第4話:情報提供者の存在。

文字数 4,667文字

 アンヌヴンの塔の街にはギルドと呼ばれる組織がある。冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルドの三団体。
 冒険者ギルドは、アンヌヴンの街の冒険者とユニオンを管理するためにあり、運営資金はアンヌヴン辺境伯が全てを担っている。
 商人ギルドは、この街に出入りする商人や富裕層の財産管理をするためにある。
 冒険者ギルドは、この街単独の組織だが、商人ギルドの運営資金はパルティア帝国が出資しており、大きな街には必ずある組織のため他の都市の商人ギルドとも横の繋がりがあった。
 職人ギルドは他のギルドと違い、街の職人たちが自らの仕事や生活や地位を守るために、設立したギルドで、前述の二組織と比べ大きな権威は有して無いが、組織に属している人数は一番多く、近年は着々と力を蓄え台頭の兆しが見え隠れしていた。

 アンヌヴンの塔の中に入るには、基本的にこの街の冒険者ギルドに登録をし、尚且ついずれかのユニオンに所属しなければならない。
 ある特定の高位冒険者や辺境伯から免状を得た者はその限りでは無いが、それは極々少数派でしかない。
 冒険者たちは、塔の中で冒険し、その中で獲得した物を商人ギルド直営の店で売り捌けば、五割の免税を受けることが出来る。
 その上、税務報告の免除という恩恵まであるため、殆どの冒険者は商人ギルド直営の店を利用するのがこの街の習わしだった。

 しかし、フレイザー・イシャーウッドの様に、冒険者だけでなく店を経営していたり、魔導学校での臨時講師をしたりと、様々な収益がある者は自ら財務局へと出向き財務報告書を提出しなければならなかった。
 これに関しても、一般的な商人などは年一回の提出で良いが、彼の様にあまりにも多種多様で収益の多い人物は、年一回の提出では処理に膨大な時間を要してしまうため、特例で月一の提出となっている。
 この他にも特例措置を下されている者はいるが、彼の場合提出日時を月末の午後と定められていた。
 
 そして、聖歴七六二年、八の月、第五週、リズーリアの日。今しがた正午の鐘が鳴り響いた直後。
 フレイザーは濃紫のローブを目深に被り、財務局へと訪れていた。
 エルフは強烈な方向音痴のため、まじない小路にある店からここまでひとりで来るのは、本来なら不可能な行為なのだが、彼の場合、財務局にいる数名に魔法の紐を繋げてあるので、それを頼りに歩いて来ることが可能となっていた。
 この街でエルフが生き抜くための生活の知恵のひとつと言ったところか。

 財務局に到着すると、決まって彼は職員から応接室へ連れてゆかれ局長を務めるナディム・シューカー直々に手厚く持て成されるのだ。
 この日も普段と同じだった。
「――やあやあ、森の梟殿、ご機嫌麗しゅう。今月もこの日が参りましたね。ささ、どうぞお掛けください」
 ナディムは陽気で何かと気が利く男だった。実務能力でこの地位まで上り詰めた訳ではなさそうだが、フレイザーは彼の人間性を高く評価していた。
 この街で、フレイザーへ敬意を払う者たちは彼のことを「森の梟殿」と敬称する。
 ナディムも、フレイザーに対して只ならぬ尊敬の意を有していた。
「ナディム殿も、相変わらず陽気で良い顔色ですね。やはり帝都育ちの人間はこの辺境で生まれ育った者よりも、どこか華やかさが違う」
 そう言い、フレイザーはテーブルの上に持参した浄化石を転がせ、濃紫のローブを脱ぎ去った。
 そして、指先でテーブルを、とんっと叩き瞬時に強力な光の結界を張り巡らせた。
 ナディムは魔法や結界に関して詳しい知識を有して無いが、その行為が想像を絶するほど高位な魔法技術であることは認識していた。

