第21話 イマリは科学
文字数 2,408文字
「東洋磁器には、結晶質の硬さがある。変性を経ているからだ」
ヨハンは重々しい口調で述べ、再びイマリの皿を指さした。
「これを作った奴は、一流の錬金術師に違いないぜ」
そうだろ? とヨハンは私に同意を求めながら振り向いた。
「神に選ばれた錬金術師だけが黄金を作れる。同じように、神に選ばれた東洋の国だけが本物の磁器を作れる。向こうにはきっと変性の奇跡を起こせる奴がいるんだよ」
私はじっと目を閉じる。まだ迷いの中にいるのを感じる。
分からない。分からないが、確かなのは神という言葉は時として、魔法やら呪文やらと同じように人間に思考の停止をもたらしてしまうということだ。
「……確かにヨハン、東洋の陶工は我々にはない何かを持っている」
私はつぶやき、背もたれから身を起こした。
「だがそれは魔法ではなく、技術だと思う。いや、東洋人の持つ技術が、果たして我々の考えるようなものなのかも分からない。ある程度は、土の個性という偶然がもたらしているかもしれない」
錬金術の変性は、金属が違う物質に変わることを指す。
磁器の変性では、土に関してそれが起こる。
ただの土が白い金に変わるのだ。それは鉛が金に変わるのと同じぐらい、驚きと感動の瞬間であるだろう。
見た目や手触りも激変する。ヨーロッパでは陶器や軟質の磁器なら昔から作られてきたから、すでに多くの陶工が魔法のような変性の瞬間というものを肌で知っている。
恐らくあと一歩のところまできていると思う。だが現実にはこのヨーロッパで、本物の硬質磁器はまだ生まれていない。私もまた何かに引っかかっていて、神の啓示を受けるに至っていないのである。
「なあヨハン。物質が完全に他の物質へと変性することなど、あるんだろうか? 磁器においては、土の様相が変わっただけなんじゃないのか。東洋磁器は確かに美しい宝物だが、その正体を暴いてみれば、ただの土塊 かもしれない」
もちろん今の我々の技術では、東洋磁器の破片から成分を特定することはできない。どんなに熱い思いを込めて顕微鏡を覗いても、白い貴婦人は沈黙して語ってはくれないのだ。
それでも、私はほぼ確信している。磁器はたぶん、地球上のどこにでもあるような土や鉱物を配合して焼き締めることで生み出せると。
「土の秘法は、金属のそれよりずっと近い所に転がっている。私はそう思う。それさえ見つければ、東洋人でなくても白磁はきっと生み出せる。イマリは、科学だ」
壁のイマリは相変わらず沈黙を続けている。
やはり白磁はどこまでも遠い存在だと思わざるを得ない。たとえいつの日か科学が答えを授けてくれるものだとしても、原料となる鉱物の種類と配合は大きな謎に包まれている。製法については錬金術のそれと同じく秘法と呼んでもいいだろう。
一方で、赤い磁器の方はこの後、劇的な進化を遂げていった。
ヨハンと二人、ツィーゲルの素材を丁寧に精製するなどの工夫をすると、焼き上がりは確実に宜興窯作品に近づいてきたのだ。
私も古いシャツに着替え、汗だくになって窯の中に薪を放り込んだ。
火は、物質を変容させる神秘の力である。だがその力を最大限に引き出すには、おびただしい量の薪が必要だった。やってもやってもきりがない。
ヨハンがふいに作業をやめた。
「やっぱり、窯の温度が低すぎるぜ、伯爵」
かがんで焚口から中を覗き込み、ヨハンは真剣なまなざしを炎に送っている。
「おれ、火の色でだいたいの温度が分かるんだ。この窯の内部は今、千度ぐらいだろ」
さすがは錬金術師と言うべきだった。彼は火の勢いと粘土の肌合いとの関係から、あとどれぐらい熱すればより大きな変化が起こるのか、だいたいの見当はつくらしい。
「さらに二、三百度ぐらい上げられねえか?」
言うと同時に、ヨハンは激しく咳き込んだ。すでに部屋は息もできないような高温に包まれており、人間が耐えられる限界に近づいている。
