第2話:その母娘のヤリくち。

文字数 4,959文字

「――チャック?明日非番だろう?今晩は何処か飲みに行くのか?」
 昼番から夜番への引継ぎ時に、チャック・ラムゼイは同僚から、そう声を掛けられた。
「ああ、そうだな。今晩は……前から行ってみたいと思っていた店があって、そこに行ってみようかと考えていたところだ」
 引継ぎを終えたチャックは軍装を解きつつ返答する。
 見事な体躯だった。身長も他の衛兵と比べて頭ひとつ抜け出ている。
 都市警備兵の様な平穏な部隊では無く、花形とされる独立遊撃部隊や塔内調査隊でも務まりそうな体力も才気もある……が、彼の家柄はこの街ではかなり上層に位置し、兵役を数年務めれば辺境伯軍の幹部か、地方行政区への配属が約束されているのだ。
 したがって、能力はあっても危険な任務が命ぜられる部隊に配属される事は無く、兵役中は問題を起こしたとしても重責を問われる様な役職に就くことも無かった。
 それでも彼は、そう言う生ぬるい環境にその身を置かれていても、日々鍛錬は怠らないし、与えられた職務に対しては手を抜かず誠実に向き合う事にしていた。
 家柄申し分無く、努力を惜しまず性格も評判が良い。所謂、絵に描いた様な好青年なのだ。如何にも、年上の女から好まれそうな感じの。

 彼の住まいは、アンヌヴンの街の東側にあった。
 その為、普段仕事終わりに酒を嗜む時は東門辺りにある酒場で飲む事にしているのだが、今日は街の西側にある酔いどれ小路へと足を向けていた。
 先日、白銀の獅子の息子であると言う少年を送り届けた、酒房ルロイの女将の事が、寝ても覚めても頭から離れなかったのだ。
 二十六歳。いまだ独り身で今は特定の付き合いがある女もいないが、酒場へと繰り出せばそれなりに寄って来る女はいるし、性欲が溜まれば人並みに娼婦も買う。
 それなりに経験は積んでいた。が、恐らく四十を前にしているであろう、あの女将の声と顔と身体が目に焼き付いて忘れられなかった。
 その上、かつて毒使いと恐れられたイライザ・シーモアだという、幼少期に憧れていた英雄の一人だという特典もついているため、気持ちも股間も収まりがつかない状態になってしまっていた。

 コーリング大通りから酔いどれ小路へと入って行く。
 夕暮れ時、悪名の高さではまじない小路と並び称される、この路も今はまだ人気が少ない。
 今日は、イライザに言われた通りに平服で帯刀もしてない。金もそれなりに持参して来ていた。
 酒房ルロイの扉の前に立ち、彼は、一度大きく息を吐いた。
 ここまで来て、もしかしたら相手にされないかもしれないし、自分の事を覚えてすら無いかもしれない、と思えて来てしまった。
 情けなくも、やはり自分には不相応な店だと引き返しそうにもなった。
 だが、チャックは弱気を押し切り、酒房ルロイの扉を開いた。
 店内はまだ薄暗く静かだった。
 カウンターの中で佇むイライザと視線が重なる。
「あら、いらっしゃい、男前のお兄さん。この店は初めてかい?」
 チャックは、やはり覚えられて無かったか……と苦笑を零す。
「ああ、いや、客としては初めてですが、この店に訪れたのは二度目です。つい先日、レオンという可愛らしい男の子をこの店まで案内しに来ました……」
 そう告げると、イライザは目を見開いて、ぽんっと手を叩いた。
「思い出した!甲冑姿で来た兵隊さんだね。あははは、今日は、遊びに来てくれたのかい?」
「レオンの様子を見に来た……というのは建前で、貴女の事が忘れられなくて、来てしまいました」
 チャックはそう言って、カウンター席へと腰掛ける。今日はまだ奥のテーブル席にも客はいない。

