第3話:神槍に命を狙われている。

文字数 6,862文字

 少女の、か細い声が響いたその瞬間、店内の空気がぐっと張り詰めた。
 テーブルの上で握り締め合っている手は「始め」の位置からどちら側にも倒れて無い。
「――へへへ、やるじゃねえか。ガキのクセにたいしたもんだ。けど、その程度じゃオレには勝てねえなぁ。ほれ、もうちょっと気合入れてみろよ?」
 ヴィルはニヤニヤと軽口を叩いてはいるが、テーブルを掴んでいる方の手や腕にまで血管を浮き上がらせていた。
 一方、少年も顔を紅潮させ必死に力んでいた。
 長袖の服を着用しており、その筋肉の張り詰め具合は見て取れないが、その小さな身体は小刻みに震えている。
 この手の意地の張り合いがあると、野次馬は大抵奇声を上げたり口笛を吹き鳴らしたりするものだが、少年の健闘が余りにも見事だったため、皆一様に固唾を飲んで見守っていた。

 しかし実際の話、ヴィルは実に、三割程度の力しか込めて無かった。
 そもそも高位の冒険者である彼が本気を出せば、能力上昇系のスキルが使用出来るため、これほど長時間の勝負になる筈も無い。
 いい勝負に見えているのは、野次馬でも折角集まってくれた観客を飽きさせない為の、彼なりの遊び心だった。
 だが、口には出さないが、目の前で懸命に踏ん張っている少年の事は、もう完全に気に入ってしまっていた。
 白銀の獅子は敵が強敵であればある程燃える男だったのだ。どのような強者であっても、形振り構わず全力で立ち向かう様な男だった。
 ヴィルは、白銀のそう言う意思や精神を一番濃く受け継いでいると、自身で認めていたため、全力をぶつけて来るレオンを見ていると、心の芯から震えが起きる程に胸が歓喜で埋め尽くされていた。

「――おい、レオン?」
 ヴィルは不敵な笑みを浮かべたまま、そう言った。
「は、はい、なんですか?」
 レオンは、目に涙を浮かべ、声を震わせ何とか受け応えている。
「後出しで悪いけどよ?ちょっくら賭けしようぜ?」
「か、賭け……ですか?」
「おうよ。もしレオンが勝ったら、オレはお前の舎弟になってやる。けど、オレが勝ったら、お前、バルバトスに入れよ。オレの舎弟にして、みっちりコキ使ってやっから。どうだ、受けるか?」
 少年は、何でそんな大事な事を後出しで……と思いはしたが、完全に気分が高揚しきっているので、その申し出を突っぱねる気分にはならなかった。
 そして声を震わしながらも「う、受けます、その賭け」と言う。
 その刹那、ヴィルは笑みを顔から消し、レオンとの勝負に決着をつけるべく、力強く息を吸い込み、腕、肩、全身と力を込めた。
 勢いで一気に腕を押し倒すのではなく、じりじりと少年に力の差を思い知らしめるかの様に。
 レオンの手の甲はゆっくりとテーブルへと着いた。決着が付くと、少年はその場に膝から崩れ落ちる。
 今更ながらに野次馬たちが奇声を上げ湧きたった。
 誰がどう見ても勝者は赤髪のヴィルだが、野次馬たちの拍手喝采は銀髪の少年へと向けられていた。

「――やい、レオン?腕大丈夫か?怪我してねえよな?」
 ヴィルはそう言って、へたり込んでいるレオンへと手を差し伸べた。
「はい、怪我はして無いです。強いですね、腕相撲……」
「へへへ、あったりまえだろうが?これでもオレは、あの白銀の獅子に百回もタイマン張ってきた男だぜ?」
「でも、百連敗だったんですよね?」
「だから、言っただろう?もし百一回目があったらオレが勝ってたから、そしたら今頃、この街最強の冒険者はオレだったんだよ」
 傍から聞くと只の負け惜しみにしか聞こえないが、少年は何となく、赤髪の心意気を理解していた。
「あの、それじゃ、ぼくは、もうバルバトスの一員ってことですか?」
「ん?ああ、まぁ、そうだけど、アンヌヴンの塔に入れる様になるまでは色々と手続きが必要だからなぁ」
 そう言いつつ、ヴィルはレオンを引き起こした。
 それを機に野次馬たちも三々五々と散らばって行く。
 何人かの昔を知る人間は、この赤髪と銀髪の組み合わせを懐かしんでいる様にも見えたが、今の二人に声を掛けて来る者は皆無だった。

