第19話 返信

文字数 2,302文字

 ゲッツから返信が届いたのは、わずか数日後のことだった。
 文通相手の多い彼のことだから早いのも当然だが、何が書いてあるか怖かった。若い頃ほど他人の影響を受けなくなっているとはいえ、ゲッツの手厳しい非難の言葉には、今なおとてつもない破壊力があるような気がするのだ。

 手が震えそうになるのをどうにか抑え、封蠟を割ってはがす。

 手紙は私の健康と成功を祝う言葉で始まっていた。
 いや、挨拶はいい。急ぎ読み進めるが、そこでゲッツもまた私の著書を読んでくれていることを知って目を見開いた。
 私の手の中で、イタリア製の高価な透かし紙が震えて音を立てる。

 私がザクセンのアウグスト王に気に入られ、活躍していると聞くたび、彼は嫉妬に近い焦りの感情に駆られてきたなどとつづってある。実に正直だった。年齢を重ねた彼は、昔の頑固さを失ったのだろうか。それとも自分の方が高い地位を得た今、余裕が出てきたということか。

 いや、どちらでもいい。最後まで悪意の感じられない文面に私はほっとして、笑い出してしまった。ようやく仲直りできたと思ったら、涙まで出てきた。
 私たちはそっくりだ。あの頃と何も変わっていない。

 思い出すことは数多かった。
 そういえば、ゲッツにこう言われたことがある。
「君はひとたび圧倒的な美を見つけると、とことんのめり込むんだよな。つまりスピノザと東洋磁器は同じさ」

 それが正鵠を射ているような気がして、私ははっと作業の手を止めたのだった。
 そんな時、いつもゲッツは何でもないとでも言うように笑い出すのだ。
「さて、いつになるのかなあ? 君がヨーロッパ磁器を発明するのは」

 あの時、ゲッツは口笛を吹いていた。二人とも、泥だらけの手でろくろを回していた。
「頼むから、おれが生きている間に完成させてくれよな」
 そうだった。ゲッツは私の磁器の研究にずいぶん付き合ってくれた。二人で土練りから、窯の火入れまで何度も実験を重ねたのだ。

 パリ郊外にあったサン・クルー窯だって、ゲッツに誘われたから見に行ったのだ。コルベール宰相肝いりの、格式高い軟質磁器工房だった。私の研究に役に立つと、彼なりに考えてくれたのだろう。

 見学中、ゲッツは案内人に向かって大げさに誉め言葉を発していた。
「素晴らしいですね。これこそ世界最高の磁器に違いありません」
 私に同様の態度を取れという意味で、ゲッツはそっと脇腹を小突いてくる。

 しかし私は頑なに黙っていた。残念ながら大いに不満だったのだ。サン・クルー窯の作品は見映えばかり重視しており、技術的に未熟なのは明らかだった。
 ゲッツもそのことには気づいているくせに、権力者には徹底して媚びるべきだと思っている。何という俗人っぷりだろうかと、私はむしろ苛立っていたほどだ。

 帰宅後、私は親友の心遣いに感謝するどころか、徹底してサン・クルー窯を批判した。いや、正直な感想をぶちまけたというところだ。
 ゲッツが呆れ返ったのは言うまでもない。
「お前さあ」
 彼は説教するように、私の顔を指さすのだ。
「自分が何を言っているのか、分かってるのか? 恐れ多くも宰相様の工房だぞ」

 もちろんその通りだ。しかしルイ十四世を敵に回すことになったって、私はあれを磁器とは呼べない。

 私は両手を振りかざして持論を述べた。
「何かが決定的に違うんだよ。東洋の磁器が本物の貴婦人だとすれば、ヨーロッパのは垢抜けない田舎娘だ」
「分かった、分かったから、静かに」
 ゲッツは両手で私を抑える仕草をすると、ちょっぴり不安そうに辺りを見回した。
「間違っても、外でそれを言うなよ」

 あの頃、私は心の底で彼の世俗主義を嫌悪していた。だが頑なで自己中心的だったのは私の方だったかもしれない。ゲッツがああいう生き方を選択したのは、その裏に相応の苦労があったからだというのに。

 今回の手紙で知ったこともあった。ゲッツはあれから、何度も失業の憂き目に遭ったという。彼のたくさんの著書はその輝かしい経歴を語るものだとばかり思っていたが、実はそうした苦しみの中で、血を吐くように生み出されたものだったらしい。

 だとしたら余計に、今回のアカデミー会長就任は大きな慶びであったことだろう。
 しかし厳しい環境に置かれていたからこそ、ゲッツは着実に上り詰めていったのかもしれない。どんな華麗な献辞も追いつかないほど、すさまじい努力があったのだろう。

 ゲッツの書いた、単子論を思い出す。あのような普遍性を持つ概念を生み出す力は相当なものだ。友達だから言うのではないが、私はゲッツもまた、スピノザに負けぬほどに哲学の歴史に名を刻むのではないかという気がする。いや、それはもう確信に近いものがあった。

 ゲッツは彼なりのやり方で、この病んだ世の中に幸福と徳を処方しようとしている。
 そしてたぶん、私と同じように信じているのだ。未だこの地が垂れ込めた暗雲の下にあっても、司教領、世俗公領問わず科学が発展していけば、いつか我々ドイツ民族が青空の下に突き抜ける日が来ると。

 手紙はこう結ばれていた。
「……君の磁器発明への真摯な情熱には、最上の敬意を払う。だがあえて私は提案しよう。君には、普遍の真理と世俗的な提案とのより強固なつながりを発見する努力が必要だ。
 たとえば君なら宮廷で発言することができよう。東洋の国に支払う莫大な金額を考えよと。ヨーロッパで磁器を作れるようになる意義を、決して少なく見積もってはならないと。
 また連絡する。体に気を付けて。

 1701年10月30日  ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ」

 もう一つの蝋燭の火が、向こうでもかぼそく揺らめいている。

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