第15話 アルブム・エト・ペルーキダートゥム

文字数 1,974文字

 そう、私はイマリを焼いてみたい。
 東洋磁器に興味を持った当初はチナが世界一と信じていたが、やがてその認識は覆された。イマリと出会ってしまったからだ。数はチナよりずっと少ないものの、衝撃的な磁器の一群があって、それがイマリと呼ばれていた。

 イマリはまるで牛乳のように、白く半透明な肌をしていた。気高いという印象は間違いないのに、ほのかに温かく、言いしれぬ深い風韻をたたえている。

 売っていたのはオランダの商人で、若かりし頃の私に最初の知識を授けてくれたのはその男だった。イマリは一部の熱狂的な愛好家に求められていること。チナよりもさらに東に位置する小さな国で作られているということ。
 
 アウグスト王は立派な磁器室を持っているが、見栄えが良ければ生産国にも様式にもまったくこだわらない。美女と同じで、手当たり次第に蒐集し、飽きたら放置する。そうすることが権力誇示につながると考えている。中国と日本の区別もつかないようだ。
 
 私は財力の問題もあって、アウグスト王と同じように買うわけにはいかない。またチナであろうとイマリであろうと、その品質にはかなりの幅があるのが実態だった。珠玉の逸品がある一方で、駄目なものは駄目。残念ながら後者が圧倒的に多いのも事実である。

 多くの貴族は買い物を使用人に任せ、自分は屋敷の奥でふんぞり返っているものだが、それでは本当に納得がいくものだけを納得のいく値段で買うといったことはできないだろう。
 私の場合、幸いにも自分で調べたり行動したりすることに躊躇しない性分だった。毎年どの港にインド帰りのオランダ船が入ったかの情報を得、自分の足でそこへ出かけ、新着商品を誰よりも早く見る。良い物を手に入れたいと思ったら、それなりの知識と行動力が不可欠だと思うのだ。

 だから今では、並の商人たちより目があると自負している。東洋で起こった流行にもそれなりに敏感になっている。だから変化の波があればすぐに気づく。

 ヨハンを見据え、私は語りかける。
「……十年ぐらい前からだろうか、イマリがチナを凌駕するほど、急激に品質を上げてきた。きっと日本という国に優秀な陶工が出たのであろう」

 イマリの優美な乳白色の肌。チナは同じ白磁でもわずかに青みを残しているから、違いを挙げるとすればそこだろう。この皿には温かなイマリの特徴がよく出ており、飛び抜けて私のお気に入りである。

 余白を大胆に残したこの絵もいい。
 右側に背の高い木がすっと伸び、二羽の鳥がその近くを飛び交っている。この左右非対称の構図は、ヨーロッパ人には奇妙に映ることもあるが、均整はしっかりと取れている。

 赤を中心とした上絵の具の発色の良さも申し分ないし、鋭利な輪郭線もまた作品の質を高めている。東洋磁器の皿は円形の他、花をかたどったものもよく見かけるが、この皿はなぜか十角形だった。

「何よりこの絵の緊張感が、乳白色の素地を引き立たせていると思うんだ。私には、余白が何かを語っているようにさえ見える。恐るべき完成度だ」

「……うん。まあ、確かに真っ白、だよな」
 ヨハンは私の興奮が今ひとつ理解できないようで、頭に両手を乗せたまま、ぽかんと呆気にとられた表情で私を見ている。
「白磁ってもんが黄金にも劣らぬ美しさであることは、おれも認めるよ。だけど……」

 錬金術師は何度か瞬きをし、背もたれから身を起こした。
「おれには分からねえ。伯爵、あんたは数学でも哲学でも、十分に名を上げたじゃねえか。何で今さら磁器なんだよ。黄金ならまだ分かるけどさ、何でそんな皿にこだわってんだよ?」

「それは……」
 当たり前過ぎるほど、当たり前のことだ。すぐに答えられると思ったのだが、実際にはそうはならなかった。
 なぜか口元が強張り、胸が打ち震える。この身にあふれる思いは少しも言葉にならなかった。この反応に自分で驚いて、どうすれば良いのか分からなくなったほどだ。

 封印した火山の火口で、何かがうずき出しているような感覚。少しでも手を放せば、自分が爆発してしまいそうだった。
 恐ろしい予感がする。たぶん、私には本質的な理由があるのだ。どうしても、何があっても、炎の中から白い貴婦人を取り出さねばならないその理由が。

 激しくなった鼓動を抑え込むように目を閉じ、私は常に心に置くあの一節を口ずさんだ。
「アルブム、エト、ペルーキダートゥム」
 
 ヨハンはラテン語を解する。目を細め、訝しむように私を見つめてきた。
白く(アルブム)……そして(エト)半透明(ペルーキダートゥム)……?」

 そうだ。そうなのだ。白く、半透明でなければならぬ。
 私がひたすら学問に打ち込んできた歳月は、この美の境地に行き着こうとして費やしてきたものである。この皿は万里の波濤を超えてここへやってきたのかもしれないが、私もまたそれに負けないほど長い旅をしている。
 
 旅はまだ、途中である。

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