第4話:二人の秘密。

文字数 5,692文字

 キッカの視線の先にはウンディーネが三体いた。
 綺麗な水場を生息地としている幻獣で、低級に属している。契約して召喚すると回復系の魔法を献身的に使用するため駆け出し召喚師の間では人気が高い。
 不定形で水面にゆらゆらと漂っているが、近づく者があればその姿を概ね模写する習性がある。
 温厚で好戦的では無いが、稀に毒素を体内に含んでいる亜種が存在するため、契約する際は注意が必要とされている。
 今回のウンディーネは無色に近い色味をしており毒持ちの亜種では無いだろう、と判断したキッカは水場へと近づいた。
 橙毛のホビットに気が付いたウンディーネたちは、逃げる事無くぬるぬると隆起しキッカの姿を模写しだす。
 無駄に警戒されない様に、キッカは限界までプラーナを抑え込んでいた。
 そこへフレイザーがやって来て、その後にバーナードとカルロ、ジゼルも駆け付ける。

「おやおや、可愛らしいウンディーネですね。しかも、我々に対して全く警戒心を抱いて無いようです。この子たちならこんなに大仰な結界を張る必要は無かった」
 そう言うとエルフの魔導師は、土属性の結界範囲を半径二十歩程度にまで縮小させた。
「ウ、ウンディーネですね。本当に、近づいた者の姿を模写している。本で読んだ通りです」
 カルロは緊張と興奮入り混じる表情でそう言った。
「カルロ殿が最初に契約するのに最高の幻獣を引き当てましたね。では、早速契約に入りましょうか。キッカ?一体だけ、こちらへと連れて来て下さい」
「ほーい。ってなんだかアタイの姿をマネっこされてるから、何だか愛着湧いちゃう」
 キッカはウンディーネへと近づき、一体掴み上げた。
 姿を模写すると言っても、その身長はホビットの膝元程度の高さしかなかった。

「――では、カルロ殿?その辺りの平坦な地面に水属性の下級魔法陣を描いて下さい」
 フレイザーの指示に従い、カルロは地面の上に魔法陣を描き出した。
 召喚師はプラーナと周囲に漂っているエーテルを混合して作り出したマナで地面に魔法陣を描く。
 下級の魔法陣は簡素な為、熟練の召喚師なら十数える間に描き終えてしまうが、この時のカルロはそれの五倍程度の時を要した。
 そして、初めての経験の為、無駄に体力と魔力を浪費して描き上げた頃には息絶え絶えとなってしまっていた。
「フ、フレイザー様、少し、時間を要しましたが、下級魔法陣、完成しました。はあはあはあ……」
「はい、では、キッカ?そのウンディーネを、魔法陣の中へ入れて下さい」
 キッカが、ウンディーネを魔法陣の中へ入れると、魔法陣はキラキラと水色の光の円柱の様に上空へと向かい伸び始める。
 光の円柱は施術者であるカルロの目線の高さ辺りでぴたりと止まった。

「ああ、とてもいい具合ですね。少し時間は要してしまったかもしれませんが、カルロ殿の描いた魔法陣は正確かつ美しいので、ここまで来れば後は簡単です」
 フレイザーはそう言うと、最早逃げられる事は無いだろう、と結界を解いた。
「では、カルロ殿、ウンディーネをまずエーテル化させて下さい。と言っても、既に魔法陣が上手く発動しているので、もう半分以上エーテル化が済んでしまってますが……」
 崇拝するエルフの魔導師の言葉に何か返答したかったのだが、すでにカルロは精神的に追い込まれていたため、頷く事しか出来なかった。
 下級魔法陣は過去の召喚師たちに研究され尽されていて、この時代では最早完成形となっていた。
 その為発動さえしてしまえば、術者は意図する必要も無く幻獣と契約が結べる仕組みとなっているのだ。
 きらきらと眩い光を放ちつつ、ウンディーネがエーテルと化してゆく。
 それを次は体内へと取り込み、プラーナ化して術者のプラーナと同化させる。
 苦悶の表情を浮かべつつも、カルロはこの工程を教科書通りにやり抜いた。
 そして、そう時を待つ事無く、水属性の下級幻獣ウンディーネとの契約が、完了した。
 その瞬間に、カルロは安堵の表情を浮かべつつも膝から崩れ落ち意識を失ってしまっていた。
 彼の意識の失墜と共に魔法陣は消え去ってしまう。すぐにバーナードが駆け付け、容体を看ていた。
「バーナード殿?少々魔法陣作成に手間取って、精神力と体力を浪費し過ぎてしまっただけなので、安心なさい。木陰の涼しい所で寝かせて置けば、その内目覚めるでしょう」
 フレイザーの声は早口で、少し冷たく響いた。
 バーナードはカルロを抱え上げ、指示通りに木陰の下へと運び込む。
 キッカは水場で手拭いを濡らして、カルロの額に噴き出た大粒の汗を拭ってやっていた。

