第1話:アンヌヴンの朝。

文字数 6,577文字

 ――レオンはふと目を開けた。
 あれ、いつの間に寝てしまったのだろう?と思い半身を起こした。
 季節柄、木製の窓は開け放たれている。外は夜明け前なのかまだ薄暗い。
 すうっと息を深く吸い込み、吐き出す。少し記憶が蘇えって来た。
 半ば無理矢理、姉となってしまったローラの部屋に案内され、故郷のドーン村の事や母の人となりを話し込んでいる内に睡魔に襲われて、そのまま寝落ちてしまったのだ。
 村に住んでいた頃は、農作業や家畜の世話をしていたのでこのまま起きてしまっても色々とやる事があったが、この街で今の自分に出来る事なんて何があるのだろう?と思い「こんな夜明け前に起きても仕方ないか……」と呟いて、二度寝をすることにした。

 しかし、すぐにまた起き上がる。
 そう言われてみるとここはローラの部屋で、彼女のベッドの上なのだ。
 もしかしたら、一緒に寝ているのかもしれないと思い、薄暗い中目を凝らしてみたが、彼女の姿は無かった。
 蝋燭一本でもいいから何か明かりが欲しいところだが、如何せん何処に何が置いてあるのか分からない。
 まだ自分の部屋だと自覚がないため、勝手にゴソゴソと探し回るのは気が引けてしまう。
 結局、もう一度ベッドへと横になる事にした。
 普段から二度寝をしない性質で、一旦目が覚めると中々寝付く事が出来ない。
 何度も寝返りをうつ。広いベッドをごろごろと転がってみたり、足元に丸まっていた毛布に包まってみたりして時を過ごす。
 そうこうしてる内に空が明るくなってきた。
 いよいよもう寝る事は出来ないと思い、半身を起こし窓の外を眺めていると、バタバタと階段を駆け上がる音が響いた。

 そして、勢いよくローラが部屋に飛び込んで来て、そのままベッドへと寝転んでしまった。
「あら、レオン、起きてたんだ?おはよー。あー、疲れたぁ。今日なんかやけに客が多くてさあ」
 彼女はごろごろと転がりながら着ていたワンピースを脱ぎ去り、下着だけの姿でレオンへと寄り添ってくる。
「あの、ローラ……お姉ちゃん、おはよう。えーっと、ちょっと、お姉ちゃん?」
「んんー?なぁに?眠いから、話なら後でしてよ」
 ローラは欠伸をしつつ、レオンの太腿を枕替わりに寝転んでいた。
 細身で少年の様な身体付きだけれど、流石に下着姿になってしまうと幼いながらも女性らしいところが目に付いてしまう。
 少年は、そんな格好でいて恥ずかしくないのかい?と問い掛けたかったのだけれど、少女はすぐに健やかな寝息を立て出したので、声を掛けるのはやめる事にした。
 同年代の人間の女の子と、こうして時を過ごすのは初めての経験だった。
 田舎者の自分にしてみれば驚くべきことだけれど、都会の女の子にしてみれば案外普通のことなのかもしれないと思い、彼女の安眠を妨げない様に静かにしていた。
 暫くそうしてるとローラは突然むくりと起き上がり「あ、そう言えば下のカウンターにアンタの朝御飯用意しておいてあげたから、食べてきなよ。ウチは多分昼ころには起きるから、そしたらさ街の事色々と案内してあげるね。ふぁぁあ、おやすみなさい」と寝起きにしては明瞭な喋り口調でそう言って、気を失ったかのようにベッドへと倒れ込んでしまった。

 今度は、少年を枕替わりにすることなく、小さな子供の様に丸まって寝息を立てている。
 こうして黙って大人しくしていると、とても可愛らしい女の子なのにと少年は小さく笑みを零した。
 髪を結んだまま寝てしまったので、起こさない様に髪紐を解いてやった。
 すると彼女は目を閉じたまま微笑み「ありがとう、レオン。そういうとこ好きよ」という。
 起きてる様子は無いので寝言かもしれないけれど少年は「じゃぁ、お腹減ったから朝御飯食べて来るね」と告げ、そろりとベッドから下りて部屋をあとにした。

