第11話 山の古城

文字数 2,232文字

 満々と水をたたえたエルベ川は、森と平原の中を蛇行している。

 (したた)るような緑。川沿いの小さな集落をつたうように、舟はゆったりと移動している。
 鴨の親子が列をなして川面を滑っていき、かと思えば舟のすぐ下をマスとおぼしき川魚がくぐり抜ける。陸地に停泊するたび、数人の百姓の男女が乗り降りする。

 やがて木々の間から、丘の斜面に張り付いたようなマイセンの町並みが姿を現した。やや遅れて、尖った頭を空に突き刺すかのような古城も視界に入ってくる。

 アルブレヒト城だ。

 遠目には壮麗だが、群雄割拠の騎士の時代はとうに終わっている。かつては栄華を極めたというこの城も、今は他の多くの不便な山城と同じくただの廃墟だそうだ。
 
 船着き場からすぐに急階段が始まる。
 私は息を切らし、崖沿いの細い道をつたい歩いた。ようやく石造りの城壁にたどり着いても、そこからさらに狭い塔階段をぐるぐると登らねばならない。

 荷物を先に送っておいて正解だった。それにしても、中世の騎士たちはよくぞ鎖帷子(くさりからびら)や甲冑を身に着けてここを上ったものである。
 
 頑張った甲斐があったというべきか、城の内部に一歩足を踏み入れた途端、私は目を奪われた。
 あらゆる方面に、絢爛たる時代が今なお息づいている。外とは別世界だ。

 床のタイルは色とりどり。太い柱は途中から穹窿(きゅうりゅう)となり、生き物のように天井に向かって腕を伸ばしている。壁には金箔で飾られたカリグラフィーや、貴婦人の前で戦いに臨む騎士たちの壁画も残っている。

 とはいえ、どの柱も壁もはげて傷だらけなのは三十年戦争の爪痕だろう。暴力の祝祭にさらされた城内にはもう調度品もなく、どの部屋もがらんとした空間になっていた。

 警備の兵士に案内され、私は錬金術師の部屋に入った。
 ヨハンは寝台の上にまだ横たわっていて、王が派遣してきたバルトロメイ医師の診察を大人しく受けている。

「どうです? お加減は」
「これは、伯爵様」
 私が近づいていくと、バルトロメイは丁重に頭を下げてきた。
「お陰様でベトガーはこの通り、だいぶ回復して参りました。骨折まではしていないのが幸いでしたよ」

「ちぇっ。痛えのはあんたじゃねえからな。おれはさんざんだったぜ」
 ヨハンは服を着ながら、バルトロメイに向かって舌を出した。
「先生は早く帰りてえんだろう。ドレスデンに帰ったら、また優雅な暮らしだもんな。向こうではみんな、おれがいなくなって、せいせいしてんだろうけどさ」

 バルトロメイは相手をする気もないようで、無視して仕事道具を片付けている。

 ヨハンはぴょんっと威勢良く寝台から飛び降りると、私の前に立ちふさがって両手を腰に当てた。
「伯爵よう。せっかく来てくれて悪いけどさ。手紙にも書いた通りだ。おれ、磁器の発明なんか手伝わねえよ。そんな俗っぽい研究に付き合ってる暇はねえんだ。何しろおれは、偉大な科学者だからな」

 はっはっは、とヨハンは大口を開けて笑ったが、どこまで本気で言っているのかは分からない。私は近くにあった粗末な椅子を引き寄せ、勝手に座らせてもらった。

「……しかしヨハン。これは王命だ。君も陛下の前でやると約束したね?」
「だからさあ」
 ヨハンは肩をすくめ、いつもの不貞腐れた子供のような顔に戻った。

「あれは時間稼ぎなんだ。死ぬまでにおれのやるべきことはただ一つ。秘法にたどり着くこと、すなわち黄金を作り出すことだ。もっと高尚かつ偉大な研究なんだ。磁器は伯爵、あんたの仕事だろ? おれが協力しなきゃならねえ理由はねえよ」

「おい、お前、いい加減にしろ!」
 帰り支度を終えたバルトロメイが、ヨハンを大声で叱りつけた。
「伯爵様はお前の命の恩人ではないか。とても聞いていられない」

「大丈夫だよ。ありがとう、バルトロメイ」
 私は医師をなだめたが、その間にも当のヨハンは窓の外に広がる景色を眺め、ひゅうひゅうと口笛を吹いている。

 バルトロメイはいかにも心配だといった風情で、鞄の持ち手を握り直した。
「まったく、こんな男を伯爵様にお預けしてよろしいんでしょうか」
「変わり者だが、私たちは友人同士なんだ。心配ないよ」

 私は笑ってバルトロメイを見送ったが、彼の不安はある程度正しかった。何しろこれからは召使いさえも遠ざけ、ヨハンと二人きりで極秘の研究を始めるのだ。うまくやっていくには相応の苦労があるだろう。

 問題は他にもあった。
 改めて城内を見回すと、やはりほとんど空っぽなのだ。机や椅子といった最低限の調度はぽつりぽつりとあるが、それらはこの城の備品ではなく、私が古い物を入手して先に送り込んだものである。

 今は戦争中。かつてガラス工場を作った時と違い、アウグスト王とて財政難だった。果たして研究のための器具や材料は、買ってもらえるのだろうか。
 
 部屋に戻ると、ヨハンは寝台に腰掛けたまま、気だるそうに頭をぼりぼりと掻いていた。この男が元気なのは黄金を作る時だけだと聞いている。

 だからここからは作戦である。私は再び腰掛けると、若者の方へ身を乗り出した。
「なあヨハン。私は君から錬金術を教わりたいんだが」

「あれえ」
 ヨハンは髪を振り乱したまま、不思議そうに私を見上げてきた。
「伯爵よう、あんた、錬金術は嫌いだったんじゃないのかい」

「錬金術はれっきとした正統な学問だ。何度もそう言っただろう?」
 本心から、私はそう答えた。
「錬金術こそが、この世の物質の謎を解明しつつあるんだ。やり方だけ、少し見直したらいいんじゃないかな?」

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