「――アンヌヴンの塔に入るのに、色々と手続きとかが必要ってことですか?」
 レオンは何の気なしにそう言った。腕相撲で使用したテーブルを元の位置へと戻しつつ。
「あ、そうか、しまった。まず冒険者登録しねえと、塔に入れねえんだよな。ああ、そうだ。ああ、マジかぁ。なぁ、レオン?」
「はい?」
「お前さ、冒険者登録するなら、レオン・トワイニングで登録したいよな?」
 そう問い掛けられ、少年はすぐに返答することが出来なかった。
 この街に来て以来「トワイニング」という家名の重みを少しは感じるようになったが、それとて昨日の今日のことで、自分がそうであるという実感がそれ程でも無い、というのが少年の正直な気持ちだった。
 しかし、偉大な家名を蔑ろにする気が無いのも、正直な気持ちでもあり。
 結局、少年は「えーっと、そうですね。今まであまりそう言う意識は無かったですけど、ちゃんとした登録や手続きなら、レオン・トワイニングでしたいです」と、少々困り顔で答えるに至っていた。

 それを聞いた赤髪は「はあああ……」と、彼らしくない重い溜息を吐いていた。
 そして、ぼさぼさの燃える様な赤い髪をぼりぼりと掻きながら続けた。
「――いや、そりゃそうだよなぁ。名前なんて生まれた時から授かってるモンだし、お前は歴としたトワイニング家の血筋なんだから、それを名乗るべきだし、名乗らなきゃなんねえ……けどなぁ、流石にトワイニングって姓を名乗るんだったら、それなりの身内の承認が必要なんだよなぁ。いっそ断絶しててくれたら、金次第で何とかなるけどよー……」
 何だか妙に赤髪の言葉の歯切れが悪い。
 表情もどんよりと曇っている様に見える。
「ぼくの身内って、父も母も他界してしまっているので、イライザさんとかローラくらいですかね?」
「身内は身内でも、冒険者を引退したイライザとか、冒険者登録をしてないローラじゃダメなんだわ。それなりの地位に就いてるヤツとか、相当上位の近親の冒険者じゃ無いと。まぁ、めんどくせぇけど、トワイニングって姓はそれくらい強烈なんだよ。あぁ、マジか。やべぇなこりゃ。マジで腹括らなきゃなんねえ」と、赤髪は唸り声をあげる。
 
 彼が煮え切らない態度を取るのにも理由があった。
 この一見無法者で傍若無人な赤髪にも、頭の上がらない存在があるのだ。
 それは白銀の獅子の妹、カレン・トワイニング。
 レオンとブレイズと同様に美しい銀髪の女性ながらにして、その通り名は神槍。
 見目は美しいが、槍を持たせたら正に武神の如しで、単純な武力だけなら兄である白銀の獅子をも上回っていたと称される人物である。
 派手で華々しい戦闘を好んでいたブレイズと対象的に、神槍カレンの信条は一撃必殺。
 現在、歳は四十前だが、今でも現役の冒険者としてその名は広く知られている。

 ――と、そう言う強者の存在の話を、そう言えばチャックが言っていたなぁと、レオンはこの時漸く思い出した。
「ああー!その身内って、父の妹さんの事、ですね?その方はまだ冒険者を続けてるんですか?」
「なんだ、オマエ、神槍の事知ってんのか?まぁそうだな。現在冒険者でトワイニングを名乗ってるのは、神槍……カレンしかいねえ。白銀の妹だから、レオンの叔母さんってことか」
「では、ぼくがカレンさんにお願いしに行けばいいんですかね?」
「いやいや、それじゃダメなんだわ。礼儀と言うか習わしと言うか、こう言う時は、ユニオンのマスターが立ち会って承認を得るのが当然で普通で当たり前なんだよ」
 ここでまた赤髪は情けない溜息を漏らしていた。

「えーっと、じゃぁ、ヴィルが立ち会ってくれるってこと、ですね?」
 少年は、目の前の粗野な男の只ならぬ意気消沈ぶりを見て、いささか不安な気持ちが胸中に宿り始めていた。
 これほどの偉丈夫な男が恐れる、神槍とは一体どのような恐ろしい人物なのだろう?と思っていたのだ。
「ああ、いや、まぁ、そうなんだけどよー。あの、この際だから教えとくけど、オレさぁ?若い頃に……若い頃にだぜ?所謂若気の至りってやつでよ、カレンに夜這い掛けた時があって、どんなけ強くても女なら一発ヤっちまえばこっちのモンだと思ってたんだけどよ、部屋に忍び込んだ瞬間にバレて、殺され掛けた事があんだよ。あん時はマジでヤられるって思ったからな。夜這いに来た年下のガキの両足を槍で叩き折るとか尋常じゃねえだろ?」と、赤髪はレオンに対し同意を求めてくる。
 それに対し、少年は苦笑いを浮かべつつ、取り合えず頷いて返した。

