第1話:冒険の始まり。

文字数 5,525文字

 聖暦七六二年、九の月、第一週、ヴァースの日。
 アンヌヴン地方では、夏が終わり秋へと移り変わる頃。九の月、第一週の半ば頃から街は豊穣祭で賑わいを見せる。
 街を上げて盛大に行われるため、近隣の村々や帝都からも足を運ぶ者が多くいた。
 農民もこの時ばかりは朝から晩まで飲んで歌い、商人は人の集まるこの時だからこそ仕事に勤しむ。
 辺境伯軍や地方行政区の勤め人たちも街人たちと交流をする為、軍人は軍装を解き役人は平服で街へと繰り出すのだ。
 冒険者たちも、基本的にこの期間は冒険に出ず、豊穣祭に参加する者が多い。

 ――が、しかしそんな浮かれ気味の街を切り裂くかの如く、神槍カレン・トワイニングは自宅から辺境伯邸までの道のりを闊歩していた。
 その手には漆黒の雷槍ヴァジュランダがあり、身に纏う最高純度のミスリルプレイトは朝日に照らされ美しく光り輝いている。
 白銀の髪は丁寧に編み込まれ、くるくると巻かれていた。
 しかし、マントや兜は身に着けて無い。それどころか手荷物一つないのだ。
 何処かに殴り込みに出掛けると言うのなら問題無いが、とてもこれから十日間も冒険へと出る感じではなかった。

 辺境伯邸が、彼女の視界へと映り込む。
 街の北西角に位置し、広い敷地には帝都で名の知れた一流の建築家と大工職人を呼び寄せて建築させた為、他の建物より明らかに瀟洒で優美だった。
 神槍は既に辺境伯の敷地内へと入っている。
 建物や庭だけでなく、辺境伯通りと称されている辺りの道を含め存在してる物全てを、辺境伯が所有しているのだ。
 その為、早朝にも拘わらず辺りには物々しい格好の辺境伯軍の兵士が巡回及び定点で警備をしていた。
 一般の冒険者なら近づくことも敵わない地域なのだが、神槍は我が庭の如く進んでゆく。
 下手に声を掛けたら彼女の気分ひとつで漆黒のヴァジュランダで一突きにされる、と実しやかに囁かれているため、腕に自信のある警備兵でも黙って神槍の通過を見過ごすしかない。

「夜が明けたら辺境伯邸の門の前に集合――」
 昨日、昼にフレイザーとそう約束を交わしていた。
 普段は単独行動ばかりなため、他人と待ち合わせの約束をすると、妙にそわそわとしてしまう感覚が彼女は好きでは無かった。
 元々そう言う人間なのか、単独行動をする内にそうなってしまったのか今ではもう分からないが。
 門の前には既に人影があった。
 馬車が二台用意してあり、御者や辺境伯軍の関係者が十名程度はいた。
 そこから少し距離を取り、濃紫の浄化ローブにすっぽりと身に纏ったフレイザーとキッカそしてレオンの姿があった。
 取り敢えず、神槍はフレイザーたちの方へと足を向ける。

「おい、こら、フレイザー?なんでこんなにも大勢いる?私たち四人と幻獣召喚師二名だけと聞いていたが」
 神槍は挨拶も無く開口一番そう切り出した。
「ああ、おはよう、カレン。いや、どうやら召喚師の一人は辺境伯の血縁者らしくてね、あの馬車の周りにいるのは、その子を見送りに来たらしい」
 フレイザーは浄化ローブから口許すら見せる事無く小さな声で、そう言った。
 このエルフの魔導師の事を、神槍的には気に入らないところが多々とあるのだが、魔法の腕は確かで膨大な知識と魔力を有しているため、こうして年に数度は行動を共にしなければならなかった。
「はぁ?高々幻獣狩りに見送りとは大層なことだ。それで、もう一人の方は?」
「もう一人の方は、辺境伯様が知り合いから買った元奴隷らしい。って言うか、カレン?キミは依頼を受けた時に警護対象者の情報を聞いてたんじゃないのかい?」
「ああ、そう言えば、そんな事を言っていたかな?私、辺境伯軍の参謀官の奴らが嫌いでね、話聞いてると苛々して来るから、大切な事だけ聞いて後は聞き流す事にしてるんだ」
 フレイザーは「いやいや、だから、警護対象者の情報は大切な事だろう?」と強く思ったが、神槍の人間性は痛い程承知しているため、声には出さず飲み込む事にした。