だが、そう言うなら仕方がない。
私は思い切って呼吸を止め、焚口 の周囲を塞ぐツィーゲルをいくつか取り除いた。
目を閉じると同時にすさまじい熱風が顔を突き、煙が煙突から抜けていく時の、ごおっという音が窯の奥で響く。こうして空気を送り込むと、炎の勢いが強まって温度が上がるのだ。
顔を壁の方へ向け、ようやく熱気と煙を避けて、私の方も軽く咳き込んだ。
「……今は、このやり方しかない。三百度の昇温はさすがに無理だが」
「薪をもっと入れようぜ。兵士たちに、もっと木を切るように頼んで来るよ」
ヨハンはすぐに行こうとしたが、それはまずいことだった。
「駄目だ!」
私は彼の腕をつかんで止めた。
「忘れるな。これは秘密の実験なんだぞ」
困ったもので、アウグスト王は磁器の技術が外に漏れることを極度に警戒している。ヨーロッパ磁器を生み出そうとしているのはザクセン公国だけではないのだ。
ここで私たちが出した成果を、外国の隠密たちに盗まれないとは限らない。そうなったら、私もヨハンも処刑を免れはしないだろう。
秘密である以上、この研究所が決して目立ってはならないというのに、私たちはすでに周辺の豊かな山林を丸裸にしてしまっていた。あれほど大量の薪を城内に運び入れ、しかも短期間で使い切ったとなると、兵士も近隣住民も気づかないわけはない。城の中で何が行われているのか不審に思っているに違いなかった。
もちろん今後も薪は必要だから、何とかして他の地域から木材を仕入れねばならないだろう。だが昇温に関しては別の方法を考えねばならない。
ここで燃え盛っているのは、人間の起こしたただの火。奇跡をもたらす神の炎ではないのだ。
手づまりだった。
しかし作業を終え、疲れ果てた私がぐったりと椅子に腰を下ろした時のことである。
私ははっとして、身を起こした。
これが神の啓示なのかどうかは分からない。ただ、何かが降りてきたかのように、たった今ひらめいたのだ。
ヨハンは重々しい口調で述べ、再びイマリの皿を指さした。
「これを作った奴は、一流の錬金術師に違いないぜ」
そうだろ? とヨハンは私に同意を求めながら振り向いた。
「神に選ばれた錬金術師だけが黄金を作れる。同じように、神に選ばれた東洋の国だけが本物の磁器を作れる。向こうにはきっと変性の奇跡を起こせる奴がいるんだよ」
私はじっと目を閉じる。まだ迷いの中にいるのを感じる。
分からない。分からないが、確かなのは神という言葉は時として、魔法やら呪文やらと同じように人間に思考の停止をもたらしてしまうということだ。
「……確かにヨハン、東洋の陶工は我々にはない何かを持っている」
私はつぶやき、背もたれから身を起こした。
「だがそれは魔法ではなく、技術だと思う。いや、東洋人の持つ技術が、果たして我々の考えるようなものなのかも分からない。ある程度は、土の個性という偶然がもたらしているかもしれない」
錬金術の変性は、金属が違う物質に変わることを指す。
磁器の変性では、土に関してそれが起こる。
ただの土が白い金に変わるのだ。それは鉛が金に変わるのと同じぐらい、驚きと感動の瞬間であるだろう。
見た目や手触りも激変する。ヨーロッパでは陶器や軟質の磁器なら昔から作られてきたから、すでに多くの陶工が魔法のような変性の瞬間というものを肌で知っている。
恐らくあと一歩のところまできていると思う。だが現実にはこのヨーロッパで、本物の硬質磁器はまだ生まれていない。私もまた何かに引っかかっていて、神の啓示を受けるに至っていないのである。
「なあヨハン。物質が完全に他の物質へと変性することなど、あるんだろうか? 磁器においては、土の様相が変わっただけなんじゃないのか。東洋磁器は確かに美しい宝物だが、その正体を暴いてみれば、ただの
