第1話:森の梟。

文字数 5,856文字

 聖歴七六二年、八の月、第五週。

「――おっと、今日は、五週のリズーリアの日か。月末だった。午後からは財務局に行かねばならんな」
 酒房ルロイを出てから、フレイザー・イシャーウッドはぽつりと呟いた。
 このエルフは冒険者でありながら、魔導技術者であり、自らの店を持つ経営者でもあった。
 その他にも、まじない小路連合の七人の理事の一人で、街壁沿いにかなり広い農地を持つ地主で、魔導学校で教鞭を振るう臨時講師で……と、多くの顔を持っている。
 フレイザーがアンヌヴンの塔の街に訪れ住みついてから百年が経とうとしていた。
 ドールズ大森林の最奥で生まれ育った生粋のエルフだ。
 元々は他のエルフと同じ様に、人間の事を毛嫌いしていたが、今ではもう彼はこの街から離れられないし、この街も彼の存在を必要としていた。

「さて、ともかく一度店に帰ろう。今月末は特に忙しい。それに月が替わったらすぐに豊穣祭がある……本当に、人間の中で生活していると、日々何かに追われて生きねばならんな……」
 エルフは濃紫の浄化ローブを目深に被り直してから歩きだした。
 人気(ひとけ)の無い酔いどれ小路を行き、コーリング大通りへと抜ける。
 まだ早朝だが、すでにもう活気に溢れてごった返していた。
 彼はコーリング大通りへと入ると、歩きながら通りの左から右側へとするすると移動しつつ北上していく。
 本来、エルフは強烈な方向音痴と極度な人間嫌いで、こうも平然と我が庭の如く、人間がごった返す街をひとり闊歩する事など出来ないのだが、彼はこの街にに限りエルフの弱点を克服してしまったのだ。五十年くらいの月日を掛けて。

 するすると道の上を滑る様に、コーリング大通りを北上してゆく。
 まじない小路は、完全な一本道で、南口と北口のどちらからしか進入出来な造りになっていた。
 両手を広げれば左右の店先に手が届いてしまいそうな細い路地に、魔導具や魔導武具を取り扱う商店や占い師や医者等の店が乱立している。
 フレイザーの店は魔導万屋で、森の梟と屋号を掲げていた。
 位置的に、まじない小路の概ね真ん中辺りにあるのだが、彼は南口へと続く路地を素通りして更に北上してゆく。
 地図からすれば、酒房ルロイから帰る場合は南口を通るのが一番最短距離なのだが、彼がそこを素通りするのには訳があった。
 まじない小路に存在する店舗の中である特定の店は、北口から進入し尚且つ店主から認められた者でなければ発見出来ないと言う、特殊な魔法が掛けられているのだ。
 森の梟がその特定に選ばれた経緯は、フレイザー自身よく覚えて無いと言う。
 ただ、ある日ぶらりと訪れた客と極めて日常的な会話をした後から、特定の店に選出されたのは確かなのだ。
 フレイザーは時折、その客の姿や会話の内容を思い出そうとしてみるのだが、その度に頭の中が黒い靄の様な物で埋め尽くされてしまい、意識が朦朧としてしまうため、今ではもう諦めて成り行きに身を委ねてしまっている。
 ただ、この訳の分からない仕組みが魔法の類である事と、その術者が想像も出来ない程に高い魔力を有した者である事は確か、という事になる。
 有能な冒険者が集うこの街の魔導師の中で、三本の指に入るフレイザー・イシャーウッドをして全く理解出来ないのだから、その魔法や術の異常さは、理解は出来なくとも推し量れるだろう。

 フレイザーは北門の手前まで進み、そこから宿屋の立ち並ぶ路地へと入って行く。
 それから士官学校と兵学校の外壁沿いを通り魔導学校の手前を右に曲がり、一旦アンヌヴンの塔まで南下して、それからまじない小路の北口へとたどり着いた。
 他にも経路は存在するが、彼はいつも同じ道を歩く事にしていた。
 要するに、この街に限り方向音痴は克服したと言っても、エルフの弱点自体が無くなったワケでは無いため、性質的にいつもとは違う道は通りたくないと言う気持ちがあるのだ。
 まじない小路へと入ってゆく。
 ここは、朝も昼も夜も関係無く、常に人通りが絶える事は無い。
 この、まじない小路には幾つか暗黙の決まり事があった。
 南口に向かう者も北口に向かう者も進行方向の右手側を歩く。
 並んで歩かない。
 小路では大声を出さない、極力会話も控える。
 小路では攻撃魔法の使用禁止、来た道を戻らない……などなど。
 これらを守らない者は、何処かしらの店主から手痛いお仕置きを喰らう羽目となる。

