第14話 その名はイマリ

文字数 1,964文字

 私はこれまでも、多くの錬金術師を疑ってきた。直接的な付き合いは避けつつも、彼らが嘘をついていることを直感したし、具体的に見破ったことさえある。
 だが、そんな私もヨハンだけは本物だと信じていたのだ。この男は本当に黄金作りに成功したのだと、確信に近い思いを抱いていたのだ。

 各国で一流の科学者たちが錬金術に取り組んでいるのに、誰も成功しない。
 ということは、非常に難しい何かがあるのだろうとは思っていた。

 だからこの若者はまぐれでうまくいったのだろう、ぐらいに考えていたのだ。錬金術は可能だが、現段階ではまだ理論が追いついていない。私もそう信じたかったのだ。

「……では君は、最初から嘘をついていたと言うのか」
 全身から力が抜けていく。やはり錬金術に関して、私の知る限り一つも成功例はなかった。
 ネーミッツたちの言う通り、この男は単なる詐欺師だったのだろうか。絶望的な気分になってくる。
「薬局に集まった人々を、ペテンにかけたのか。君の錬金術とは、その程度のものなのか」

「だって、そうでもしなきゃ、殴り殺されそうだったんだよ」
 ヨハンは小さい子供のように目に涙をため、必死に言い訳をした。
「さんざん出資をさせちまったから、みんな怒ってたんだ。だからお返しをしてやった。見習いの薬剤師の給料でも、少しは貯金もあったからさ。それで金を買った。とりあえず許してもらえればいいし、次の出資に結びつけば万々歳ってとこだった。まさか、こんなに事が大きくなるとは思わなかったんだよ」

 確かに町の小さな実験が全ヨーロッパを震撼させることになるとは、誰にも予想できまい。だが金儲けにからむ秘密というのは、守られないどころか歪んだ形で拡散するものだ。

 打ち明けられたのは、単純ないかさまだった。そこに居合わせた人々の全員が騙されたとは、にわかには信じがたい。
 いやそれより、国王陛下までも騙したという事実が重大だった。露見すればただでは済まないだろう。

 気が遠くなる思いで、私は首を回し窓の外を眺めた。
 聞かなければ良かった。もはや私も共犯者だ。

「……実験結果が嘘だったことは、この際、伏せておこう。しかしこれから大変だぞ」
 どうにか居住まいを正し、私はもう一度若者を見つめた。
「なあヨハン。君はそれでも、錬金術の成功を信じているのか?」

 奇妙なことにその点に関しては、ヨハンははっきりしていた。
「もちろんだよ。だって、記録上は何人もの人間が成功してるんだぜ? きっと、おれのやり方がほんのちょっとまずいだけなんだ」
「その記録とやらは、果たして信頼できるんだろうか。ヨハン、先人の業績には敬意を払うべきだが、常に疑ってかかることも必要だよ」

 ヨハンはまた不貞腐れた顔で抵抗の意を示してきたが、私はめげずに続けた。
「確かに今のところ、錬金術が不可能であると証明した者はいない。だが秘法の存在もまた証明されてはいないんだ。古記録に残る成功例を鵜呑みにするのはやめよう」

 ヨハンに語りかけるのは、まるで塔のてっぺんから平原の果ての森に呼びかけるようだった。
 そう簡単には理解し合えない相手だ。地球の裏側に暮らす、遠い世界の人種のようにも感じられる。

 だが私は、自分の言葉で語り掛けてみようと思う。危険を冒して彼をかばった時と同じように、そうせずにはいられない何かが、この若者にはあるのだ。

「この世には、一気に神に近づく方法などありはしない。どんなに遠回りでも、一つ一つの事実を積み上げていくしかないんだ。だからヨハン、これだけは肝に命じなさい」 
 私は姿勢を改め、語調を厳しくした。
「実験は、他者が再現できるものでなくてはならない。なおかつ、その結果について何が明らかとなり、何が不明であるのかを、言葉で説明できねばならない。私たちは科学的手法で真理に近づくのだ。いいね?」

 ヨハンはこちらの主張を一応は認める気なのか、しゅんとして頭を垂れている。

 だが彼を落ち込ませるのが私の目的ではないのだ。
「君は以前、大事な宝物を見せてくれたね? 今度は私のを見せよう」

 私はゆっくりと立ち上がり、壁の一角に歩み寄った。そこには、常に光を感じている。
 上方に、十角形をした白磁の皿が掛けてある。ここに到着してすぐ、いつでもこの美しい皿を眺められるようにと私が飾ったものだった。

 振り向くとヨハンも目を細めて皿を見つめていて、私はゆっくりとうなずき返した。
「私の宝物、東洋磁器だ。その名をイマリという」

 イマリ。
 荘厳な響きを持つその名を口にしただけで、その高貴な白い肌に触れただけで、私の胸は打ち震え、涙があふれそうになる。イマリはもはや、私が人生を捧げた伴侶である。

 改めて、皿の縁に指先を伸ばす。
「……私はね、ヨハン。いつかこのイマリのような磁器を焼いてみたいんだ」

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