第25話 監禁
文字数 3,359文字
牢獄のように殺風景な石造りの部屋で一人、私は寝台に腰かけて悶々と悩んでいた。
膝の上に肘をあずけ、髪を掻きむしった。ヨハンはより劣悪な環境にいるに違いない。もしや拷問まで、と思うと心配のあまり夜も眠れなかった。
もちろん、辺りを無言で行きかう兵士たちには何度も詰め寄った。
「ヨハンは無事でいるのか? 食事はどうなってる? 会わせてくれ」
だが兵士たちは何も答えてくれないのだ。誰もがいかにも都合悪そうに目を反らすか、あるいは反抗的な態度で私を睨んでくるだけだった。
ヨハンの顔を見たいだけなのに。
彼が元気でいることを確認できたら、それでいいのに。
そんな思いは、むなしく消えていった。私が何を言っても、聞く耳を持ってくれる者はいないのだ。
この要塞は悪魔の巣窟。私の力の及ばぬ所で、何かが動かされている。
ある日、無理やり監視を突破しようとした私は、廊下で複数の兵士に羽交い締めにされた。
「離せ! 今日という今日は会いに行くぞ」
そこへ彼らの上官だという男がつかつかとやってきて、私の目の前に立ちはだかった。
「ここから先、お通しすることはできませんよ、伯爵様」
石の壁にはさまれた薄暗い廊下で、男は両手を広げ、ニヤリと笑う。
「大丈夫、何も心配はいりません。大事な研究のためですから、あのお方には助手を付けましたよ。それも、三人もね」
三本の指を立てて言うのだが、こんな環境で研究が進められるはずはなかった。助手も何もない。錬金術師が逃亡しないよう、監視役を付けただけだ。
この時にようやく、ネーミッツのほくそ笑む顔が私の脳裏にちらついた。あの男が国王を操っているから、こんな訳の分からぬことになるのだ。
私もヨハンも同じくここで監禁されているわけだが、身分という盾を持たないヨハンは、より過酷な環境での戦いを強いられている。私がこれ以上騒げば、ヨハンはまた拷問されるかもしれなかった。
忸怩たる思いで、私は一旦引き下がることにした。
仕方がない。ここで脱走でもすれば、今度はこの国を占領したスウェーデン軍に殺される可能性もあるのだ。今は我慢している他ないだろう。
私とてこの要塞に閉じ込められたままでは気が狂いそうだった。この淀んだ空気が、次第に私の健康までもむしばんでいくようだ。
幸い、というべきだろう。この後、戦況が落ち着き、私は要塞を出るよう指示された。
アウグスト王は敗戦を認め、ポーランド王位とリトアニア大公位を放棄、ついに北方同盟から離脱したのである。スウェーデン軍はおとなしく帰って行き、ザクセン公国およびその首都ドレスデンは火の海となることを免れた。
私は国王の財宝とともに、ドレスデンへと戻されることとなった。
これを聞いてほっとしたのは確かだが、いざ舟に乗ると気分は再び重くなった。
この一行の中にヨハンはいない。とりあえず、私一人の解放なのだ。
久々に見るドレスデンは敗戦にうち沈み、生気を失っていた。
しかしその灰色の空の下で、私の目は桟橋にぽつんとたたずむフュルステンベルク侯爵の姿を捕らえた。真っ先に出迎えに来てくれたのだ。
舟から下り、友人と無言で抱き合った。
町の姿が涙で滲んでいく。
万感の思いだった。生きてさえいれば、どんなにでも生き直すことができる。
「また痩せましたね、伯爵」
侯爵は泣き笑いといった表情で私の肩を叩き、また大いに食べて健康を取り戻すよう、励ましてくれた。
「磁器の研究だって、近いうちにきっと再開できます。やまない雨はありません。あともう少しの辛抱ですよ」
戦争が終わった以上、あとは復興という希望を抱いて良いはずだったが、心の片隅にうずく小さな染みのように気がかりは残っていた。ヨハンが私と引き離されたまま、山奥の砦にとどめ置かれたままなのだ。
私は錬金術師の釈放を願い出るため、ほとんど毎日、王宮に馳せ参じることになった。
だがこれもネーミッツの作戦だろうか。なかなか陛下への御目通りは叶いそうになかった。
「また、ですか。あなたって人は、よほどあの錬金術師が気に入ってるんですねえ」
