第26話 再会、そして再開
文字数 2,615文字
「ただちに白磁の研究を再開して下さい。陛下の思し召しです」
唐突だった。
その日、一人で大広間に現れたネーミッツは、前置きもなしにそう告げてきたのである。
私はその場に立ち尽くしていた。どうせ今日も無駄足だろうと思いつつ王宮へやって来たところだ。一体何が起こったというのか。
ようやく相手の言葉が耳に届き、私は慌てて問い返した。
「……それは、本当ですか」
「当然でしょ。嘘を言って何になります」
ネーミッツはぷいと横を向いた。不承不承の伝言だったのだろう、彼は顔を歪めて機先を制してきた。
「ただし、今度という今度は、失敗は許されませんからね」
少しでも優位に立とうとするこの男の悪意は相変わらずだったが、私はこのとき、ぱっと目の前に光が差し込んできたような気がした。
ヨハンの処遇については不明だが、とりあえずは私だけでも研究生活に戻れるのだ。
大急ぎで、中途で投げ出したままの研究の詳細を思い返した。そう、あの赤い磁器から得られた知見を整理し、今度こそ白磁に活かすのだった。
やることはいくらでもある。すぐにでもドレスデンを発たねばならないだろう。
ところが、退出しかけた私をネーミッツが呼び止めた。
そして新たな研究所を指定してきた。驚いたことに、それはアルブレヒト城ではなかったのである。
「……ユングフェルン稜堡 、ですって?」
おろおろと聞き返す自分の声が、我ながら情けないほどだった。高揚した気分が、たちまちしぼんでいく。
ユングフェルン稜堡 というのは、ドレスデン市を囲む城壁の角に設けられた小さな塔で、大砲を置く軍事施設なのだ。
もちろんネーミッツは、何が不満なのだといわんばかりの態度である。
「陛下の思し召しです。この王宮からも近くて、便利ではありませんか」
「いや、それは困りますよ。あんな狭い所では……」
慌てて訴えた。焼物作りをしたことのない者は、何も分かっていない。町の中で窯焚きの作業をすれば、火災の危険だってありうるではないか。
しかしネーミッツは、あらかじめ用意してきた言葉で私をねじ伏せるばかりだ。
「地下室もありますし、資材を置く場所には不自由しませんよ。それに人目がありません。秘密の実験には、好都合でしょう?」
まったく有無を言わせぬ態度である。
「陛下が、あの場所を指定しておられるのです。今のあなたには、ドレスデンを離れることは許されておりません」
びしっと言われてしまえば、私はそれ以上反論できなかった。
おそらくまた嫌がらせであろう。ネーミッツは国王の気分が少しでもこちらへ傾くと、裏でいろいろ手を回すのだ。
下手をすると本当に足をすくわれる事態となる。今回は致し方ない。言われた通りの場所で環境を整えるより他ないだろう。
ユングフェルン稜堡は「乙女の塔」とも呼ばれるが、そこにはおどろおどろしい響きが込められている。
中に入った者は鋼鉄の乙女の姿をした魔物に切り刻まれ、エルベ川に捨てられるという残酷な伝承があるのだ。ドレスデン市民はその名を聞いただけで震え上がり、近寄ろうともしない。人目がないというのはそういう意味だった。
私はただ一人、乙女の塔に向かい、中に入ってみた。
そこは不気味な伝説が生まれるのも頷けるような、薄暗い石造りの要塞だった。
カビ臭い上、川からも腐臭が上がってくる。武器弾薬は片付けられているから、窯を作れないことはなさそうだが、制作環境はアルブレヒト城に比して明らかに悪かった。
光のほとんど入らない丸天井を仰いで嘆息した、そのときである。
背後でコツン、と足音が響いた。
ぎくっとすると同時に振り返った。入口の、弧を描く楣 の下には、黒々とした闇があるばかりだ。
しかし、そこに現れた人影は鋼鉄の乙女ではなかった。
だらしなく服を着崩したヨハンだ。
髪が伸び、鼻の先は酒やけで赤くなっているが、その姿は魔物でも亡霊でもなく、生身の人間に違いなかった。
「ヨハン……ヨハン! 生きていたのか……!」
駆け寄って抱きしめたい衝動を抑え、私はふらふらと歩み寄った。まだ不安だった。近づいたら、その姿は幻のようにふっとかき消えてしまうのではないか?