 その最中、ジゼルは残りの二体のウンディーネへと歩みより、じいっと見詰めていた。
 フレイザーはその様子を興味深く見守る。
 ゴエティアであると言う彼女のする事に口を挟むつもりは無い。
 が、彼の場合どうしても少女に対しては、ねっとりとした視線を向けてしまうため、ジゼルはそれに気が付いた。
「フレイザー?この子たち、私に、着いて行きたいって、言ってるけど、貰っても、いい?」彼女はたどたどしい口振りでそう言った。
「ほう、そうか。ジゼルは幻獣の言っている事が分かるのかい?いや、心が通じていると言った方がいいのかな?」
 エルフの魔導師は、このまま黒髪の少女を森の奥に連れ去りたいと言う衝動を抑えつつ、彼女へと歩み寄る。
「言葉か、心かは、分からない。けど、何となく、そう言っていると思う。さっき、カルロが契約した子は、この子たちと同じ頃にここで生まれて、それからいままで、ずっと、一緒に遊んでたって。だから、一緒に、行きたい、って」
 若き才能と、美しい少女をこよなく愛するこの男にとってジゼルという存在は、垂涎ものだった。辺境伯さえ絡んでなければ、五人目の人間の嫁にするのに……と本気で思う程に。

「その子たちがそう言ってて、ジゼルが連れて行きたいのなら、キミの好きにすればいい。私には、それを止める権限は無いからね」
「うん、じゃぁ、連れてく……」
 そう言うと、ジゼルは右手の平をウンディーネたちへと向けた。
 すると、小さな水の幻獣たちは嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ね、自ら進んでジゼルの手の平へと吸収されてしまった……様に、フレイザーの目にはそう映っていた。
「ジ、ジゼル?今ので、契約が完了したのかい?」
 二百五十年を生きるエルフを以てしても、それは驚愕的な光景だった。
 カルロの稚拙な契約を見た後だから尚更その感が強いのかも知れないが。
「うん、今ので、終わり。ふたつをひとつにしてあげた。その方が、あの子たちも嬉しいって、言うから」
「ん?それは、さっきの二体のウンディーネを、キミの中で、融合してしまった、という事かい?」
「ゆうごう?はよく分からないけど、ふたつをひとつにしたの、それだけ。そんなに難しくないから」
「ふたつがひとつになったウンディーネを今ここで召喚出来るかい?」
「うん、出来るよ。出して欲しいの?」
「ああ、うん、そうだね、一度見てみたい」
「そう、じゃぁ、おいで、ウンディーネ……」
 ジゼルがその名を呼ぶと、彼女の手の平から水色の球体が垂れ落ち、先ほどより明らかに大きくなったウンディーネが一体現れた。

 フレイザーはごくりと息を飲み込んだ。
 今まで高位の召喚師や他のゴエティアとも冒険をして来て、その度に幾度と無く魔法や召喚術談義に花を咲かせてきた彼だったが、複数の幻獣を自分の中で一体に融合させる等という話は只の一度も聞いた事が無かったのだ。
「おいおい、流石に目の前でやられてしまったら、これはもう信じるしかない。いやはや、これは大変な事だぞ。召喚術の歴史が大きく変わってしまう。ふたつをひとつに……か。ん?ジゼル?もしかして、それって、他の属性同士でも可能な事なのかな?いや、要するに、この水属性のウンディーネと例えば土属性のブラウニーとかと、ふたつをひとつに出来るのかな?という事なのだけれど……」
 そのフレイザーの問い掛けに対して、ジゼルは暫く黙り込んでしまった。
 随分と噛み砕いたつもりだったが、彼女には難しい質問だったかもしれない、と彼は別の質問をしようとしたが、その前にジゼルの口が開く。
「……同じ属性なら、あんまり気にしないけど、他の属性は、ちょっとヤダって、みんな、言ってる。でも、私が、困ってるなら、別にいいよって」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか?あの、技術的な話の前に、ジゼル、キミは一体、どのくらいの幻獣と契約をしてるのかな?五体か十体くらい?」
「この子で、今、丁度、二十体」
「二、十、体?そんな、まさか、私の知り合いのゴエティアでも、十二、三体が限度だと言っていたのに。あの、キミがそれ程、幻獣と契約してる事を辺境伯様はご存じなのだろうか?」
 フレイザーの問いに対して、ジゼルは首を横に振っていた。
 そして、声を掛けること無く、ウンディーネを自分の中へと戻してしまう。