「――だよな?お前の叔母さんマジで半端ねえヤバいヤツだから。イライザもある意味ヤバいけど、カレンはそれに輪を掛けて完全にヤバい奴なんだわ。女で白銀と同じ髪してっかっら普通なら白銀の姫君とか白銀の百合とか可愛らしい通り名が付いてもおかしく無いのに、神槍だぜ?神さまの槍とかよ、どう考えても女に付ける通り名じゃねえし。大体あの頃のオレもどうかしてるぜ。神槍カレンに夜這い仕掛けるなんて、とち狂ってるとしか言いようがねえし。……で、まぁ、夜這い失敗の時は騒ぎに駆け付けてくれた白銀に助けられて何とか今こうして生きながらえてるワケだけどよ、それ以来、口を利いて貰えないって言うか、相手にされないって言うか、アイツの視界に入ったら問答無用で襲われるって言うか……。と、まぁ、他にも色々あったんだけど、大体そんな感じだわ。あはははは……。よ、よし、取り敢えず、一旦、ルロイに帰ってイライザと相談しよう。ここで二人して悩んでても埒が明かねえからな」
 もう先ほどまでの、ヤンチャだけど格好の良い中年の面影は全く無かった。
 来た時とは正反対の重い足取りで、コーリング大通りへと出て、俯き加減のまま酔いどれ小路へと入っていく。
 少年としては白銀の獅子と神槍の活躍や逸話をもっと聞いていたかったが、今の赤髪は完全に心が折れてしまっている様に見えるので、声を掛ける事が出来なかった。
 
 ヴィルと少年は人気の無い酔いどれ小路を通り、酒房ルロイへと向かっていた。
 路地へと入り一本道となるのだが、途中で二手に分かれるので左手の方へと進んで行く筈なのだが、赤髪は分岐点で一旦立ち止まり、それから右手の方へと歩き出してしまう。
「あれ……ヴィル?ルロイは左の方じゃ無かったでしたっけ?それとも他に行く所があるんですか?」
「あ、いや、行くあてはねえんだけど、ちょっと殺気を感じたからよ、オレはこのまま知り合いの家に行って来るから」
「え、殺気……って?ぼくはどうすれば?」
「ああ、レオンはこのままルロイに帰れ。そこにこの強烈な殺気の元凶がいるから、お前の力で何とか宥めてくれよ?じゃぁ、な。よろしく頼むぜ!」
 と、赤髪はかなり無責任な言葉を吐き捨てて、その場から去って行ってしまった。
 そんな事いわれても……と思いつつ、少年は酒房ルロイの方へと顔を向ける。
 赤髪は殺気を感じると言っていたが、正直何も感じないのだ。
 むしろ陽が落ちてからと比べたら、午前の酔いどれ小路は人も少なく清々しいとすら思えてしまうくらいだった。

 しかし、ヴィルの様な偉丈夫……それも凄腕であろう冒険者が畏れをなして逃げ出してしまうくらいなのだから、警戒はしておくべきだと思い、ぐっと拳を握り締めつつ酒房ルロイへと足を進めた。
 何か棒切れでもあればと辺りを見回したが、都合の良い物は見つからず、素手で見えない脅威に立ち向かう事になった。
 左手の路地へと入って行き、慎重に進んで行く。
 何処からかこっそりと店先の様子を探りたいところだが、生憎、ルロイの前は開けていて身を隠せる場所は皆無だった。
 少年は路地から、意を決して足を踏み出し、店先へと踊り出る。

 視線の先には、一人の女性が立っていた。
 ルロイのあの重厚な扉の前で、じいっと少年の事を見据えている。
 真っ白なハーフプレートメイルに身を包み、その右手には身の丈と同じくらいの槍が握られていた。
 柄から穂先まで真っ黒なその槍は見ていると心が吸い込まれそうになってしまう。
 白と黒の対比が幻想的で美しく目に映る。
 この時、少年は同時に二つの事に思い至っていた。
 ひとつは、彼女がヴィルの言う殺気の元凶なのだろうと。
 もうひとつは、彼女こそが神槍カレン・トワイニングなのだろうと。
 自分と同じ銀色の髪が、時折吹く風に靡いていた。
 少年は、ごくりと息を飲み、その女性と相対した。
 鋭い目つきだった。
 殺気は感じ無いが、何か得体の知れない凄みの様なものは感じる。

