたまま振り向く素振りさえ見せない赤髪の左側へと腰掛けた。
 ルリアとリルロはエイプリルの隣りの席を奪い合う遊びを始めた。子猫がじゃれ合う様な感じで。

「ああ、この子たちが有名なホビットの双子かい?まだ黒毛って事は子供なんだろう?それなのに、相当危ないって噂が出回ってるよ……」
 イライザはフレイザーのリキュールを取り出し、上客用のグラスに注いだ。
「この子たち、ホビットのアルビノ氏族の出なんだよ。ガキの頃から暗殺術仕込まれるって物騒な一族の話、聞いた事あるでしょう?普段はこうして二人でじゃれ合ってるけど、私に害があると感じた瞬間にね、相手を仕留めてしまうの。まぁ、今日は誰にも手を出すなって言ってるから、大丈夫だけど、さ」
 それからエイプリルはリキュール口にしつつ、今一度店内を見回していた。
 例の白銀の息子はいないのかしら……?と、その仕草が余りにも露骨だった為、赤髪とイライザは思わず吹き出してしまった。
「ちょ、ちょっとなんなの、二人とも?何がおかしいのよ?」
「ああ、わりぃ、わりぃ。残念だけどよ、レオンは今この街にいねぇぜ?フレイザーとよ、ドールズ大森林に出掛けてるからよ。十日もしたら帰って来るけどな」
 赤髪は吹き出してしまったエールを服で拭いつつそう言った。
 イライザと赤髪は、エイプリルが白銀の事を心の底から愛していると知っていただけに、美しく妖艶なハーフエルフのその仕草を可愛らしいと感じていた。

「べ、別に、その子目当てで来たワケじゃ無いからね?私は、リキュールを飲みたいなあって思っただけなんだから……。で、あの、フレイザーとドールズ大森林に出てるって事は、結局、ブレイズの息子は、冒険者になってしまう、ってこと?」
 エイプリルは、その言葉をイライザへ向けて投げ掛けていた。
 既に酩酊に近い赤髪は、余計な口は挟まないでおこうと、右手で口を隠す。
「それはね、レオンが決める事だから。まだ十三歳で子供だと思うけど、あたしもヴィルもその歳の頃には冒険者として生きて行くって決めてたからね。勿論、レオンには冒険者以外の道もあるとは思うけど、さ……」イライザの言葉に普段の勢いはない。
「私、ヴィルから、その子の話聞いてから、色々考えたけど、結構、本気で引き取りたいって、考えてるの。イライザと違って、血の繋がりは全く無いけど、私が育てた方が色々な将来を提案も提供も出来ると思うし、冒険者になるとしても、壊滅状態で資金難に喘いでいるバルバトスに入れるくらいなら、街で五本の指に入る、イシュタルに入れた方が絶対に良い筈だから。あと、それに……私ね、まだ、ブレイズに、未練たらたらだから、ね。もう、この想いは成就しないけれど、でも、あの人の息子がいるのなら、せめて、私の手で、育てさせて欲しいの。ねえ、イライザ?ダメ、かしら?」
 そう言うと、妖艶なハーフエルフはグラスにあったリキュールを一気に飲み干した。 
 涙こそ流れて無いが、その優美な瞳は濡れ潤んでいる。

 イライザは、リキュールを注ぎ口から細く長い紫煙を吐いた。
 そして、エイプリルの瞳をじっと見据えて言う。
「エイプリル?アンタの想いは、知ってるし理解もしてあげる。けど、レオンを独り占めには出来ない、と思う。あの子はね、白銀と同じなんだよ。アンナ姉さんと子供は作ったけど、ブレイズは何処か一つの場所に留まったり、誰かに支配される様な人じゃ無かった。むしろアンタは、そう言う白銀だからこそ好きだったワケだろう?」
 その問いに対して、エイプリルは口を噤んでしまった。
 イライザは煙管を咥えつつ、自分のコップにもフレイザーのリキュールを注いでいた。
 その最中、赤髪は最早自分が口を挟める状況では無いと、わざとらしい狸寝入りを決め込む。しかし、それは……彼にしては珍しく懸命な判断だった。
 フレイザー曰く、人間には強すぎるとされているリキュールを、イライザはぐいっと喉へ流し込んだ。