放っておけばいいのに、とフュルステンベルク侯爵はそんな私を見て長嘆した。だが世の流れがここまで来た以上、彼もヨハンのことぐらいで立場が危うくなるとは考えなくなったのだろう。もはや私を押しとどめようとはしなかった。
「ま、いいですよ。あなたが悲しみのあまり、研究ができなくなったら、それこそザクセンにとっての損失ですからね」
侯爵の方も、錬金術師の解放を願い出てくれるそうだ。黄金と磁器は今や等しくこの国の将来を左右するという認識だそうである。私はまたも、この友人に借りを作ってしまった。
しかし侯爵の配慮でアウグスト王との謁見が叶ったその日。
陛下はすっかり疑心暗鬼になっていた。私がどんなに頼み込んでも、背を丸めてぶるぶると震えるのみだったのである。
「……ベトガーは余を憎んでおる。釈放したら最後、スウェーデンに寝返るだろう。お前はあの憎っくきカール12世に、みすみす黄金を渡せと言うのか……!」
血走った目で、今さらそんなことを言うのである。とても正気とは思えなかった。
「いいえ、陛下。私がそんなことはさせません。スウェーデンになど行かせませんとも」
国王を少しでも安心させるべく、私は子供に対するように言い聞かせた。
「牢獄のような環境では、ベトガーとて成果を出せるはずがありません。一日も早く私の元へお戻し頂き、錬金術の研究を再開させるのが一番でございます」
国王はまだ強烈に錬金術を信じているからこそヨハンを留め置くのである。いつしか処刑の話はなくなっているが、かといって安心はできなかった。あんな所に長く幽閉されていたら、誰だっておかしくなってしまう。拷問されずとも、自分から首を吊って死ぬことだって考えられるではないか。
不安に苛まれる中、陛下は気まぐれに一度だけ、面会の許可を出してくれた。
気が変わらないうちだ。私は舟に飛び乗り、再びケーニヒシュタインへと川を遡上した。
戦時でなければ、ケーニヒシュタインは美しい自然に囲まれた風光明媚な土地である。眼前の険しい岩山や、遠く広がる緑の丘陵地帯の眺めには素晴らしいものがあり、いくら見ても見飽きることがない。
だが逃亡の前科があるヨハンには、ちょっとした散策すら許されていなかった。
初めて通されたその部屋は、天窓すらない真っ暗な空間だった。しかも燭台の光で照らしてみると、床には物が散らかって足の踏み場もない。
すでに精神を病んでいるのか、机の上に伏すヨハンは支離滅裂な言葉を発していた。脇には酒瓶が置かれており、泥酔しているのが明らかだった。部屋には酒臭い息が充満している。
「この男に酒を渡すんじゃない! 」
私はかっとなって酒瓶を取り上げ、監視役の兵士に付き返した。
「体を壊してしまったら、彼は陛下のために錬金術を行うこともできなくなる。それは君の責任になるんだぞ」
兵士の顔を指さして怒鳴りつけながら、ふと思い出した。黄金の館で暮らしていた頃にも、ヨハンは酒を浴びるように飲んでいたのである。
アウグスト王は錬金術師を我が物にするためなら手段を選ばない。女が駄目なら、酒に溺れさせるぐらいは平気でするだろう。それが本人の健康をむしばもうが何だろうが、知ったことではないのだ。
もちろん兵士が私を恐れるようなことはない。むしろ嘲笑するように鼻を鳴らしていた。
「この乱暴なお客様には、我々も手を焼いているんですよね。こうしてお酒を出しさえすれば、大人しくなってくれますから」
その言い方は、ヨハンが死んでくれた方がありがたいとでも言うようだった。
ネーミッツの息がかかっている。
そう直感した私は、ただちにその兵士を部屋から追い出した。いや、あの男だけではないだろう。政敵はひたすらヨハンを追い詰めようとしており、ネーミッツに気に入られたい人々は平気でそこに加担する。それが現実だ。
私はぐったりと伏したままのヨハンの背をなでた。痛々しくて、とても見ていられなかった。
「ヨハン、絶対に君を助け出す。もう少しの辛抱だ。負けるんじゃないぞ」