 一階へと下りると、カウンターにはまだフレイザーの姿があった。
 それ以外には見たところ人のいる気配はない。イライザの姿も見えなかった。
「おはようございます、フレイザーさん」
 少年はそう言って、エルフの右側の席へと着く。パンとスープが置いてありコップには水が汲んであった。
「おはよう、レオン。よく眠れたかい?」
「はい、とても沢山寝ましたよ。多分、人生で一番長く寝た日だったかもしれないです」
 そう言うと、少年は食前の祈りを女神タリヴィアへと捧げ始める。
 その様子を、エルフは目を細めて眺めていた。
 祈りが終わると、少年はまず水を一口飲み、それからパンへと手を伸ばした。
 ライ麦と小麦を混ぜ合わせて作られたパンで、ライ麦だけで造られた所謂黒パンより色味が薄く少し柔らかい。
「そうかい、それは良かった。何処でも良く寝れると言うのは冒険者としては欠かせないスキルだからね」
 フレイザーはまだお手製のリキュールをちびちびと口にしていた。
 少年はその様子を見つつ、パンを頬張る。

「あの、フレイザーさん?」
「うん?なんだい?」
「いえ、あれからずっと起きててお酒を飲んでたんですか?」
「ああ、うん、そうだよ。昨夜はね、古い顔馴染みが来てたし、少し仕事の話もあったから中々帰る事が出来なくてね。あと、それと、キミとも、もう少しお話をしたかったから、待っていたんだ」
「ぼくとですか?そうですか、嬉しいです、そう言ってもらえると」
 少年は微笑みつつスープを口にしていた。
 少し甘い優しい口当たりのスープだった。
「レオン?キミはさ、白銀の獅子の様な冒険者になってみたいと思うかい?」
「うーん、どうですかね?勿論、なれるならなってみたいと思いますけど、今のぼくは冒険者になるよりも、このお店の仕事とか街の事を覚える方が先かなぁって思ってます」
「あははは、そうか、それもそうだね。では、魔法に興味はあるかい?例えば、私の研究を手伝ってみたり、時間があれば魔法の勉強をしてみるとか。勿論、研究を手伝ってくれればそれの対価は支払うし、私の助手や荷物持ちとして冒険にも連れて行ってあげるよ?」
 少年は、朝食時の何気ない会話だと思って聞いていたが、フレイザーの眼差しが真剣である様に見えたので、食事の手を一旦止める事にした。
「魔法には興味ありますよ。でも、魔法ってもっと幼い頃からちゃんとした先生に教わらないと凄い魔導士にはなれないって聞いた事があります。それに、ぼくに魔法の才能があるとは思って無いので、フレイザーさんの研究や冒険の邪魔になってしまうと思いますけど?」
「いや、才能はあるよ。それは私が保証しよう。確かに、人間の場合、幼少期から修行しなければ魔導士として大成しない場合が多いけれど、この世の中例外はいくらでもあるから」
「ぼくが、その例外に当てはまるってことですか?」
「ああ、そうだね。キミは現時点でも例外中の例外の様な存在だからね。よし、では別の質問をしようか。キミはお母さんから、何か剣術や戦闘術の手解きは受けているかな?」
「えーっと、母からは護身用にと少しだけ剣術を習いました。あとは、村にドワーフの子供が沢山いたので、農作業が無い時は大体彼等と一緒に遊んでました。ドワーフの遊びって力比べとか喧嘩ごっこみたいに荒っぽい事ばかりでしたけど」

 ドワーフの話が出て、フレイザーはあからさまに顔をしかめていた。
 エルフとドワーフは大昔に戦争をして以来民族間の関係性が破綻してしまったと言い伝えられている。
「そうかい。それは何とも災難だったね。何しろドワーフと言う種族は頭の中まで筋肉で出来ているらしいから、力比べも喧嘩ごっことやらも嫌で嫌で仕方なかっただろう?痛い目にも合わされたのではないのかい?」
「んんー、別に嫌では無かったですよ?ぼく、喧嘩ごっこじゃ負けた事無かったですからね。流石に力比べになると年上のドワーフには敵わなかったですけど」
「ほう、それは凄いね。では同年代のドワーフ相手にであれば力比べでも勝てるって事かい?」
「ぼくは、喧嘩ごっこも力比べも同い年の子には一度も負けた事無いですよ?もっと子供だった頃の事はもう覚えて無いですけどねー」 
 少年はあっけらかんとそう言ってから、食事を再開させた。
 人間が、増してや魔力の嗜みのない子供がエルフの魔導士に嘘をつくのは不可能な事ため、フレイザーは少年の言う事を信じる他無かった。
 戦士としての素養はあるだろうと思ってはいたが、正直そこまでとは思って無かった自分の眼力の無さに少々呆れてしまい、笑みを零してしまう。