「そりゃこっちの台詞だぜ、伯爵」
壁にもたれかかりつつ、ヨハンはニヤリと笑って片手を上げた。
「戻ってきてやったんだよ。爺さんが一人ぼっちで死んだら可哀想だからな」
たとえ自分が死に瀕していても、強がりを言うのがこの男である。だが幸い、今日のヨハンの足取りはしっかりしていた。
「伯爵は前に、錬金術を優先してくれたよな。だから今度はおれが合わせるよ。一緒に白磁の研究をしようぜ」
あまりの唐突さに、すぐには言葉も出てこないというものだった。
「それはまた……どういう風の吹き回しだね」
「どうもこうもねえ。陛下の思し召しさ」
ヨハンは面倒臭そうに顔をしかめて見せる。
「やっとあの砦から出してもらえたと思ったらさ、今度は陛下の前に引き出されたんだ」
そこでヨハンは新たな勅命に接したそうだ。
「磁器を作って他国へ販売し、その利益をもってザクセンを助けよ、だってさ。ったく、簡単に言うよなあ」
確かに、これまた唐突な思いつきというものだ。戦争で大出費を強いられたアウグスト王の苦肉の策とでも言うべきか。
ヨハンはさんざん白磁を馬鹿にしてきただけに、今さら前向きな態度を見せるのが決まり悪いのかもしれない。鼻をこすりながら照れ臭そうに笑っていた。
「おれ、別に錬金術を諦めたわけじゃねえよ? でもさ、いろいろ考えたんだ。黄金作りはとにかく難しいから一旦置いといて、磁器作りに専念した方が現実的かなって」
「良かった……本当に、良かった」
私はつぶやいた。まるで自分の声ではなく、自然にこぼれ出たかのような言葉だった。
同時に目から熱いものが溢れ出す。私はその場でがくりと膝を付いた。自分で驚いた。私はこれほどにまで、この若者を失うことを恐れていたのだ。
目の前のヨハンの手を両手で取り、私は掲げるようにした。
「ヨハン、ヨハン。よく生きて戻ってくれた。全力で神に感謝しよう。もう十分だ。磁器が作れるかどうかなど、もうどうでも良い」
「おいおい伯爵、それじゃダメなんだってば」
ヨハンはあっけらかんと笑い、そのまま私の手をぐいと引っ張って助け起こしてくれた。
「おれも手伝うからさ、今度こそ一緒に白磁を作ろうぜ。大丈夫、二人でやれば何とかなるって」
唐突だった。
その日、一人で大広間に現れたネーミッツは、前置きもなしにそう告げてきたのである。
私はその場に立ち尽くしていた。どうせ今日も無駄足だろうと思いつつ王宮へやって来たところだ。一体何が起こったというのか。
ようやく相手の言葉が耳に届き、私は慌てて問い返した。
「……それは、本当ですか」
「当然でしょ。嘘を言って何になります」
ネーミッツはぷいと横を向いた。不承不承の伝言だったのだろう、彼は顔を歪めて機先を制してきた。
「ただし、今度という今度は、失敗は許されませんからね」
少しでも優位に立とうとするこの男の悪意は相変わらずだったが、私はこのとき、ぱっと目の前に光が差し込んできたような気がした。
ヨハンの処遇については不明だが、とりあえずは私だけでも研究生活に戻れるのだ。
大急ぎで、中途で投げ出したままの研究の詳細を思い返した。そう、あの赤い磁器から得られた知見を整理し、今度こそ白磁に活かすのだった。
やることはいくらでもある。すぐにでもドレスデンを発たねばならないだろう。
ところが、退出しかけた私をネーミッツが呼び止めた。
そして新たな研究所を指定してきた。驚いたことに、それはアルブレヒト城ではなかったのである。
「……ユングフェルン
おろおろと聞き返す自分の声が、我ながら情けないほどだった。高揚した気分が、たちまちしぼんでいく。
ユングフェルン
もちろんネーミッツは、何が不満なのだといわんばかりの態度である。
「陛下の思し召しです。この王宮からも近くて、便利ではありませんか」
「いや、それは困りますよ。あんな狭い所では……」
慌てて訴えた。焼物作りをしたことのない者は、何も分かっていない。町の中で窯焚きの作業をすれば、火災の危険だってありうるではないか。
しかしネーミッツは、あらかじめ用意してきた言葉で私をねじ伏せるばかりだ。
