第12話 錬金術をやってみよう

文字数 2,341文字

 錬金術師はどうしても、いかがわしい者と見られがちである。彼らの方が、肝心な部分で魔術やら秘法やらといった言葉でごまかすのだから、それもある程度は致し方なかった。

 しかし私は、その理論は決して浅いものではないと思っている。
 古代、アリストテレスはいわゆる四元素説で元素の相互転化の可能性を示した。アラビアの学者たちはこの考え方を継承し、「アルキミア」と名付けて化学の基礎を作った。

 そしてイタリアを中心にして古典古代の文化芸術の復興運動が起こった際、知の蓄積は一気にヨーロッパへと逆流し、今再び大きな可能性を秘めた学問となっている。錬金術は神の叡智の結晶に違いないのだ。

 大きく息を吸って、私はヨハンに言い聞かせた。
「陛下は磁器の研究を、錬金術と平行してやれと仰せなのだ。だからヨハン、そちらから取り掛かったって何の問題もないんだよ。まずは一緒にやってみよう」
 
 思った通りである。まるで魔法の液体でも飲んだかのように、ヨハンはしゃっきりと背筋を伸ばし、生き生きとした表情を取り戻した。
「よし、わかった! そういうことなら、力を貸すぜ。おれに任せろ」
 
 さっそく翌日、ヨハンは自室での錬金術の実験に私を呼んでくれた。

 早朝から準備を始めていたのだろう。私が部屋に入った時にはすでに、粗末な木の台の上に小さなガラスの瓶や金属製の道具がずらりと並べてあった。

 窓を黒い掛布で覆うと、部屋はかなり暗くなる。
 日光は厳禁だそうだ。大事な材料に息がかからないよう、私もヨハンも口元を布で覆っている。

「……それでは、開始する」
 ヨハンは別人のように厳かに宣言し、私もいささか緊張しながらうなずいた。

 実験は、あらかじめ説明してもらっていた手順の通りだった。

 まずガラスの瓶に入れた硫黄と水銀を、それぞれ金属製の「るつぼ」に流し込む。水銀はどろっとしているが、硫黄は粉末状である。
 
 そのるつぼを火にかけると、ヨハンは棒を取り出した。私にも見覚えのある、例の真鍮の棒だ。
 それで、ゆっくりと中身をかき混ぜる。
 しばらく加熱すると、ヨハンはいよいよ懐から紙の包みを取り出した。

「……これが、賢者の石だ」
 私も息をつめ、まばたきを忘れて覗き込んだ。「本物」を見るのは初めてだった。
 
 錬金術には真っ赤に燃え立つような色をした賢者の石(ラピス・ピロソポールム)なるものが必要だ、という話は以前から聞いていた。
 何しろ地中に含まれるあらゆる鉱物は、「賢者の石」を通過することで変性し、貴金属に生まれ変わるというのだ。驚くべきことだが、そんな物質がこの世にあるというのだ。
 賢者の石は固体のこともあり液体のこともあるというが、ヨハンが持っているのは茶褐色の砂のようなもので、量はわずかだった。

 ところで錬金術師がよく口にする「秘法」という言葉だが、これは賢者の石を人工的に生み出す方法、あるいは自然界にある賢者の石の取り扱い方を指しているらしい。

 ただ、その内容を詳しく聞き出そうとすると、彼らはいきなり妙な暗号やら図表やらを持ち出し、こちらを煙に巻いてしまうのである。
 納得のいく説明とはほど遠かった。これのどこが科学なんだと言いたくなる。

 とはいえ、他の多くの科学者と同じように、私だって錬金術そのものは信じている。
 怪しい部分を一つ一つ取り除いてやればいいはずだ。いつかは錬金術とて、正当な科学の地位を得るであろう。

 今、ヨハンの手はその奇跡の物質を取り扱っていた。神の威光におののくように、若者の指先は小刻みに震えている。

「もうこれが最後だぜ。陛下にほとんど取り上げられちまったからな」
 ヨハンは額に汗を滲ませながら、慎重に包み紙を二つ折りにした。ともすれば荒くなる呼吸を必死に押さえ、ヨハンはいよいよ賢者の石をるつぼに近づけていく。

 ん? これが最後、と言ったか?

「いや、ちょ、ちょ、ちょっと待て!」
 私は慌てて手を伸ばした。
 するとヨハンは全身をびくっとさせ、何と驚いた勢いでその場から逃げようとしたのだ。

「うわあ」
「待て。落ち着け、ヨハン」
 私はさらに彼を押さえつけ、そのせいでちょっとしたもみ合いになってしまった。

 世にも貴重な石の粉は、危うく彼の手から飛び散ってしまうところだった。
 ヨハンは歯を剥き、狂犬のような形相で怒鳴りつけてくる。
「何すんだよ、伯爵! 邪魔するなって言ったろ? せっかく集中してたのに」

 怒りのあまり砂を投げ捨てかねないので、私は必死にその腕を押さえつけている。
「その石が問題なんだろう? 石の分析を先にやらせてくれ」
「今から大事な呪文を唱えるんだよ。ここで間違っちゃ駄目なんだよ」
「分かった。君のやり方は尊重しよう。だがこの実験は一旦ここで中断してもらえないか」

 若者は何とか落ち着きを取り戻し、私は彼を解放した。
 窓辺に寄って掛布を取り払う。部屋はたちまち太陽光に満たされ、健全な昼間の表情を取り戻す。
「ああん、もう駄目だあ。魔法が消えちまうよう」
 ヨハンは猛烈な抗議をしてきたが、いちいちかかずらっていられない。

 何しろ錬金術の実験に直接手を出せる機会は、そうあるものではなかった。それにちょうど良いと言うべきか、こんなこともあろうかと思って、この城にある道具を持ってきている。

「ヨハン、これを使ってみよう。オランダ製の光学式顕微鏡だよ」
 私は道具を持ってくると、さっそく箱から取り出した。
 どうにかヨハンをなだめ、微量の粉を分けてもらうと、私はそれを薄いガラス板の上に乗せてプレパラートを作った。
 光の調整をし、レンズを覗き込む。
 
 もちろん私とて、焦点を合わせるこの手が震えそうだった。この石は一体どんな真実を語るのか。神が鉱物に与えた神秘の力が、今ここに立ち現れるのだろうか。
 
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