「相変わらず、素晴らしい手際ですね。私は、森の梟殿の結界の中にいると、身も心も洗われる様な心地になります」
 そう言い、ナディムは目を閉じて手を胸に当てた。これはおべっかでもご機嫌取りでもなく本心からの言葉だった。
「ふふふ……私の結界は、外部からの悪意を阻止するだけで無く、内部にいる者へ様々な恩恵を与えますからね。そのため、精神的に安定するのでしょう。穏やかな日常生活の中ではそこまで顕著に感じないでしょうが、これが塔の中や戦場となるとその効果は絶大です――」
 ここまでの(くだり)は、大体毎回似た様な会話が繰り広げられる。
 税務報告書は既に職員の手に渡っているため、二人が税務報告のことで言葉を交わすことは殆ど無かった。
 フレイザーからは辺境伯やその軍に関わる情報を提供し、ナディムからは帝国や地方行政区にまつわる情報を提供する。
 エルフの魔導師と、帝都育ちの人間という間柄だが、お互いを利を提供し合う仲として頗る良好な関係性と言えるだろう。
 
 そして、本日はナディムから重大な情報提供がもたらされた。
「森の梟殿は……帝国査察部のルシアン・オーメロッドなる人物をご存じだろうか?」そうナディムはいい、フレイザーの為に用意した浄化された水を自身のグラスへと注ぎ喉を潤した。
 いつになく真剣な眼差し。その表情の変化を見てフレイザーはもう一度テーブルを指先で叩き、結界の強度を一段階上げる。
「新しく着任した査察部長の名が確かルシアンだったと記憶にありますが。帝都では凄腕で名を馳せているようですね」
 フレイザーはそういい、浄化水で喉を潤した。
「はい、かなりのやり手です。まだ着任して二年と経っておりませんが、数々の不届き者をあぶり出し、皇帝からの信任も厚い人物なのです」
「で、そのやり手の部長殿がどうかなされたのですか?」
「はい、実は近々……そのルシアンが、この街へとやって来ます。アンヌヴン辺境地方の査察課長として」
 ナディムは興奮を抑えきれないといった表情だった。
 帝国の中ではそれ程大物ということなのだろう、とフレイザーはそういう印象を抱いていた。

 しかし、フレイザーは訝しむ。
 そしてナディムには遠慮すること無く思うままを述べた。
「査察部長とは帝国の査察部の頂点ですよね?それがこの度の異動で査察課長……と言うことは、かなりの降格になるのですね。皇帝からの信任厚いやり手なのに、一体どのような意図があるのでしょうか?」
「はい、それが、今回は帝国査察部長とアンヌヴン辺境地方査察課長を兼任する、という名目らしいのです……」
 それを聞き、フレイザーは刹那目を見開いた。
 査察部の拠点がある帝都アルヴィオンから、辺境内陸にあるこの街まで、軍の船を使ってでも十五日程度は要するのだ。
 その距離で要職を兼任するなど、如何に有能な人物であっても不可能だろうとフレイザーは思っていた。それこそ、悠久の時を生きるハイエルフが有するスキル千里眼でも使えれば話は別だが、と小さな笑みを零す。

「――なるほど。では、その部長殿がどの様に兼任されるかは、さて置き。その様な方がこの街に来られるということは、その査察の対象は……闇商人スペンサー・ハイアットか、エニグマ出身の大商人イーニアス・キングストンか……。いや、本命はアンヌヴン辺境伯トリスタン・アーチボルトと言ったところでしょうか」
 フレイザーは敢えて問い掛けず、そこで言葉を切った。ナディムが答えずとも、その表情を見れば自ずと答えは明白。
「と、兎に角……その様な件がありますので、月が替わってからこの街は、些か不穏な空気が流れると思います」
 そういいナディムはグラスの浄化水を一気に飲み干してしまった。
 フレイザーの結界があり、外に漏れる心配は無いと分かっていても、機密を部外者に漏らすという行為は気持ちの良いものではない。
 しかし、ナディムがこの街に着任してから、フレイザーには多々世話になっているおり、その大恩に応えるため、何とか有益な情報を流したいという想いは常々有していたのだ。
 このエルフの魔導師に機密情報を流すことにより、自分の運命がどう転じてしまうのかまで考えられる先見性や想像力を彼は持ち合わせて無かった。
 