「いやいや、そうか、なるほどね。今になって白銀の獅子の異常な戦闘能力にも合点が付く。戦士としての才能が圧倒的過ぎるのだろう。それでいて、レオンは潜在的な魔力も底深い。本当に、一体何故このような超常的な存在が世に生れ出てしまうのか……。さてと、少し飲み過ぎてしまった様だ。私はそろそろ退散するよ」
 フレイザーはそう言って、濃紫の浄化ローブを目深に被り立ち上がった。
 グラスとカウンターに転がしていた浄化石もいつの間にか懐へと仕舞い込んでいる。
「はい、わかりました。色々とお話出来て楽しかったです」
「ふふふ、それはこちらこそだよ。私は暫く冒険に出ないで自分の店にいるのでね、時間があれば遊びに来なさい。少しややこしいところにあるのだけれど、ローラに案内して貰えばいいだろう。では、御機嫌よう、さようなら――」
 そう言うと、エルフの魔導士は音も無くレオンの前から立ち去ってしまった。
 鼻先を擽る軽やかな良い匂いを残して。


 それから、レオンは食事を済ませ、食器を片付けてから店の外へと出る事にした。
 少年はアンヌヴンの塔を間近で見てみたいと思っていた。
 店から出て空を見上げる。
 雲ひとつない青空に、鈍色の塔が聳え立って見える。
 近距離過ぎて、その全貌は視界に収まりきらない程巨大だった。
 分かってはいても、その大きさには圧倒され、心の奥が震えてしまう様な感覚になってしまう。
 取り敢えず、道はよく分からないが、塔へと向け歩き出した。迷子にならない様、辺りの景色を目に焼き付けつつ。
 早朝の酔いどれ小路は、殆ど人通りも無く、柄の悪い男たちの姿も無かった。
 昨日、チャックと来た道を戻りつつ、コーリング大通りへと出てみる。
 流石に商業の神の名を冠しているだけあり、大通りは商人や街人が往来しており活気があった。
 田舎から出て来た少年の目にはお祭り騒ぎの様に見えていたのだ。
 雑踏が過ぎて耳鳴りの様に響く時もあったが、嫌な感じはしなかった。むしろ、気持ちが昂ぶる様な感覚すらあることに、少年自身が驚き、そして何より楽しんでいた。
 路地から大通りへと出ると、そのまま真っ直ぐ進めばアンヌヴンの塔へと辿り着けそうだった。
 しかし、冒険者の一団が大通りを南下していたので、少年は一先ずその一団の最後方へとつき着いて行くことにした。
 がちゃりがちゃりと甲冑や武器の擦れる金属音が、街の雑踏と混ざり格好よく耳に響いてくる。
 後に着いて歩いているだけで、自分も冒険者の一団になれたように思えて嬉しかった。
 そして、夢見心地な気分で歩いていると、一人の女性が声を掛けてきた。

「うふふふー、キミの髪、銀色で素敵だね。白銀の獅子みたいで格好いい」
 どうやら冒険者の一団の一人らしい。淡い橙色のローブを身に纏っていた。
 背は少年より少し高い、茶色の髪は朝日に照らされ美しく目に映る。
「ありがとうございます。お姉さんの髪の毛も素敵だと思います」
「あはは、って、あれ?キミもしかして男の子なの?女の子かと思って声掛けちゃった。名前なんて言うの?この街の子?」
「レオンです。昨日からこの街の子になりました。出身は、山の上にあるドーン村です」
「へえ、そうなんだぁ。私はね、アイサ。出身はよく分かんないけど、物心つく頃にはこの街にいたの。こう見えても一応魔導士なんだよ?」
 アイサはそう言うと、ローブの中からショートスタッフを取りだし、その先端にぱちぱちと火花を発生させた。大通りで魔法は御法度なのだが、この程度の子供騙しを見て騒ぐ様な者はいない。
「わあ!すごい!アイサさんは、今からアンヌヴンの塔に入るんですか?」
「うんうん、そうだねぇ。今回は雇われだから肩身狭くてさぁ、居場所無いからこうして最後尾歩いてんだよねぇ。塔の中に入っちゃったら、真ん中の方に配置されて延々と支援魔法使い続けるだけでいいから、そっちの方が楽と言えば楽なんだけど。私、男の人の喋るの苦手だから、慣れるまで大変なのよ」
「へえ、でも、そう言う風には見えませんよ?ぼくとも平気で喋ってくれてますし」
「男でもね、キミみたいな美少年なら平気なのよ。いや、むしろ好物!みたいな、あははは……。で、だからさ、この冒険が終わったら、お姉さんと遊ぼう?好きなもの食べさせてあげるし、色々教えてあげるから、ね?」
 アイサはそう言うと、立ち止まりレオンの手を取りぎゅっと握り締めた。
 その憂いのある瞳には只ならぬ熱意が籠っている。
 何だか変な人かも、と思いつつもレオンの頭の中には冒険の話とか色々聞けるかもしれないとかなり前向きな思考が渦巻いていた。