「――で、キッカはいつも通り元気そうで何よりだ。全く、アンタと二人での冒険だったら、馬車なんて乗らずに、草笛街道を一気に駆け抜けてドールズ大森林の最奥まで強行軍で行けるのにね」と、神槍は心から残念そうに言う。
 それを受けてキッカは「ああ、うん、全く、そうだね、残念だよね、あははは……」と苦いを笑みを浮かべつつ言った。
 ホビット族の脚力は確かに強靭だが、秀でているのは瞬発力で、持久力は余り無いのだ。
 キッカは神槍の気分を害さぬ様、文句ひとつ零さずに、今まで数回は神槍の言う強行軍に泣く泣く付き合って来たという経緯があった。
 その為、今回の冒険は馬車があり、冒険初心者を連れてゆくのだから強行軍も無いだろう、と胸を撫で下ろしていた。

 それから神槍は銀髪の甥っ子へと目を向ける。
 レオンは真っ直ぐな瞳で、カレンのことを見詰めていた。
「レオン?昨日はちゃんと寝れたかい?」カレンはそう言って、少年の頭を撫でていた。自然と手が伸びていた。
 普段はそう言う事をする人物では無いのだ。それをフレイザーもキッカも神槍本人も分かっているだけに、レオンという存在の特異性を改めて認識する瞬間だった。
「あの、実は全然眠れませんでした。イライザさんには、早く寝ろって言われてたんですけど、興奮してしまって……」
「そうかい。まぁ、アンタくらいの歳の頃だと、それで普通なのかもね。でも、まぁ、今後は寝れる時は寝れる様にしておかないと、身体が持たないからね?そう言う事も訓練のひとつだと考えて日々生活した方がいい。……って、偉そうに言ったけど、私も未だに冒険の前の日はあまり寝れないんだよ。兄もそうだったから、私たちの一族はそう言う呪いがあるのかもしれないな。さてと、話はこれくらいにして、そろそろ出発しようか?」
 神槍がそう声を上げると、辺境伯軍の兵士が一名近づいて来た。
 レオンはその者の顔を見て「あっ、バーナードさんだ!」と声を上げた。

 バーナードも少年の存在に気が付いてはいたが、まずは神槍へと対峙し声を掛けた。
「――私は、辺境伯軍塔内調査部隊に所属しております、バーナード・マドックと申します。今回、辺境伯様より、幻獣召喚師たちの世話役として遣わされました。たった十日で幻獣狩りをすると言う激務になりますが、ご助力のほどよろしくお願いいたします」
 彼はは略式ではあるが、上級者に対する敬礼をしつつ、威勢よく発声していた。
 それを神槍が少々憮然とした態度で受け応える。
「短期間の激務だと心得てるのなら、さっさっと出発の準備を整えな。辺境伯の血縁者か何か知らないけど、身内と別れを惜しむ前に、一緒に冒険する私たちに挨拶のひとつでもするべきだと思うけどね。ドールズ大森林の最奥で、命を護ってくれるのが誰か分かって無いのなら、話は別だけどさ」
 レオンの時と比べたら、身が縮みあがる様な強い口調だった。心臓が凍ってしまいそうな冷たい声だ。
「も、申し訳ございません。ただいま、召喚師たちを連れて来ますので……」
「ああ、だから、辺境伯軍の奴らはトロくて嫌いなんだよ。もう挨拶なんてどうでもいいから、出発するよ。私たちは四人で前にある馬車に乗るから、アンタと召喚師の三人は後ろの馬車で来な。顔合わせはタリムに着いてからでいいから」
 そう言うと、神槍はバーナードの返答を待つこと無く馬車へと歩き出した。
 その後にフレイザーとキッカも着いてゆく。

「――あ、あの、バーナードさん、よろしくお願いします。まさか、一緒の冒険に出られるなんて思って無かったです」
 そう言って少年はバーナードへと歩み寄る。
「ああ、いきなり醜態を見せてしまったね。おはよう、レオン。実は、あれから今回の冒険の話を上役から聞いてね。本来なら辺境伯軍からも護衛を付けるべきなのだけれど、あの神槍殿が同行すると聞いて、皆腰が引けて務めを引き受けてくれる者がいないと……。それで、まぁ、これは完全に私の勝手な妄執でしかないのだけれど、レオンとの出逢いに運命めいたものを感じていたから、それで、勢いで引き受けてしまったんだ……」バーナードは、苦笑いを浮かべていた。レオンは心配そうな表情だ。
 少年の顔を見て、バーナードは自らの手で頬を軽く叩き気を取り直した。
 そして、話を続ける。
「……まぁでもその結果、碌に準備は出来て無いし、そもそも軍経験しか無いから冒険の事なんて何も分かって無いからね。礼儀とか常識的な事とか、冒険者なら当たり前の事が何も分かって無い。いや、挨拶をするとか、時間通りに行動するとか冒険云々以前の話なのだけれど……っと、ここでのんびりと話していたらまた叱責されてしまうか。では、レオン、十日間宜しく。向こうで顔合わせするけど、ウチの召喚師たちはキミと同い年くらいだから、出来れば、仲良くしてあげて欲しい」
 バーナードはそう言うと、清々しい笑みを残して去って行った。