「あは、嬉しい事言ってくれるじゃないの。こんなオバサンにそんな事言ったら、本気にしちゃうよ?」
「本気にしてくれていいですよ。私は、本当に、貴女の事が好きですから」
「へえ……堅物の兵隊さんだと思ってたけど、中々言ってくれるじゃない。あたし、そうやってぐいぐい押してくる男、嫌いじゃないよ」
 イライザはそう言うと、ぺろりと上唇を舐めた。
 そして改めて、目の前の男の身体と顔をじっくりと見詰める。
 嫌いじゃ無いと思っていた。いや、むしろ好みだわ、とも。
「うふふふふ、お酒、飲むでしょう?」
「ええ、いただきます」
「エールでいいかい?」
「はい、エールで」
「あたしも、一緒に、飲んでいいかな?」
「勿論、好きなだけ飲んでください。それくらいの金は持ち合わせてますから」
 この日は、そう言う機会だった。
 客はまだ無く、ローラは買い出しに出ていて、二人だけの空間だったのだ。
 イライザは、コップを二つ並べてエールを注ぐ。
 軽く乾杯をして、ごくりと喉をエールで潤した。

「アンタは、育ちが良さそうだね。面倒臭いから、家名は聞かないけど、あたしと違って、上品だし気位も高そう」
 イライザは、カウンターに置かれたチャックの手に軽く触れ、そう言った。
 チャックは、彼女の手を握り締めて言う。
「育ちとか、家名とか気になりますか?」
「それはね、気にならないって言うと、ウソになってしまうから」
「イライザさんは……アンヌヴンで生まれ育ったのですか?」
「あたしは、山奥のドーン村ってとこ出身だから。両親はアンヌヴンで生まれ育ったらしいけど、母が姉を身籠った時にアンヌヴンの家と土地を売り払って、ドーン村に移住したって聞いたわ。小さな家と狭い土地でライ麦を栽培しててね、まぁ、子供だった頃は、貧乏だったけどそれなりに楽しかった記憶がある。けど、姉とあたしは成長するにつれ、冒険者やアンヌヴンの街に憧れを抱く様になってしまったのね。それで、両親の反対を押し切って家を出て、何とか二人とも冒険者になれてさ、白銀の獅子と出逢って、ベリアルに加入して、あたしなんてさ、たいして実力も無いのに毒使いとか仰々しい通り名まで付けられて。そして、愛する男との間に子供が出来て、冒険者から足を洗って、いよいよあたしも幸せな生活が送れると思った矢先に、世の中で一番尊敬し憧れた男と、一番愛した男を同時に失って。何度も何度も死のうとしたけど、その度に娘の笑顔に救われてね、現在に至るわけ。ってあれ?なんであたし、生い立ちを語っちゃってんのかしら?あはははは、笑える……」
 そう言うと、イライザは零れ落ちそうな涙を、未然に指先で拭った。
 チャックは、彼女の言葉を、重く受け止めていた。
 幼少期に、自分が英雄ごっこの中で演じていた人の、悲しき思いの丈を聞き心を激しく揺さぶられてしまっていた。

「イライザさん?」
「イライザって呼んで……」
「では、イライザ?」チャックは、彼女の手を握り直し言う。「私は、もう一度、貴女に、幸せになって欲しいと思っている」
「あらあら、嬉しい事言ってくれるじゃないの。あたしを、アンタの愛妾の一人にでもしてくれるのかねぇ?」
「愛妾だなんて、とんでもない!私は、一人の女性として、貴女の事を……」
「ねえ、チャック?」
 いきり立つチャックはいつの間にか立ち上がっていたが、イライザの声を聞き再び腰を落ち着けることにした。
「はい、なんですか?」
「あたし、今、アンタに、抱かれたいって、思ってる」
 イライザは、瞳も濡らしつつそう言っていた。
「そ、それは私だって、貴女の事を抱きたい!今すぐにでも!」
「でも、そんな事してしまうとね、店が営業出来ないし、売り上げが上がんないから、お義父様に怒られてしまうの」
「あ、あの、ちなみに、その方に怒られない程度の売り上げとは、一体幾らくらいなのでしょうか?」
「それは、まぁ、粗利で金貨二十枚くらいかしらね?」
 その金額に対して、チャックは思わず息を飲んだ。
「で、では、逆に言うと、金貨二十枚程度の収入があれば、店を営業しなくとも、何とかなる……という事、ですよね?」
「うふふふ、そうね、そう言う事になるかしら。何処か、道端に金貨二十枚落ちてれば、今晩、あたしは、心置きなく、貴方のモノになれるのだけれど……」
 そう言うと、イライザは惜しげも無く、チャックに対して胸元を開けて魅せた。
 実に古典的なやり口だが、彼女はここ十年来この手で若い雄を啄んできたのだ。
 それはもう、最早熟練の域に達している訳で……。
「イ、イライザ?少し、酔ってしまったので、夜風に当たって来ても良いだろうか?すぐに、戻ってくるから……」
「あら、少し飲ませ過ぎてしまったかしら?でも、すぐに戻って来てね?あたし、待ってるからね?」