「えーっと、はい、別に構わないですよ?」
「本当に!?やった!じゃぁ、私、レオンくんの為に頑張って稼いで来るからね。で、何処まで迎えに行けばいいかな?」
「あの、酔いどれ小路にある酒房ルロイって店まで来てもらえば……」
 少年がそう告げると、アイサは明らかに表情を一変させた。晴れ晴れとした空に突如暗雲が立ち込めるように。
「え?ごめん、レオンくん?なんで酒房ルロイなの?ルロイの近くにある店で寝泊まりしてるってことかな?」
「あ、いやそうでは無くて、直接ルロイまで来てもらえれば会えると思います。ぼく、昨日からそこの住人なので。あの、アイサさん?仲間の皆さんがどんどん離れて行ってますけど、いいんですか?」
「ああ、あんな奴らどうでもいいから。じゃ無くて、昨日からルロイに住んでるってどういう意味?って言うか、私あの店の常連だよ?昨晩も飲んでたけど、キミいなかったじゃん?」
 かなりの熱量だった。雰囲気は違うが、夢中になると周りが見えなくなるところは、昨日のチャックと何処か通ずるとこがある、と少年は感じていた。

「な、なるほど……ルロイの常連さんなんですね。ぼく、昨晩は旅で疲れてたのかローラの部屋で早くに寝てしまってたんです」
「ローラの部屋で?ちょっと、なんで?あの子、自分の部屋に他人は絶対に入れないのに!私なんて何回頼み込んでも断られてるんだよ?キミ、可愛いけど、男の子なのに?どうして?」
「それは……よく分からないですけど、ぼくがローラの弟……だからですかね?いや、本当の弟では無いんですけど……昨日出逢ってから色々あって、それでこれから多分、暫くはローラの部屋で住む事になってしまったんです」
 レオンからそう告げられ、アイサは目を見開いて呆然としていた。
 何やらぶつぶつと呟いているが、内容は聞き取る事が出来ない。
 そして、がくりと肩を落とし、冒険者の一団が進んで行った方とは逆方へと歩き出してしまった。
「あれ?えーっとアイサさん?そっちに行っちゃうんですか?アンヌヴンの塔に入るんじゃ……?」
「愛しのローラちゃんと、キミみたいな美少年が同じ部屋でこれから毎日楽しい事しちゃうなんて聞いちゃったら、冒険なんてしてらんないじゃない。想像しただけで、失神しちゃいそうになるから」
「え?でも他の冒険者の方々が待ってるんじゃないですか?」
「はぁ?あんな奴らどうでもいいよ。今回単価も安いしさぁ。レオンくん、あいつらのこと追い掛けて、アイサは体調不良につき離脱するって言って来て?よろしくねえ」
 アイサはそう言うと、身体を引き摺る様にレオンの前から立ち去ってしまった。
 少年は暫くの間呆然と立ち尽くしてしまったが、気を取り直すと、先ほどの冒険者の一団へと駆けだした。
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登場人物紹介

名前:レオン・トワイニング

種族:人間

性別:男

年齢:13歳

備考:山岳の村ドーンで生まれ育った銀髪の少年。

名前:チャック・ラムゼイ

種族:人間

性別:男

年齢:26歳

備考:辺境伯軍都市警備大隊に所属する熟女に弱い兵士。

名前:イライザ・シーモア(女)

種族:人間

性別:女

年齢:38歳

備考:レオンの母アンナの妹。酒房ルロイの女将。

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