黒髪の若者は無反応で、必死に呼びかける私の声に返事もしなかった。
膝の上に肘をあずけ、髪を掻きむしった。ヨハンはより劣悪な環境にいるに違いない。もしや拷問まで、と思うと心配のあまり夜も眠れなかった。
もちろん、辺りを無言で行きかう兵士たちには何度も詰め寄った。
「ヨハンは無事でいるのか? 食事はどうなってる? 会わせてくれ」
だが兵士たちは何も答えてくれないのだ。誰もがいかにも都合悪そうに目を反らすか、あるいは反抗的な態度で私を睨んでくるだけだった。
ヨハンの顔を見たいだけなのに。
彼が元気でいることを確認できたら、それでいいのに。
そんな思いは、むなしく消えていった。私が何を言っても、聞く耳を持ってくれる者はいないのだ。
この要塞は悪魔の巣窟。私の力の及ばぬ所で、何かが動かされている。
ある日、無理やり監視を突破しようとした私は、廊下で複数の兵士に羽交い締めにされた。
「離せ! 今日という今日は会いに行くぞ」
そこへ彼らの上官だという男がつかつかとやってきて、私の目の前に立ちはだかった。
「ここから先、お通しすることはできませんよ、伯爵様」
石の壁にはさまれた薄暗い廊下で、男は両手を広げ、ニヤリと笑う。
「大丈夫、何も心配はいりません。大事な研究のためですから、あのお方には助手を付けましたよ。それも、三人もね」
三本の指を立てて言うのだが、こんな環境で研究が進められるはずはなかった。助手も何もない。錬金術師が逃亡しないよう、監視役を付けただけだ。
この時にようやく、ネーミッツのほくそ笑む顔が私の脳裏にちらついた。あの男が国王を操っているから、こんな訳の分からぬことになるのだ。
私もヨハンも同じくここで監禁されているわけだが、身分という盾を持たないヨハンは、より過酷な環境での戦いを強いられている。私がこれ以上騒げば、ヨハンはまた拷問されるかもしれなかった。
忸怩たる思いで、私は一旦引き下がることにした。
仕方がない。ここで脱走でもすれば、今度はこの国を占領したスウェーデン軍に殺される可能性もあるのだ。今は我慢している他ないだろう。
私とてこの要塞に閉じ込められたままでは気が狂いそうだった。この淀んだ空気が、次第に私の健康までもむしばんでいくようだ。
幸い、というべきだろう。この後、戦況が落ち着き、私は要塞を出るよう指示された。
アウグスト王は敗戦を認め、ポーランド王位とリトアニア大公位を放棄、ついに北方同盟から離脱したのである。スウェーデン軍はおとなしく帰って行き、ザクセン公国およびその首都ドレスデンは火の海となることを免れた。
私は国王の財宝とともに、ドレスデンへと戻されることとなった。
これを聞いてほっとしたのは確かだが、いざ舟に乗ると気分は再び重くなった。
この一行の中にヨハンはいない。とりあえず、私一人の解放なのだ。
久々に見るドレスデンは敗戦にうち沈み、生気を失っていた。
しかしその灰色の空の下で、私の目は桟橋にぽつんとたたずむフュルステンベルク侯爵の姿を捕らえた。真っ先に出迎えに来てくれたのだ。
舟から下り、友人と無言で抱き合った。
町の姿が涙で滲んでいく。
万感の思いだった。生きてさえいれば、どんなにでも生き直すことができる。
「また痩せましたね、伯爵」
侯爵は泣き笑いといった表情で私の肩を叩き、また大いに食べて健康を取り戻すよう、励ましてくれた。
「磁器の研究だって、近いうちにきっと再開できます。やまない雨はありません。あともう少しの辛抱ですよ」
戦争が終わった以上、あとは復興という希望を抱いて良いはずだったが、心の片隅にうずく小さな染みのように気がかりは残っていた。ヨハンが私と引き離されたまま、山奥の砦にとどめ置かれたままなのだ。
私は錬金術師の釈放を願い出るため、ほとんど毎日、王宮に馳せ参じることになった。
だがこれもネーミッツの作戦だろうか。なかなか陛下への御目通りは叶いそうになかった。
「また、ですか。あなたって人は、よほどあの錬金術師が気に入ってるんですねえ」