 暫く進むと、木の枝に止まった梟の描かれた看板が見えて来た。
 質素な木の扉だが、立派な石造りで、両隣の小さな店舗と比べるとかなり大きい。
 これ程の建物が、南口から侵入した時と店主の承認が無ければ見つからないと言うのだから、かの特殊な魔法の強力さは窺い知れる。
 フレイザーは音も無く扉を開き、中へと入った。
 外観からは立派な石造りの家に見えたが、一旦中に入ってしまうと、まるで完全に木造の家の如く木の匂いと温もりを感じられる造りになっている。
 そして、室内はかなり広い。まず玄関があり、酒場の様なカウンター席があり、部屋には様々な物が陳列されている大きな棚が三台並んで立っていた。
 カウンターの奥から、一人の女性が現れた。

「――ああ、お帰りなさい、お父さん。私ね、今ハーブ摘みから帰って来たところなの。裏で仕分けするから、店番お願い出来るかなぁ?」
 フレイザーを父と呼ぶ彼女の名は、アンリエッタ・イシャーウッド。フレイザーと人間の女性との間に生まれた娘で、所謂ハーフエルフということになる。
「ああ、構わないよ。アンリエッタ?エキナケアとアグリモニー以外はルロイに卸すから。あ、あとセイジを一掴みほど残しておいて欲しい」
 濃紫の浄化ローブを脱ぎつつ、フレイザーはカウンターへと腰掛けた。
 そして、深く長く呼吸を繰り返す。この店の空気は大森林の深奥と変わりないくらい空気が浄化されているのだ。
「うん、分かったよー。お父さんは今日はもう外に出ないのー?」
 父娘は壁を隔てて会話を始める。
「ああ、いや、午後から財務局に用事がある。午前中は神槍が来ると言っていたから、店で浄化石の手入れでもするかな」
「えーっとじゃぁ、ルロイには午前中に行って来た方がいいよね?」
「いや、そう言えば、恐らく昼頃にローラが来ると思うから、ハーブは帰りに持って帰らせればいいだろう」
「あ、今日、リズーリアの日だっけ。でも、今日、結構頑張って摘んだから、ハーブ一杯だよ?ローラ一人じゃ持って帰れないと思うけどー?」
「大丈夫だろう。恐らく、一人腕っぷしの強いヤツを連れて来る筈だから」
「え?それってもしかして、ローラの彼氏とか?」
「まぁ、それは来てからのお楽しみだな。ひとつだけ言っておくと、多分、アンリエッタは嫌いでは無いと思う」
「え、なんでー?」
「お前が大好きだったヤツの息子だからな。見た目も声も性格も、歩き方までそっくりだからだ」

 父の言葉を聞き、アンリエッタは嬉々とした表情で奥から飛び出て来た。
 興奮して折角摘んだハーブを手でぎゅっと握り締めてしまっている。
「ちょっと、お父さん誰の息子なの?え?誰だろう?私が大好きだった人?うーん、全然分かんないけど!?」
「こらこら、それ商品なんだぞ?もう少し丁重に扱わなくては……」
「あ、ごめんなさい。じゃなくて、ねえねえ、お父さん?ローラは一体誰を連れて来てくれるの?」
「はぁぁ、お前は本当に、男の話となると他に何も出来なくなってしまうんだな。一体誰に似たのか。まぁ、今回は口を滑らしてしまった私にも否があるのだろうけど。教えてあげるが、名前を聞いたら、ちゃんとハーブの仕分けを再開すると約束出来るか?」
 フレイザーは顔をしかめつつも、口許には笑みを湛えていた。
「うんうんうん!ちゃんと仕事に戻るから、教えて!」
「白銀の獅子と鬼女の息子だよ。昨日から、酒房ルロイで住む事になったみたいだ」
 父の言葉を聞き、アンリエッタは必至に理解しようと思考を張り巡らせていた。

 彼女はハーフエルフで、現在二十五歳。人間であれば十分に成人として立派な大人と言って良い年頃だが、ことエルフの成人年齢は五十歳なので、人間でいうと十歳前後と言う事になる。
 エルフの場合は、五十歳までは幼少期とも呼ばれており姿も幼いままだが、ハーフエルフの場合は成長度合いに個人個人でバラつきがあり、エルフの血が濃いと五十歳まで幼子の様だが、人間の血が濃いと身体だけ成長して精神年齢は低いまま……要するに現在のアンリエッタの様な成長過程を経る者もいる。

「――白銀の獅子って、ブレイズ・トワイニングでしょう?鬼女も覚えてるよ!アンナ!イライザのお姉さんだよね?あ、ブレイズとアンナって子供いたっけ?私、覚えてないなぁ」
 アンリエッタは父と同じ栗色の髪を指先で弄りながら記憶を辿っていた。
 その名前を聞いたら仕事に戻る……と言っていたが、全くその気配はない。
「白銀が死んだ時はまだ鬼女の胎の中にいたらしい。その後、鬼女は山岳の村に移住してしまったから、息子の存在は知らなくて当然だよ」
「へえ、そうなんだねえ。で、その子はブレイズみたいにカッコいいの?」
「格好良いかどうかはさて置き、笑ってしまうくらい白銀と似ていると、私は思ったよ」
「へえ、へえ、そうなんだぁ。あ、その子の名前は?」
「あの、アンリエッタ?今度こそ、その名前を聞いたら仕事に戻らないと駄目だぞ?私だって、色々とやらなければならない事が山積しているのだからな?」
「うんうんうんうん、分かったから、ちゃんと仕事するから、教えて?」
「名は、レオン・トワイニングという」
「へえ、レオンくんかぁ、カッコいい名前だね。で、今何歳なの?背はどのくらい?ブレイズみたいに凄く強いのー?」
 アンリエッタは一向に仕事に戻る素振りすら見せない。
 父フレイザーは、身体だけ先に美しく成長してしまったこの娘を溺愛していて、言う事を聞かなくても叱りつける事が出来なかった。
 他の冒険者や商人からは、とても気難しくすぐに怒るエルフと恐れられているのだが、愛娘相手には形無しである。
 そのまま二人は山積した仕事に手を付ける事無く、レオン談義に花を咲かせていた。