もちろん今の我々の技術では、東洋磁器の破片から成分を特定することはできない。どんなに熱い思いを込めて顕微鏡を覗いても、白い貴婦人は沈黙して語ってはくれないのだ。
それでも、私はほぼ確信している。磁器はたぶん、地球上のどこにでもあるような土や鉱物を配合して焼き締めることで生み出せると。
「土の秘法は、金属のそれよりずっと近い所に転がっている。私はそう思う。それさえ見つければ、東洋人でなくても白磁はきっと生み出せる。イマリは、科学だ」
壁のイマリは相変わらず沈黙を続けている。
やはり白磁はどこまでも遠い存在だと思わざるを得ない。たとえいつの日か科学が答えを授けてくれるものだとしても、原料となる鉱物の種類と配合は大きな謎に包まれている。製法については錬金術のそれと同じく秘法と呼んでもいいだろう。
一方で、赤い磁器の方はこの後、劇的な進化を遂げていった。
ヨハンと二人、ツィーゲルの素材を丁寧に精製するなどの工夫をすると、焼き上がりは確実に宜興窯作品に近づいてきたのだ。
私も古いシャツに着替え、汗だくになって窯の中に薪を放り込んだ。
火は、物質を変容させる神秘の力である。だがその力を最大限に引き出すには、おびただしい量の薪が必要だった。やってもやってもきりがない。
ヨハンがふいに作業をやめた。
「やっぱり、窯の温度が低すぎるぜ、伯爵」
かがんで焚口から中を覗き込み、ヨハンは真剣なまなざしを炎に送っている。
「おれ、火の色でだいたいの温度が分かるんだ。この窯の内部は今、千度ぐらいだろ」
さすがは錬金術師と言うべきだった。彼は火の勢いと粘土の肌合いとの関係から、あとどれぐらい熱すればより大きな変化が起こるのか、だいたいの見当はつくらしい。
「さらに二、三百度ぐらい上げられねえか?」
言うと同時に、ヨハンは激しく咳き込んだ。すでに部屋は息もできないような高温に包まれており、人間が耐えられる限界に近づいている。
だが、そう言うなら仕方がない。
私は思い切って呼吸を止め、
目を閉じると同時にすさまじい熱風が顔を突き、煙が煙突から抜けていく時の、ごおっという音が窯の奥で響く。こうして空気を送り込むと、炎の勢いが強まって温度が上がるのだ。
顔を壁の方へ向け、ようやく熱気と煙を避けて、私の方も軽く咳き込んだ。
「……今は、このやり方しかない。三百度の昇温はさすがに無理だが」
「薪をもっと入れようぜ。兵士たちに、もっと木を切るように頼んで来るよ」
ヨハンはすぐに行こうとしたが、それはまずいことだった。
「駄目だ!」
私は彼の腕をつかんで止めた。
「忘れるな。これは秘密の実験なんだぞ」
困ったもので、アウグスト王は磁器の技術が外に漏れることを極度に警戒している。ヨーロッパ磁器を生み出そうとしているのはザクセン公国だけではないのだ。
ここで私たちが出した成果を、外国の隠密たちに盗まれないとは限らない。そうなったら、私もヨハンも処刑を免れはしないだろう。
秘密である以上、この研究所が決して目立ってはならないというのに、私たちはすでに周辺の豊かな山林を丸裸にしてしまっていた。あれほど大量の薪を城内に運び入れ、しかも短期間で使い切ったとなると、兵士も近隣住民も気づかないわけはない。城の中で何が行われているのか不審に思っているに違いなかった。
もちろん今後も薪は必要だから、何とかして他の地域から木材を仕入れねばならないだろう。だが昇温に関しては別の方法を考えねばならない。
ここで燃え盛っているのは、人間の起こしたただの火。奇跡をもたらす神の炎ではないのだ。
手づまりだった。
しかし作業を終え、疲れ果てた私がぐったりと椅子に腰を下ろした時のことである。
私ははっとして、身を起こした。
これが神の啓示なのかどうかは分からない。ただ、何かが降りてきたかのように、たった今ひらめいたのだ。