 チャックは、勢いよく店から飛び出して行き、そして十も数える間もなく再び入店して来た。
 その手には金貨がニ十枚握り締められている。
「イライザ?凄い、偶然なのだけれど、店の外に、金貨が、二十枚ほど落ちていたよ……」
 ここまで来ると最早茶番。しかし、イライザは至って平然と、その茶番に付き合う。
「あら、それはもしかしたら、純愛の女神ミネルカースが、あたしと貴方の出逢いを祝してくれているのかもしれない」
「それは、私も、そう思えてならない。では、この金貨二十枚で、今宵私は、貴女を……私のモノに出来るのだろうか?」
「貴方が、あたしのことを求めてくれるのなら……」
 と、その時買い出しを終えたローラが帰って来た。
「たっだいまーっと。ねえねえ、母ちゃん?今日さ、ちょっと、肉が高かったよー。って、あれ?今日はまだ、お客さん一人だけ?」
 ローラは、直ぐにカウンターへと入り、母の手にあったエールを奪い取り喉を潤していた。

「んーんああー、今日もエールは美味いなぁっと」
「あのね、ローラ?」
「んー?」
「今晩さぁ、あたし、ちょっと、店を閉めたい気分なんだけど、いいかなぁ?」
 母のその言葉を受けて、娘は状況を瞬間的に察する。
「あ、えーっと、ああ、そーゆー感じね。なるほど、じゃぁ、ウチはぁ、アンリエッタのトコに遊びに行くかなぁ。んー、でも、ちょっと、お小遣いが欲しい、かなぁ。金貨二、三枚でいいからぁ」
 娘は、じとりと流し目でチャックのことを見詰めていた。
 少女の余りにも分かりやすく、いやらしい視線を受けて、彼も色々と察するに至る。
「あ、あのローラちゃん?実は、さっき、店の前で金貨を拾ったんだよ。ほら、全部で二十三枚あるから、三枚はキミにあげよう」
「え?いいの!?わぁい!じゃぁ、いただきまーす!んじゃあ、行ってきまーす。ウチ、明日の夕方まで帰って来ないから、ね?いひひひひ……」
 そう言うと、ローラは金貨三枚を握り締め、満面の笑みを浮かべて店から出て行ってしまった。
 ちなみに、エイプリル娼婦館で女を一晩買うのに必要な金貨は五枚から十枚。
 チャックの月給は金貨十五枚程度。今回の身の削り様は言うまでもない。

「ありがとう、チャック。娘のワガママまで聞いてもらって……」
 イライザは、カウンターから出て来て店の扉へと向かい、ガチャリと内鍵を掛けた。
「いや、全然構わないよ。明るくて元気で、キミに似て可愛らしい娘さんだね。将来はきっと美人になると思う」
 鍵を掛けたイライザは、チャックのその熱い胸の中へと顔を埋める様に飛び込んでいた。
「あたしの部屋、二階にあるの。今晩はそこで飲みましょう?お義父さんは今晩、会合があって帰って来ないから……。ローラも出て行ってしまったし、二人っきりになってしまったわねぇ」
 イライザは、チャックの耳元へ口を寄せて甘く囁いていた。
「ああ、そうなんだ?では、二階に行こうか?あの、イライザ?」
「うふふふ、なぁに、チャック?」
「申し訳無いが、私は、今晩、貴女に対して、とても激しい行為を、してしまうかもしれない」
「心配しないで、好きなだけ、好きな様に、やりなさいな……。あたし、若い男に、無茶苦茶にされるの、好き、だから……」
 そうして、二人はこの日、アンヌヴンの街で一番熱く激しく、この上なく素敵な一夜を送る。
 その素敵な行為は、夜が明け、二人とも一旦深い眠りにつき昼過ぎに目覚めてから、ローラが帰宅した夕暮れ前にまで及んだ……。
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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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