 
 ――それから、暫くして、玄関の扉が開いた。
 鮮やかな橙色の髪をしたホビットが、欠伸をしながら入店して来る。
 人間の子供くらいの背丈だが、両の腰元にそれぞれ短刀をぶら下げていた。
「あー、キッカちゃん、おはよう!今起きたところ?ハーブティーいれて来てあげるね。お父さんも飲むでしょう?」 
 アンリエッタはそう言うと、誰からの返事を聞く事無くカウンターの奥へと行ってしまった。
 橙毛のホビットは、ぴょんと飛び跳ねてフレイザーの左隣りへと腰掛ける。
「おはよう、キッカ。眠そうだな?明け方まで飲んでたのか?」
「いやさぁ、昨日ね、エイプリル・メロウズの下で働いてる知り合いがね、話したい事があるから、飲みに連れて行ってくれって言われて。向こうの仕事終わるの夜更けじゃんか?それから、ついさっきまで付き合わされて、碌に寝てないワケ」

 このホビットの名はキッカ・カフィ。
 現在は、多忙極めるフレイザーの右腕的存在。
 過去は冒険者として活躍していたが、何度かフレイザーと冒険を共にし意気投合して行動を共にする様になった。
 少年の様に髪を刈り上げてはいるが性別は女性。
「そうか、エイプリル・メロウズの下で働いていると言う事は、まあ精神的に病んでしまう事もあるだろうな。エイプリル自体の評判は悪くないが、ね。さて、キッカ?寝不足で大変だろうが、午前中は店にいてもらえるか?」
「え、今日何かあったっけ?アタイ的には昼まで寝てようって思ってたんだけど」
「午前中に、神槍が訪れる事になっている。今度の冒険の話だろう。珍しく、私とお前を雇いたいと申し出ているから、相当厄介な案件だと思われる」
 神槍と聞いて、キッカはピンっと背筋を伸ばした。
 彼女はその件に関しては初耳だったのだ。

「えええーーーー、神槍サマの依頼なのー?マジかぁ、じゃぁ、超ヤバイヤツじゃんかぁ。え、ちょっと待ってよ?それって、いつの話?今日これからとか無いよね?」
「いやいや、流石に今日は私が無理だ。いつからかは、神槍から話を聞かねば分からん」
「塔だよね?昇りかな?潜りかな?」
「いや、もしかしたら、塔では無いかもしれん。お前だけでなく、私まで誘うくらいだからな。あり得るのはドールズ大森林とかが一番有力だろうと、私は踏んでいる。最近噂に聞く大平原のコボルド狩りかもしれんが」
 キッカはカウンターに倒れ込む様に項垂れていた。
 アンヌヴンの塔だろうがドールズ大森林だろうが、神槍と冒険を共にすると言う事は、それが何処であれ尋常では無いキツさと異常な行程を超えて行かねばならない事は決定してしまっているのだから。

「あああ、もうどうでもいいや。あのさぁ?アタイ、神槍サマ来るまで奥で寝てるから。いや、来たとしても、アタイなんて話聞いたところで、別に何も変わらないし神槍サマに口答えも提案も出来ないから、そのまま昼まで寝ててもいいと思うけど。ふぁぁぁぁあ、おやすみー」
 そう言うと、キッカはそのままカウンターをぴょんと飛び越えて奥へと消えてしまった。
 まるで猫の様な身のこなしと気儘さ。実にホビットらしいホビットなのだ、彼女は。
 それから、ハーブティーを入れたアンリエッタが戻ってきた。
「あれぇ?お父さん、キッカちゃんはー?」
「神槍が来るまで、奥で寝るらしい。それに、アンリエッタ?」
「んんー?なぁに?」
「もう何度も教えてるが、ホビットは総じて極度な猫舌だから、熱いモノは一切口にしないぞ?」
「ええ?そうだっけ?可哀そう、熱いハーブティー美味しいのに……で、お父さん、そんな事より、レオンくんの話、もっとしよう?」と、そして、また父娘のまったりとしたレオン談義が始まる。
 父フレイザーは「ああ、私はやらなければならない仕事が山積なのに……」と呟きつつ。
 娘アンリエッタは「ちゃんと、あとで私が手伝ってあげるからぁ」と、呑気に微笑みつつ……。

 



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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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