放っておけばいいのに、とフュルステンベルク侯爵はそんな私を見て長嘆した。だが世の流れがここまで来た以上、彼もヨハンのことぐらいで立場が危うくなるとは考えなくなったのだろう。もはや私を押しとどめようとはしなかった。
「ま、いいですよ。あなたが悲しみのあまり、研究ができなくなったら、それこそザクセンにとっての損失ですからね」
侯爵の方も、錬金術師の解放を願い出てくれるそうだ。黄金と磁器は今や等しくこの国の将来を左右するという認識だそうである。私はまたも、この友人に借りを作ってしまった。
しかし侯爵の配慮でアウグスト王との謁見が叶ったその日。
陛下はすっかり疑心暗鬼になっていた。私がどんなに頼み込んでも、背を丸めてぶるぶると震えるのみだったのである。
「……ベトガーは余を憎んでおる。釈放したら最後、スウェーデンに寝返るだろう。お前はあの憎っくきカール12世に、みすみす黄金を渡せと言うのか……!」
血走った目で、今さらそんなことを言うのである。とても正気とは思えなかった。
「いいえ、陛下。私がそんなことはさせません。スウェーデンになど行かせませんとも」
国王を少しでも安心させるべく、私は子供に対するように言い聞かせた。
「牢獄のような環境では、ベトガーとて成果を出せるはずがありません。一日も早く私の元へお戻し頂き、錬金術の研究を再開させるのが一番でございます」
国王はまだ強烈に錬金術を信じているからこそヨハンを留め置くのである。いつしか処刑の話はなくなっているが、かといって安心はできなかった。あんな所に長く幽閉されていたら、誰だっておかしくなってしまう。拷問されずとも、自分から首を吊って死ぬことだって考えられるではないか。
不安に苛まれる中、陛下は気まぐれに一度だけ、面会の許可を出してくれた。
気が変わらないうちだ。私は舟に飛び乗り、再びケーニヒシュタインへと川を遡上した。
戦時でなければ、ケーニヒシュタインは美しい自然に囲まれた風光明媚な土地である。眼前の険しい岩山や、遠く広がる緑の丘陵地帯の眺めには素晴らしいものがあり、いくら見ても見飽きることがない。
だが逃亡の前科があるヨハンには、ちょっとした散策すら許されていなかった。
初めて通されたその部屋は、天窓すらない真っ暗な空間だった。しかも燭台の光で照らしてみると、床には物が散らかって足の踏み場もない。
すでに精神を病んでいるのか、机の上に伏すヨハンは支離滅裂な言葉を発していた。脇には酒瓶が置かれており、泥酔しているのが明らかだった。部屋には酒臭い息が充満している。
「この男に酒を渡すんじゃない! 」
私はかっとなって酒瓶を取り上げ、監視役の兵士に付き返した。
「体を壊してしまったら、彼は陛下のために錬金術を行うこともできなくなる。それは君の責任になるんだぞ」
兵士の顔を指さして怒鳴りつけながら、ふと思い出した。黄金の館で暮らしていた頃にも、ヨハンは酒を浴びるように飲んでいたのである。
アウグスト王は錬金術師を我が物にするためなら手段を選ばない。女が駄目なら、酒に溺れさせるぐらいは平気でするだろう。それが本人の健康をむしばもうが何だろうが、知ったことではないのだ。
もちろん兵士が私を恐れるようなことはない。むしろ嘲笑するように鼻を鳴らしていた。
「この乱暴なお客様には、我々も手を焼いているんですよね。こうしてお酒を出しさえすれば、大人しくなってくれますから」
その言い方は、ヨハンが死んでくれた方がありがたいとでも言うようだった。
ネーミッツの息がかかっている。
そう直感した私は、ただちにその兵士を部屋から追い出した。いや、あの男だけではないだろう。政敵はひたすらヨハンを追い詰めようとしており、ネーミッツに気に入られたい人々は平気でそこに加担する。それが現実だ。
私はぐったりと伏したままのヨハンの背をなでた。痛々しくて、とても見ていられなかった。
「ヨハン、絶対に君を助け出す。もう少しの辛抱だ。負けるんじゃないぞ」
黒髪の若者は無反応で、必死に呼びかける私の声に返事もしなかった。