 それから少年は前に停まっている馬車へと向かう。
 今まで驢馬車の荷台に乗った事はあったが、屋根のある馬車に乗るのは生れて始めてなため、少年はそれだけでもかなり胸が躍らせていた。
 少年が乗り込むと、神槍が鋭い声で「出してくれ」と御者に告げた。
 フレイザーとキッカが御者側に向き合って座っていたため、少年は神槍と向き合って座る事にした。
「レオン、さっきの兵士と知り合いだったのかい?」
 神槍はレオンの目を真っ直ぐに見詰めてそう言った。
「あ、はい。先日、ルロイで働いていた時に、知り合って。でも、まさか一緒に冒険に出るとは思って無かったですけど」
「私はさ、ああいうトロ臭いヤツ嫌いなんだよね」神槍の声は依然冷たく響いている。
 しかし、レオンはそう言った態度や言葉には全く動じてない様子で「えー?嫌いなんですか?凄く、いい人だと思いますけど」と、呆気らかんと答えていた。
「アンタ、ああ言うのと、友達になれそう?」
「はい、全然なれますよ。って言うか、むしろ、こちらからお願いしたいくらいです」
「そっか。やっぱりアンタって、本当に、兄とそっくりだね。顔とか声とか佇まいだけじゃ無くて、性格まで似てるとか。ねえ、フレイザー?」
 神槍からそう声を掛けられ、明らかに寝ようとしていたフレイザーはゆっくりと顔を上げる。
 そして、浄化石を懐から取り出して、ローブから顔を出した。酷く目が充血していて、眠そうな目をしていた。

「――うむ。そうだな。白銀も、初めて出逢った頃は今のレオンの様に純朴な少年だった。ちなみに、カレンはその頃から目付きが鋭くて、大人に喰ってかかる少女だった。いや、実際、カレンは私史上最高と言っても良いくらい、美しく可愛く、まるで妖精のごとく超絶美少女だったワケだが、その頃から性格に難があり過ぎて、私は結局手を出せずに、カレンは大人になってしまった。今思い返しても、それは、本当に心から残念でならない。偉大なる時空の神カーズメリアの様に時間転移魔法を使えたなら、私は迷わずカレンの幼少期へと飛ぶだろう……」
 そこまで言ってしまったフレイザーは、頬に神槍の鉄拳制裁を喰らった。
 彼女はこの魔導師の少女趣味を昔から毛嫌いしているのだ。
「フレイザー?今ここで殺されたいのかい?私は、レオンが兄と似てると言う話をしてるのだけれど?」
「……あ、ああ、すまない、カレン。実は彼此、色々あって三日は睡眠を取って無いのだ。もしかしたら、思いもしない愚劣なことを口走ってしまったのかもしれな」
「はあ?三日も寝て無いとか、それは流石に舐めすぎだろう?分かった分かった。じゃぁ、もう話し掛けないから好きなだけ寝てくれ。で、キッカも眠そうだけど、アンタも寝不足かい?」

 馬車は既にアンヌヴンの街から出て草笛街道を走っていた。
 この道は近隣で一番主要な街道なため、予算がしっかりと組まれ整備されているので、馬車の揺れが穏やかだった。
 その為、後ろで揺られていると前日の睡眠量に関わらず睡魔に襲われしまうのだ。
「へ?あ、いや、アタイは全然平気。でも、昔から、馬車に乗ると、直ぐに眠くなっちゃうのー」
 キッカは、口端に垂れた涎を手の甲で拭いつつそう言う。
「そっか。じゃぁ、アンタも寝ときなよ。ったく、私はさ、冒険前も寝れないけど、冒険中も殆ど寝れないんだよね。今回みたいなぬるい冒険でも、全然眠くならない」
 神槍は独り言の様に語っていたが、それに対してはレオンが反応した。
「あの、じゃぁ、冒険が終わったら、一杯寝るんですか?」
「ああ、うん、そうだね。家に帰って、寝て起きたら、二日後だったとか何度もあるよ」
「二日も、ずっと寝てるんですか?」
「そうそう。一杯寝て、腹が減って起きる。あとは、家にさ、身の回りの世話をしてくれるケイトって子がいるんだけど、私が余りにも寝すぎるから、生きてるのか死んでるのか分からなくて心配だから起こしに来るかな。それから次の冒険に出て、また一杯寝て、また冒険に出て……ここ二十年くらいは延々とそれの繰り返しだよ。冒険三昧だね。本当に、私には、それしか無いから、さ」
 神槍はそう言うと、苦笑を零した。口調は、いつの間にか柔和になっている。
 フレイザーとキッカは、狸寝入りをしつつ、カレンとレオンの会話に聞き耳を立てていたのだ。
 これほど穏やかに話す神槍は初めてだ、と思いつつ。

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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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