「――あのね、あたしが思うに、止まっていた時が動き始めてしまったんだよ」
 イライザは酒と煙を交互に味わいつつ続けた。
「この赤髪もフレイザーも、そしてあのカレン姐の時間でさえも、レオンを中心にしてさ。その上今やこの街では指折りの豪商となったアンタまで、夜明け前にやって来て今まで抑え込んで来た想いを目に涙を浮かべてぶちまけちまうって始末さ。レオンってのはね、本当に見た目は女の子みたいな可愛らしい少年だけど、正直、あたしなんか将来に口出し出来る存在じゃないから……」そう言いはしたが、やはり口惜しいという思いはある。
 あれほど辛い思いをしたのに、何故また身内が冒険者になるのを自分は止めれないのだろう?とイライザは唇を噛んだ。
 その様子を見ていたエイプリルは自身の想いの丈を述べようとしたが、イライザはそれを手で制して、引き続き語りだした。
「……いや、あのね?多分、アンタが育てたら、レオンは素敵で幸せな生活を送れるかも知れないって、あたしだってそう思う。冒険者なんてさ、真っ当な仕事じゃないもの。散々痛い目を見たあたしたちはその苦味を十分に味わってるからね。けどね、いや、これは馬鹿げた話だけど、この子なら、レオンなら白銀や……ルロイの仇を討ってくれるかも知れないって、淡い夢を見ちまう訳さ。叔母としては、この上無く無責任な夢で愚かな期待だとは分かっているけどね。結局、あたしは引退して酒場の女将になった今でも、冒険者だった自分と、白銀とルロイを未だにずるずると引き摺ってんだよ。未練たらたらなのはアンタだけじゃ無いんだ。白銀に惚れてたのはアンタだけじゃないし、レオンを育てたいと思ってるのもアンタだけじゃない……あの頃、一緒に冒険に出てて、今、生きてるヤツらは、大抵皆同じ想いを抱いてんだよ。だから、独り占めには、出来ないよ。あの子はあたしのモノでも無いし、赤髪のモノでも無いし、アンタのモノにもならない、勿論、他の誰のモノにもね」

 店内はしんっと静まり返っていた。
 空気を察したルリアとリルロは、ひとつの席にちょこんと大人しく座っている。
 その時、片付けを済ませたローラが炊事場から出て来た。
 そして、空気を一切読む事無く歓喜の声を上げた。
「うわぁお!珍しい!エイプリルがいるー!えー、なんでいるのー?やっぱさぁ、美人だよねえ!この街の男共が一度は抱いてみたいって口々に言うのも分かるわぁ!」
 すぐにその存在に気が付いた少女はぴょんぴょんと飛び跳ねてイライザの隣りにやって来た。
「あら、ローラ、随分と女らしくなったじゃない。今日はね、仕事が、いつもより早く終わったから、久しぶり遊びに来たの。あ、この子たちはね、ルリアとリルロっていうの。私の護衛兼……娘たちってとこね。ローラ、この子たちとお友達になってくれるかしら?」
 エイプリルがそう紹介すると、ホビットの双子たちは目をくりくりとさせローラの事を見詰めていた。
「全然いいよー!じゃぁ、今日はもう大体片付けちゃったから、ウチの部屋で遊んで来ていいかなぁ?」
 遊ぼうと誘われ、ルリアとリルロは目を輝かせてエイプリルの事を見詰めていた。
 この店では手を出さなくていいと指示を受けているため、ホビットとしての性質を抑えることが出来ないのだ。

「ええ、いいわよ。まだ暫くいるから、遊んでらっしゃいな。でも、この子たち着いて行くかしら?」
「ねえねえ、エイプリル?」そう声を掛け、ローラはにんまりと笑みを零した。
「はい?」
「あのね、ウチにね弟が出来たの。レオンって言うの。男の子だけどすっごく可愛いから、今度紹介してあげるね。今は冒険に出てるから暫く留守にしてるけど、その内、また遊びに来てくれるでしょう?」
 ローラはそう言うと、カウンターの中から出て来て、ルチルとリルロの頭を撫でた。
 この妙な魅力とカリスマ性を放つ少女は、特にホビットを手懐けるのが上手だった。
「あら、レオンって、ローラの弟になったの?白銀とアンナの子供だから、貴女の従弟でしょう?」
「うん、でもね、超可愛いから弟にしてあげたの。すっごくいい子だから、エイプリルも大好きになっちゃうだろうなぁ、にひひひひー。よーし、ルリア、リルロ?ウチの部屋二階だから、部屋まで競争だよ!よーい、どんっ!」 
 そして、突然始まった競争と共に、少女たちは大人たちの前から姿を消してしまった。

 イライザは笑みを浮かべつつ、エイプリルのグラスと自らのコップにリキュールを注いだ。
「くくく、ほらね、あんな嬉しそうにしてるローラから、弟を取り上げる気にはなんないだろう?」
 そう言うと、イライザはエイプリルのグラスに軽くコップを重ね鳴らした。
「うーん、そうね。ってゆーか、ルリアとリルロまで連れて行かれちゃったし。あの子たちを初対面であそこまで手懐けたのはローラが初めてだわ。普段は絶対に私の周りから離れないもの」
「ああ、あの子ね、ガキん頃からああなのよ。ガキ大将気質ってのかな?一体誰に似たんだか……」
「あの、それは誰がどう見ても、イライザに似たんでしょう。顔も喋り方とかもそっくりじゃない。ルロイは、もっと穏やかで優しい感じの人だったもの……」
「ねえ、エイプリル?」
「んー?」
「昔みたいにさ、毎晩とは言わないけど、たまには遊びに来なよ?アンタでも、この店だったら、ゆっくり飲めるだろう?アンタとは、色々と話したい事もある事だし」
「そうね、まぁ、仕事もある程度任せれる様になって来たから、たまには遊びに来る……かな。ローラお気に入りの弟くんにも逢いたいし、ね」
 と、そんな感じでまったりと、イライザとエイプリルの時は流れてゆく。
 何となく起きて会話に参加する機会を逃してしまった赤髪は、狸寝入りのまま夜明けを迎え、そのままカウンター席で突っ伏して寝落ちしてしまった。

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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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