「ふむ、では、私からも何かナディム殿に有益な情報を……と申したいところですが、今月は特にいいネタが……。あ、いやいや、いいネタがひとつありました」
 そう言い、フレイザーは柔和な笑みを浮かべる。
 その表情を見て、ナディムは思わず腰を浮かせた。このエルフとは長い付き合いだが、情報提供の際に、これほど嬉しそうな笑みを浮かべるのは初めての事だった。
「そ、そのいいネタとは、一体?」
「ナディム殿にも何度か話したことがありますが、白銀の獅子ブレイズ・トワイニングのこと覚えておられますか?」
「も、勿論!私がこの街に来たのが五年ほど前ですので、面識はありませんが伝説的な噂話を幾度となく耳にしました。最高最強の冒険者、ですよね?」
「ふふふ、そうですね。最高で最強の。で、その白銀の獅子の息子が、今、この街にいるのです。そして、私は月が明けてから十日ほど、その息子と神槍らと共に、この街から出ます。行先はドールズ大森林です。辺境伯様からのご依頼で、幻獣狩りに赴きます」

 フレイザーの話を聞き、ナディムは浮かせていた腰を、すとんと椅子へ落とした。
 気が抜けた様子だった。彼はもっと鮮烈で途方もない情報なのだろうと期待していたのだ。
「白銀の獅子の息子と、ドールズ大森林で幻獣狩り、ですか。そこに神槍も参加するのです?」
「ええ、そうです。もっとも、その息子はただの荷物持ちですけれどね。名はレオン・トワイニングと申します。まだ十三歳と子供ですが……今まで私が見て来た多くの人間の中で、最高の潜在能力を秘めております。白銀や、神槍と言った存在と比較しても圧倒的と言える程の存在ですよ」
 それを聞き、ナディムは、はっと息を飲んだ。
 このエルフが人間の少女以外を褒めること等そうそう無い。しかし、そうとは分かっていても、その言葉を鵜呑みにすることは出来なかった。
「すみません、森の梟殿?白銀の獅子は噂でしか知りませんが、神槍に関しては私も一度直にその戦い目にした事があります。他所から来た荒くれ者たちが、街中で神槍に襲い掛かっていたのです。たしか七、八人はいたと思います。全員、神槍よりも一回りか二回りほど見事な体躯を誇っておりました。それをあの、美しい女性は、銀髪をはらりはらりと靡かせつつ、文字通りあっと言う間に全員の首を撥ね飛ばしていました。その凄さは今でも目に焼き付いております。とても人間の成せる業とは思えませんでした。その神槍と比べても圧倒的と言えるほどの存在……というのは、私には思い描くことが出来ません」
 ナディムはそういい、苦い笑みを浮かべた。
 
「ふふふ、まあそれが普通の反応だと思います。白銀や神槍の戦闘を見たことある者は、戦士としてこれ以上の存在は無いだろうと、誰しもが感じるところだと思いますから。それに、レオンは今はまだ何者でもありませんからね。次代を担う英雄の卵と言ったところでしょうか……。では、私はそろそろ店に戻ります。ドールズ大森林から戻ったらまた顔を出しますので、例の部長殿の情報ありましたら、またお願いします――」
 そういうとフレイザーは濃紫のローブを目深に被り、パチリと指を鳴らして結界を解いた。
 そして、応接室にナディムを置いたまま足早に財務局を後にした。


第3章
まじない小路の片隅で。(フレイザー編)
END
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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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