「地下室もありますし、資材を置く場所には不自由しませんよ。それに人目がありません。秘密の実験には、好都合でしょう?」
まったく有無を言わせぬ態度である。
「陛下が、あの場所を指定しておられるのです。今のあなたには、ドレスデンを離れることは許されておりません」
びしっと言われてしまえば、私はそれ以上反論できなかった。
おそらくまた嫌がらせであろう。ネーミッツは国王の気分が少しでもこちらへ傾くと、裏でいろいろ手を回すのだ。
下手をすると本当に足をすくわれる事態となる。今回は致し方ない。言われた通りの場所で環境を整えるより他ないだろう。
ユングフェルン稜堡は「乙女の塔」とも呼ばれるが、そこにはおどろおどろしい響きが込められている。
中に入った者は鋼鉄の乙女の姿をした魔物に切り刻まれ、エルベ川に捨てられるという残酷な伝承があるのだ。ドレスデン市民はその名を聞いただけで震え上がり、近寄ろうともしない。人目がないというのはそういう意味だった。
私はただ一人、乙女の塔に向かい、中に入ってみた。
そこは不気味な伝説が生まれるのも頷けるような、薄暗い石造りの要塞だった。
カビ臭い上、川からも腐臭が上がってくる。武器弾薬は片付けられているから、窯を作れないことはなさそうだが、制作環境はアルブレヒト城に比して明らかに悪かった。
光のほとんど入らない丸天井を仰いで嘆息した、そのときである。
背後でコツン、と足音が響いた。
ぎくっとすると同時に振り返った。入口の、弧を描く
しかし、そこに現れた人影は鋼鉄の乙女ではなかった。
だらしなく服を着崩したヨハンだ。
髪が伸び、鼻の先は酒やけで赤くなっているが、その姿は魔物でも亡霊でもなく、生身の人間に違いなかった。
「ヨハン……ヨハン! 生きていたのか……!」
駆け寄って抱きしめたい衝動を抑え、私はふらふらと歩み寄った。まだ不安だった。近づいたら、その姿は幻のようにふっとかき消えてしまうのではないか?
「そりゃこっちの台詞だぜ、伯爵」
壁にもたれかかりつつ、ヨハンはニヤリと笑って片手を上げた。
「戻ってきてやったんだよ。爺さんが一人ぼっちで死んだら可哀想だからな」
たとえ自分が死に瀕していても、強がりを言うのがこの男である。だが幸い、今日のヨハンの足取りはしっかりしていた。
「伯爵は前に、錬金術を優先してくれたよな。だから今度はおれが合わせるよ。一緒に白磁の研究をしようぜ」
あまりの唐突さに、すぐには言葉も出てこないというものだった。
「それはまた……どういう風の吹き回しだね」
「どうもこうもねえ。陛下の思し召しさ」
ヨハンは面倒臭そうに顔をしかめて見せる。
「やっとあの砦から出してもらえたと思ったらさ、今度は陛下の前に引き出されたんだ」
そこでヨハンは新たな勅命に接したそうだ。
「磁器を作って他国へ販売し、その利益をもってザクセンを助けよ、だってさ。ったく、簡単に言うよなあ」
確かに、これまた唐突な思いつきというものだ。戦争で大出費を強いられたアウグスト王の苦肉の策とでも言うべきか。
ヨハンはさんざん白磁を馬鹿にしてきただけに、今さら前向きな態度を見せるのが決まり悪いのかもしれない。鼻をこすりながら照れ臭そうに笑っていた。
「おれ、別に錬金術を諦めたわけじゃねえよ? でもさ、いろいろ考えたんだ。黄金作りはとにかく難しいから一旦置いといて、磁器作りに専念した方が現実的かなって」
「良かった……本当に、良かった」
私はつぶやいた。まるで自分の声ではなく、自然にこぼれ出たかのような言葉だった。
同時に目から熱いものが溢れ出す。私はその場でがくりと膝を付いた。自分で驚いた。私はこれほどにまで、この若者を失うことを恐れていたのだ。
目の前のヨハンの手を両手で取り、私は掲げるようにした。
「ヨハン、ヨハン。よく生きて戻ってくれた。全力で神に感謝しよう。もう十分だ。磁器が作れるかどうかなど、もうどうでも良い」
「おいおい伯爵、それじゃダメなんだってば」
ヨハンはあっけらかんと笑い、そのまま私の手をぐいと引っ張って助け起こしてくれた。
「おれも手伝うからさ、今度こそ一緒に白磁を作ろうぜ。大丈夫、二人でやれば何とかなるって」