第22話 奇跡のレンズ

文字数 1,815文字

 集光レンズ。そう、レンズだ!

 どうして気づかなかったのかと、膝を打ってしまう。
 私は長年、レンズの研究もしてきたのである。

 哲学者スピノザもレンズ磨きの収入で生計を立てていたが、顕微鏡も望遠鏡もレンズの力に支えられてこその新しい技術だった。私はレンズこそが輝かしい時代を引き寄せる魔法の杖のように思えて、パリではレンズ作りも学んだわけである。

 その技術は、もちろんザクセン帰国後に活かした。現在国王に任された二つのガラス工場では、小さなレンズを作る職人を育成しているところだが、あれを利用しない手はないだろう。

 それぞれの工場長宛に手紙をしたため、設計図を添える。
 そしてすぐに使者を発たせた。
 
 特大のガラスレンズが複数、アルブレヒト城に届いたのは、しばらく後のことである。
 傷をつけないよう慎重に城の屋上まで運び上げてもらい、日光を集めて窯に熱を送るよう調整する。
 
 果たしてこんなやり方でうまくいくか。
 まったく予測がつかなかったが、薪とレンズの力を合わせると窯の温度はぐんぐんと上がっていった。
 これまでにない勢いで、空気が膨らんでいくのが分かる。騎士たちが築いた古城は今、爆発寸前である。

「いいぜ、伯爵。今は千二百度ってとこだ」
 ヨハンが汗を振り飛ばして言った。
「神の恩寵たる、奇跡のレンズだぜ」
 
 この高温窯で赤い磁器を生み出すべく、私は材料の方も調達にかかった。
 鉱山の町フライベルクに、知り合いの冶金学者パプスト・フォン・オーハインがいる。彼に頼むのが一番だ。
 鉄分を多く含む、なめらかな土を見つけてくれと手紙を送った。オーハインはニュルンベルク産の膠質粘土を選び出してくれ、それが舟便でアルブレヒト城に届けられた。
 
 ヨハンと一緒にニュルンベルクの土を練り、高温で焼き上げてみると、非常に堅牢な赤い焼き物が出来上がった。もはや宜興窯に負けない品質と言っていいだろう。

 二人とも、煤で真っ黒な顔をしつつ、笑顔でうなずきあった。
「やった、土が変性した」
 ヨハンは喜びの絶叫を上げながら、部屋の中をぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「これで錬金術も、次の段階に踏み出せるぜ」

 赤色炻器(せっき)の成功。ひとまずは大きな一歩だった。

 至急アウグスト王に報告すべく、私はエルベ川に浮かぶ舟に飛び乗った。
 実験にはより多くの資金が必要である。それにできることなら、さらに大型の窯を作ってもらいたかった。直接、国王にお会いしなければならない。
 だがその国王はスウェーデンと戦うため、遠くポーランドに陣を構えているのだ。

 川こそが各地を結ぶ最速の道である。私は何度も舟を乗り換え、一路ワルシャワの町を目指した。早く陛下を喜ばせたい一心で、水上の私ははやる胸を抑えるのがやっとである。

 ところが。
 ようやくたどり着いたその町には人気がなく、奇妙な静けさが漂っていた。

 往来に戦争中の慌ただしさは感じられないし、ポーランドの王宮ヴィラヌフ宮殿は固く門を閉ざしている。

 ようやく商人のおかみさん風の太った女が通りかかり、私はすかさず声を掛けた。
 女は相手をする気もないらしく、いかにも気だるそうに振り向いたが、こちらが貴族だと気付いたのだろう、ぎらっと目を光らせた。

「ザクセン軍の本陣、だって?」
 言いながら私の全身を舐めるように観察する。思わずこちらは身構えるが、特にもぎ取る宝石の類はなさそうだと見ると女は興味を失ったようだった。
 女は顎をぶっきらぼうに突き出し、郊外へ伸びる道を示す。
「さあね。あっちの森の中じゃない?」

 半信半疑で言われた通りに進んで行くと、木立ちの向こうに古い木造家屋が見えてきた。
 裕福な百姓の館か何かを奪い取ったのだろう。しかし入り口の上にはしっかりとザクセン領主、ヴェッティン家の紋章の旗が吊り下げられている。金と黒の横縞の地に、王冠をかたどった緑色の線が斜めにたすき掛けされたものだ。ここが本陣なのは間違いなさそうだった。

 兵士に案内されて邸内の廊下を歩いていると、国王の新しい愛人と思しき女が数人、私の前でクニックスの辞儀をし、くすくすと笑いながら通り過ぎて行った。
 きらびやかな女たちの姿を、私は黙って見送った。王宮ではよくあることだが、今はあまりに場違いではなかろうか。 

 邸内は異様なほど静かで、窓から差し込む光でさえどこか重たい雰囲気をまとっている。事情がまったく分からないが、私の胸は不安にとどろいた。
 
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