第13話 だまされた

文字数 2,189文字

 残念、というべきなのだろうか。結果は予想通りだった。
 レンズに映ったのは、さほど珍しくもない六角形の結晶が並んだ姿である。

「ほら、見たまえ」
 私は気乗りしない様子のヨハンのシャツを引っ張り、レンズを覗かせた。
石英(クォーツ)の一種だな。不純物で色がついている」

 ん? と目を見開き、ヨハンは顕微鏡の中に集中する。
「これが無色透明なら水晶。それなら私も白磁の実験でよく使っているよ」
 私は落胆以上に、苛立ちを覚えていた。これのどこが賢者の石だというのだ。

 イタリアのマヨリカ焼は、フランチェスコ・デ・メディチの時代から陶土に水晶を混ぜて焼かれるようになったが、私もそれを踏襲している。東洋磁器のあの白く半透明な風合いは、何より水晶に似ているではないか。あの美しさ、水晶が入っているゆえだと思う。

 しかしヨハンは現実を受け入れがたいらしく、まだ文句を言っている。
「伯爵が光を当てるからいけないんだよ。そりゃ元はただの石英かもしれないけど、ちゃんと魔法の力を与えられていたんだぜ? おれはその瞬間もこの目で見たんだから」

 そのときピンときた。ヨハンは、この石を高額で買わされたのだ。
 だったら魔法を使うというその人物が怪しいのではないか? そうだ。そうに違いない。ヨハンは運悪く詐欺師に引っかかったのだ。

 どん、と私は大きな音を立てて両手をヨハンの前についた。
「なあ、ヨハン。この石はどこで、誰から入手したのだ?」

 ヨハンはちっとも目を覚ましてくれない。眉根を寄せ、不快感を示すのみだ。
「ああん? 何言ってんだよ。錬金術の世界では、そりゃ聞いちゃいけないことだぜ」
 
 彼は私をせせら笑うようにこう答える。
「誰から買ったかって、それが一番の秘密に決まってんだろ。おれだって絶対に口外しねえと約束して、ようやく譲ってもらったんだ。約束を破ったら、もう二度と手に入らねえ」
「しかしこれが最後なら、君はまたこの石を入手せねばならんのだろう? その人物にまた会う予定はあるのか」
 重ねて聞くと、ヨハンは案の定、困惑の色を浮かべた。

「教えてくれ。誰に譲ってもらったのだ」
「……しつこいなあ」
 ヨハンは愛想が尽きたように、ぷいと顔を横に向けた。
「ギリシャ人の修道士だよ。名前はラスカリス。今生きている者の中では唯一、変性の秘密を知っているとされる男さ。おれはベルリンで会った。今はどこにいるのか知らねえ」

「じゃあ、もう死んでいる可能性もあるのか」
「だから知らねえって」
 ヨハンは怒鳴りつつ、ようやく自分の言っていることがおかしいと気づきはじめたらしく、わずかに首をひねり出した。
「あれ……? あいつが死んだとしたら、どうなるのかな。もう誰も金を作れねえのかな」

「そんなことはないと思うぞ」
 私は少しほっとして、再び石英の砂に目を落とした。
「ここに答えがあるのかどうか、私にもまだ分からない。だが私たちは、自力で秘法に到達したらいいんだ。現に君は結果を出したことがあるのだから、それをもう一度やるのみだ。そうだろう?」

「そうは言ってもよう……」
 ヨハンは力が抜けたように、再びどさりと背もたれにもたれかかった。
「おれだって何回も何回も再現を試みたさ。だけどあと一歩のところで、いつも失敗しちまうんだ。たぶん、呪文の言葉のどこかが間違ってるんだと思う」

 追求すべき点がどこにあるのか、まだ見えてこない。もっとヨハンの話に耳を傾けるしかなさそうだった。
「ベルリンでは、黄金ができたんだろう? その時のことを、詳しく話してくれないか」
 聞きながら、私も向かいの椅子に掛け直す。

 ベルリンの実験は、この若者の名を一躍有名にした事件である。
 彼が当時勤めていたツォルンという名の薬局の一室において行われたもので、その時はまさに「賢者の石」を透過した鉛が黄金に変わったそうなのだ。

 実験の成功談は瞬く間に広がり、全ヨーロッパに激震が走った。各国の王がその天才錬金術師を捕らえようと兵を出したものだ。

 当時のことは私もよく覚えているが、まさに戦争のような騒ぎだった。私はどこの国の王が勝ったところで興味はないなどと密かに思っていたのだが、何と勝利者はほかならぬザクセンのアウグスト王だった。ヨハンは拉致監禁され、この国に連行されてきたのである。

 本人にとって、罪も犯していないのに逮捕されたことは嫌な思い出だろう。しかし実験そのものは輝かしい成功体験である。こちらから問えば、得意になって話してくれるだろうと思っていた。

 ところが若者の顔色はいつまでたっても冴えない。何か引っかかりがあるようだった。
「あの時はさ……おれ……」
 ヨーロッパ一の錬金術師は、なぜか言いかけてためらった。

「何だね?」
「いや、いい」
 逃げるかのごとく顔を背けたヨハンの肩を、私はぎゅっとつかんだ。
「ちゃんと話しなさい。私に隠し事は無用だ。誰にも言わないよ」

 ヨハンの目元に恐怖がにじみ出ている。ピクピクと神経質に震えている。何をそんなに恐れているのかわからないが、私にもその不安は伝染してくるようだった。

 だがやがて、若者は観念したように顔を上げたのである。
「……おれ、自分で買った金の塊を、るつぼに入れてさ。煙の中で、鉛の方とすり替えて、溶かしたんだ。それで、できたと言ってみんなに配ったんだよ」

「……!」
 動揺のあまり、私は声も出なかった。
 
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