「では、辺境伯軍で……例えば参謀官とか、お抱えの召喚師や魔導師とかには?」
「だれにも、言って無いよ。秘密なの。バレると、直ぐに、怖い所に連れてしまうから、秘密……。けど、辺境伯様の近くに、悪い人いるから、その人にはバレてる、かも」
 ジゼルはフレイザーに歩み寄り、彼のローブをぎゅっと握っていた。
「秘密?でも、私には、教えていいのかい?」
「フレイザーは、優しいから、教えても大丈夫だって、みんなが、言ってる。だから、教えてあげたの。あと、レオンも、いい子だから大丈夫だって。だからね、内緒にしてね?私、フレイザーのこと、嫌いに、なりたくないから」 
 その瞬間、齢二百五十を超えるエルフの魔導師は、この黒髪の少女に対して、本気の恋心を抱いてしまったのだ。
「分かったよ、ジゼル。約束しよう。これは私とキミの秘密だ」
 今まで碌に口を利いてくれなかった彼女からの、怒涛の可愛らしい詰め寄りに、彼は邪推の一切を捨て、彼女の心を受け入れた。
 そしてこの瞬間、近い将来、彼女を辺境伯軍から抜けさせて自分の手元に置こうと、そこまで考えるに至ってしまっていた――。


 一方、その頃の神槍とレオン。
 深夜遅くに床についたのだが、だらだらと惰眠を貪る事無く、朝起きると早々にタルム村の樫の巨木の広場で、村の武器屋で購入した練習用の木剣を手に打ち合いをしていた。
 戦闘職スキルの訓練をする前に、少し汗を流そうか……と神槍がレオンに木剣を投げて寄越した。
 母である鬼女アンナから剣の手解きは受けていたと聞いていたため、甥っ子の太刀筋を見ておきたいと、この最強の叔母は思っていた。
「取り敢えず、私からは攻撃しないから、レオンが好きな様に打ち込んで来な」
 神槍は、一切スキルを行使する事無く、右手で木剣を握り構える事も無く、レオンの事を見詰めていた。
 それに対して、少年レオン。
 その風貌から一見少女にも見える温和な彼が、いざ木剣を握り神槍と向き合うと表情を一変させた。

「おいおい、あははは、何て顔してんだい。やっぱり、アンタは白銀の血を引いてんだね。棒っ切れでも獲物握ると闘争心が滾って滾って、仕方ないんだろう?」
 神槍の言葉が切れる前に、レオンは急激に距離を詰めて上段から木剣を打ち込んだ。
 それを神槍は体裁きのみでひらりと躱す。
 レオンは体勢を崩す事無く即座に追撃を打ち込み、それが躱されると身を翻して右足で下段蹴りを放った。
 その蹴りの鋭さに、神槍は思わず木剣を持つ手でレオンの顔を殴りつけた。
 勿論、本気で殴った訳では無いが、それでも彼女の一撃は強烈でレオンは後方へと吹っ飛ばされてしまった。
「あ、しまった、思わず手を出してしまった。おい、レオン、大丈夫か?」
 彼女は少年へと歩み寄り、手を差し出す。
「いてててて。カレンさん、攻撃しないって言ってたから、油断しちゃいました」
 少年は頬を手で押さえつつ、また雰囲気をがらりと変えて微笑み混じりにそう言うのだ。

「っていうか、アンナもエグい技教えるよね。追撃の後に蹴りを出すとか、子供にやらせるかね、普通?いや、でも鬼女直伝だとそうなるか。アンナはバケモンより対人向けの剣術が得意だったからね。アイツはさ、兎に角手数が多いんだよ。剣と拳と蹴りがさ、色んな角度から打ち込まれるから、防ぎ切れない訳。私もあれには手を焼いたよ。さてと、じゃぁ、もう一回やろうか?今度はもう手を抜かないで普通にやろう。お前にさっきみたいな強烈な攻撃されたら、また手を出してしまうと思うし。そもそも、都合よく手が抜ける程、器用じゃ無いからね、私は……」
 それから二人は、レオンの木剣が砕け散るまで打ち合いをした。
 初めは、都合よく手は抜けないと言いつつ、手を抜いていた神槍も徐々に手数を増やしてゆくレオンの攻撃を受け切れなくなり、ここぞと言う時に鋭い打ち込みを繰り出していた。
 その度に、レオンは苦悶の表情を浮かべてしゃがみ込んでいたが、その闘争心は木剣が折れても尚尽きる事は無く、最後は折れた木剣を神槍に投げつけつつ、強烈な拳を繰り出してきたのだ。
 それに対して神槍は口許に笑みを浮かべつつ「よく頑張ったな、今日はこれで終わりだ」と、レオンの腹に痛烈な突きを食らわし、少年の意識を断った。
「くくく、木剣を買った当日に砕け散るまで打ち合いするなんて、何年振りかな?それにしても……可愛い顔して、末恐ろしいガキだよ、全く。兄と私と鬼女の血をしっかりと受け継いでるなんてさ……絶対に、まぁ、碌な大人にはならないだろうね。って言うか、スキルの訓練出来なかったなあ。意識まで断つ必要は無かった、か」
 カレンはそう言うと、意識を失ったままのレオンを肩に担ぎ上げて宿屋へと向かった。


第7章
思惑、探索、秘密。
END
 
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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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