「――あの、神槍……カレンさん、ですよね?」
 この女性が神槍なのだろうと思ってはいたが、聞いていた歳の頃よりも随分と若く見えたので、取り敢えずはそう問い掛けていた。
「ああ、まあ、自分で神槍、と名乗っている訳では無いけどね。先代の神槍を決闘で打ち負かしてから、周りがそう呼ぶってだけの話さ」
 落ち着いた、淀みの無い声が響く
 神槍は少年の事をじいっと見据えていた。
「あの、ぼくは、レオンと言います」
「分かってる。その髪を見れば一目瞭然だからね。私たちの一族以外に銀髪の人間なんていないから。それに、お前は兄によく似てるよ。顔立ちとか声もそっくりだ」
「それは、この街に来てから、父の事を知る人たち皆から言われます」
「そうだろうね。兄の様な存在は稀有だから、皆の印象にも強く残っているのだろう。いや、そんな事よりも、レオン?」
「はい」
「お前はこの街に、何を求めて来たんだい?」
 神槍の言葉は、その一言一言が重く、そして鋭く少年の心に突き刺さる様に響いていた。
 その姿こそ美しく凛々しい女性だが、その存在感は重厚で神々しさすら醸し出している。

「えーっと、生きる、ためだと思います。ぼくはまだ子供で、ひとりでは生きていけないから、それで、この街に来ました」 
「お前の父や母の様に、強く生きたい、と望むかい?」
「それは、冒険者として、という意味ですか?」
「私のした問いに対して、お前がそう思うのなら、そう言う意味合いで答えればいい」
「強く、なりたいです。誰にも負けないくらい、強く生きたい」
「そうか、では、お前はもう、私と同じ道の上を歩いていると言う事だな」
 そう言うと、神槍は少しだけ口許を緩めた。
 そして、レオンの頭に軽く手を乗せひと撫ですると、その場から立ち去ろうとする。
「あ、あの……ぼくがトワイニングの家名を名乗り冒険者になるには、貴女の承認が必要だと聞きました」
 少年はもっと色々な事を話したり聞いてみたいと思っていたが、咄嗟に口から出た言葉がそれだった。
「お前が、私を必要としてる時に家に訪ねて来な。場所はイライザやローラが知っているから」
 神槍は足は止めたが振り返る事無くそう言った。
「はい、分かりました。あの、ぼく、赤髪のヴィルに誘われて、バルバトスに入ろうと、思ってます」
「そうかい。何処のユニオンに所属するかは、お前の自由だよ。トワイニングの承認も出してやる。ただ、私は、次赤髪と顔を合わせたら、問答無用で、ヤツを殺すと心に決めているから。その旨は伝えておいておくれ」
 そう言うと、彼女はレオンの前から去って行った。

 少年はヴィルの言う夜這いがどう言う行為なのか理解して無かったため、相手を殺したくなるくらいの事とは一体どんな事なんだろう?と思いつつ、神槍を見送った。
 ともあれ、漸くルロイへと戻って来る事が出来たのだ。
 少年は店内へと入り、二階のローラの部屋へと向かった。
 彼女が目を覚ますまで、部屋で大人しくしてようと考えていた。
 一応、ノックをしてみる、が反応は無い。
「ローラ……お姉ちゃん、入るよー?」さらに、声掛けもしてから扉を開けた。
 姉はまだ、大きなベッドの上で健やかな寝息を立てている。
 余程寝相が悪いのか、下着も殆ど脱げてしまっていて、最早全裸と言ってもいいくらいの格好に少年は目を背けてしまう。
 母以外の、女性の裸なんて見た事も無いのだ。
 如何に身内だとは言え、昨日出逢ったばかりの女の子を相手に気持ちを割り切る事は中々出来る事では無い。
 少年は、少し熱いかもしれないとは思いつつも、ほぼ裸の姉に毛布を掛けてやった。
 そして、自分はその隣で横になる。
 朝、少し散歩しただけなのに、妙に疲れてしまっていた。
 短い間に色々な人と出逢って、色々あったもんなぁ、と思いつつ瞼を閉じた。
 そして、少し昼寝でもしようと、睡魔に身を委ねる――。
 
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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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